其の拾捌:行く手を塞ぐ見えなき者
「デート?」
突然千晶からのお誘いに、小首を傾げた爛菊。
「そうだ。デートだ。俺達はこうして再会して以来、夫婦もしくはカップルらしい行動を一つもしていないからな。たまにはデートするくらい、構わないだろう?」
今日は休日で学校もなく、朝からのんびりとリラックスして爛菊は時間を過ごしていた。
リビングで鈴丸が淹れたミルクティーを嗜みながら、爛菊はキョトンとしていたがすぐに表情を和らげた。
「ええ、構わない」
これに千晶は喜色の表情で口角を引き上げると、背後を振り返る。
「よし。では鈴丸は留守番を頼む」
一方でホットミルクを味わっていた鈴丸は、目の上に片手を翳して敬礼の手つきに明るい声で答える。
「了解でぇす!」
だが鈴丸に千晶は軽く追い討ちをかける。
「間違っても俺が留守中なのをいいことに、女を引き込むなよ」
一瞬ギクリとしながら鈴丸は口角を引き攣らせた。
「分かってるよヤダなぁ、もう! じゃあ俺も今日はクロミちゃんとデートでもするかな」
「クロミ?」
片眉を引き上げて聞き返す千晶に、鈴丸は改めて笑顔を見せる。
「うん。三軒隣のメスの黒猫ちゃんだよ。ついこの前まではまだまだ子供だったけど、今は年頃の可愛い女の子に成長してさぁ! 発情期もきてるからたっぷり可愛がってあげよう!」
「妖猫の仔猫を宿すのね。そのクロミちゃん」
爛菊の言葉に、鈴丸はカップをテーブルに置くと併せた両手を頬に当てて、肩を竦める。
「将来が楽しみだよパパとしては!」
しかし千晶が呆れながら言い返す。
「まだやる前から気が早いなお前は。まぁ、そういうわけなら今日はお互いデートを楽しもう」
千晶の言葉に、鈴丸は満面の笑顔で答えた。
「OK~! じゃあ二人とも、行ってらっしゃい!」
「ああ。爛菊も今日は着物ではなく洋服に着替えろよ」
「どうして?」
鈴丸の見送りの言葉を軽く受け流してから、そう言ってきた千晶に再び爛菊はキョトンとする。これに千晶はさも当然のように口にする。
「今日は遊園地に行く予定だからだ」
爛菊は束の間目を瞬かせると、納得したように首肯した。
「そう、分かった。じゃあ着替えてくる」
本日は藤色を基調とした着物を身に付けていた爛菊は、ソーサーに乗せたティーカップをテーブルに置いてソファーから立ち上がると、自分の部屋へと向かった。
こうして三毛猫の姿になった鈴丸は近所のメス猫と、爛菊と千晶は遊園地デートへと赴いたのであった。
遊園地などのテーマパークは爛菊にとって生まれて初めての事だった。
前世である人狼皇后の時にはまだ時代的に何もなかったし、嶺照院の妻として人間にこうして生まれてからも子供らしい遊びをさせてはもらえなかった。
冷静沈着を装いながらも爛菊は、内心ドキドキとワクワクで正直興奮していた。
千晶と一緒になってからはテレビも観れるようになり、それで知った水族館や動物園などにも関心があったし、ドラマや映画など鑑賞する楽しみも覚えた。
そのおかげもあってか、あれだけ人形のように硬い無表情ばかりだった爛菊の表情や感情も、少しずつ豊かになってきていた。
これを見越してからの今回、千晶からデートの誘いとなったのだがベストタイミングだったようだ。
到着した遊園地は残念ながら三流ではあったが、けれども爛菊にとっては新鮮だった。
「もっといい所にとも思ったが、遊園地が初めてのお前だから、まずはこうした所からスタートしようと思ってな」
「ええ、今の爛にはこれだけでも充分。ありがとう千晶様」
言いながら爛菊はまだ少しぎこちなさが残る笑顔を向けたので、千晶は改めて彼女への愛しさを再確認させられる。
か、可愛い……。
