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其の佰拾弐:地下牢水没



 紅葉は今朝、嶺照院(れいしょういん)の屋敷で起こった出来事を千晶(ちあき)爛菊(らんぎく)の二人に話して聞かせた。

 話が進むにつれて、ますます爛菊は怯え、体を震わせる。

 事の真相が少しずつ解ってきた千晶も、怒りの表情を浮かべつつ爛菊の手を力強く握る。

 ある程度、紅葉(もみじ)が得た情報を聞いてから、千晶は低い声で唸るように声を発した。

「つまり全ては繋がっていたと言うことか。原辺という爛菊の人間界での育ての両親は、犬神信仰者である嶺照院の支持者であったのもあり、産みの母親の女に爛菊をひとまず人として出産させ、爛菊を見張るよう嶺照院に表向き嫁がせた。最終的に人狼の血を犬神族に取り込む為に。二百年もの歳月をかけてまで俺から爛菊を隠すべく」

 これに和泉(いずみ)が静かに首肯する。

「通りで転生までに二百年も要したわけだな。白露(はくろ)がその間ずっと后妃の魂を捕らえていたのだから。しかし人に転生させくらましても、魂は(あやかし)のままの人狼の記録がある。少しのきっかけを与えれば、また妖に戻れる。私が行った妖力吸収によってね。魂が人間寄りの物であったなら、魂が妖力に耐え切れず消滅していただろう。そして更に、千晶との交わりにより完全な人狼に戻ったが、人に転生させられた以上は零からの始まり。まだ本来の妖力まで届いていない。見る限り、もう少しばかりだが半妖であることは変わりない」

 和泉は落ち着き払った声で述べると、立ち上がり間にあるテーブルを回りこんで爛菊の側へと歩み寄る。

「少し良いかね、后妃よ。前髪を掻き上げてもらえるかな。額の印が見えるように」

「は、はい……」

 爛菊は震える声で了承すると、言われた通りにする。

 これに和泉が持っていた桧扇の先を額に優しく当てた。

 すると紫色に輝く刻印が浮かび上がる。

「うむ……まだ少しばかり妖力が足りないようだ。完全になればこれが赤い光に変わる」

 和泉は確認すると、再び元に位置に戻る。

 爛菊も前髪を下ろすと、震える嘆息を吐いた。

「とりあえず、今は嶺照院の死体であいつを誤魔化しているけど、長くは持たないだろうから今のうちに足りない分を補った方がいいね」

 紅葉は煙管を口に咥えると、ゆっくりと紫煙を吐き出す。

「おいコラ、ババア! 俺に向かって煙を吐くな!」

 隣りに座っていた壱織(いおり)が抗議する。

「爛は、二百年間ずっと水晶球の中に閉じ込められて、犬神の権威を与えられ続けたわ。だから爛は、犬神が恐ろしい……」

「爛菊。俺はお前が望んで人に生まれ変わったわけではないと知って安心した」

「ごめんなさい千晶様。人狼の頃の記憶を忘れてしまって……」

「気にするな。犬神がそうさせたんだ。お前が悪いわけじゃない」

 落ち込んだ様子の爛菊に、千晶はふと微笑む。

 それを前にして和泉が静かに口を開く。

「二百年間捕らえていたのも、記憶と力をただ忘失させるだけではなく、己の存在を后妃に脅威とする為と、人狼の力を完全に取り戻しても自分に歯向かわないようにと洗脳させることもあったのだろう。現に、后妃は犬神が恐ろしいのだろう?」

 和泉の言葉に、爛菊は自分を抱きしめてゆっくりと首肯する。

「ええ……恐ろしくて、たまらない」

「犬ごときが、狼を服従させるだと……なめやがって」

 怒りの表情を浮かべながら千晶は口にすると、震える爛菊の肩を抱き寄せた。

挿絵(By みてみん)

 



