其の佰参拾:戦闘開始
【登場人物】
・雅狼如月千晶(327歳)……あらゆる妖怪のトップ大神乃帝である人狼の王で、爛菊の夫。二百年前に妻を失ってからずっと転生を信じて探し続けて、ついに爛菊を見つける。彼女を元の立場に戻すべく、人間界で爛菊の手伝いをする。
・雅狼左雲渚(320歳)……千晶の弟で司とは双子の兄にあたる王弟。丁寧な敬語を主とする。千晶が留守の間は帝代理を務めていた。常に落ち着いた姿勢で周りを見ている。
・雅狼八雲司(320歳)……千晶の弟の一人である人狼国の王弟。傲慢で言葉遣いも悪く、爛菊の存在を快く思っていない。前世の爛菊を殺害し、200年もの間牢獄に入っていた。それでも一応、国を思い面倒見も良く誰よりも家族思いだったりする。
・猫俣景虎鈴丸(118歳)……妖怪猫又の族長の息子で、千晶の同居人。家事全般が大得意で、女好き。とても人懐っこい。人間界での暮らしの方が長く、誰よりも人間社会に詳しい。本来の姿は金と青のオッドアイをしたオスの三毛猫。
・響雷馳(70歳)……妖怪、雷獣の子供。物心ついた時には最早両親がいなかった孤児で、ある嵐の日に大百足と戦って傷ついているところを爛菊に拾われ、名を与えられる。千晶の家の居候で、自分も妖怪のくせに世間知らずからくる極度の妖怪恐怖症。
・朱夏(推定200歳以上)……妖怪、姑獲鳥。元は人間だった。土蜘蛛から縄張りの一部を与えられて数々の人間を騙してきたが、ある雨の日に雷馳と出会ってからその悲愴感さにいたたまれなくなり、種族も血筋も違うが雷馳の母親になる決意をする。千晶の家で住み込みの家政婦をしている。
・飛鳥壱織(529歳)……元々はツンデレで一人を好んでいた妖怪、丹鶴。祖母は若い頃に人間に恩返しをした鶴。爛菊の通う高校の保健医をしていて、極度の潔癖症。高慢な性格で趣味は編み物。高度な治癒系能力を持つ。最近、神格妖怪である座敷童子、此花に惚れられて以来一緒にいることが多いようだ。
・此花(推定400歳以上)……元々は人間の頃、口減らしされた地縛霊だったが人間からの半ば都合の良い祭祀により、神格化された座敷童子。年齢を操ることができる。壱織への想いからようやく自由を得た。
・紅葉もしくは呉葉(推定1000歳以上)……信州戸隠の鬼女で、爛菊とは前世から仲の良い友人。呉葉は元は人間の両親に与えられた本名で、紅葉は鬼女となってからの名前。第六天魔王から生み出された。
・狗威獣右衛門白露(338歳)……犬神族の皇。かつては人狼族の配下だったが人間による犬神信仰の手段に理解ができずやがてそれは、次第に人狼族への恨みへと変わる。人狼皇后である爛菊の魂を捕らえ二百年間かけて浄化し、自分の妃に迎え入れ人狼国乗っ取りを企んでいる。
「ふ……そうだな。雑魚は放っておいて先に貴様らから片付けるべきだな」
白露は言うと、舌舐めずりをした。
これに応えるように、黒毛二足歩行型人狼姿の司も、舌舐めずりをする。
「俺を利用してあの田舎娘を人とは言え転生させたのは、完全なてめぇの失敗だ」
「よもや貴様ら人狼が、信仰者である人間に裏切られて弱体化するのは想定外だったからな。クク……ザマを見よ」
白露は自分より半分ほどの大きさしかない司を見下す。
「ザコを喰らって単純に巨大化しただけで、調子に乗るな。この単細胞の犬畜生が」
「黙れぃぃぃーっ!!」
白露は怒鳴るや司に、巨大な手の平を叩き下ろしてきた。
だがしかし、どういうわけか白露が叩き潰したはずの手の平の真ん中に、何事もないかのように司は微動だにせず立っていた。
てっきり手の平の上に乗っているかと思ったが、よく見ると司がいる部分の、白露の手の平のド真ん中に穴が開いていた。
司に手の平を貫かれたのだ。
「ぬぐ……っ!」
白露は唸るとともに手を持ち上げると、穴の開いた手の平を見つめる。
「容易いな。マジでただ図体でかいだけなんじゃねぇか? てめぇ」
司は狼の顔でニヤリと笑う。
だがこれに白露も同じく口角を引き上げると、今度はもう片方の手の平を司に叩き付けてきた。
やはり結局、また同じ状況になる。
「学習能力ねぇな」
司は白露の貫いた手の平の穴の中で、皮肉る。しかし。
