其の佰弐拾玖:落とされた火蓋
【登場人物】
・雅狼朝霧爛菊(18歳)……前世が人狼皇后だった人間の少女。二百年間、犬神の皇に魂を捕われて記憶と人狼の能力を奪われ、ただの人の子として現世に転生させられた。神鹿から妖力吸収の力を授かり、再び人狼に戻る為に数多くの妖怪と出会う。
・雅狼如月千晶(327歳)……あらゆる妖怪のトップ大神乃帝である人狼の王で、爛菊の夫。二百年前に妻を失ってからずっと転生を信じて探し続けて、ついに爛菊を見つける。彼女を元の立場に戻すべく、人間界で爛菊の手伝いをする。
・雅狼左雲渚(320歳)……千晶の弟で司とは双子の兄にあたる王弟。丁寧な敬語を主とする。千晶が留守の間は帝代理を務めていた。常に落ち着いた姿勢で周りを見ている。
・雅狼八雲司(320歳)……千晶の弟の一人である人狼国の王弟。傲慢で言葉遣いも悪く、爛菊の存在を快く思っていない。前世の爛菊を殺害し、200年もの間牢獄に入っていた。それでも一応、国を思い面倒見も良く誰よりも家族思いだったりする。
・暁朧(年齢不詳)……人狼国で先代から太政大臣を務めていて今は千晶に仕えている。いつも全身を黒の衣装で包む寡黙無表情な性格だが、密かに爛菊を愛していることは司と爛菊以外、誰も知らない。
・猫俣景虎鈴丸(118歳)……妖怪猫又の族長の息子で、千晶の同居人。家事全般が大得意で、女好き。とても人懐っこい。人間界での暮らしの方が長く、誰よりも人間社会に詳しい。本来の姿は金と青のオッドアイをしたオスの三毛猫。
・響雷馳(70歳)……妖怪、雷獣の子供。物心ついた時には最早両親がいなかった孤児で、ある嵐の日に大百足と戦って傷ついているところを爛菊に拾われ、名を与えられる。千晶の家の居候で、自分も妖怪のくせに世間知らずからくる極度の妖怪恐怖症。
・朱夏(推定200歳以上)……妖怪、姑獲鳥。元は人間だった。土蜘蛛から縄張りの一部を与えられて数々の人間を騙してきたが、ある雨の日に雷馳と出会ってからその悲愴感さにいたたまれなくなり、種族も血筋も違うが雷馳の母親になる決意をする。千晶の家で住み込みの家政婦をしている。
・飛鳥壱織(529歳)……元々はツンデレで一人を好んでいた妖怪、丹鶴。祖母は若い頃に人間に恩返しをした鶴。爛菊の通う高校の保健医をしていて、極度の潔癖症。高慢な性格で趣味は編み物。高度な治癒系能力を持つ。最近、神格妖怪である座敷童子、此花に惚れられて以来一緒にいることが多いようだ。
・此花(推定400歳以上)……元々は人間の頃、口減らしされた地縛霊だったが人間からの半ば都合の良い祭祀により、神格化された座敷童子。年齢を操ることができる。壱織への想いからようやく自由を得た。
・紅葉もしくは呉葉(推定1000歳以上)……信州戸隠の鬼女で、爛菊とは前世から仲の良い友人。呉葉は元は人間の両親に与えられた本名で、紅葉は鬼女となってからの名前。第六天魔王から生み出された。
・狗威獣右衛門白露(338歳)……犬神族の皇。かつては人狼族の配下だったが人間による犬神信仰の手段に理解ができずやがてそれは、次第に人狼族への恨みへと変わる。人狼皇后である爛菊の魂を捕らえ二百年間かけて浄化し、自分の妃に迎え入れ人狼国乗っ取りを企んでいる。
千晶を殺して爛菊に絶望を与える――。
この白露の言葉に、千晶の目に怒りの色が浮かぶ。
「渚。本気で行くぞ」
「はい。兄上」
千晶と渚は声を掛け合うと、背中を丸めた。
「グウゥゥ……ッ!」
「オォォオォ……!」
唸り声とともに二人は胸元で両腕を交差させていた。
