誰にも言えない【16】
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沈む夕日に色づく街並み。
薄暗くなった無人の路地裏をティムは必死に駆けていた。
どこまでも、どこまでも。
いつの間にか脱げた靴もそのままに、血の滲む裸足で路上をひたすら走り続ける。
ティムは何かから逃げていた。必死に。
背後から声だけがティムをどこまでも追いかけてくる。
狩猟を楽しむかのような、そんな声が。
《逃ゲテモ無駄ダヨ》
ティムの中で記憶は途切れ途切れにしか残ってなかった。
記憶なく佇んでいた場所。
どうやって来たのか、まるで覚えていない。
ティムはそれが恐怖で仕方が無かった。
《ドコニ行クンダイ?》
「こっちに来るな、化け物!」
ティムは道端に転がっていた空き箱を背後の声に向けて投げつける。
空き箱は虚しく弧を描いて地面に落ちると音を立てた。
何もない空間。
ただ声だけがずっと追いかけてくる。
声が笑う。
それは愉快で楽しそうに。
ティムは落ち着き無く呼吸を繰り返しながら発狂気味に叫ぶ。
「おいらは誰も殺したくない! そんなことをしてまでお嬢様と一緒になりたいわけじゃないんだ!」
『そう』
もう一つ別の声が、ティムのすぐ近くで囁いてくる。それはとても残念そうに、
『だったらもう、彼女のことは諦めるんだね?』
その言葉がティムの思考をかき乱す。
ティムは苛立ちむしゃくしゃする気持ちを抑え込むようにして、自分の髪を荒々しく掻き掴んだ。
泣きそうになる声で小さく呟く。
「違う、そんなんじゃない。おいらはただ……」
《彼女ハ貴族。身分ガ違ウ。君ハ石コロ、彼女ハ宝石。イツマデモ手ノ届カナイ存在》
「うるさい! 黙れ!」
『臆病者、臆病者』
「黙れ!」
聞こえてくる二つの声に、ティムは両耳を手できつく塞いだ。
《ソウダヨ、ボクハ臆病者サ! ダカラ彼女ヲ奪エナカッタ!》
ティムの目から涙が零れる。
「おいらは臆病者なんかじゃない……臆病者なんかじゃないんだ!」
二つの狂った笑い声が頭の中に響き渡る。
そして、ティムの足元に乾いた音を立てて顔隠しが一つ落ちてきた。
『大丈夫。僕が君の味方でいてあげる。ずっと、ずっとね』
ティムの顔からフッと感情が消える。
足元のマスケラを拾い上げ、吸い込まれるようにしてティムはマスケラを顔へと当てた。
マスケラはティムの顔にぴたりと張り付き、表情を変化させる。
何かを嘲笑うかのように、不気味に口端を大きく吊り上げて。
マスケラはしゃべる。
道化の声で、
『そろそろフィナーレの幕開けといこうじゃないか。裁判者』
ティムは両腕を大きく広げた。
『さぁ、最後のショータイムだ』




