其の佰肆拾弐:壮厳なる神鹿
【登場人物】
・雅狼朝霧爛菊(18歳)……前世が人狼皇后だった人間の少女。二百年間、犬神の皇に魂を捕われて記憶と人狼の能力を奪われ、ただの人の子として現世に転生させられた。神鹿から妖力吸収の力を授かり、再び人狼に戻る為に数多くの妖怪と出会う。
・雅狼如月千晶(327歳)……あらゆる妖怪のトップ大神乃帝である人狼の王で、爛菊の夫。二百年前に妻を失ってからずっと転生を信じて探し続けて、ついに爛菊を見つける。彼女を元の立場に戻すべく、人間界で爛菊の手伝いをする。
・雅狼左雲渚(320歳)……千晶の弟で司とは双子の兄にあたる王弟。丁寧な敬語を主とする。千晶が留守の間は帝代理を務めていた。常に落ち着いた姿勢で周りを見ている。
・雅狼八雲司(320歳)……千晶の弟の一人である人狼国の王弟。傲慢で言葉遣いも悪く、爛菊の存在を快く思っていない。前世の爛菊を殺害し、200年もの間牢獄に入っていた。それでも一応、国を思い面倒見も良く誰よりも家族思いだったりする。
・猫俣景虎鈴丸(118歳)……妖怪猫又の族長の息子で、千晶の同居人。家事全般が大得意で、女好き。とても人懐っこい。人間界での暮らしの方が長く、誰よりも人間社会に詳しい。本来の姿は金と青のオッドアイをしたオスの三毛猫。
・響雷馳(70歳)……妖怪、雷獣の子供。物心ついた時には最早両親がいなかった孤児で、ある嵐の日に大百足と戦って傷ついているところを爛菊に拾われ、名を与えられる。千晶の家の居候で、自分も妖怪のくせに世間知らずからくる極度の妖怪恐怖症。
・朱夏(推定200歳以上)……妖怪、姑獲鳥。元は人間だった。土蜘蛛から縄張りの一部を与えられて数々の人間を騙してきたが、ある雨の日に雷馳と出会ってからその悲愴感さにいたたまれなくなり、種族も血筋も違うが雷馳の母親になる決意をする。千晶の家で住み込みの家政婦をしている。
・飛鳥壱織(529歳)……元々はツンデレで一人を好んでいた妖怪、丹鶴。祖母は若い頃に人間に恩返しをした鶴。爛菊の通う高校の保健医をしていて、極度の潔癖症。高慢な性格で趣味は編み物。高度な治癒系能力を持つ。最近、神格妖怪である座敷童子、此花に惚れられて以来一緒にいることが多いようだ。
・此花(推定400歳以上)……元々は人間の頃、口減らしされた地縛霊だったが人間からの半ば都合の良い祭祀により、神格化された座敷童子。年齢を操ることができる。壱織への想いからようやく自由を得た。
・紅葉もしくは呉葉(推定1000歳以上)……信州戸隠の鬼女で、爛菊とは前世から仲の良い友人。呉葉は元は人間の両親に与えられた本名で、紅葉は鬼女となってからの名前。第六天魔王から生み出された。
・鹿乃静香和泉(推定1000歳以上)……妖怪、神鹿で人間からの深い信仰から神格化した千年妖怪。普段は神社の神主をしていて、最初の鈴丸の飼い主でもある。何かと千晶の協力をする。
そうして爛菊は皇后の証を得た。
「グゥ……ガアアアアッ!!」
司は忌々しそうに唸ると、自分の片手を貫いた竹を引っこ抜いた。
傷口から滝のような鮮血が零れ落ちる。
そして十本の尾を持ち上げると、無数の毛針を放ってきた。
これに爛菊は白銀の狼の姿で素早く空を駆けて毛針から逃れる。
「次はこっちの番ね!!」
爛菊は言うや否や、松の針葉を無数に出現させるとそれを司へと放った。
司は巨躯ではあったが、爛菊へと空を仰ぎ見たと同時に、片目――いや、左側の二つの眼に松の針葉が次々と突き刺さった。
「グオアアアァァァーッ!!」
「何だか心なしか、あなたの動きが緩慢に見えるわね」
そう言った爛菊ではあったが、それは正式に皇后となった力のおかげで彼女の速度が、上昇したからであった。
「壱織、此花。千晶を優先的に回復させるんだ」
妖力を吸収された上に、黒い炎の高熱ですっかり体力も奪われた千晶は、グッタリと地面に横たわっていた。
勿論千晶だけではなく、他のみんなも同じだった。
現状、今司と戦えるのは爛菊しかいなかった。
「ちなみに千晶の回復は時間がかかりそうかね?」
