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其の佰伍:人への転生



 到着したのは、この上ない大豪邸だった。

 純和風な日本家屋の造りで門から玄関までが遠い。

 表札には“嶺照院(れいしょういん)”とある。

 どこかで聞いたことのある苗字だが、千晶(ちあき)は思い出すことなく車は玄関前に到着した。

 運転手が車から降りると反対側に回って後部座席のドアを開け、爛菊(らんぎく)が降車する。

 千晶も車の屋根から飛び降りると、彼女の背後に付いた。

 相変わらず無表情のまま爛菊は玄関の戸を開ける。

 そして控えめな声を爛菊は発した。

 そこからは一切の感情が感じられない。

「ただいま帰りました」

「お帰りなさいませ爛菊様」

 この返事に千晶は爛菊の向こうを覗き込む。

 するとまるで一部屋分の広さはあるだろう玄関に、三人の女が三つ指突いて頭を下げていた。

 爛菊専属の使用人のようだ。

 爛菊に続き、千晶も金狼の姿で玄関に入ろうとした。ところが。

 バシン!!

 漏電のような音とともに千晶は外へと弾き飛ばされてしまった。

「ク……ッ! 何……!?」

 千晶は呻きながら上体を起こす。

 爛菊や使用人達はこの出来事にまるで気付いておらず、そのまま玄関の戸は閉められてしまった。

 千晶は玄関の周囲を見回してみると、軒下にお札が貼られていることに気付く。

 これでは家の主に招かれない限り、中へ入ることはできない。

 ひとまずこの屋敷の周辺を調べてみようと、千晶は気を取り直して庭の方へと歩を進める。

 庭に出てみると、池があり見事な鯉が泳いでいた。

 そこに一人の男の老人がエサを撒いている。

 少しすると、この庭に面した縁側に制服姿のままの爛菊がやって来た。

 彼女は正座をすると三つ指を突き、老人へと声をかけた。

「帰りましたご主人様。爛菊でございます」

 これにゆらりと老人は体ごと振り返る。

「おお……お帰り爛菊」

 足元にある杖を拾い上げると老人は、笑顔を浮かべのろい足取りで爛菊の元へと歩き始める。

 何せ広い庭についでこの足取りだ。

 老人が三つ指突いたままの爛菊の元に到着するまで、ゆうに三分は要した。

 もうそろそろ車椅子が必要そうだ。

「わしのかわいい愛する爛菊や。もうすぐ中学を卒業じゃな。そうすればお前も十六歳。その時に婚礼の儀式を挙げれば、はれてわしとお前は夫婦になるのぅ」

「はい、ご主人様。わたくしもその時が待ち遠しゅうございます」

 爛菊は自分の頬に片手を当ててきた老人の手に、自分の白魚のような手を重ねたがやはり表情はまったくない。

 この二人のやり取りに強い衝撃を受けたのは、庭から様子を窺っていた千晶だった。

 婚礼……、夫婦だと!? こんな枯れ枝のようなジジイと!?

 てっきり祖父と孫の関係かと思っていたが、違うようだ。

 千晶は戦慄を覚える。

「お前が十六歳になってから夫婦となるが、初夜を迎えるのは爛菊が成人になってからじゃ」

「はい、ご主人様……」

「さぁ、そんな露出度のある制服から清楚ある着物に着替えてきなさい」

「はい。では、失礼します……」

 正座の姿勢のままだった爛菊は、相変わらず人形のように無表情のまま、ゆるりと立ち上がると屋敷の奥へと姿を消した。

 老人にとってはスカートである制服姿はあまり好ましくないようだ。

 老人は縁側から中へと上がると、ヨボヨボとその先にある和室部屋へ入ってリクライニングチェアに、ヨイショとばかりに体を預けた。

 ――例え人の子に生まれ落ちようとも、爛菊をあのような枯れ果てた老人などに抱かせるわけにはいかない!!

 咄嗟に千晶は縁側に上がり込もうと走りだしたが、しっかりと再び弾き飛ばされてしまった。

 どうやらこの屋敷は、いたるところに札を貼っているようだ。

 人間の年寄りは、よくお寺や神社へ参拝に行くのを好み、その都度持ち帰るお札を家に貼っている者が多い。

 この屋敷も例外ではなかった。

 おかげでしっかり魔除け効果が発揮されている。

 千晶は起き上がりながらふと冷静になる。

 初夜を迎えるのは成人になってからと言うのなら、今の爛菊は十五歳。

 数え年で十六歳だとしても、あと四年は有余があるではないか。

 ならば、さりげなく爛菊へと近付いて彼女の方から自分の元へ来るように仕掛けていけば、何も慌てて強引に彼女をさらって拒絶される確率を考えると、その方が一番の近道ではないだろうか。

 人の子として生まれ変わっている以上、おそらく前世の記憶もないだろう。

 今、千晶が出て行ってもすんなりと物事が運ぶとは考えにくい。

 爛菊が自分の存在を受け入れるまでの間、この人間界に身を置こうと千晶は考えた。

 そうと決まれば。

 千晶は嶺照院の敷地から出ると、離れた場所にある高層ビルへと駆け出した。

 そして屋上へと移動すると遠吠えをする。

 数秒後。遠くの空から別の遠吠えが返ってきた。

(なぎさ)か」

“念話を使ってくるとは何事ですか兄上”

「ちょっと野暮用ができた。少しの間、渚。お前が帝代理を務めてくれ」

“え? 今兄上はどこにいるのです?”

