其の弐拾:お馴染み都市伝説の怪
遊園地からの帰りの途中にある山で、蕎麦とおでんを爛菊からご馳走してもらってすっかり満足した化けダヌキと別れて、二人は帰宅した。
降車してふと見ると、数メートル離れた道端で通行人から何かを貰って食べている、三毛猫の姿に気付いた。
尻尾は二俣ではなかったが、それは人前でもう一本の尻尾を隠しているだけあり、柄からしてその三毛猫が鈴丸だと気付く。
「鈴丸! 今帰ったぞ!」
遠くから千晶が呼びかけると、その三毛猫は顔を上げて鳴き声をあげながら駆け寄って来た。
爛菊は、先ほど食べ物をあげていたその通行人の女性に軽く会釈してから、まだ猫の姿を維持している鈴丸を抱き上げた。
そして家の中に入って床の上に下ろしてやると、鈴丸は身を捻って人間の姿に変わる。
「お帰り! ランちゃん、アキ。ところでランちゃん、何だかタヌキ臭かったんだけど」
これに爛菊は少しも嫌な顔をせずに、ふわりと微笑みを浮かべて答えた。
「ええ。先ほどまで化けダヌキを抱いていたもの」
すると鈴丸は驚愕の表情を見せて、ソファーに身を委ねる。
「化けダヌキ!? へぇ、遊園地に行ってそんなのに出会ったんだ!」
「お化け屋敷でのっぺらぼうをしているのに爛が気付いて」
爛菊もソファーに腰掛けながら口にする。彼女の言葉に更に鈴丸は驚きを露にする。
「え、もしかして妖気を感じられるようになったの? ランちゃん」
「どうやらそうみたい」
嬉しそうな笑顔を見せて頷く爛菊。それに同じく鈴丸も嬉しそうに声を弾ませた。
「良かったねぇ! これで今後の妖怪探しも、僕やアキがいなくても楽になるね!」
「妖気察知を得る前にぬりかべにも出会って、それから妖力吸収してから妖気察知能力が完全に身についたみたい」
「ええ!? じゃあ今日一日で二体の妖怪と出会ったんだね! 凄いラッキーじゃん」
すると一人掛けのソファーで、黙って寛いでいた千晶が口を開いた。
「まぁ、こっちはな。そっちのデートはどうだったんだ」
途端、これまで立て続けに聞かされる仰天話に笑顔が絶えなかった鈴丸は、一気に表情を落ち込ませる。
「クロミちゃん、去勢手術受けてた……」
「それは残念だったな」
「お気の毒に」
がっくりと肩を落とす鈴丸に、千晶と爛菊は愉快そうに声をかける。
すると、千晶がふと思い出したように話題を変えてきた。
「ところでお前、さっき通行人から何を貰っていたんだ。妖怪ともあろう者がそこらの野良猫みたいな真似をして情けない」
しかし鈴丸はさも当然のような表情に、全く意に介さない様子で答えた。
「唐揚げだよ。美味しかったよ? アキも貰えたらいいのにね。狼だから難しいか」
しかし余計なお世話とばかりに、千晶は吐き捨てる。
「そんな物乞いみたいなマネができるか!」
だが鈴丸はからかうように軽い笑い方をして言った。
「何言ってんの。これもうまく世渡りする術さ。下手なプライドは損するよ」
「俺は人間からの施しを受けるほど落ちぶれていない」
すると爛菊がクスクスと笑う。
「猫は半ばマスコットみたいなものだもの。狼ではそうはいかない」
「うん、猫の得なところだよ」
「別に羨ましいとは思わないがな」
「じゃあ、爛は着物に着替えてくる」
「はいは~い!」
爛菊へ手をヒラヒラさせながら見送ってから、鈴丸は悪戯っぽい笑顔を浮かべて千晶を振り返った。
「さてと、アキ。デートしたからにはしっかり思う存分キスを満喫して、ランちゃんに愛を再確認させてきたんだろうね?」
「あ゛っ」
鈴丸に指摘されて、千晶の表情はマスクのように石化して動かなくなった。
「……」
これに鈴丸は無言でしらけた表情で彼を見つめる。
「しまった! あの化けダヌキのせいですっかり忘れていた! しかも奴め、しっかり爛菊の胸の……もとい、腕の温もりを堪能しやがって!」
