其の佰拾捌:狐の女帝
【登場人物】
・雅狼朝霧爛菊(18歳)……前世が人狼皇后だった人間の少女。二百年間、犬神の皇に魂を捕われて記憶と人狼の能力を奪われ、ただの人の子として現世に転生させられた。神鹿から妖力吸収の力を授かり、再び人狼に戻る為に数多くの妖怪と出会う。
・雅狼如月千晶(327歳)……あらゆる妖怪のトップ大神乃帝である人狼の王で、爛菊の夫。二百年前に妻を失ってからずっと転生を信じて探し続けて、ついに爛菊を見つける。彼女を元の立場に戻すべく、人間界で爛菊の手伝いをする。
・猫俣景虎鈴丸(118歳)……妖怪猫又の族長の息子で、千晶の同居人。家事全般が大得意で、女好き。とても人懐っこい。人間界での暮らしの方が長く、誰よりも人間社会に詳しい。本来の姿は金と青のオッドアイをしたオスの三毛猫。
・藤原霞(22歳)……妖怪人狼族を大神(狼)として崇拝している女陰陽師。しかし帝の座は千晶ではなく、彼の弟である司を推奨している。風水並びに式鬼を操る。
・雅狼八雲司(320歳)……千晶の弟で人狼族の王弟。兄が迎えた妻である爛菊の存在が許せなくて、皇后として認めていない。千晶に相応しい皇后を求めている。言葉遣いは悪いが、人狼国を守るためにも一時期、犬神の皇と手を組んだ。
餓者髑髏が踏み下ろした足の周りに、爆風が生じ砂塵が舞い上がる。
そんな土煙の中で、誰かが咳き込む声が聞こえた。
「ゲホゴホゴホ……! 動き鈍いけど動作が起こす影響がハンパないくらいに迷惑」
「この調子だとただ無駄にでかいだけに思えてくるな……ゴホッ」
「む……っ!? どこにいるのよ!?」
どうやら霞も千晶と鈴丸の姿を見失ったらしい。
当然ながら、二人は容易に餓者髑髏の足をかわしていた。
「そもそもこのサイズで餓者髑髏の相手しようとは思ってないよねぇ!?」
「まぁな」
砂塵もだんだん治まってきて、千晶と鈴丸の姿も露わになってくる。
すると餓者髑髏は側にあった岩を両手でそれぞれ一個ずつ掴むや、砂埃が落ち着いてきたのを見計らって、千晶と鈴丸に向けて投げつけてきた。
それにすぐに気付いて鈴丸は鋭い爪で自分に飛んできた大岩を、まるで豆腐のようにやすやすと切り刻む。
一方千晶は、片手を振り払う仕草をして強力な風を生み出すと、自分へと飛んできた大岩を餓者髑髏の方へと逆に吹き飛ばした。
岩はまるで弾丸のように、餓者髑髏の右肩に大穴を開けて貫いた。
関節を失って餓者髑髏の右腕がダラリと垂れ下がる。
これに驚いた様子で、餓者髑髏は自分の右腕へとゆっくり顔を向けた。
「たかがこれしき、問題ないわ餓者髑髏! すぐに再生しなさい!」
胸骨にいる霞は、頭上の餓者髑髏を見上げて怒鳴る。
餓者髑髏もそんな彼女を見下ろしてゆっくり頷いた。
餓者髑髏の右肩に大穴が開いた際、その部分を結合していた無数の死霊や骸骨が散らばったが、それらが再度元の位置に戻り始めて何事もなかったように、餓者髑髏の右肩が戻る。
それを確認するように、餓者髑髏は右手の平を何度か握りしめた。
「これじゃあキリがないな」
「面倒はゴメンだよ。さっさと片付けちゃおう、アキ」
「ああ」
千晶と鈴丸は言葉を交わすと、お互い身を翻した。
すると煙の中に、巨大な金狼と二股尻尾の三毛猫が姿を現した。
「フ……それがお前らの正体ね」
霞がほくそ笑む。
巨大な獣二匹を目の前にしても余裕を見せるのは、それでも餓者髑髏の方が更にでかいからだ。
「その程度でやりあっても甘いわよ!!」
霞の言葉に応えるように、空中を浮遊している巨大金狼と巨大猫又へと餓者髑髏は、両手を振り回す。
しかし当然ながら、千晶も鈴丸も身をかわして軽々と避ける。
だが餓者髑髏は基本的な動作はまるで通用しないと分かるや、ガパリと口を開き大きく呼気を漏らし始めた。
紫色の吐息が、餓者髑髏の目の前を浮遊していた金狼と猫又へと広がる。
「!?」
「これは――障気!!」
「ウフフ……これはこの子の持つ能力の一つ、“呪い”よ」
霞が嬉しそうに口にする。
「ク……ッ!」
千晶は構えると餓者髑髏へと向かい風を吹かせ、その障気を散らしたが鈴丸が思いのほか吸気してしまったようだ。
「この……っ!!」
巨猫姿の鈴丸は若干目眩を覚えながらも、餓者髑髏に向かって威嚇したが。
それは猫又の威嚇――つまり同じ呪い系だった。
当然、死霊や骸骨が築き上げている餓者髑髏の方が呪い能力は強い。
巨猫如きの呪いなど効果がないどころか、逆に吸収されてしまった。
「クスッ! オホホホホ!! バカな猫!!」
霞が愉快げに高笑いする。
「おのれ……っ!!」