メキメキ、ミシミシと筋肉と骨の軋み音を立てて、二人の体が見る見ると変形していく。
そして二人は交差させていた両腕を大きく広げると、体を仰け反らせた。
「ウオオォォォーン!!」
同時に遠吠えをした千晶と渚は、それぞれ二足歩行型の人狼に変化していた。
千晶は金毛の、そして渚は白毛の人狼に。
「ふぅ、この姿に変化するのは長らくなかった」
金毛二足歩行型人狼の千晶が大きく息を吐く。
「この姿になる必要性が滅多にありませんでしたからね」
白毛二足歩行型人狼の渚が、千晶の言葉に答える。
しかも巨大な姿だった。
軽く五メートルはあるだろうか。
だがしかし、白露の方は超巨大型だったので、千晶も渚も白露の超巨大さには届いていなかった。
白露は、人狼国でたらふく狼を喰らった分、今までよりも妖力が高まり超巨大型になれたのだ。
白露は十メートルほどに巨大だ。
「ふん。久方ぶりの最終形態か? その割りには小さいな」
自分も元は小さかったことを棚に上げて、白露は愉快そうに千晶と渚の大きさを笑い飛ばす。
「今のところ俺の出番はなさそうだし、羽根でも休めて状況を見届けておくか」
壱織は此花を抱っこしたまま言うと、犬神城の屋根の上に着地して翼をたたんだ。
「妾は戦いに参加しなくても良いのかえ?」
「あのなぁ。お前は大した戦闘能力を持ってねぇだろう。ここはおとなしく様子見だ」
「さようか……」
壱織に言われて、此花は膝を抱えた。
「この大きさは餓者髑髏と一緒じゃのぅ」
一方、朱夏の腕の中で横抱っこされていた、人の姿に戻った雷馳が上空から白露を見下ろしている。
「これだけ大きいと、もうお母さんの出る幕はないわ……」
朱夏も背中の翼を羽ばたかせながら口にする。
「巨大岩をぶつけてみるとか」
ボソッと言った雷馳に、朱夏は束の間思案して答えた。
「だったらその分の妖力を雷馳へ覚醒させる時に注いだ方が、雷馳が更に強力になれるからそっちにするわ」
「お母さんの妖力を、わしに注ぐ……?」
「ええ。お前を使役できるお母さんの唯一の……愛情みたいなものよ。勿論、一時的なもので元に戻ればお母さんが雷馳に注いだ分の妖力は、またお母さんに戻るけどね。姑獲鳥は、相手を騙すか力を貸したりできる存在でもあるの」
「そうか。じゃあ、いざという時はお母さん、頼む」
そうして二人は顔を見合わせると、微笑みあった。
「そこ! 呑気に親子で笑い合っている場合じゃないだろう。打倒犬神開始だよ!」
巨猫姿の鈴丸の背に横座りしていた紅葉が、朱夏と雷馳に指摘する。
「やれやれ。これだけ巨体が揃うと、僕なんかまるで子猫だね」
「それじゃあ何かい。私ぁあんたにくっつくノミかい」
約三メートルはある巨猫姿の鈴丸が溜息を吐くのに、その背に乗っている紅葉がキッパリと切り捨てる。
「まぁでも、このまま私を乗っけたままだとお前も戦いにくいだろう」
「うん。スッゴク!」
「随分ハッキリ言うねぇ」
鈴丸の返事に、紅葉はクックっと喉を鳴らすと、徐ろに朱夏へ声をかけた。
「朱夏! 早速だが雷馳を覚醒させてくれないかい」
「え? もうですか?」
「もう、も何もないさ。打倒犬神本番に入るんだ。手始めなんてぬるいことからじゃあ、とても殺れないよ。千晶とその弟同様、腹くくってかかりな!」
「は、はい!」
空中で紅葉と朱夏は言葉を交わすと、改めて朱夏は雷馳に視線を落とした。
「それじゃあ雷馳。さっき言ったようにお母さんの妖力も一緒に注ぐわ。しっかり、頑張ってきてね」
「うむ! お母さん!」
朱夏の言葉に、雷馳は力強く頷いた。
「愛してるわ雷馳……」
そうして朱夏は、雷馳の額に長い口づけをした。
数秒後――ドクン!!
