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其の佰拾伍:半生半死



 断食、滝打ち、火渡り、座禅、抖そう行、忍苦の行とある修行内容の中で、(つかさ)に与えられたのは最も辛いと言われる忍苦の行だった。

 寺院を出て太郎坊(たろうぼう)に誘われて、司は外を歩きながら口を開く。

「フン。こちとらだてに二百年以上幽閉されてたわけじゃねぇんだ。修行などたかが知れてる」

「司様、どうか軽い気持ちで修行を侮らないでください。後悔しますよ」

 (かすみ)の言葉に、司はムッとした表情を浮かべる。

「てめぇ、誰に物言ってんだ」

「は……、申し訳ありません」

 やがて太郎坊は、一つの堂の前で立ち止まる。

「ここだ」

「何だここは」

「入れば分かる」

 太郎坊と司は短い言葉を交わす。

 すると遊んでいた二人の子天狗が興味本位で足を止めた。

「何だよ。獣ごときが今から修行するのか」

「クスクス、獣風情が乗り越えられるかなぁ」

 これに太郎坊が叱る。

「相手が何者であろうが、修行は大切なものだ。邪魔をするな」

「はぁ~い」

「行こ行こ」

 太郎坊に叱られて二人の子天狗は、そのままどこかへと行ってしまった。

「ガキの分際で生意気な」

 去って行く二人の子天狗の後ろ姿を見送りながら、司が不愉快そうに吐き捨てる。

「子供の戯言にいちいち感情的になるな」

 太郎坊に指摘されて、司はそっぽ向く。

 太郎坊は堂の横に置かれている火鉢を持ち上げると、堂の中に運び込み炭火を焚き始めた。

「司様。ここは籠り堂と呼ばれる場所です。今から司様は、この中に一人で籠もらなければなりません」

「へぇ」

 霞の説明に、司は興味なさそうに短く答えた。

 籠り堂は六畳くらいの広さがある。

「入れ」

 太郎坊が司を呼んだ。

 これに司は素直に中へと入る。

「適当に座れ」

 そう言われて、司は胡座を掻く姿勢で座る。

 太郎坊は懐から巾着を取り出すと、中身を火鉢の炭火の上へと盛っていく。

 それは唐辛子、米ぬか、切り刻んだドクダミの葉だ。

 もうもうと煙が立ち込め始めると、太郎坊は立ち上がり司を中に残して堂の外へと出て、ひと声かけて戸を閉めきった。

「せいぜい頑張れ」

 戸を閉ざされて、中が真っ暗になる室内に、炭火から発生した煙がいっぱいになる。

 直後、司は刺激の強い煙で喉に痛みを覚えた。

 これは南蛮燻と言われる香で、密閉された堂の中で耐えねばならない。

 しかし目、鼻、喉を煙でやられる地獄の責め苦だ。

 満足に呼吸もできなくなってきた。

 司は顎を引き、小さく浅く呼吸を繰り返すが、やはり当然どんどん苦しさを増す。

 それでもこの忍苦の行に耐えなければならないのだ。

 一分、一秒がとてつもなく長く感じる中で、ついに司は思わず咳き込んでしまった。

 よって、どんどん燻された空気が肺に入ってくるので、咳きが止まらなくなってしまった。

 痛みで目から涙が溢れ、咳き込むので喉も肺も痛い。

挿絵(By みてみん)

