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其の佰捌:人の子と妖



 こうして狼と猫の奇妙な同居生活が始まった。

 家事がまったくできない千晶(ちあき)の身の回りを、鈴丸(すずまる)は器用に面倒を見た。

 掃除、洗濯、料理、買い物など、千晶に細かい点を注意する以外、鈴丸は文句一つ言わずにこなした。

 揃っていなかった家具や家電製品などを買い揃えて、生活感のある部屋にも仕上げた。

 妖力を使うのもいいが、人間界にいる以上は人間の生活に合わせろと、車も用意した。

 一見すると、とても猫又族長の息子の(あやかし)とは思えないくらい、人間界の生活に鈴丸は馴染んでいた。




「ただいま」

 夜の10時過ぎ、千晶が一人帰宅する。

「おかえりアキ。お風呂と夕飯の支度はできてるよ」

「ああ。飯にするよ」

 まるで夫婦の会話だ。

「ちゃんとあの子、眠った?」

 鈴丸は言いながら、キッチンで料理を温める。

「ああ」

 千晶は首肯した。

 下校後、千晶は毎日嶺照院(れいしょういん)の屋敷へと足を運び、庭の茂みから爛菊を見守った。

 夕食を済ませ、入浴し、宿題などをして二十一時には、就寝する主に合わせて爛菊(らんぎく)も与えられた自分の部屋にこもるが、周囲が寝静まると中庭に一人こっそりと出てきて爛菊は自由の時間を過ごしている。

 その時に唯一、一人となる爛菊に千晶は金狼姿になって傍らに一緒に付いていた。

 勿論、金狼姿の千晶を人間である爛菊には視認できない。

 それでも千晶は、中庭に出てくる爛菊を待ち兼ねて、一緒に寄り添っている。

 爛菊の表情は相変わらず無に等しいが、自由時間を彼女なりに過ごしていた。

 月が浮かぶ星空を見上げたり、庭の植物を見て回ったり、時には呟くような小さな声で人間界の童謡を口ずさんだ。

 こんな彼女の傍らにいる時が、今の千晶にとってささやかな幸せだった。

 そして二十二時には床に就き、彼女が寝入るまで千晶は庭から見守った。

 勿論、室内に入れるわけではないので――その気になれば入れるが敢えて千晶はそうしない――庭で聞き耳を立てて彼女の動向を判断している。

 和泉(いずみ)から言われたように、爛菊の方から近付くのを千晶はただおとなしく待っていた。

 彼女が眠ったのを確認してから、鈴丸の待つ家に帰るのだった。


「そういえばさぁ」

 ダイニングテーブルで遅めの夕食を取り始めた千晶の向かいに、鈴丸は牛乳の入ったグラスを手に座る。

「あの子がいると言う嶺照院ってとこ……僕、主を知ってるかも」

「今度はどんな関係だ」

 千晶は怪訝な表情をしてご飯を口に入れる。

「いや、直接的な関わりは全然ないんだけど、中高年の人なら誰でも知ってる有名人のはず」

「中高年……? 人で言うところの、約五十代辺りってことか」

「うん。アキが言うには、物凄いお屋敷に住んでるんでしょう? 多分権力者じゃないかなぁ」

「早く本題に入れ」

 千晶は口の中の物を咀嚼して嚥下すると、考え込んでいる様子の鈴丸に先を促す。

挿絵(By みてみん)