「ふん。それはどうかな?」
白露が言い返すと、司が開けた白露の手の平の肉の壁から、ワッと蛆虫が湧き出し司を一瞬で包み込んだ。
「ぅえぇ……相変わらず品のない攻撃技だね」
姑獲鳥姿の朱夏の背から、地上を見下ろしていた紅葉が顔を顰める。
白露は手の平を持ち上げると、愉快そうに蛆虫に包まれた司を見やって、穴の開いた両手の平をペロペロと舐める。
蛆虫に包まれて微動だにしない司だったが、しばらくして黒い何かが司から発生した。
「ん……? あれって……」
巨猫姿の鈴丸が口にする。
それは炎だった。
漆黒の闇の色をした炎だ。
「チッ……!」
側にいた白露はその熱に煽られて、数歩後退る。
漆黒の炎が治まり姿を現した司は何事もない様子だった。
全身を包み覆っていた蛆虫もすっかり焼き払われている。
「皮肉なものだな白露よ。まさか、犬神を誕生させる為に行う工程での人間が発生させる蛆虫が、そのままてめぇの攻撃技になっちまってるとは」
「ウ……ッ!」
ずばり指摘されて、白露は言葉を詰まらせる。
「狼は崇拝で神になったが、てめぇら犬は最早強制的蹂躙による似非神だもんな。笑えるぜ」
司は愉快そうに言うと、クスクス笑う。
思わず歯を食いしばる白露だったが、ふと開き直るように口を開いた。
「半ば、呪い神みたいなものだ。我々犬神の存在はな」
すると別の声がこれに答えた。
「つまり誇りの持ち方が違うってことだ」
千晶だった。
「貴様ら大神を殺してしまえば、結果良ければ全て良しだ」
千晶へと言い返した白露の、司が開けた両手の平の穴は舌で舐めたことで、自己修復してすっかり塞がっていた。
「しかしだからこそ、我々犬神を信仰する人間に歯向かい裏切って、逆に操ることもできるのだ」
白露は言って下ろした両手の平を正面に向け胸を張ると、突然大きく吠えた。
「ワンワンワオォォォーン!!」
これに少しの間周囲は静まり返り、千晶と渚と司はピクピクと耳を動かす。
すると頭上から鈴丸の声がした。
「向こうから何か来るよアキ!」
鈴丸の言葉に、千晶達は遠くの方へと視線を向ける。
すると、そこには。
「……――人、でしょうか」
渚がポツリと口にする。
「何でこの異界に、どうやって人間が……」
空で姑獲鳥姿の朱夏の背に乗った紅葉も呟く。
「……様子が変だ」
千晶が言った。
よくよく見ると、こちらへと向かってくる何者かが数人、まるで体を引きずるように歩いて来る。
よろめいている者もいる。
「何だあのヨレヨレの人間は。まさかあんなのを、てめぇの戦力に加えようってのか。白露」
司が馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「……ま……様……」
「……ヌがみ……様……」
「……犬神……様……」
近付くにつれて、その“人間”達が何かをブツブツとまるで唱えるかのように、呟いているのが聞こえてくる。
「あのケダモノ、人間を操っているのか」
犬神城の屋根の上で傍観していた壱織の言葉に、傍らにいた此花が身を寄せてきた。
「何だか……気味が悪いのぅ……」
そうして此花は壱織の腕をギュッとつかんだ。
「何だ。本来遊び相手に人間を好む座敷童子のお前が、気味悪がるとは珍し、い……!?」
自分にしがみついてきた此花に話しかけながら、改めて近寄ってくる人間を見て壱織は眉宇を寄せた。
「いや、あれは……人は人だが……」
そう口にする壱織の言葉にまるで続くように、タイミング良く上空から鈴丸が叫んだ。
「これは死んだ人間だよ!」
「死人のようですね」
「ああ。死臭が鼻に突く」
渚の言葉に、千晶も顔を顰める。
「クックッ……こやつらは、犬神信仰者の死人だ。だからこそ俺が操れる」
白露が不敵に喉を鳴らす。
「だから何だ。所詮は人間の死人。何の支障はねぇよ!」
司は言うと、すぐ側まで来た死人へと手を振り上げた。
これに千晶が慌てて声を上げる。
「駄目だ! 司、よせ――!!」
しかしもう、司が手を振り下ろした後だった。
巨大化している司の片手は、まとめて三体の死人の胴体を消し飛ばしていた。
上半身を失った死人の下半身から、紫色の毒々しい障気が吹き出し、辺りを包み込む。
