其の拾肆:足がついても反省はなし
実際に妖怪の姿は普通の人間には視えない。
爛菊も千晶が嶺照院の梅の庭園に現れた時は、彼の獣の姿が視えなかった。
しかし人狼の記憶を取り戻してからは妖怪に対する知識を、和泉に妖力吸収体にされてからは妖怪の姿が爛菊にも可視できるようになった。
ちなみに人の姿をしている時の千晶や鈴丸の姿は、人間からも視えるようにコントロールされている。
万が一、普通の人間が本来視えない者が視えてしまうとしたら、それは逢魔時――日が暮れ始めて闇夜が訪れる時間帯であり、それは“大禍時”とも言われ、魑魅魍魎に出会いやすい禍々しい時とされる。
だからこそ昭和の時代辺りまではよく各家庭の親は外へ遊びに行く子供にはお化けが出るから夕方には帰るようにと注意を促し、当時はまたそれに伴った都市伝説――口裂け女、人面犬、四つ角、合わせ鏡、四時婆、トイレの花子さん等――も多く誕生した。
しかし平成に入った昨今、それらを意識する世代はもう昔の話とただの話題性として廃れていき、塾や部活を主に、遊びに没頭して暗くなってから帰宅する子供も増えてきた……。
そんなある時。
「あれ? 携帯電話がない!」
「俺のゲーム機がないぞ!」
「ヤバイ! 家の鍵なくした!」
「ウソ! 財布落とした!?」
それぞれ全く面識のない人々が、それぞれ違う場所で持ち物の紛失に気付いて慌てふためく騒ぎが目立ち始めた。
しかし所詮は他人事なので、こんな小さな騒ぎに誰もが無関心だった。
それが今の時代なのだ。
気が付いたら貴重品を失くしていた。しかも一体どこでいつ失くしたのかまるで見当が付かない。
こんな経験が一度は誰もがあるのではないだろうか。
そんな中、歩行路の脇が雑木林になっている茂みの側で、携帯ゲームに熱中している一人の女の姿があった。
頭には手ぬぐいを掛ける感じに被せており、両袖のない着物姿だ。
手ぬぐいのおかげと暗さのせいもあり、女の顔は良く見えない。
もうすっかり日が暮れて街灯や所々の電飾以外の灯りがない夜の闇、横を通過する人々は誰もその女の姿に気付かない。
逢魔時が過ぎた今、普通の人間にはその女を視ることができないのだ。ということはつまり――。
女はゲームをやめると、懐から今度は携帯電話を取り出しどこぞへと電話をしようとして、はたと違和感に気付いた。
――視線……誰かに見られている。
ところが。
見られている以前に女はすっかり三人の人物に取り囲まれていた。
その三人とは当然――。
「妖怪」
「ああ、妖怪だな」
「妖怪も近代的になったものだね」
爛菊と千晶に鈴丸は、自分達だって近代的になっていることを棚に上げて、ゲームをプレイしたり携帯電話を扱ったりする女を目前にして、少し感心していた。
車移動では見つかるものも見つからないと、逢魔時の夕刻を狙って妖怪散策に三人は出歩いていたのだ。
「む!? 何だお前ら! この私の姿が見えるのか!?」
女は手にしていた携帯電話を放り投げて身構えた。
袖のない着物から伸びる両腕には、いくつもある無数の目。
「百々目鬼、それ全部通行人から盗んだ物ね?」
爛菊は冷静沈着に訊ねる。
「貴様……ただの人間のくせに、この私が視えるとは!」
百々目鬼。
その名の通り両腕に百の目を持つ、スリを得意とする妖怪だ。
昔はそれこそ人々から銭だけを盗んでいたが、今の便利な物が溢れる時代。
百々目鬼も盗む物が自然と金だけでなく貴重品等へと変わっていったらしい。
「人間風情が! この私に偉そうに口出しするな!!」
百々目鬼は怒鳴りながら爛菊へと飛び掛った。
が、瞬間。
「ギャッ!!」
短い悲鳴を上げて百々目鬼は、一方後ろへ飛び退いた。
片手には鋭い爪跡が付けられて、そこにあったいくつかの目も潰されていた。
「貴様ら――何者だ!?」
百々目鬼はその腕を抑えて、歯噛みする。
