其の拾玖:妖怪がお化け屋敷に何か用かい?
ぬりかべは行く手を塞ぐ以外に特別、これといって何もしてこない。
「本当ならこれでぬりかべの足元、下の方を棒などで払うと姿が消えるんだが、これはチャンスだと思って妖力を分けてもらえ」
千晶に言われて爛菊は、首肯して姿の見えない相手に向き直る。
「そうね。ではぬりかべ、あなたの妖力を爛に分けて」
しかしぬりかべは黙して語らない。
よって爛菊は変わらずその場にいるぬりかべを肯定の意と判断して、妖力吸収を行い始めた。
二本指を額に当て、躊躇うことなく口にする。
「ぬりかべ。その妖力、この爛菊に分けたまえ」
そうして額に紫色の光を帯びて浮かび上がった文字と共に、爛菊は瞑目してから吸気した。
すると目前の茂みの壁から青い霧のような気体が発生し、爛菊の口内へと吸い込まれていく。
ある程度吸気した爛菊は、額から指を離して呼吸を一度止めてから、ゆっくりと静かに息を吐いた。
目を開くと、もうそこには茂みの壁は消えており、道が戻っていた。
「これで五体分の妖力を吸収したが、調子はどうだ?」
傍らにいた千晶が改めて彼女に確認する。
これに爛菊は掌を広げた両手を軽く握り締めてから、自分の手を見つめながら言った。
「何だか少しだけ、体に熱を感じる」
彼女の返事に、千晶は納得したように首肯する。
「いい感じだな。おそらく吸収した妖力の質と量に合わせて、お前の妖力も少しずつ復活していくだろう。俺も一緒に今後も協力するからな爛菊」
「ええ千晶様。頼もしいお言葉だわ」
爛菊は微笑を浮かべると、千晶に腕を組んだ。
「さぁ、一緒にゴールを目指しましょう」
「あ、ああ」
珍しく彼女の方から積極的に密着してくるのに、どこか動揺を覚えて千晶は不覚にも胸をときめかされる。
おかげで今こそチャンスの時を、千晶は逃してしまっているのに本人はまだ気付きもしなかった。
こうしていくつかのアトラクションを楽しんだ後、園内のフードコートでフランクフルトやフライドポテト、ソフトクリームなどの軽食を味わった。
爛菊からは笑顔が絶えることなく、千晶はつくづく彼女を連れて来て良かったと、内心微笑ましく思うのだった。
こんなに長らく爛菊の笑顔が見られるのは、彼女が人間に生まれ変わってからはおそらく初めての事で、千晶も素直に嬉しかった。
「さぁ、次はどこへ行く?」
「千晶様、あそこはなぁに?」
爛菊が指差した方にはちょっとした列ができている。
「あれはお化け屋敷だ。お化けと大差ない我々妖にとってはつまらん場所だが、爛菊、お前には興味あるのか?」
「興味と言うより……あそこからも妖気を感じる」
「よく言った爛菊。その通りだ。お前の妖力がどれだけになったのか試させてもらった」
「そう。では、妖怪へ会いに中へ入ってみましょう」
「ああ、そうしよう」
フードコートで充分寛いで腹も満たした二人は、どうやら本物の妖怪が紛れているらしいお化け屋敷へと向かった。
列に並んでいると、出口からは散々な悲鳴を上げて転がり出てくる人間達の反応に、千晶は呆れながら、爛菊は愉快げに見入っていた。
いよいよ二人の番になり、爛菊と千晶は暗闇の中薄明るく灯された明かりの先へと進む。
作り物の人形や、メイクでお化けになりきった人間などを冷静にあしらいながら妖気がする方向へと進むと、こちらに背中を向けている一人の男の元へと辿り着いた。
「もし、お客人。あんたはこんな顔を見たことあるかね……」
そうして振り返った男の顔には、目や鼻、口などのパーツがない。
「……のっぺらぼうね」
