其の佰拾柒:妖と式鬼
【登場人物】
・雅狼朝霧爛菊(18歳)……前世が人狼皇后だった人間の少女。二百年間、犬神の皇に魂を捕われて記憶と人狼の能力を奪われ、ただの人の子として現世に転生させられた。神鹿から妖力吸収の力を授かり、再び人狼に戻る為に数多くの妖怪と出会う。
・雅狼如月千晶(327歳)……あらゆる妖怪のトップ大神乃帝である人狼の王で、爛菊の夫。二百年前に妻を失ってからずっと転生を信じて探し続けて、ついに爛菊を見つける。彼女を元の立場に戻すべく、人間界で爛菊の手伝いをする。
・猫俣景虎鈴丸(118歳)……妖怪猫又の族長の息子で、千晶の同居人。家事全般が大得意で、女好き。とても人懐っこい。人間界での暮らしの方が長く、誰よりも人間社会に詳しい。本来の姿は金と青のオッドアイをしたオスの三毛猫。
・雷馳(70歳)……妖怪、雷獣の子供。物心ついた時には最早両親がいなかった孤児で、ある嵐の日に大百足と戦って傷ついているところを爛菊に拾われ、名を与えられる。千晶の家の居候で、自分も妖怪のくせに世間知らずからくる極度の妖怪恐怖症。
・朱夏(推定200歳以上)……妖怪、姑獲鳥。元は人間だった。土蜘蛛から縄張りの一部を与えられて数々の人間を騙してきたが、ある雨の日に雷馳と出会ってからその悲愴感さにいたたまれなくなり、種族も血筋も違うが雷馳の母親になる決意をする。千晶の家で住み込みの家政婦をしている。
・藤原霞(22歳)……妖怪人狼族を大神(狼)として崇拝している女陰陽師。しかし帝の座は千晶ではなく、彼の弟である司を推奨している。風水並びに式鬼を操る。
・綴(24歳)……霞を純粋に仕える巫女。寡黙な性格だが、霞を同じ女でありながらも恋愛対象としている。普段は霞の身の周りのお世話をしているが、彼女から与えられた式鬼を操ることができる。
陰陽師と巫女が召喚したのは、餓者髑髏と鵺だった。
鵺の方はともかく、餓者髑髏はよくよく見ると無数の死霊や骸骨が重なり繋ぎ合って、その巨体を生成しているようだ。
「ぅあ゛あ゛ア゛ア゛あ゛……」
「おオォおオぉ……」
まるで未練に縛られたかの如く、それぞれが呻き声を漏らしている。
これに恐怖したのは当然だが、雷馳だった。
「ひいぃぃっ!!」
「怯むな雷馳!」
「大丈夫よ雷馳。お母さんがついてるから」
怯える雷馳へと檄を飛ばす千晶に、励ます朱夏。
「しししし、しかしっ! この巨大骸骨どころかこんな大きな獣まで!」
雷馳は震える声で叫びながら、鵺を指差す。
するとさらりと爛菊が口にした。
「大丈夫よライちゃん。その気になればライちゃんの方が大きいから」
「ななな、――え? わしの方が?」
それまで動揺していた雷馳は、彼女の言葉に突如キョトンとする。
「いや~、しかし、今までとはスケールがでかいねぇ~」
鈴丸があっけらかんとしながら笑う。
「ふふふ……恐れを成して逃げ出してもいいのよ」
陰陽師の藤原霞は不敵な様子で静かに口にすると、スィと両手を横に持ち上げた。
するとフワリと彼女は浮かび上がり、吸い込まれるように餓者髑髏の方へと飛んでいき、餓者髑髏を背後にするとその胸骨の中央にズブズブと埋め込まれた。
餓者髑髏の胸元に、霞の胸部から上が剥き出しの格好になる。
一方巫女の綴の方は、鵺の背中に跨った。
どうやら霞の式鬼は餓者髑髏、綴の式鬼は鵺のようだ。
「その代わり、逃がしはしないけどな」
霞の言葉に呼応するかのように、綴が険しい表情で述べる。
「逆に本物の妖の本気を見て……腰が抜けて逃げられなくなるのはそっちかもよ」
それまで天高く立ち尽くす餓者髑髏を見上げていた顔を、ゆっくりと下ろして綴へと向けると鈴丸はニッコリと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「抜かせっ!! 燃えろ炎よ!!」
「おっと」
綴からの命令に、鵺が大きく口を開けて放出してきた炎を、鈴丸は同じく猫又の火の炎で対抗した。
二人の間で炎同士がぶつかり、激しくせめぎ合う。
「そんなにむきになって怒らないでよ。せっかくの美人さんが台無しだよ」
「な……っ! クッ、き、貴様ぁぁっ!!」
鈴丸の余裕ある言葉に、綴はこめかみに青筋を立てるや背中に跨っている鵺の上から、一本のクナイを投げ放つ。
「……始まったか」
鈴丸と綴のやり合いを一瞥すると千晶は、小さな声でボソリと呟く。
