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其の佰弐:突然、あっけなく



「だから何だ」

 (つかさ)は相変わらず仁王立ちしたまま、苛立ちを募らせる。

 白露(はくろ)も座ったまま手にしていたキセルの先を、司に向ける。

「仮にも神を名乗る立場が我々を侮辱する童歌を、平然と(うた)っている。それが赦せなくてね。どうせ同じ“神”を名乗るのであらば、立場を変わってもらおう。そう思ったんですよ」

「つまり俺ら大神に、謀反を働こうってことか!」

「まぁ落ち着いてくださいな司様」

 咄嗟に拳を構える司に、白露は両手を突き出して制する。

「これが落ち着いていられるか!!」

「今、帝はともかく皇后の着任について身内で争っていると聞いています。分かりますよ司様。あんたのその気持ち。どうです。どうせ身分のない素性、いっそその娘を殺してしまっては」

「何……!?」

「そうすればあんたが改めて選んだ身分ある女を、皇后にすることで人狼……いや、大神国はより良い安定を図れる」

「元々てめぇらが招いた惨事だろうがよ!」

 司は白露の胸倉に掴みかかった。

「では、いいんですか? 今の娘が皇后の座に正式に就いてしまっても。もし司様が選ばれた女であれば、皇后の器もしっかりした相手でしょう。なので我々は謀反を諦めましょう。ですが今の所詮田舎娘であれば……危うい足元、すぐにすくわれますよ」

「……っ!」

 司は歯噛みすると、胸倉を掴んでいた白露を突き飛ばす。

 白露の提案に乗るのは癪に障るが、ある意味一理ある。

 あんな身分のない娘など、いっそ殺してしまえば千晶も目を覚まして、こちらが用意した格式ある女を皇后にと考え直してくれるかも知れない。

 千晶はこれまで女遊びが一度もない。

 取り揃えた愛人達にすら見向きもしなかった。

 女選びには細かくてうるさく、こだわりがあった。

 父と母が薦めてきた女はどれも断って、自分で探すと見つけてきたのが爛菊(らんぎく)だった。

 あの田舎娘が城内を歩き回っているというだけでも鼻に突くのに、これで皇后の証を手に入れられてしまってはそれこそ虫酸が走る。

 聡明で立派だった前皇后である母親と、同格にしてしまいたくないのが司の気持ちだった。

 千晶は一途なところはあるが、本命に今死なれればまた新たに相手を見つけるしかないだろう。


 ――本来、狼の語源は“大神”からきているように、遥か昔の日本は自然崇拝の国だ。

 なので自然から神を敬い、そこから狼信仰が始まった。

 気高い雰囲気と力強い遠吠え、冷静に状況を見極める様は、まさに太古の人間からすると神の姿だった。

 だがあらゆる神がいる中でも、同じようにただの神とするにはあまりにも恐れ多いので、至高の存在として“大神”と呼んだのだ。

 こうして狼は獣の中で真っ先に神格化された。

 よって人狼は、妖怪の中で頂点に君臨している。


 だが神格化された狼の帝となったとは言え、千晶(ちあき)は前帝と比べてまだ未熟だった。

 当時、わずか百二十年しか生きていなかったからだ。

 その弟である司と(なぎさ)もまだ百十二歳。

 白露は人狼国の跡取りの未熟さを計算して、前帝と皇后を呪い殺したのだった。

「さぁ、どうしますか司様……クスクスクス」

 白露は司を煽りながら、愉快そうに笑う。

「てめぇの言うままに動かされる気はさらさらねぇが、これも兄者の為だ」

 司は言うなり、白露の頭を蹴り上げた。

「いいか。もし次にまたてめぇと会うことがあったら、その時はてめぇも死を覚悟しておけ」

 司は吐き捨てると、踵を返してその場を後にした。

 白露は畳の上に仰向けにひっくり返ったまま、愉快げな笑い声を上げるのだった。




 全身を漆黒の衣に身を包む長身の大男、人狼国の太政大臣を務めている暁朧(あかつきおぼろ)が城内の庭園に面した廊下を歩いていると、前方から司が歩いてきた。

 いつもと違って随分と険しい表情をしている。

 これに足を止めると朧はゆっくりと口を開いて低い声を発する。

「司様、査察お疲れ様でございます。いかがでしたか外の様子は」

「最悪だ」

 司は朧の前で立ち止まると、紅い髪を嘆息とともに掻き上げた。

「――と、申されますと?」

「祟り地が増える一方だ。だが原因をつかんだ」

「原因を?」

 司の言葉に朧は、無表情ながらもほんの僅かに眉根を動かして反応を示す。

 今まで不明だった原因が解かっただけでも、一歩前進だ。

 対処法を見つけることができる。

 原因を聞こうと口を開いた朧に、司は歩き出しながら通り過ぎざまに言い放った。

「女を集めろ。身分ある格式高い女だ」

「女……でありましょうか」

 朧は司の背後に声をかける。

 だが司は返事をすることなく行ってしまった。

 女――。

 朧は立ち止まったまま一人、司の後ろ姿を見送りながら思案する。

 祟り地の原因と女が何か関係があるとでも言うのだろうか。

 それとも、今の司の妾を入れ替えるとでも? 