鈴丸は唸ると、今度は遠吠えを始めた。
「ニャアァァォォオオオーン……ッ!!」
猫又の遠吠えだ。
直後、餓者髑髏の動きが固まる。
それは相手を金縛りにさせる効果があるのだ。
「今だよアキ!」
「ああ」
鈴丸に声をかけられて、巨大な金狼姿の千晶は口を開いて牙を剥くと、頭を左袈裟懸けに大きく振った。
ザンという音とともに、餓者髑髏の右肩から左脇腹にかけて大きく裂ける。
紙一重のように、胸骨にいる霞はギリギリ当たってはいなかったが、僅かにずれていれば……。
思わず霞はゾクリとする。
「あ……。――ちょっと! 危ないじゃないのよ!!」
霞は叫ぶや、グンと胸を張る。
すると餓者髑髏にかかっている金縛りが破られる。
「チ……ッ!」
舌打ちする鈴丸。
「戦いに危険あって当然だろうに」
千晶は半ば呆れ気味に呟く。
案の定、千晶が与えた傷――真空斬は、またもや死霊や骸骨が蠢き合って塞いでしまった。
「ウフフ……あなた達の力量が、視えたわ。先に弱い方から片付けてしまいましょうか」
霞は微笑を浮かべながら言うと、ギンと鈴丸を鋭い眼差しで睥睨した。
すると彼女の動きと同時に、自分の眼前の高さで浮遊している巨猫の鈴丸へと、餓者髑髏の紅く光る瞳孔が向けられる。
直後、鈴丸の全身に真紅の亀裂が走った。
「ギャッ!!」
鈴丸が短く悲鳴を上げて引きつけを起こすと、しばらく間を置いてドサリと地上へ落下した。
「な……」
黄金の巨狼姿である千晶が、何事かと落下した鈴丸を見下ろす。
「今のは餓者髑髏の恨み。この子を形成している幾体もの“死”が抱いている無念なる恨みを集合化させて攻撃技にしたもの。それは体内からまるであらゆる肉と骨が引き裂かれるような強烈な痛みとなるの。さぁ……お楽しみはこれからよ」
霞は肩を揺すって笑うと、倒れこんでいる地上の鈴丸へゆっくり息を吹きかけた。
これに餓者髑髏から数体の死霊が放たれて、まるで吸い込まれるように彼の体内へと姿を消す。
するとビクリと巨猫姿の鈴丸が大きく弾んだかと思うと、ムクリと起き上がって上空にいる千晶を見上げて大きく鳴いた。
「ニャアアァオオォゥゥー……ッ!!」
「チッ……! 鈴丸に憑依させたか。鈴丸! しっかりしろ!」
千晶は彼へと声をかけたが、鈴丸は全身の毛を逆立てて千晶へと飛びかかった。
狐金澤白面忽那――妖狐の国を治める女帝だ。
彼女は人間が大好き。
特に若くて美しい男が。
なので下僕に人の男を捕まえさせては、傍らに置いて愛でる。
逃げられぬよう足首から下は切断し、首輪に鎖で繋いでいる。全裸姿にして。
彼女は夜な夜な彼等から精気を得て、飽きた者から心の臓を喰らう。
現在玉座の側に、三人の若い美男がかしずかれていた。
「フフフ……可愛い子。お前が愛すべき者は誰?」
忽那は玉座で着流し風の着物で足元は片方、スリットのようにしてそこから白くてほっそりとした剥き出しの足を組んだ姿勢で、一人の男の顎を撫でている。
尻からは、九本のフワフワした金毛の尻尾を生やしている。
足首を失い全裸で鎖に繋がれているその若者は、虚ろな目で答えた。
「はい……それは、狐金澤白面忽那様です」
「そう……良い子」
忽那は満足そうに微笑むと、その男に口づけをして舌をねじ入れ濃厚な接吻をする。
そしてねっとりと口唇を離して言った。
「あぁ……美味しい涎……お前の精気も心の臓も、さぞかし美味でしょうね……」
彼女の言葉に、男は恐ろしさに震え出す。
その様子が、更に忽那の心を擽る。
「本当に、お前は可愛いね」
忽那は艶然に微笑み、彼の頭を優しく撫でた。
するとふと、どこからともなく声がした。
「いい趣味してんな。妖狐女帝、狐金澤白面忽那よ。その愛玩に是非俺も混ぜてくれよ」
「……?」
忽那は無言で顔を上げる。
彼女の目に、この謁見の間正面入口から堂々とやって来る、紅髪の男の姿が映った。
「ちなみに俺なら、そこにいる奴等よりももっとお前を、濃厚に愛してやれるぜ」
「まぁ……いい男ね。お前は一体、だぁれ?」
忽那は、紅髪の男を前にして目を細めると、妖艶に微笑んだ。
これに男も微笑み返す。
「俺は、雅狼八雲司だ」
「……がろう……? ……がろう――ま、まさかお前は……!」
忽那の表情から笑みが消える。
「人狼!? 一体どうやってここまで……!!」
「ホント、狐は犬科に弱ぇな。ワンと言っただけで誰もが散り散りに逃げ惑ったぜ。だからここまで簡単に来れた。さぁ忽那……俺の物に、なれ」
司は悠然と、彼女に手を差し伸べた。
・狐金澤白面忽那(推定500歳)……妖狐の国の女帝で若くて美男の人間を寵愛する九尾の狐。