すると鈴丸が平然とした態度で口にした。
「それはさっき僕も味わったけどね」
彼の言葉に怒りの矛先を鈴丸に向けんと、千晶は勢い良くソファーから立ち上がる。
「くっ! おのれ鈴丸! 貴様よくも……!」
だが素早く応酬する鈴丸。
「ちょっと! 人に八つ当たりする前に自分の間抜けさを反省しなよね」
「う……っ!」
鈴丸の鋭い棘のような言葉に、千晶は言葉を詰まらせて動きを止める。
「これじゃあ一体何の為のデートだか。まぁ、ランちゃんにとっては良い思い出になったからいっか」
さらりと冷たく言い残して鈴丸は、その場に蹲り両手を床に突いて落ち込んでいる千晶を後目に、キッチンへと姿を消した。
その夜、夕食を取りながら鈴丸が口を開いた。
「ところで今日ね、近所の小学生が駄菓子屋で話しているのを、三毛猫姿で聞いたんだけどね」
野菜スティックのにんじんをポリポリ齧っている爛菊と、ラムチョップをムグムグ齧り付いている千晶の二人が、向かいの席でブリの刺身をパクパク食べながら切り出してきた鈴丸へと顔を上げる。
「何でも何人もの小学生が経験してるんだって」
鈴丸の主語のない言葉に千晶が尋ねる。
「何を?」
「妖怪の」
すると今度は爛菊が尋ねた。
「どんな?」
「トイレの花子さん」
これに千晶と爛菊の順で呟いた。
「トイレの……」
「花子さん……」
構わず鈴丸は言葉を続ける。
「何でも三階の女子トイレの奥でその名前を呼ぶと返事があって、夕方の四時に謝罪の言葉を言いに戻ると許しの返事があるとか言ってたよ」
鈴丸の話に、骨になったラムチョップをカランと皿に放って、続いて二本目を手にしながら千晶が首を傾げる。
「正直、俺は知らない噂だな。本当にそれは妖怪の内に入るのか?」
「うん。どうやらここ四十~五十年前から全国に広まった都市伝説みたいだよ。僕ら妖怪にとっては四十~五十年なんてまだ最近のことだから、初耳であっても仕方ないのかも」
鈴丸も引き続き、今度はカツオの刺身を味わいながら言った。
爛菊は人間に生まれ変わってから、学力や規則の厳しい小学校に通っていてそういう噂など立つようなところではなかったので、彼女も初耳だった。
「とりあえず、会いに行くだけ行ってみましょう。今日はもうデートをした後もあってまた出かけるのも大変だから、明日にでも」
「そうだな。じゃあ明日その小学校に行ってみよう」
爛菊に言われて、千晶もこれに賛成するのだった。
こうして翌日の夕方、三人は噂のある小学校へと赴いた。
この日は平日で、学校もあったので高校の授業を終えて出向いた時にはもう、夕方の六時を回っていた。
この時間帯は体育館や運動場などで遊んでいる児童がいる以外に、教師達も職員室にいるので校舎の中は人の姿もなく静まり返っていた。
「噂をされている予定の時間はとっくに過ぎているけれど……いらっしゃるかしら? トイレの花子さん」
例の三階にある女子トイレの前で、爛菊はどちらともなく尋ねる。
それに答えたのは鈴丸だった。
「僕が聞いた話だと、他にも三番目の個室を三回ノックすると返事があって、花子さんが姿を現すとかも言っていたよ」
「どれどれ」
千晶が反応すると足早に三番目のトイレの個室前へと歩いて行き、問答無用に三回ノックした。
すると微かな声で返事があった。
「……――入ってます」
本来なら返事か用件を訊ねるのだが、時間外だからか思いもよらない言葉が返ってきた。
しかし構わず千晶が中へと声をかける。
「お前がトイレの花子さんか」
途端に、微かだった声がはっきりとした口調に変わった。
「――男!?」
そしてドアが開いたかと思うと、十二歳くらいのおかっぱ頭をした、白いシャツに赤いスカートを穿いた愛らしい顔をした女の子が姿を現わし、鋭い声で千晶へと言い放った。
「ここは女子トイレよ! この変態!!」