鈴丸は飛んできたクナイを片手の二本指で受け止めつつ、もう片手で鵺へと炎を放っている。
「……鵺か」
鈴丸はほくそ笑むと、その受け止めたクナイを今度は逆に鵺の正面めがけて投げ返す。
これに鵺は気付くや、炎を吐くのをやめて素早い動きでクナイをかわした。
標的を失ったクナイは真っ直ぐに、そのまま飛んで行って見えなくなった。
鈴丸も炎を放つのをやめる。
「火、地、水、風を操る妖怪……そうだな――雷馳」
「ん? 何じゃ鈴丸」
突然名指しされて、それまで険しい表情で鈴丸と鵺の交戦を見ていた雷馳は、ふと彼へと顔を上げる。
「この鵺、お前にあげるよ」
「あげるって……えっ!? えぇぇえぇ!? つまりわしがこやつの相手をせねばならんのかぁっ!?」
「こいつを相手にすれば雷馳、お前の経験値は向上するよ。強くおなり。朱夏さんの為にも」
「むっ!? 待て貴様っ! 私にこんな小童の相手をさせるつもりか!!」
「じゃから小童言うなと言うておろうが小娘っ!!」
鈴丸に怒鳴りつけた綴に、雷馳は負けじと言い返す。
「フフ……僕の相手は、この餓者髑髏にするよ。ねぇ、アキ?」
「ふっ、ああ。解っているようだな鈴丸」
「そ、そ、そそそそ、そんな……わ、わしがこんな獣を……!!」
顔面蒼白になって震えだす雷馳の肩に、朱夏が優しく手を置いた。
「大丈夫よ雷馳。言ったでしょう? お母さんがついてるって」
「しかし……わ、わしに倒せるかのぅ? お母さん……」
「ええ。絶対」
怯える雷馳に、朱夏は微笑みかける。
「いざとなったら爛からもサポートするわライちゃん」
雷馳の背後から、爛菊が声をかける。
「ラン殿……さ、さぽお……?」
雷馳は爛菊へと振り返る。
「家族との別れのひとときはもう終わったか? さっさとお前を倒して私は、あの猫又を次に倒したいのだ。行くぞ小僧!!」
綴は言うや、またもやクナイを今度は雷馳へと投げ放ってきた。
これに雷馳は眉宇を寄せるや、体を素早く回転させた。
「だからわしは、貴様より長ぅ生きておるわこの小娘があぁぁっ!!」
飛んできたクナイを、雷馳は自分の平たくて大きな尻尾で打ち返した。
弾き返されたクナイは、回転を加えてから鵺に跨る綴の頬を掠める。
ヂッと小さな熱を感じて頬から、一筋の血がジワリと滲み出て綴は、ゆっくりと手を当てて出血を確認する。
手の平に付着した鮮血の赤に、綴の脳裏がざわつく。
視えなかった。
雷馳が弾き返したクナイが。
自分が投げた時よりもずっとスピードが増していて、クナイを避けることができなかった。
もしも、少しでもズレていればクナイは見事、綴の顔面に刺さっていたことだろう……。
綴の目つきが怒りに変わる。
「こ……んの……っっ! ――クソガキがああぁぁーっっ!!」
「ガキは貴様の方じゃと何度も言ぅておろうがこのボケェェェッ!!」
綴の怒号に、雷馳も怒鳴り返す。
これを合図のように、二人は向かい合う。
「風よ吹き荒れろ!!」
すると鵺は前足を屈折させて上体を低くした。
直後、凄まじい風が雷馳を襲う。
「ク……ッ!」
雷馳は上半身を突き出し足で踏ん張ると、まるで大地を撫で上げるかのように片手を動かす。
「雷走!」
すると青白い光が鵺めがけて地面を走り抜け、標的の全身を包む。
「ギャッ!!」
「ぅわぁっ!!」
短く叫んで飛び上がる鵺の上で、もれなく通電した綴も一緒に声を上げた。
同時に雷馳へと吹き込んでいた風もピタリとやむ。
「その容姿……どこかで見たことがあると思っていたが……成る程貴様、雷獣の仔か」
綴は唸るようにそう口にする。
「だったら何じゃ。正体が解かって恐ろしゅうなったか」
「恐ろしく……? フフ……、所詮は雷獣の仔。恐れるに足りん!!」
雷馳の言葉に綴は余裕げに小さく笑うと、目を見開いて叫んだ。
一方、胸骨に霞を抱え込んだ餓者髑髏は、それまでどこまでも落ちていく深い闇のようだった眼窩から、グルンと何かが回転したかと思うとそこには小さく一点に灯る、深紅の光が現れた。
胸骨に収まる霞の頭がユラリと揺れる。
「このままであればただの傀儡……だけど私が一緒なら通常の倍は強くなる……この子はね、私がいないとなぁ~んにもできないのよ……ウフフフ……」
霞は呟くと、餓者髑髏の足元に立っている千晶と鈴丸をギンと睨みつけた。
それに応えるかの如く、餓者髑髏はゆっくりと片足を持ち上げると、二人めがけて踏み下ろした。