其の拾伍:噂の彼女はO塚娘?
「ハァ、ハァ、ハァ……!」
青白い顔をした一人の女子生徒が、苦悶の表情で息を荒げていた。
右目には眼帯がしてある。
ズキン!!
「うぅ……っ!!」
彼女は時折激しく疼くその右目を押さえては、よろめきながら壁に沿うようにして手を当てて先を進む。
そして周囲に誰もいないことを確認すると、ズルズルと崩れるようにその場に蹲って、眼帯の紐に手を当てた。
最近この爛菊が通う法人学園高校で、密かにある噂が広まっていた。
「あのね、昨日女子トイレの前を通りかかった時にね……」
「そういや俺さ、この前帰る時に……」
「ええ、そんなまさか」
「でしょう? 私もそう思ったのだけど確かに――」
「俺も言われてみれば図書館で……」
「私は音楽室だったわよ」
どうやら場所は特定されていないらしいが、この学校内で何かが起きているのは確かなようだった。
「ランちゃんはこの噂、体験したことある?」
屋上の爽やかな風に吹かれて、鈴丸が茶髪をしたショートレイヤーの束感ヘアを軽くなびかせながら、屋上の地べたに直座りしていた。
「いいえ、残念ながら。スズちゃんは?」
一方爛菊は、下にハンカチを広げてその上に腰を下ろしている。
「僕も噂で聞くだけなんだよねぇ……」
「どう思う?」
「う~ん。まだハッキリとは断言できないけど……高校なのにありえない出来事が起きているんだから、ねぇ?」
「やっぱり、怪異として受け止めていいのかしら」
麗らかな春を思わせる暖かい陽気の中で、爛菊と鈴丸は屋上でランチを取っていた。
「だけど……凄い数のお弁当。スズちゃん」
「うん。女子が食べてくれって持ってくるんだ。さすがに一人じゃきついから、ランちゃんも食べてよ。アキも呼んであるし」
鈴丸は手の中にある六~七つの弁当箱を持て余している。
すると丁度屋上に上がって来た千晶が、二人の前でフラリと片手を上げた。
「うぃ~……。飯食いに来たぞぉ~……」
「何、まるで酔っ払いみたいなだらけた態度は」
締りがない態度の千晶の様子に、鈴丸がしらけた表情で声を掛ける。
「しょうがねぇだろー。眼鏡かけてる時ァ、適当な性格演じてんだかんよー」
間延びした口調で言うと、白衣姿の千晶はよっこらせと二人の間に腰を下ろす。
ところが少し離れた場所で、先にランチを終えてバトミントンを楽しんでいた四~五人のグループがいて、その羽根が絶妙のタイミングで千晶の金髪ウルフヘアの後頭部にヒットした。
「んあ……?」
「あ! すみません雅狼先生ー!」
「あれぇ? 嶺照院さんと猫俣君も一緒なんですかぁ?」
これに答えたのは爛菊だった。
「ええ、そうよ。だから申し訳ないけどあなた達、他所に行って頂けるかしら? 二人と大事なお話がしたいの」
爛菊の無表情でこの厳しさを含んだ抑揚のない言葉に、そのグループ全員は一瞬硬直してから慌てて一礼すると、いそいそと屋上を後にした。
「さ、静かになった所で話を進めましょうか」
「ランちゃん威厳ありすぎ……」
鈴丸は言葉のみで簡単に多人数を一掃してしまった彼女に、口角を引き攣らせる。
「それでこそ人狼皇后だ」
いつの間にか眼鏡を外していた千晶が、素に戻って言った。
三人は鈴丸が女子からもらったという弁当を囲みながら、今回この学校内で密かな噂になっている問題について語り合い始めた。
「仮に怪異であるとしても、俺には妖気を感じないんだが」
「確かにそうだよね。僕もだよ」
千晶と鈴丸が弁当の中身を口にして咀嚼しながら言い合う。
「じゃあ一体何だと言うのかしら……」
爛菊は腕組みに片手で軽く頬杖突く姿勢で考え込む。
千晶が、鈴丸に尋ねる。
「噂の中心になっている人間とか、話を聞かないのか?」
「チラリとだけなら聞いた事あるよ僕」
鈴丸の答えに、爛菊が顔を上げた。
「じゃあ、一体誰?」
「三年の萩沢美園って名前の女子」
答えると鈴丸は、シャケ入りのおにぎりを頬張る。
「三年の萩沢美園……聞いた事のない名前」
「ともあれ、そう鈴丸が聞いたのであればその女子を要チェックだな」
千晶は口内の中身を嚥下すると言った。
それまで小首を傾げていた爛菊も、顔を上げると鈴丸へと微笑んだ。
「じゃあ、情報収集お願い。スズちゃん」
「了解~、まかせといてよ。今日中までには情報揃えておくから」
鈴丸は言うと、引き続き今度は弁当箱にあった鯖の切り身を口の中に放り込んだ。
「萩沢さん大丈夫? 何だかここ最近顔色が悪いわよ」
「大丈夫、気にしないで」
クラスメイトに声を掛けられた萩沢は、顔面蒼白で作り笑いを浮かべつつ軽くあしらう。
しかし少しずつ、彼女の身に迫りくる痛みが右目の奥から疼き始める。
萩沢は眼帯をしている右目を咄嗟に押さえると、慌てふためきながら教室を飛び出した。
この時、萩沢は誰かとぶつかったが、それを気にしている余裕もなく一目散に駆けて行った。
「何か凄い勢いでぶつかられたんだけど、今の誰?」
一方で鈴丸が廊下の壁に貼り付くようにして凭れ掛かりながら、誰ともなく訊ねた。
すると周囲から女子の歓声が上がる。
「二年の猫俣君よ!」
「きゃあヤダ! 超イケメン!」
「この三年の廊下に何の用かしら!?」
そんな中、鈴丸の側に偶然いた男子の一人が、彼の疑問に答えた。
「今お前にぶつかったの、萩沢美園だよ。以前は明るかったんだけど、五ヶ月くらい学校を不登校になって、また急に学校に出て来たかと思ったら目を悪くしていてあの調子だよ。それからはすっかりおとなしくなったっつーか……何かに怯えてる感じですっかり不気味になっちまってんだ」
「へぇ~……今のが萩沢さんか」
鈴丸は、セミロングの髪に眼帯を付けている容姿をばっちり記憶した。
「あの人の周囲では変な声がするって噂聞いたんだけど、ホントなの?」
鈴丸は学校では一つ学年が上のその男子にも関わらず、気にせずタメ口で訊ねる。
しかし相手の男子もそんな鈴丸の自然な態度に気に障った様子もなく、気さくに答えた。
「ああ。何つーか赤ん坊のような声が聞こえたかと思って様子を見に行くとパタリと止んで、その現場には必ずあの萩沢が一人でいるんだ。蒼白い顔してさ……」
「ふぅん。何だか気味悪い話だね」
「だろう? でも原因とか真相は誰にも分からないんだぜ」
鈴丸は体勢を立て直してから、その男子の話に相槌を打つ。
途端、ゾクリとした感覚が鈴丸を襲う。
妖怪の気配だ。
しかもかなり悪質な。
三年の女子に囲まれていた鈴丸は、ごめんと一言笑顔を残してからその気配を辿って、足早に廊下を突き進んだ。
どこだ。どこにいる!?
すると人の気配のない美術室に行き着いた。
その閉ざされた美術室の中から、何とも不気味な雰囲気の赤ん坊の声が響いていた。
「ォギャア……オギャア……!!」