「そりゃすぐにとはいかねぇだろうな。これだけのダメージを受けてりゃ」
和泉に訊ねられ、壱織が千晶に両手をかざしながら答える。
反対側では此花も千晶に両手をかざして治癒を行っている。
「そうか。さすがに千晶なしで后妃だけでは心許ない。私もそれまで戦力に回る」
「あてになるんだろうな!?」
壱織の疑問に、和泉は不敵に口角を引き上げる。
「さぁな」
それだけ言い残して和泉は、一歩前に進み出たかと思うと白い光に包まれた。
その眩い光に壱織と此花は目を固く閉ざす。
まぶたの裏からでも、その光が透けて視える程だったがようやく治まり、二人はゆっくり目を開けた。
するとそこには二メートル程の大きさで逞しい、真っ白な雄鹿の姿があった。
立派な二本の角はまさに七色に輝く、水晶のようだ。
更に蹄から足の付け根までと、胸部にあたる箇所も、水晶で硬質化されている。
その神々しさは、とても壱織が言う“ケダモノ”とはかけ離れていた。
「これが神鹿の真の姿……!」
壱織が半ば愕然とする。
美しくもある和泉の姿に、此花も思わず見惚れてしまった。
司は爛菊の竹攻撃で開いた手の平の穴を舌で舐めて自己治癒しながら、もう片手で針葉で潰された眼を覆っている。
やはり治癒しているのだろう。
だがしっかり残っている眼で、爛菊の動きを見張っている。
「その目で睨まれると気持ちが悪いものね。いっそう全ての眼を潰してあげるわ!!」
爛菊が空から叫ぶと同時に、再び彼女から針葉が発射された。
しかし、そう同じ手を喰らう司ではない。
「グァウ」
司が一言吠えるや、かまいたちのような風の爪らしき動きで孤を描きながら発生し、爛菊が放った針葉を全て飛散させてしまった。
「!? そんな……!!」
「グルルルルル……」
驚愕する爛菊を嘲笑うかのように、司は小さく唸り声を上げて眼を覆い隠していた片手をゆっくりと下ろす。
せっかく爛菊が与えた目の傷は、すっかり癒えていた。
爛菊は愕然としたせいで動きが遅れた。
気付いた時には、空中にいた爛菊は司の巨大な手の中にあった。
「キャイン!!」
突如鷲掴みにされて狼姿の爛菊は悲鳴を上げる。
最早そのまま一気に握り潰されてしまうだろうと思われたのも刹那。
「ガ……ッ!!」
司は眼を見開き短い呻き声を洩らすと、両腕を震わせゆっくりと持ち上げ始めた。
同時に、爛菊を掴んでいた手にも力が入らないとばかりに開いて、本人の意思とは裏腹に彼女を解放してしまった。
司の手から逃れることが出来て爛菊は急いで司の間合いから離れると、戸惑いながら空中から背後を振り返り司の様子を窺った。
司は、両手で頭を抱えていた。
「ウ……グ、アアァ……ッ!!」
「一体、何なの……!?」
怪訝に思う爛菊だったが、離れた場所でみんなが倒れている側に、白くて大きい立派な雄鹿がリンとした姿で佇み、司を落ち着いた様子で見つめているのに気付いた。
七色に輝く水晶の二本の角ですぐにはピンとこなかったが、ようやく正体を把握する。
「鹿……? ま、まさかあれは――和泉……?」
まさに千年以上生きて神格化しているだけに、それは見まごうばかりだ。
とても妖怪には見えない、まるで神からの御使いのようだった。
「グルルルル……ッ、ウガアアァァッ!!」
一方司はというと、巨大な黒狼の姿で十本の尾をうねらせ、両手で抱えた頭を振り乱している。
「お、おい。お前一体今あいつに何かしているのか!?」
壱織が千晶へと両手を翳して治癒を続けながら、白鹿姿の和泉へと背後から声をかける。
「ああ。彼にだけ聞こえる高周波音を流している」
「なるほど。それであやつ、その影響による激しい頭痛に苛まれておるのか」
和泉の言葉に、同じく千晶を治癒しながら今度は此花が和泉の背後で答える。
彼から遠距離の空中に浮かんでいた爛菊だったが、彼女にもこの会話が聞こえていた。
「なるほどね……」
これに納得する爛菊。
「だったら今のうちに少しでもダメージを……!!」
爛菊は口走ると何もない空中から先の尖った竹を数十本も出現させて、首をめぐらせてから頭を振り下ろした。
彼女の頭の動きに合わせて、それらの竹は次々と悶え苦しんでいる司の背中に突き刺さった。
