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其の佰拾壱:旅館に集いし妖



“失礼します。司様”

「何だ虫ケラ。少しは先に進んでいるのか」

 手の平ほどの水たまりが淡い光を放ち、水面に狩衣姿の女の顔が浮かび上がるが、(つかさ)は覗き込もうともせずにぶっきら棒に口にする。

 人狼国の地下牢獄。

 司以外、誰もいない。

“その前に司様に、是非お伝えしたいことが”

「くだらん情報ならいらねぇ」

“いえ、犬神の皇の件で”

「犬神の……?」

 司は牢獄の岩壁に背凭れたまま、眉宇を寄せる。

“はい。突然強烈な妖気を感じた為、その現場を水鏡で覗いて知ったことですが、あの犬神……人狼国を狙っております”

「何だと……!?」

“人狼元皇后を連れ去りました。何でも、人狼国を乗っ取る為に必要だと”

「――話が違う! あの田舎娘を殺せば人狼国から完全に手を引くというのが条件だったはず!」

 司は束の間言葉を失ってから、体を岩壁から離すと声を荒げる。

“何でも、元皇后に犬神と人狼の混血を産ませて、人狼の血を犬神に浸透させ、ゆくゆくは人狼国を乗っ取ると”

「!? だから俺にあの女を殺させたのか! あの女の人狼の魂を手に入れる為に! 俺はまんまと利用されたわけかよ!」

 司は怒鳴ると足元の湿土に拳を叩き込んだ。

 しかし、妖力封印を施されているので司の拳では湿土はただ、司の与えた衝撃を吸収したに過ぎなかった。

「今のままでは、あのクソ犬に抵抗できねぇ……」

 司は忌々しそうに、自分の首にはめられている妖力封じの数珠に手を当てる。

「……虫ケラ」

“はい”

「お前……水を操れるよな」

“多少は”

「水を通してそこの人間界への道は作れるか」

“は……しかし水たまり程度では、司様が通れないのでは……”

「いや。この地下牢に大量の水を送り込んで道を作れ。ここから脱出する」

“!? はい!!”

 女――(かすみ)は思いもよらない司の提案に、思わず体を弾ませる。

「この地下牢が沈むくらいの水量をこの水たまりから注ぎ込め」

“仰せのままに!”

 陰陽師である霞は、早速手で印を結び始めた。

“溢れよ波濤。現れよ水流道……”

 すると手の平程の大きさだった浅い水たまりが、まるで湧き水のように泡噴いてきたかと思うとそれはどんどん膨れ上がり、徐々にこの地下牢は水に浸り始めた。

 やがて水はすっかり司を飲み込み、この地下牢の天井にまで達した。

“彼の者をこちらへと導け!”

 直後、司のいる場所に大渦が発生し、司を中へと引きずり込んだ。


 それは真横から見ると、まるで餃子の皮のように薄っぺらいものだった。

 しかし上から覗き込むと水が満たされている。

 一見浅く感じられるが実はどこまでも深い。

 人一人が入れるくらいの大きさで丸い円形をしている。

 それが祭壇のような場所に五十センチ程の高さに浮かんでいた。

 陰陽師、藤原霞(ふじわらかすみ)が使用している水鏡だ。

 水がある場所ならどこにでも繋がっていて、この水鏡からいろんな光景を霞は視ることができるのだが。

 突然水鏡が大きな水しぶきをあげたかと思うと、勢い良く司が姿を現した。

挿絵(By みてみん)