 かれこれ二百年以上だ。

 毎日毎日、一日一回は地下牢へ行き(つかさ)のいる牢獄の結界の様子を見る。

 過去に脱走できたわけでもないし、結界も毎日張り直さなくても効果はあるのだがこれが人狼国太政大臣、暁朧(あかつきおぼろ)の日課となっている。

 それもこれも、全ては彼が心底愛した爛菊を殺害した司への、ささやかな復讐の為――。

 忘れもしない。

 自分の目の前で無抵抗の爛菊が引き裂かれる瞬間を。

 忘れもしない。

 彼女は声を上げる間もなく呆気なく事切れてしまったあの光景を。

 唯一、ようやく愛する爛菊を抱き上げることができたのは、大量の血だまりの中で一気に冷たくなる死した躯。

 今でこそ爛菊は人の子として生まれ変わり、半妖にまで人狼の妖力を取り戻しつつあるが、それでも一度は司の手によって死んだのだ。

 密かに想いを寄せていた爛菊が。

 赦さない。

 赦すわけにはいかない。

 赦せない。

 本当なら、この手で司を殺してしまいたい程に。

 その憎しみだけが、朧をこのように突き動かしていた。

 朧は肩にかかる漆黒の長髪を後ろ一つに縛ると、立ち上がり自室を出ていつものように地下牢へと向かう。

 真っ直ぐとよそ見することなくきびきびとした動きで、目的地へと突き進む。

 城内にいる家臣や女中達は、彼の勢いに慌てて端に寄り道を開け、軽く頭を下げるが朧は見向きも反応すらせずに、通り過ぎて行く。

 寡黙で無表情に加えて無愛想な彼が、必要以外に誰かを相手にすることはない。

 それが凄みとなっているのか、立場以上に朧は周囲から恐れられる存在だった。

 朧は何も気にせず地下牢へと続く廊下に入ると、徐々に薄暗くなる前方を躊躇うことなく進む。

 そして地下牢へと続く石階段に足を踏み入れた時だった。

 ザブ、ザブン!!

「!?」

 膝まで浸かった朧は、すぐさま戻って階段から出ると改めて、浸水している階段を見つめた。

 状況がすぐに理解できなかった。

 一瞬場所でも間違えたのかと、元来た道を振り返ってみたが確かにいつもの光景だった。

「……」

 朧は腕を組んで片手を顎に当てる。

 しかし、明らかに地下牢は水没している。

 微かな通路の灯りで、水面が僅かに反射しながらユラユラと揺れていた。

 朧は冷静に思案するが、答えは見つからない。

 結局出てきた考えは、これを帝代理であり司の双子の兄、(なぎさ)に知らせなければということだった。

 朧は踵を返すと、渚の元へと向かった。


「地下牢が、水没!?」

 朧からの知らせを受け、渚は驚愕を露わにした。

「はい。まだ中を確認しておりませんが……」

「司の気配は?」

「残念ながら」

 朧のこの発言に、よもや水死という考えがよぎる。

 何せ妖力を封じられている上に結界で牢を強固にしているし、爛菊からも妖力を半分吸収されている。

 最早今の司は、無力に等しいのだ。

 脱走する可能性よりも先に、水死の方が考えを占める。

「とりあえず中に潜って、司の遺体を回収しなくては」

「水に強い者を集めて参ります」

「ええ。お願いしますよ朧……」

 そう呟いた渚の声には、落胆しているように感じられた。

 やはり渚にとっては、皇后殺害者以前に血肉を分けた双子の弟という想いの方が、先行しているようだった。

 なぜ地下牢が水没したのか、全く原因が分からないまま司の捜索が行われた。

 水中を得意とする家臣達が、水没している地下牢へと潜る。

 朧もそれに協力する為、司が入っている牢に張ってある結界を解いた。

 地下牢階段の前で、渚と朧が状況を無言で見守る。

 その背後には念の為、数名の家臣が控えていた。

 やがて潜水していた家臣達が戻って来た。

「司は!?」

 渚が真っ先に声をかけたが。

「おりません」

「え?」

「?」

 家臣の言葉に、渚と朧は一瞬理解できずにいた。

「隅々まで入念に捜索致しましたが、司様の姿はどこにもありませんでした」

「いない……?」

「どういうことです!?」

 朧と渚が口を開く。

「それは間違いないのか!」

 珍しく朧が声を大にする。

「はい、間違いありません!」

 朧の様子に、家臣は恐縮する。

「脱走……でしょうか」

 渚の言葉に、朧は険しい表情を向ける。

「しかし一体どのように!」

 無力な上に水没した地下牢。

 司は水が得意でもない。

 寧ろ、結界の張られた牢獄からどのように脱出できようか。

 だがそもそも、一体どうして地下牢が水没しているのかという謎。

 誰もが頭を傾げざるを得なかった。




 一方その頃、例の司はというと。

 この社に身を置く巫女、(つづり)が用意した肉料理にがっついていた。

 そんな司の元に、陰陽師である藤原霞(ふじわらかすみ)が恭しくやって来た。

「司様。この霞に一つ、提案が」

「何だ」

 司は肉に食らいつきながら霞を睨む。

「私の知り合いの妖怪に、天狗がおります。そちらへ行ってみませんか」

「天狗だと……?」

 司は怪訝な表情を浮かべた。



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