雷馳の心臓が大きく高鳴り、青紫色のつぶらな瞳の色が濃度を増した。
そしてグルンと白目をむく。
その変化を確認してから朱夏は、腕の中にいた雷馳を空中高くからそっと放った。
「……――あああぁぁあぁあぁぁーっっ!!」
雷馳は落下していきながら自分の中の変化に、腹腔轟く叫び声を上げる。
そして青白い光球にその身が包まれる。
「……? 何だ……?」
白露がこれに目を細める。
「一体何事ですか?」
「ああ。あの子は雷獣の仔でな。姑獲鳥の母親が使役すると潜在能力を覚醒させられるんだ。だが今回は……今まで見てきた中でも特に力強い妖気だな」
渚の疑問に隣りにいた千晶が答える。
「雷獣なのに姑獲鳥の母親、ですか?」
「ああ。話せば長い。とにかく、良い戦力になる」
千晶と渚が言葉を交しているうちに、雷馳を包んでいる光球は地面に近づいていく。
そしてまさに地上に衝突する手前で光球はバチンと派手に弾けて、巨大な雷獣が姿を現し地上スレスレで皮膜を広げ羽ばたかせると、弧を描くように再び空中へと舞い上がった。
その勢いで地面の砂埃が大きく巻き上がった。
「キシャアアァァアァァーッ!!」
雷獣は地上を見下ろして奇声を上げる。
「ちょっと。僕より大きいじゃない」
巨猫姿の鈴丸が驚きを露わにする。
今までは覚醒しても巨猫の鈴丸より小さかった。
だが今回は、約四メートル程はある。
手足は六本。
四本の前足と後ろ足の付け根の間には、コウモリのような皮膜。
そして二本の大きくフサフサした尻尾。
眼は青紫色に不気味に光っている。
全身には、電流をまとっていた。
「フン。何だ。登場の割りにはちっぽけなものが現れたな」
十メートル級の白露にしてみればやはり、それでも雷馳の大きさはたかが知れていた。
「図体でかいからにゃあ、こちとらは数で勝負だね。よし、朱夏。こっちに来な」
「はい」
紅葉に呼ばれて、朱夏は鈴丸の背に横座りで乗っている彼女の元へと接近した。
「本体に戻って、私の手足となっとくれ」
「え?」
「犬神のこのでかさだ。空も飛べない私が地上戦は通用しなかろうに。よって私も空から攻める」
「分かりました!」
巨大化もできないので、紅葉の言葉で事情をすぐに理解した朱夏は、翼を大きく羽ばたかせてクルリと回転した。
するとそこには軽く人一人乗せれるくらいの大きさをした、一見カモメのような外見をした姑獲鳥が姿を現す。
紅葉は鈴丸の背中から身軽に朱夏の背中へと飛び移る。
「よーし! こっちも準備万端! いつでもいいよアキー!」
頭上から響いた鈴丸の声に、千晶が顔を上げた。
「フ……実に心強い」
千晶はその黄金色の双眸に鋭利な光を宿す。
「ハエがたかったくらいで我は臆せん」
白露の言葉に賺さず紅葉が答える。
「私らがハエならお前はさしずめクソだね」
これに白露が青筋を立てた。
「身ぃぃぃの程を知れいぃぃぃーっっ!!」
吠えるや否や白露は、千晶と渚を後回しにして先に姑獲鳥姿の朱夏に乗っている紅葉へと、巨大な手を振り払った。
――「ケダモノ臭ぇ」
犬神城の屋根の上で様子を見ている壱織が、鼻をつまんでボソリと呟く側で此花も呆れながら呟いた。
「あやつはいちいち感情的な奴よのぅ……」
「ここは……神殿?」
人狼国――大神国に朧に連れられて戻った爛菊がふと口にした。
そこは城の敷地内にある神殿だった。
本来は冠婚葬祭を主に使用される場所で、その時だけは一般に開放される。
そして帝と皇后の儀式もここで行われるのだが。
よって爛菊も神殿に来たのは始めてだった。
「今ここに来る必要はないんじゃなくて?」
爛菊からの問いに、朧は静かに口を開いた。
「本来ならそうなのですが、事が事だけに特別強制執行なのです」
「特別強制執行……?」
「はい」
「それは一体どういう意味?」
爛菊は状況を把握できずにいた。
「本来ならば、婚礼と一緒に行われるのですが、状況は急を要すことになったのです。あの人殺しが、脱獄して我々の前に現れたからには」
「脱獄……」
朧の言葉を掻い摘んでから爛菊は、ハッとする。
「司様……?」
「あやつを今更、“様”で呼ぶ必要はありませんぞ爛菊様。あやつは一体どうしたのかは不明ですが、見たところ渚様がかけた妖力封印も解いている。つまりおとなしく捕まるつもりもないでしょう。まぁ、そうでなくば初めから脱獄などしなかったでしょうが」
「もしかして……それじゃあまた爛は司様に……あの人に殺されてしまうかも知れないと言うことね……?」
不安げな表情を浮かべる爛菊に、朧はそっと彼女の頬に大きくて逞しい手を当てた。
「ゆえに、こうしてここに来たのです。もう二度と、貴女を失うわけにはいかない……」
「朧……特別強制執行とは、何をするの……?」
爛菊は自分の頬に手を当ててきた彼の手に、自分の手を重ねる。
「それは中に入れば解かります」
「……中に、入ってもいいのね……?」
「はい。では、中に入りましょう」
朧は爛菊の頬から手を離すと、神殿へと向き直った。
神殿への道の両側には、たくさんの朱色の灯籠が並んでいた。
灯籠に灯されている石畳の通路を、二人は歩き始めた。
自分へと振り払ってきた白露の手を、朱夏はひらりとかわした。
「チ……ッ! 煩わしい虫が」
白露は避けられて苛立ちを見せる。
「そう簡単にやられるものかね。こちとらだてに千年も生きてるわけじゃないんだよ」
紅葉は余裕げに言い返す。
「気を散らしてねぇでさっさとやり合おうぜ」
更に別の声が足元からして、白露は見下ろした。
そこには黒毛巨大二足歩行型の人狼が、紅い双眸に鋭い光を宿して立っていた。
それはここに戻って来た司だった。