「これは……祟り場!?」
驚愕する渚。
「これは二百年前に俺達の国に広がっていたのと同じだ」
千晶が歯噛みする。
「チッ……」
司は顔を顰めて舌打ちをした。
そう。今のと言い、二百年前に人狼国に発生した祟り場と言い、全てはこの白露の仕業だ。
犬神信仰者に歯向かうことでその人間の呪いを宿し、強烈な熱病や飢えの苦しみなどを与え、その人間が死ぬことによって祟り場を発生させる。
つまりは人間自身の祟りが障気となったものだ。
もしくは死人を操り、攻撃された死人から祟り場を発生させる。
本来犬神が生まれいでるのは、犬の頭部だけ出して体を地中に埋め、その手前に食べ物を置いて見せつけ食欲を昂ぶらせておいて、ついには餓死しようとするその犬の頭を切断すると、その強烈な飢えからくる食欲から頭は飛んで食べ物に食いつく。
その頭を持ち帰りわざと腐らせて、群がった蛆を乾燥させて器に入れて祀るのだ。
こうして怨念の増した犬の霊を“犬神”とし呪術として使役する。
これが犬神信仰者なのだが、使役している犬神を多く呪術させればさせるほど力を増してやがては、己を使役する信仰者に歯向かう意志を持つようになり、かつて自分がされたことと似たような怨念を跳ね返す。
そうして信仰者である人間を逆に使役できるようになるわけだ。
よって死んだり、破壊された肉体から障気を発生させたのが祟り場だ。
そして更に厄介なのが――。
「生きた人間が死んで発生した祟り場と違って、死人から発生したこの祟り場は、その怨念により引き寄せられた不浄の妖怪も出現する。しかも一人により三体の妖怪だ。ってことは……もう解かるだろう?」
白露が愉快そうに口にする。
大体一人分の祟り場の広さ十五メートルほどのドーム型の円形だ。
だがこの度司が倒した数は三人。
人数分だけ祟り場は合体してより広さが増し、超巨大化している白露も、そして飛空している巨猫姿の鈴丸と姑獲鳥姿の朱夏とそこに乗っている紅葉、そして同じく巨大化している雷獣姿の雷馳までスッポリと包み込んでいた。
やがてこの祟り場に現れた不浄妖怪の数は九体――。
ひだる神、蛇蠱、牛鬼、舌切り、疫病、首刈り地蔵、羅刹女、肉吸い、あやとりだった。
祟り場――それは一種の亜空間だ。
不浄妖怪を倒さないと、この場所から解放されない。しかし。
――「おいどうするよ。俺ら完全にあの祟り場から省かれてるぜ。ここにいる意味はあるのか此花」
片膝を立てた姿勢で頬杖をして中が視えない紫色の淀んでいる祟り場を眺めながら、壱織が言った。
「大丈夫じゃ」
此花は答えるや立ち上がって壱織の両目を手で覆い隠した。
「これじゃあ余計見えねぇ……」
言いかける壱織だったが、此花が手を離すと祟り場が透かして視えるようになった。
「お前透視能力も持っているのか」
「うむ。妾はだてに神格化されたわけではないのでの」
此花は言うと再び壱織の隣に座った。
「やれやれ。かようなことならば、金平糖でも持ってくれば良かったわ」
「だな。今のところ完全に俺ら、観客みてぇなもんだしな」
「もっとも、後々忙しくなりそうじゃがの」
犬神城の屋根の上で、壱織と此花は言葉を交わしていたが、ふと何かに気付く。
まだ体を破壊されていない死人が七~八人、祟り場の外に省かれて周囲を彷徨いていたのだ。
「あいつらの手間を少しでも減らす為にも、あの死人をちょっくら片付けてくるぜ」
壱織は言って立ち上がると、此花を一人屋根に残してそちらへと飛び立った。
「面倒臭ぇ」
司が呆れながら吐き捨てる。
「まぁそう言わず、存分に楽しめ」
白露は不気味な笑みを口いっぱいに浮かべた。
「これだけ妖が集まると、正直いくら広いこの空間でも、窮屈に感じるよ」
朱夏の背中の上で、紅葉も溜息を吐いた。
やがて先に動いたのは蛇蠱だった。
真っ先に狙われたのは渚だ。
背後から蛇蠱が渚の肩を貫いた。
「ぅぐ……っ!?」
これに司が投げやりに言った。
「よそ見してっからだ。油断は禁物だぜ」
「うるさい!」
渚は咄嗟に言い返すと、改めて蛇蠱と向かい合い襲ってくる蛇蠱とそれを手で払いのける渚との、攻防戦が始まった。