 胡座を掻いて座っていた姿勢も崩れ、最早のた打ち回ることしかできない。

 ついには意識が遠のき始め、朦朧としてきた時だった。

 突然一気に籠り堂の戸が、太郎坊によって開け放たれた。

 室内に満ちていた煙が外へと溢れ出てきて、側にいた霞と(つづり)はこれを浴びてしまい咳き込みながら慌てて逃れる中、籠り堂から司が転がり出てきた。

「カハァ……ッ!!」

 うつ伏せの姿勢で両手を地に突き、上半身を仰け反らせる格好で司は空を見上げて喘ぎ、無我夢中で新鮮な空気を体内に取り込む。

 約一分程、司は必死に呼吸を繰り返し、ようやく落ち着きを取り戻すと傍らに、心配そうな顔をした霞と無表情の綴が寄り添っていた。

「落ち着かれましたか司様」

 霞が頃合いを見計らってそっと声をかけてくる。

 冷静になって気付くと、周囲にいた天狗達が司の様子に腹を抱えて大爆笑しているではないか。

「チ……ッ」

 司は不愉快そうに舌打ちをする。

「これぞ忍苦の行だ。身を持って知ったことだろう。これをこの里にいる全ての天狗が体験する、修行の最終工程だ。しかしお前は天狗でなければ余所者の獣。よっていきなりこの行を与えられたのだ。妖力を解放してもらえるのだから、これくらいは味わってもらわないとな」

「フン……」

 太郎坊の言葉に司は鼻であしらったが本音は、本気で死ぬかとさえ思うほどの試練だった。

 だがそれを口に出すことなく心の中に閉まって司は強がるのだった。


 こうして再び寺院にいる大天狗、僧正坊(そうじょうぼう)の元へと戻った。

 すると司の顔を見て僧正坊は愉快そうに哄笑する。

「目が充血して鼻が真っ赤になっておるぞ獣よ! あながち忍苦の行で死にかけたか?」

 ズバリ本音を指摘されて、司は不機嫌そうに無言を返す。

 やがて僧正坊の笑いが治まってきた頃を窺って、司は口を開く。

「さぁ、約束通り俺の封印された妖力を解放してもらおうか」

「クックック……良かろう」

 僧正坊は了承するなり階段の上から飛躍したかと思うと、一気に階下に立つ司の目の前へと着地した。

 そしておもむろに司の首を乱暴に片手で掴むや、経を唱え始める。

「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空 度一切苦厄 舎利子 色不異空 空不異色……」

 すると首が次第に熱を持ち始め、その痛みに司が眉宇を寄せた時だった。

「……即説呪曰 羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶!」

 ブツンという音とともに、司の足元に数珠がバラバラと散らばった。

 直後、体の奥から力が漲ってくるのが分かる。

「さぁ、どうだ気分は」

 僧正坊は司の首から手を離すと、訊ねる。

「ああ、無力だった時とはだいぶいい」

 司は自分の手の平を見つめると、グッと握った。

「だが、まだ本領発揮とまではいかねぇな……あのクソ女に吸収された分の妖力を、取り戻さねぇと」

「よもや我ら天狗を喰らうわけではあるまいな」

 太郎坊が険しい顔で唸るように言った。

「ふん。これでも俺は恩義くらいはある。封印を解放された以上、てめぇらは狙わねぇ。感謝する」

「お前はこちら側が提示した条件に応えた。これは己の力で得たもの。礼など要らん。用が済んだのなら身内争いの続きをしてこい。我らはそれを酒の肴に愉しませてもらう」

「じゃあなジジイ」

「おう、獣の小僧」

 司と言葉を交わしてから、僧正坊はまたもや哄笑するのだった。


 霞と綴を伴って、すっかり妖力を解放された司は、天狗の里を後にする。

「司様、本日はゆっくり休まれてから、足りない妖力を補ってはいかがでしょう」

 霞の言葉に、司は首肯する。

「ああ。忍苦の行で体力を使ったからな。肉だ。旨い肉を用意して待っていろ」

「待っていろと言うのは?」

「お前らは車で先に戻れ。俺はこの二百年ぶりに戻った妖力を少し味わう」

「え……!?」

 霞が意味を理解するよりも早く、司は勢い良く跳躍したかと思うと、木から木へと飛び移りながら天狗山を下って行ってしまった。

「霞様、今夜はご馳走ですね」

「そうね綴。司様ったら、あんなに嬉しそう」

 霞と綴はすっかり見えなくなった司を見送ると、地道に下山を始めた。

「ちなみに霞様。司様の足りない妖力を補う術はもうお考えなのですか?」

「ええ、勿論よ。格好の餌食がね……ウフフ」

 綴に訊ねられて、霞は嬉しそうに笑った。

 霞は司が完全な自分を取り戻してくれることを次の楽しみにしていた。

 そんな彼女の笑顔に、綴も嬉しそうに微笑んだ。



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