 簡単に女を集めろと言われても、目的が分からない以上どういった好みを集めればいいのかも分からない。

 勿論、面接を行いはするが。

 だがそれよりも、祟り地の原因の方が今は大事なはず。

 なのにどうして司はそれ以上口にしなかったのか。

 もしかしたら、千晶と渚へ先に報告する考えなのかも知れない。

 

 この廊下はコの字形になっていて、砂利が敷かれ石が飾られた庭園を挟んで反対側の廊下も見通すことができる。

 朧が司とは反対側へと歩き出そうとした時、丁度女中を数人引き連れた爛菊が静々と歩いてきたので、思わず動きを止める。

 廊下を突き進んでいた司と彼女が遭遇する様子が見て取れた。

「これは司様……ほ、本日はお日柄が良く……」

 司に嫌われていると知っている爛菊は、引き着の衿の下端部分を掻き寄せると遠慮がちに小声で口にした。

 髪は両側を一房、脇に垂らして残りを肩にかかるくらいに緩やかに、後ろで一つにまとめている。

 頭を軽く下げる爛菊に倣い、女中達も頭を下げる。

「良くねぇよ」

 司は吐き捨てるように答えた。

 まだ資格を得ていない、建前だけの立場ではあるがそれでも皇后である爛菊の方が、例え王弟殿下である司よりも上だがお互い態度は以前のままだ。

 いい加減、太政大臣の立場から朧は、司の爛菊に対する態度を注意しなければならないと思っていた時だった。

「てめぇには生け贄になってもらう」

 誰もが司の言葉に耳を疑う中、黒い一閃が爛菊の体を袈裟懸けに走った。

 気付いた時には爛菊が鮮血を(ほとばし)りながら、倒れる瞬間だった。


「キャアアアァァァー!!」


 女中の悲鳴が上がる。

 司は黒くて鋭い爪を立てながら、自分の足元に崩れ落ちる爛菊を冷ややかな目で見下していた。

挿絵(By みてみん)

 朧の全身から、一気に血の気が引く。

「そ……そんな……っ!」

 喉の奥から低い声を絞り出しながら朧は、廊下から飛び降りると砂利が敷かれた庭を横切って反対側の廊下へ走る。

 そして倒れている爛菊の上半身を抱き上げたが、半眼の彼女の白銀の瞳からはすっかり光が失われていた。

 雅狼朝霧爛菊がろうあさぎりらんぎくは、こうして司の手によって死んだのだった。

 しかも突然に、あっけなく。

「爛菊様……っ、こんなことが……っ! 爛菊様! ああ!!」

 朧は爛菊の屍を抱きしめる。

 いつもは冷静沈着、寡黙で無表情の漆黒の大男が悲愴な面持ちで取り乱している。

 こんな朧を見たのは、司は生まれて初めてだったが。

「その取り乱しよう……まさか朧、お前この女のことを……?」

 束の間、司は呆然とした様子で朧に声をかける。

「一体何ゆえこのようなことを、司様!?」

 彼女の躯を胸に抱いたまま、一筋の涙を零して司を振り返る。

「ク……ッ! クックック……アハハハハハ! 朧よ! まさかお前がこの女を想っていたとはなぁ!!」

 司は怪訝そうな表情から一変して、愉快そうに腹を抱えて笑い出した。

「もっと早く知っていれば少しは別の手段を考えてやったものを! もう手遅れだな! とりあえずまぁ、こういうこった。さぁ、解かったらさっさと女を集め――」

 直後。

「グアァウゥッ!!」

 灰色の狼の姿になった朧が司に飛びかかり、廊下に押し倒した。

「何だ朧。この俺を殺ろうってのか。王弟である、この俺を!」

 司は紅い双眸を光らせて、牙をむく。

「グルルルル……ッ!!」

 朧は司の両肩を前足で押さえ込みながら、唸り声を上げる。

 だが、感情の裏に理性が働いて朧は思いとどまると、全身を振るって人型に戻った。


「どうした!?」

「何の騒ぎだ!」

 あちらこちらから騒ぎを聞きつけた家臣が駆けつけてくる。

 朧は仰向けで倒れたままの司を押さえ込みながら、溝落(みぞおち)に渾身の一撃を放った。

「グハ……ッ!!」

 司は体をくの字に曲げると、一瞬見開いた目で朧を見つめて気を失う。

「ご乱心だ。司様が……爛菊様を殺めた。縛り上げよ」

 ゆっくりと立ち上がった朧の言葉と目の前の光景に、駆け付けた家臣達は一同に動揺したが朧の命令に従って、気絶している司を縛り上げ始める。

 一報を聞きつけて千晶と渚も駆け付けた。

「爛菊っ! 爛菊っ!!」

 最早微動だにしない血塗れの彼女を抱きしめる千晶の姿を、朧は虚ろな瞳で見つめていた。



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