「人間界」

“人間界――!? もしかして爛菊妃が転生したのは人ですか!?”

「まぁな」

“まぁなって、一体どうするつもりなのですか兄上!?”

「さぁな。とりあえずまた後で連絡する。じゃあな」

“ちょっ! お待ちください兄――!”

 だが千晶は渚との念話を強引に終了させてしまった。


「兄上? 兄上! ……――まったく……」

「如何がされました。渚様」

 嘆息吐いている渚の様子に、用事を済ませてたった今戻ってきた(おぼろ)が訊ねてきた。

「朧」

 渚は彼に気付くと周囲を見回して誰もいないことを確認してから、重々しく口を開いた。

「兄上が爛菊妃を見つけたようです」

「やはり爛菊様は復活されておいででしたか……」

 朧の胸が密かに高鳴ったが。

 次の渚の言葉でそれは驚愕に変わることになる。

「ただし、やはり問題が」

「よもや別の種族の(あやかし)に……?」

「いいえ。爛菊妃が転生したのは、人です」

 これに一瞬、朧は耳を疑う。

挿絵(By みてみん)

「……人、ですと?」

「そうです。ただの無力な人間です」

「人間――何と……!」

 さすがの冷静沈着で寡黙に無表情な朧も、その黒い双眸に動揺を見せた。

「それで、帝は!?」

「僕に少しの間だけ帝代理を務めるよう言ってきました。その間兄上は、人間界に身を置くと」

「人間界に……一体帝はどうされるおつもりか」

「具体的なことは何も言いませんでした」

「人間……人の子に」

 渚と朧は改めて嘆息を吐いた。

「渚様……ひょっとして帝は……」

「僕も思いました。兄上はもしかして、人の子となった爛菊妃を……我々人狼族に感染させようと考えているのではと」

「ご無体な!」

 自分が思っていることと同じことを渚が口に出した内容に、朧はつい声が大きくなってしまった。

 人間がもし人狼に噛まれると、感染して同じ人狼になるのだ。

 だが、この場合その人間は意思を失ってしまう。

 つまりはあやつり人形みたいなものだ。

 そうして人狼になった人間を、人狼族は“傀儡(ぐぐつ)”と呼ぶ。

 傀儡化した人間は、人格は勿論のこと魂さえも失うとも言われている。

 感染により肉体だけが動いていて、最早死人と変わりない。

 つまりは外見がそのままでも、傀儡人狼は中身がなくなると言うわけだ。

 これは先代の帝の時代まで許されていて、奴隷として扱われていたが千晶が帝になってからは以降、禁止していた。

 その禁止した張本人である千晶が、もしかしたら人に転生してしまった爛菊と一緒になる為に、実行しかねないかも知れないのだ。

 仮にもしそうしたとしたら、人狼国は傀儡皇后を迎える羽目になる。

 傀儡に皇后の証を与えることにも繋がる。

 渚はそれを恐れた。

 しかし朧自身は、爛菊が傀儡に落ちぶれることの方を一番に恐れた。

 それはもう、爛菊でありながらも爛菊ではなくなってしまうからだ。

「今すぐ帝を止めに、(それがし)は人間界に……」

「いいえ朧。ここは慌てず冷静に様子を見ましょう」

 踵を返した朧を、渚が引き止めた。

「しかし、もし傀儡化してしまうと例え人の子となったとは言え爛菊様の魂は……!」

「自分の代で傀儡人狼を禁止させた兄上です。しばらく人間界にいると言うのだから、何か策があるのかも知れません。傀儡化するのであれば今ここに、もう人の子の爛菊妃を連れて戻って来ているでしょうからね」

「然様でありましょうか……」

「ここは兄上を信じてみましょう」

 渚の言葉に、朧は従わざるを得なかった。

 一方渚の方も、ある覚悟をしていた。

 もし千晶が爛菊を傀儡化させた場合は、今度は自分がその彼女を始末する時だ、と……。

 人狼皇后に傀儡を迎えるわけにはいかない。


 こうして千晶は人間界で生活することになった。

 少しでも多く爛菊の側にいる為に、千晶は彼女が通うことになる高校教師として。



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