「まぁ、俺らはお前より力が強いから気配を消していたんだが」
「僕達も妖怪でぇす!」
千晶と鈴丸が悠然と答える。
「妖怪!? 妖怪ならどうして人間の女などとつるんでいる!?」
「それはちょっと、わけありでな」
こう答えた千晶の双眸が、黄金色に光った。
鈴丸の金と青のオッドアイも同じく光を帯びていて、先ほど百々目鬼の腕を引っ掻いた鋭い爪を露にした手の指を意味深に動かしている。
二人の様子に百々目鬼は千晶と鈴丸が自分より強い妖だと気付くと、おもむろに口を開けて毒気を吐き出した。
「!! 爛菊伏せろ!!」
千晶は慌てて爛菊に覆い被さると、地面へと伏せた。
その毒気は周囲の無関係な人間にも及び、次々と通行人が喘ぎながら倒れていく。
「チィッ! まずいね!」
鈴丸は舌打ちして、猫耳と二俣の尻尾を現して初期変化をすると、両手を広げて大きく身を捻って一回転した。
すると突風が起きて、その毒気を拡散させた。
「千晶様! 他の人々が……!」
「安心しろ。この騒ぎに救急車で病院に運ばれて適切な治療をすれば、命に支障はない。もっとも、長時間放置されれば死に至るが、ここは他の通行人に任せよう」
突然周りの人間がバタバタ倒れて苦悶している様子に気付いた、他の通行人が救急車を呼んでいるのを後目に、雑木林の中へと姿を消した百々目鬼の後を追う為に千晶は爛菊を腕に抱えると、彼も初期変化をして身軽に跳躍した。
ちなみに鈴丸は先にその場から逃げた百々目鬼の後を追っていた。
「どうしてこの私を狙う!?」
「それはねぇ、君が人間に迷惑かけているから」
「たかが人間ごときに! 妖怪が味方するなど笑わせるな!!」
百々目鬼は頭に掛けている白い手ぬぐいの奥から目を光らせると、突然その全身を真っ赤に発火させた。
そして鈴丸に覆い被さろうと飛び掛って来た百々目鬼に、鈴丸は悠然とそのオッドアイの双眸を細めた。
「甘いね。下級妖怪がこの僕に立ち向かおうとは」
鈴丸は口角を引き上げると、広げた両腕を振り下ろして同時に交差させた。
するとそこから手毬ほどの大きさをした蒼い火の玉が飛び出し、百々目鬼を襲った。
「ヒィッ!!」
「猫俣の火。お前の火よりも灼熱温度は高いよ」
すると千晶の声が飛び込んでくる。
「鈴丸! そのまま百々目鬼を拘束しろ! 間違っても倒すなよ!」
「分かってるよ」
そして爛菊を抱えていた千晶が追いついて、猫俣の火で捕捉されている百々目鬼の前に着地すると、爛菊を腕から下ろした。
「奴の妖力を奪うんだ爛菊」
「ええ」
首肯すると爛菊は、額に二本指を当てた。
「百々目鬼、お前の妖力、この爛菊が貰い受ける」
彼女の言葉と共に、額から紫色の文字が浮かび上がり、爛菊はまるで味わうようにゆっくりと吸気した。
すると猫俣の火で動きを封じられている百々目鬼から、青白い霧のような気体が爛菊の口内へと吸収されていった。
「ぅぅう……女、ただの人間ではなかったのか――」
「爛は人狼皇后の生まれ変わり、雅狼朝霧爛菊」
爛菊の言葉に百々目鬼は驚愕に全身の目を見開かせると、鈴丸の猫俣の火の中で呑み込まれるように灰となって消滅した。
「前回同様下級妖怪だが、これで二体分の妖力を得たな爛菊」
「ええ、でも、きっとまだまだ足りないわ」
金色をしたふさふさの尻尾をパタつかせる千晶の傍らで、爛菊は嘆息と共に自分の掌を見つめた。
「まだ二体目。ランちゃんの妖力入手は始まったばかりだよ。気にしない気にしない☆」
鈴丸も丸めた左手をペロペロ舐めると、それで左の猫耳を洗いながら笑顔で言った。
「そうね。急いでもいいことはないと言うし」
「だが善は急げとも言うぞ」
「妖力吸収される側の妖怪にとっては善じゃないからね。独自のペースに限るよ」
「猫に言われたくない」
千晶と鈴丸のやり取りに、爛菊は薄っすらと微笑むのだった。