「僕の推測が確かなら、その嶺照院の主は政治家だよ。しかも三十年前に首相も経験してる……」

「つまり元総理大臣で今は隠居の立場の人間と言うことか?」

「多分ね。名前は嶺照院忠吉れいしょういんただきちだったかな。隠居した今でも裏で政治を操ってるとか何とか」

「そんな奴がどうやって爛菊と知り合ったんだ」

「さすがの僕にも、そんなことまでは分かんないよ。ただ、隠居した今でも、嶺照院当主を崇高している熱烈な支持者はまだいるみたい」

「なるほど。熱烈な支持者か……そこが一番怪しいな」

「つまりあの子の人間界での親は、嶺照院当主の支持者だということ?」

「おそらくな。熱烈なあまり、自分の娘を当主に嫁がせた。それが今の爛菊の立場かも知れないと思えば、合点がいく」

 これに鈴丸は納得したように、ポンと手を打つ。

「でなきゃ、あんなに美人な女子高生が老人の元へ嫁に行くはずがないもんね!」

 ただ、一体いくつの頃に爛菊が嶺照院当主に差し出されたのかが不明だが。

 本人の希望ではないのは最近少しずつ解ってきた。

 そのせいで、爛菊がすっかり心を閉ざし人形のようになってしまったことも。

 きっと必ず、爛菊の本心が分かる時が来る。

 その時こそが、彼女に近付く絶好の機会だと千晶は思っていた。

人間界(こっち)での爛菊の母親を探ってみるか。鈴丸、その時はお前も付き合え」

「アイアイサー!」

 鈴丸は敬礼してみせると、手に持っていたグラスの牛乳を一気に飲み干した。

 千晶も改めて箸を動かすと、豚の角煮を口に運ぶのだった。




 翌日の深夜。

「ねぇアキ……本当にここなの?」

 鈴丸が口元を引き攣らせて、あるビルを見上げていた。

 そこは、酒を提供して客をもてなすスナックビルだった。

 派手な看板が目立っている。

「ああ。人の子になった爛菊の肉体と同じ匂いがする。ここに爛菊の母親がいるはずだ」

 千晶は答えると、クンと鼻をひくつかせながらビルの中に入って行った。

 これに鈴丸は慌てて追いかけた。

 するとある一件の店の前で千晶が立ち止まる。

 エレベーターで三階へ上ったフロアだ。

 千晶はそのまま気にすることなく、店のドアを開けて中へと入る。

 カウンターの中には、ロングキャバドレス姿の女が立っていた。

 どうやらラウンジらしく、ボックス席などに雇われの女の子達が接客している。

 カウンターの女は千晶と鈴丸の入店に、愛想良く声をかけてきた。

「いらっしゃいませ」

 しかし千晶は顔色一つ変えることなく、真っ直ぐカウンターへ歩を進めると女の目の前の席に座った。

 鈴丸も彼の隣りに座る。

「お前に訊ねたいことがある」

「? お客さんとうちは初めてよね?」

 女の作り笑いの中から、怪訝そうな色が見えた。

「お前に娘はいるか」

「は? ……――いや、いないよ。うちは独身だし」

 答えた女は見る限りおそらく三十代前半くらいだろうか。

 だが千晶は強引に話を打ち込んだ。

「嘘を言うな。お前は間違いなく娘を産んでいるはずだ」

 千晶の気迫に、女は一瞬押し黙ってから嘆息を吐いた。

「誰から聞いたのよ」

「ちょっとな」

「あ、僕オレンジジュース」

 女と千晶の会話に鈴丸が割って入る。

 女はカウンターの下にある冷蔵庫からオレンジジュースを取り出すと、グラスと一緒に鈴丸へと用意する。

「若気の至りでね。小遣い欲しさに代理出産した赤ん坊が女の子だった」

「お金目的で代理出産?」

 鈴丸がグラスにジュースを注ぎながら訊ねる。

「そう。六百万円やるからって言葉に腹を貸したのよ」

「相手は誰だ」

 今度は千晶が訊ねる。

「赤ん坊の父親のこと? それは知らないね。何せ人工授精だったから。出産直後、その赤ん坊をうちが抱くことすらないまま、養育者という当時四十代くらいの夫婦が連れて行ってしまって、それきりよ」

「その養育者の名前は覚えているか」

「原辺」

「ハラベ?」

「うん。うちがプチ家出した時に突然街で、代理出産を頼めないかと声かけられてね。六百万は当時のうちには大金だったから、安易に請け負ったのよ」

 女は煙草を取り出すと、口に咥えて火を点け紫煙を吐き出す。

「プチ家出って、それ君、いくつだったの?」

 鈴丸が小首を傾げる。

「十六歳」

「十六歳で代理出産!?」

 平然とした様子の女の言葉に、鈴丸は驚愕する。

「うちは別に後悔してないから、どうでもいいしね」

「ぅわ……人間の女って怖い……」

 鈴丸は小さく呟いてから、オレンジジュースを口にした。

 ちなみに女は美人ではあったが、爛菊とはまるで似てはいなかった。


 原辺と言う養育者はすぐに見つかった。

 やはり嶺照院忠吉の熱烈な支持者だった。

 十歳まで原辺夫婦が爛菊を育て、嶺照院に献上したのである。

 金目当ての生みの親に、まるで物のように扱う育ての親。

 人の子として生まれた爛菊の人生は、悲惨で最悪だった。




 こうして月日は流れ、爛菊十七歳の二月。

 梅の季節のことだった。

 爛菊はついに嶺照院の庭で千晶と出会う。

 金狼姿の千晶に、勿論この時はまだ爛菊には彼の姿が視えていなかったが。


 だったらいっそう――獣にでも身を捧げた方がまだいい……。


「その言葉、確かか」

 爛菊の強い心の声が千晶へと届いた瞬間だった。

 金狼姿のままで千晶は、彼女に姿を視せることのないまま訊ねた。

「俺は(あやかし)、そして獣なる者。女、お前は今宵の月夜を恐れるか」

 千晶は爛菊の耳元に口を寄せてそっと囁く。

 言葉を交している内に、爛菊の目から涙が零れているのに気付き、千晶はそれを舐め拭った。

 この後千晶は、爛菊から約束の証の白梅の小枝を受け取る。

「約束しよう。後日、その純潔なる乙女を貰い受ける」

 こう言い残して千晶は、風のように爛菊の元から立ち去った。


「爛菊……この時を待っていた。自ら俺の元へと来るのを。全ては明日。今はゆっくりと眠れ……」

 千晶は高層ビルの屋上で呟くと、満月に向かって遠吠えをするのだった。



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