「グァウッ!!」
突然背中に覚えた激痛に、司は頭を抱えたまま背後を振り返り、爛菊の姿に目を留めた。
そして苛立ちげに牙をむくと、大きく一歩足を踏み出した。
それにより一気に間合いを詰められた爛菊は、頭から片手を一瞬離した司から力一杯叩きつけられてしまった。
宙高く飛空していた爛菊は思い切り地面へと叩き落されてしまう。
「ギャンッ!!」
「爛菊!!」
彼女の名を叫んだのは此花だった。
「妾は彼女の治癒に回る。壱織はこのまま千晶を頼むぞえ!」
そう言い残して此花は、爛菊の方へと走って行ってしまった。
「マジか。これじゃあキリがねぇな」
壱織は嘆息吐きながらも、千晶へと両手をかざし続ける。
「ほぉう。高周波音を受けてもまだ少しは動けるか。ならば、今度はこれでどうかな」
白鹿姿の和泉は軽く縦に頭を振り、持ち上げた片足で大地を踏み鳴らす。
その場所から、水晶が生える。
すると今度は、片手で頭を抱えながらもう片手を胸元に押し当てた。
「ウ、グ、ウウゥゥゥゥ……ッ!!」
やがて司は、目をむきながらその胸元を掻きむしり始めた。
「ちなみに今度は何をしたんだ?」
壱織の質問に、和泉は振り向くことなく答える。
「お次は超低周波音を当てている」
「超低周波音……?」
壱織は怪訝な表情になる。
やがて司は、大きく口を開けてこれでもかと舌を突き出すと、ゲェと嘔吐を始めた。
「うへぇ……あの巨体でゲロはやめてくれ……」
壱織が嫌悪感を露にする。
「超低周波音は胸の圧迫感に続いて嘔吐感を与えるからね」
和泉はどこか愉快そうに言った。
大概、攻撃をする時はほとんどが外側からだが、和泉の場合は内側から攻撃を与えるらしかった。
司は四つん這いになって、よもや地面に頭をこすりつけんばかりに吐いている。
それだけでも体力の消耗は激しい。
呼吸をするのも困難なほどだった。
「ん……う、ぅぅ……」
その時、千晶がわずかに声を洩らした。
「お? 気が付いたか雅狼?」
壱織が相変わらず彼に手をかざしながら、声をかける。
「俺は、一体……」
「うん。黒い妖獣にやられて妖力、体力ともに消耗して気を失ったんだよ」
「黒い、妖獣……ああ、司か……あいつは今何を……」
横たわり、目も虚ろな状態で千晶は呟いた。
「うん。お前の妻を空中から地面に叩き落してから只今嘔吐中」
「何だと……!?」
これに千晶は目を見開く。
「まぁ、気持ちは分かるがもう少し待て。今此花が朝霧をを治療中だから安心しろ」
壱織が説明したが、そのずっと後ろの方で司がゲェゲェ言っていた。
「もう動けそうになったら私に声をかけなさい。千晶」
「ん、あ、ああ……って、え!?」
頭だけ動かしてから千晶は、近くに立っている大きな白鹿を見て驚愕する。
「お前、まさか和泉か!?」
「だとしたら何か?」
「いや……お前の本当の姿を見たのが初めてで……」
「フ。光栄に思うがいい」
苦しむ司を後目に、言葉を交わす千晶と和泉。
「ところで爛菊はどんな姿に?」
「白銀の狼姿に。胸元にしっかり宝珠を埋め込んでね」
「そうか……朧、無事にやってくれたんだな……」
「惜しい人を亡くしたな」
どこか憂いの表情の千晶に、冷静に和泉は答えた。
「ああ、全くだ」
千晶は寂然と首肯した。
「ちなみに司は一体?」
「私が押さえ込んでいる」
「そうか。助かる」
やがて壱織は、横たわっていた彼にかざしていた手を下ろした。
「さて。どうだ調子は?」
これに千晶は片手を持ち上げて何度か握ってから、大きく頷いて跳ね起きた。
「絶好調だ。感謝する壱織」
「それが役目でここにいるからな」
そして遠くでもその巨躯からはっきりと分かる司の様子を窺うと、もう出るものも出ない状態でグッタリと項垂れて大きくゆっくりと呼吸を繰り返していた。
背中にはたくさんの竹が突き刺さっているのを見て、爛菊によるものだと分かる。
これに千晶は此花が治癒している爛菊の元へと歩み寄った。
「爛菊」
それに爛菊が狼姿で目を開く。
「千晶様……」
同時に此花が治癒を終えて手を退ける。
「行くぞ。一緒に司を倒そう」
千晶は言うと、金狼に変化した。