ただでさえ制服以外はいつも着物姿の彼女が、黒のインナーに真っ赤なサーキュラースカートでGジャンを羽織った洋服姿は、この上なくキュートなのだ。
つい爛菊にキスをしたい衝動に駆られて、彼女の手を取って引き寄せようとしたが、三流であれ遊園地への興味が強い爛菊は逆に、千晶の手を引いてグイグイ先へと歩き出してしまった。
あからさまに好奇心旺盛さぶりを発揮されて千晶は、ふと小さく一人微笑んだ。
まぁいい。今日の一日はまだ長い。焦ることなく爛菊を楽しませてからでもチャンスはきっとあるだろう。
三流とは言え、休日なのもあってそれなりに来場客で園内は混み合っていた。
すぐ目に入る巨大アトラクションなどに、爛菊の黒い瞳はキラキラと輝いている。
「あれは何?」
「観覧車だな」
「あれは?」
「ジェットコースター」
「じぇっとこーすたぁ? ではあの茂みは?」
「あれは……多分巨大迷路だと思うが」
「巨大迷路?」
さっきから千晶の口から出る初めて聞く言葉に、爛菊は正直ちんぷんかんぷんだった。これに千晶は苦笑しながら彼女に逆に聞いてみる。
「ああ。迷路は知っているだろう?」
「ええ」
まるで幼子に諭すように千晶は尋ねる。これに爛菊はキョトンとした表情で頷く。
「実際、迷路に人間が直接迷い込んで、ゴールへ進むんだよ」
「――おもしろそう……!」
「そうか?」
「まずはそこへ行きましょう。 巨大迷路」
爛菊は言うや否や、千晶の手を掴んでグイグイと引っ張って行く。
「そう焦らなくても巨大迷路は逃げやしないぞ」
千晶は彼女の反応が楽しくて、くつくつと喉の奥で笑った。
こうして茂みで出来た巨大迷路から遊ぶことになり、二人は一緒にスタート地点から中へと入った。
右へ左へ、もしくは直進したりとゴールを目指していた爛菊と千晶だったが、内巻きになっている進路に入った所で行き止まりになった。
引き返そうと元来た道を戻ろうと背後を振り返ると、そこにも茂みの壁がある。
「あら? 確か爛達、ここから入ったのよね」
「ああ、そうだがこれは……」
千晶は茂みの高い壁を見上げながら、しみじみと口にする。
同時に、爛菊が呟いた。
「……妖気? 爛、妖気を感じる」
それに千晶が驚愕の表情で彼女を見る。
「何? 妖気を感じられるようになったのか爛菊?」
訊ねられて、爛菊も希望の光で目を輝かせる。
「ええ、千晶様。爛の妖力がそこまでに至ったってことね」
爛菊の様子に千晶は優しく微笑むと、確信を持って力強く頷いた。
「ああ。そういうことになるな。よし、いいぞ爛菊。この調子で妖力を吸収していくぞ」
しかし、爛菊はふと戸惑いの色を見せた。
「でも、この妖気がどこから、そして正体まではまだ掴めないから、爛の妖力では見当が付かない」
そんな彼女に、千晶は心強い眼差しを宿すと言った。
「大丈夫だ。俺が一緒だからな。俺の得た妖力から分かる事は今この場にまさしく妖怪がいるということだ」
「この場に? どこ? 爛には見えない」
爛菊は不可解な面持ちで周囲を見渡す。しかし千晶は不敵な笑みを浮かべると、きっぱりと言い放つ。
「目の前だ」
彼の言葉に爛菊は眉宇を寄せる。
「目の前には茂みの壁しかない」
彼女の疑問に、千晶は断言した。
「それが妖怪だ」
「え? これが?」
爛菊は茂みの壁をまじまじと見つめる。触れてみるが、やはり手に伝わる感触も見た目も茂みの小枝や葉っぱだ。匂いを嗅いでみても植物の香りしかしない。
一通り爛菊が確認した所を見計らって、千晶は愉快げに述べた。
「この妖怪の正体はぬりかべだ。相手の行く手をその地形に合わせた姿形の壁となって塞いでしまうんだ」
「まぁ、ぬりかべに会うのは初めてだわ」
千晶の説明を受けて、爛菊はしみじみと茂みの壁を改めて眺め回した。