爛菊は冷静沈着に言った。
この彼女の様子に嘆息を吐くのっぺらぼう。
「やれやれ。何でぃ。また屈強な精神を持った奴かぃ。つまんねぇ」
「いや違う。我々もお前と同じ妖だ」
千晶の言葉に、のっぺらぼうは驚愕する。
「あっしが妖怪だって分かるのかい!?」
「だから、同じ妖怪って言っているじゃありませんか。わたくし達は人狼よ」
答えた爛菊の言葉に、のっぺらぼうは声を裏返して口にする。――口はないのだが。
「人狼!? またそんな物の怪がこんなところに何の用だい!」
これに今度は千晶が答えた。
「俺の妻が不幸にも人間になってしまってな。再度妖に戻る為に、各妖怪から妖力を貰っている」
「へぇ、あんたの女房が人間に? こりゃまた変わった奇病だねぃ。んで、あっしも妖力をこちらの奥さんに授ければいいのかい?」
のっぺらぼうは言うと、自分の顔を指差した。
「ああ。分けてくれるだけでいいんだ」
千晶に言われてのっぺらぼうは、うむと腕を組んで思案しながら答える。
「しかしねぇ……そうしてもいいんだが、するとあっしもその分妖力が一時的に減っちまって元の妖力に回復するまでの間、本当の姿に戻っちまうからねぇ。するとせっかくここでの稼ぎがパァになっちまって食いっぱぐれちまぁわ」
これに溜息を吐くと千晶はそっけない口調で尋ねた。
「いくらだ」
「へぇ?」
「いくら払えば妖力を分けてくれる?」
「いいんですかいダンナ! そ、そぃじゃあ、これほど……」
のっぺらぼうは申し訳なさそうに言いながら、三本指を立てて見せる。
「三万? お前こっちが下手に出ているのをいいことにぼったくる気か」
千晶は威圧的に言いながら眉を吊り上げる。その反応にのっぺらぼうは両手を上げて、千晶の怒りを抑制させながら答えた。
「本当なら確かに稼ぎが減るだけの一万でいいんだが、こちとら妖力も分けてあげるんだからねぇ。サービスくらい、してくれたっていいじゃないスかダンナ」
するとこのやり取りを黙って見守っていた爛菊が、サッと肩にかかる長い黒髪を背後に払いながら口を開いた。
「爛は別に構わない千晶様。三万円渡して差し上げて」
爛菊に言われて、渋々財布を取り出すと中から三万円抜き取って、のっぺらぼうに渡す千晶。
お金を受け取ってのっぺらぼうは懐にしまう。
「へぇ、こいつはありがてぇ。これで働かなくともしばらくは普通の人間に化けて、好物の蕎麦とおでんが食えるってもんだ」
「では、のっぺらぼう。あなたの妖力を分けてもらうわ」
「あいよ!」
爛菊の言葉に、のっぺらぼうはピョンと弾んで調子良くパンと手を合わせると擦り揉みした。
こうして爛菊は一連の動きをして、のっぺらぼうから妖力を分けてもらう程度に吸収した。
すると途端にのっぺらぼうはドロンと煙と共に姿を消したかと思うと、足元に一匹のタヌキが座っていた。
だが当然、ただのタヌキではない。
「こりゃしばらくこのままの姿だ。良かったらダンナと奥さん。今あっしが貰った金で蕎麦とおでんを買ってきてくれねぇかい? いつも仕事を終えた後に味わう唯一の楽しみでぇ」
化けダヌキは二本足で立ち上がると、言葉を発して手に持っている一万円を差し出す。
それにクスリと爛菊は小さく笑うと言った。
「結構よ。おでんと蕎麦までは、こちらでサービスするから。いらっしゃい」
「そいつは何から何までありがてぇ。そぃじゃあ、お言葉に甘えさせてもらうよ奥さん」
しゃがみこんで両手を差し伸べてきた爛菊の元に駆け寄ると、化けダヌキは彼女の腕に抱かれて千晶と共にお化け屋敷を後にした。