正義の見方【4】
門の頂上を跨ぎ越え、クレイシスは門の向こう側へと下りていく。
ラウルは感心するように軽く口笛を吹いた。
「驚いたな。貴族が門を越えるなんざ初めて見た。クルドに習ったのか?」
門の向こうの土地を踏みしめて、クレイシスはラウルへと振り返る。手の汚れを払いながら、
「いや。昔、姉さんに教えてもらったんだ」
「教えてもらっただと? こんなことをか?」
驚いた顔でラウル。
クレイシスは軽く笑うと言葉を続けた。
「昔の姉さんはすごくお転婆だったんだ。木登りの仕方から悪戯の仕方、家出の仕方に至るまで全部オレに教えてくれた」
「そりゃ初耳だな」
クレイシスはお手上げして答える。
「これはもう昔の話だ。今更だろう?」
「今更は今更だが」
視線を、屋敷の二階へと向けてクレイシスは過去を思い返すように表情を沈めた。
「姉さんはオレが爵位を受けた時を境に変わってしまった。ヴァンキュリアの女として、どの他家からもミ・レディと呼ばれるほどに。オレも歳を重ねるごとに世間体を気にして、こんなことはやらなくなってしまったけど。
それからだ。姉さんはあまり笑わなくなってしまった。まるで見えないマスケラを顔につけているかのように誰にも心を開かなくなってしまったんだ。そんな姉さんが再び心から笑うようになったのは、階級も何も持たない一人の画家に出会ってからだった」
ラウルは事情を察して真顔になる。
「それがモーディ・リアンだったってわけか」
視線をラウルへと戻し、クレイシスは無言で頷きを返した。そして言葉を続ける。
「嬉しそうに笑う姉さんを見て、オレは姉さんのこの幸せを守りたいって、そう思えるようになったんだ。だが相手は庶民。こんなことが両親に知られたら──」
「それで恋する姉ちゃんの手助けする為にこの屋敷を内緒で手に入れたってわけか」
クレイシスは静かに頷く。
「両親にはルーメルを雇って風景画を描かせる為の家だと説明した。そのルーメルがモーディ・リアンであることは伏せて、そして時々姉さんに様子を見にいってもらっていたんだ。ルーメルと貴族が一緒に居たところで誰も気には留めない。全ては順調だった。姉さんの婚約のこともあったけど、でもそれはオレがカラード皇国の姫と政略結婚すればどうにでもなることだった」
ラウルはぽつりと尋ねる。
「それで? 何があってモーディ・リアンは処刑されることになったんだ?」
微笑してクレイシス。
「バレたんだ。ある事がキッカケでラーグ卿に。
ラーグ卿がオレから屋敷を取り上げたのはそれが理由だ。最初にモーディ・リアンという絵師を姉さんに紹介したのはラーグ卿だ。きっとそのことで火の粉が降りかかることを恐れたんだろう。
──後はもう、言わなくてもわかるだろう?」
「助けなかったのか?」
「助けようにも助けてやれなかったんだ。ラーグ卿がオレの両親に変な風に告げ口してくれたお陰でオレはしばらくの間全権を失い部屋に監禁。姉さんは一月ほど別荘地に送られてそこで監視付きの軟禁。全てが解けた時にはモーディ・リアンはすでに処刑された後だった」
ラウルはきっぱりとクレイシスに言い放った。
「やっぱりお前は馬鹿貴族だな」
カチンときたクレイシスが不機嫌な顔で言い返す。
「馬鹿で悪かったな」
聞き流すようにして、ラウルは絵画を片手に格子を上り始めた。上りながら、
「馬鹿は馬鹿でも純粋で不器用な馬鹿だ。誰かさんそっくりにな」
頂上を越え、そしてそのまま地面に飛び降りる。そして手持ちの絵画をクレイシスに押し付け渡した。
「そんな生き方してっと、二十年後には十五のガキから『無駄に年食い駄目オヤジ』と呼ばれるようになるぞ」
アイツみたいにな。と、ラウルは幽霊屋敷の中にいるであろう誰かに向けて指を差した。
クレイシスの視線が屋敷へと向く。
屋敷の割れた窓から白いカーテンが、風も無いのにふわりとなびいた。
まるでクレイシスを屋敷の中へと手招いているかのように。