 紅の髪色に黒い獣耳と尻尾の外見だ。

 水面から顔を上げ空気を口から取り込むと、転がるようにして司は水鏡の外へ出る。

 ドタンと床の上へと落下する司。

「司様!!」

「妖力がねぇと人間界(ここ)に来るのも一苦労だな」

 司はぼやきながら大きく体を振るって水滴を飛ばす。

 そして改めて周囲を見回してから、ふと自分の側に駆け寄っている霞へと目を留める。

「でかした虫ケラ」

「はい!」

 司の言葉に、霞は片膝を突いた姿勢で顔を深く伏せる。

「ようやく自由を手に入れた……後はこの忌々しい妖力封じの解放と、あの田舎娘に奪われた妖力を回復させねぇとな」

 司は立ち上がると、大きく伸びをする。

 室内の床はすっかり水浸しだったが、司は気にしない。

 これを、一人の巫女姿の女が雑巾でせっせと拭きあげていたが、やはり司は気にする様子もない。

「俺が力を取り戻すまで、ここに身を隠す」

「はい。身の回りは全て我らが」

「当然だ」

 霞の言葉に、司は悪びれることなく吐き捨てた。

狗威獣右衛門白露いぬいじゅうえもんはくろ……次は見逃すことなく殺してやる。わざわざ転生しやがった、あの田舎娘も一緒にな」

 司は鋭利な光を宿した目で言うと、自分の黒い爪をペロリと舌先で舐めるのだった。




「これがカエル、そしてこっちが風船ウサギ」

 壱織(いおり)は完成した折り紙を此花(このはな)に披露する。

「おお! この風船ウサギは可愛らしいのぅ。まるで紙風船のように遊べる」

 此花は喜びはしゃいで手の平の上で、風船ウサギをポンポンと弾ませる。

「壱織は凄いのぅ。いろんな物が折れる」

「まぁな。五百年以上も生きてりゃこれくらいは」

 そう語る壱織と此花の周りには、いくつもの折り紙が囲んでいる。

「楽しいのぅ。壱織は初めて妾をここまで喜ばせてくれた初めての者じゃ」

 此花は満面の笑顔を見せた。

 超絶潔癖症の壱織ではあるが、どうやらケダモノ系でもなく神格妖怪である此花を、毛嫌うことはないらしい。

 此花に引き止められて、壱織もまたこの温泉旅館に滞在していた。

「ガキ相手にこれくらいは当然だぜ」

 ……言葉遣いは相変わらず悪いが。

「主、そう何度もこの妾を小童扱いしておるが、これでも四百年以上は生きておるのじゃぞ!」

 此花はスクと立ち上がったかと思うと、片足だけでクルンとその場を一回転した。

 気付くと、そこには十代の年頃娘が立っていた。

「え? 此花か?」

 壱織はキョトンとする。

「そうじゃ。妾じゃ。本来の姿はこれじゃ。年齢を操れるゆえ、普段は小童姿でおるがの」

 此花は片手を頭に、もう片手を腰に当てて軽くポーズを取ると、壱織に飛びついた。

「ぅわっ!」

 座った姿勢のままでいる壱織は、咄嗟に畳の上で後ろに両手を突く。

「壱織がこちらの姿を望むなら、このままでおるぞ?」

「何だそりゃ」

「妾は、壱織。主に心奪われてしもうたようじゃ……」

「え゛っ!?」

「大好きぞえ壱織。妾を主の女にしてくりゃれ」

 動揺する壱織を、此花は甘えた声で抱きしめる。

「いきなり何言ってんだお前は!」

「妾は異性を愛したことはまだ一度もないが、きっとこの気持ちこそを愛と呼ぶのじゃろう……」

「ちょ、待て、落ち着け」

 壱織は戸惑いながらも心臓が早鐘を打つ。

 するとふと、此花が壱織の肩から頭を上げる。

「おや、珍しい客人じゃな。来い壱織。出迎えるぞ」

 此花は立ち上がると壱織を促す。

 今まで壱織はそのナルシストから周囲の女を意識してはいたが、今回の事態は初めてだった。

 しかもどういうわけか、ついさっきまでは子供相手としていたのに今は、此花を異性として意識してしまっている自分に戸惑いを覚えながらも、壱織は気を取り直して立ち上がると此花の後に続いた。


「やはり主か和泉(いずみ)。ようこそ我が家へ。社を出て外出とは一体どういう風の吹き回しじゃ?」

千晶(ちあき)達に会いに来たんだよ此花。事は急を要したものだからね」

 旅館の玄関先で出迎える此花。

「ふむ。一緒におるのは信州戸隠の者じゃな?」

「ああ。お互い初めてだね。紅葉(もみじ)というんだ。よろしく」

「うむ。妾は此花じゃ」

「おや。君もまだ一緒だったのか壱織」

「此花が帰してくれねぇもんでね」

「すっかり気に入られたな」

「ああ……」

 悪戯っぽくほくそ笑む和泉に、壱織は一瞬顔を赤らめる。

「では付いて来い」

 此花は踵を返すと壱織と並んで、和泉と紅葉を引き連れて歩き出した。

 ――「爛菊(らんぎく)、千晶。おるかの? 此花じゃ。入るぞよ」

 すると部屋の中から爛菊が返事する。

「どうぞ」

 これに促されて、みんなは室内に入る。

 朝食も終えた二人は、もう自分の衣類に着替えてお茶を飲みながら寛いでいたが。

 此花の姿を見て爛菊が目を丸くする。

「……此花ちゃん?」

 女児から十代少女に成長した外見の此花は頷く。

「うむ。妾の本来の姿じゃ。それより……」

 此花の言葉を、千晶が遮る。

「一体何だ朝からぞろぞろと。和泉と紅葉まで一緒とは。飛鳥(あすか)お前、まだいたのか」

「悪ぃか!」

 千晶の言葉に言い返す壱織。

呉葉(くれは)、ご当主様が外出を許可したの?」

 爛菊が紅葉の存在に疑問をぶつける。呉葉とは紅葉の本名だ。

 彼女に訊ねられて、紅葉はゆっくりと頭を横に振った。

「いや……嶺照院忠吉れいしょういんただきちは死んだよ。犬神の皇、狗威獣右衛門白露の手によって」

 紅葉の発言に、爛菊はビクリとして顔面蒼白となる。

「犬神の――皇……」

 この様子に、千晶は怪訝な顔をした。

「犬神がどうしてまた?」

 これに和泉と紅葉は改めて二人の前に腰を下ろす。

 壱織と此花もまた、それに倣った。



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