其の拾壱:夜景に響く野生の遠吠え
「大変だよアキ! ランちゃんが!!」
『!? 爛菊がどうかしたのか!』
「満月を見て狼に変身してどこかに行っちゃった!」
『そんなバカな!』
鈴丸の携帯電話からは、千晶の驚愕の声が響く。
「僕もまだランちゃんはただの人間だからと思って油断していた! 何で普通の人間のはずのランちゃんが狼に変身できるわけ!?」
『とにかく俺もそっちへ行く。場所はどこだ!』
「デパートに行く途中にある公園に今僕はいるんだ。でもランちゃんはいない。探さなくっちゃ!」
『鈴丸、お前は俺が行くまでそこで待ってろ!』
この公園から千晶の家までは五分から十分程の時間だ。
通話を終えた鈴丸は、そわそわしながら千晶の到着を待っていると、何と一分程で千晶が公園に走って来た。
そのスピードは尋常ではない。これも妖の力ということか。
狼は一度走り出したら、どこまでも長時間走り続けることが可能だ。
なのでその脚力とスタミナ、スピードを人狼である千晶も兼ね備えている。
「鈴丸!」
「アキ! ランちゃんは向こうの方へと走って行ったよ!」
鈴丸は千晶の姿を認めると、北の方角を指差した。
「よし、探して捕まえるぞ! 初期変化で行く。来い鈴丸!」
「OK!」
そうして二人は狼と猫の耳と尻尾をそれぞれ出現させた。これを初期変化と言うらしい。
こうなることで、普段人間の姿でいるよりも倍の妖力を発揮できる。
更にはコントロールすれば一般の人間から彼らの姿が見えなくなると言う特典もあり、そのスピードを遠慮なく出すことができる。
千晶は鼻を利かせて爛菊の匂いをキャッチすると、鈴丸を連れて駆け出した。
公園の植え込みを軽々と飛び越え、表通りの片道四車線もある大道路を走る何台もの車をも二人は軽々と飛び越えて行く。
しかしその車の往来で爛菊の匂いが分散されていた。
千晶が舌打ちすると共に立ち止まるのに気付いて、彼の先に飛び出していた鈴丸も千晶を背後に立ち止まる。
「いくら狼に変身したとは言え、今のあいつは所詮はただの狼だ。本能を利用する」
「本能? ま、まさか……」
ギクリと緊張する鈴丸を無視して、千晶は早速実行に移した。
「ゥゥオオオオオオオオーン……!!」
すっかり暗くなった満月の明かりの下で空に向かって遠吠えをした千晶に、少し離れた先にいた鈴丸はビビビと二俣の尻尾をブラシのように逆立てた。
猫の本能的に、犬科のこうした行為は苦手のようだ。
しかし猫もまた集団になると独特の遠吠えをするのだが、狼とはまた鈴丸にとっては違うらしい。
するとそれに応えるようにまた見えないところから、別の狼の遠吠えが聞こえてきた。
ハウリングすることで相手に自分の居場所や立場、状況等を知らせる合図だ。
「爛菊のテリトリー表示だ。構わず捕まえに行くぞ鈴丸!」
「わ、分かった……」
冷や汗と共に二俣の尻尾を相変わらずブラシ状態にしたまま、駆け出した千晶の後を鈴丸も追った。
「この二キロ先にいる」
千晶の言葉に、鈴丸は無言で首肯する。
二人はまるで空を飛ぶように素早く、住宅やビル等の間を突き進んで行く。
すると二十階建てのホテルが見えてきた。
「見つけた! あのホテルの屋上にいる!」
鈴丸はオッドアイの双眸の瞳孔を開いて猫の目を活かす。
そして千晶と共に建物の屋根を駆け抜けながら鈴丸は、ホテルの屋上を指差した。
「よし。捕獲だ」
二人は足場になる建物を使ってホテルの屋上へと飛び上がる。
千晶はその跳躍を活かしたまま、屋上の縁から眼下の街並みを見下ろしている狼へと飛び掛った。
「!? ゥオオン! ガゥッ! ガアアァ……!!」
狼に変身している爛菊は、激しく千晶に抵抗して牙を剥く。
「爛菊……! やはり凶暴化して自分の意識をなくしているのか!」
「どうするのアキ!?」
「仕方がない」
千晶は狼姿である爛菊の顎下に手を当てて素早く押し上げると、クルリと引っ繰り返してその背中を屋上の地面の上に叩きつけた。
「ギャウ!!」
爛菊は小さく悲鳴を上げる。
しかし気にすることなく千晶は、そのまま仰向けになっている彼女――狼の鳩尾に拳を叩きこんだ。
「ガ……ッ!!」
爛菊は一瞬悶えると、束の間体を硬直させてからガクリと全身の力を抜いてその四肢を地面へと投げ出した。
「ランちゃん!?」
「大丈夫。気を失わせただけだ」
すっかりおとなしくなって横向きに倒れている狼の傍らに、片膝を突いた姿勢で千晶は言った。
彼女の容貌は普通の狼と同じ大きさで、真っ白な毛並みをしていた。
「この様子から見る限り、爛菊は妖力を使用して変身したわけではないな。妖力を使っていれば本当の爛菊の姿はこれよりももっとずっと立派だからな」
「ふぅ~ん。まぁそもそもランちゃんにはまだ妖力は備わってないしね。でもじゃあ一体どうやって変身したんだろう?」
鈴丸は後頭部で両腕を組んでから疑問を口にする。
「分からない……詳しくは明日、和泉に聞きに行こう」
「そうだね。で、いつまでランちゃんはこの姿でいるんだろう?」
「月が沈むまでだろうな。しかし満月で狼に変身するとは何て惰弱なんだ。俺達人狼は月に左右されないのに。せいぜい妖力が増して強化するだけなんだが」
「しかも自分の意思もなかったみたいだしね」
千晶は気を失っている白き狼を抱き上げると、鈴丸と一緒に元来た道を戻って建物の屋根の上を駆け抜けた。
そして家に戻ると、千晶は自分の寝室の中でまだ狼姿の爛菊に首輪と鎖でつなぎ、尚且つ大型犬用のケージの中に彼女を閉じ込めた。
爛菊はまだ意識を失ったままだった。
「月の入りまでまだ先が長いね。どうする? 今夜の晩御飯」
さっきまでの騒ぎから一転、もう鈴丸は専業主婦の意識に戻っていた。
「俺は爛菊の側にいるから、お前は買い物の続きに行って夕食を作れ」
「えー! 今夜くらいデリバリーでいいじゃーん!」
抗議する鈴丸に、千晶はリビングのソファーに身をゆだねて、平然と言い放つ。
「お前は俺の下働きだろう。何だったら今夜はケン●ッキーでもいいぞ。たまには鶏肉もいい」
「ホント!? それなら今夜僕が作らなくてもいいね。あそこも配達してくれたらもっと楽なのに。あ、ついでだからピザも別に注文しようよ! チキンだけじゃ足りないでしょ?」
「好きにしろ」
「よし、じゃあ決定ねー。んじゃ、行ってくるよ。ピザは行きながらでも携帯電話で注文しとくから、配達が僕より先に来たら対応宜しくー」
こうして改めて鈴丸は買い物へと出かけていった。
彼を見送ってから千晶は、もう一度自分の寝室へと向かう。
そしてケージの中で横たわる白狼の爛菊を、ゲートを開け手を差し入れるとその毛並みを感じながら優しく撫でた。
「爛菊。お前の本当の姿はこんなものじゃない。本来のお前は、もっともっと気高く美しい――」