貴族と庶民【2】
エミリアは目の淵の涙を拭うと、応えるように笑ってみせた。
「うん、作る!」
「ありがとう」
「どこで作業する? ここでする? ──あ、そうだ。そういえば昨日ティムと下町を歩いていたら、とても綺麗な宝石屋さんを見つけたの。あーいうのを飾りで付けたらすごくかわいいと思うわ」
シンシアの表情から笑みが消えていく。
「ねぇエミリア」
「なぁに?」
「あなた、まだ下町に行っているの?」
エミリアは満面の笑みで頷いた。
「うん、そうだよ」
「ティムは庶民でしょう?」
「うん。だってティムはあたしの一番の親友なんだもん」
「エミリア。少し話したいことがあるんだけど、いい?」
きょとんとした顔でエミリアは小首を傾げる。
「どうしたの? お姉ちゃん」
「あなた、以前お会いしたフレデリック様のこと……覚えている?」
「え? 誰それ」
「この前私の家で開いたパーティで、あなたに話しかけてきた──」
「あー、あの時のおじさんね」
「エミリア」
シンシアに強い口調で叱られ、エミリアはハッと口に手を当てる。
「そ、そうだった」
「今の言葉は気をつけなさい。彼は爵位のある御方よ」
「え、えっと、あの伯爵様だよね。うんうん、顔だけは覚えている。その人がどうかしたの?」
「フレデリック様がもう一度、あなたと二人っきりできちんとお話がしたいそうよ。日取りも決めるよう私にお申し出があったわ。あの伯爵様の気を射止めるなんて、あなたあの時どんな話をしたの?」
エミリアは返答に困ってオロオロとした。
「え? 別に普通に……」
内心で続ける。
(クレイシス殿下のことについて聞かれたから答えただけだったんだけど)
シンシアは微笑する。
「あの御方なら私も安心して妹を紹介できるわ。階級も仕事も人柄も問題の無い方よ。お家も由緒正しいし、ヴァンキュリア公家の古参分家だから将来も安泰して過ごせるわ。
たしかに年齢はあなたよりもだいぶ年上だけど、大丈夫。きっと上手くやっていけるはずよ」
途端にエミリアは不機嫌に顔をしかめた。
「お姉ちゃん。もしかしてあたしがその人と結婚すると思っている?」
シンシアが真剣な表情になって言う。
「あなたももう結婚していい年頃よ、エミリア。フレデリック様との縁談が成立すれば、フレスノール家にとってこれほど喜ばしいことはないわ」
縁談。
エミリアは思い出す。三ヶ月ぐらい前に姉と見合いがしたいと突然訪問してきたクルドという怪しげな男爵とその黒猫のことを。
あれからもう三ヶ月も経つが、両親の話ではその消息は未だに掴めていないという。
それはともかく。
エミリアは不満を露にして反論した。
「あたし、絶対に貴族の人と結婚なんてしないから」
すると、偶然部屋に入ってこようとした母親がその話を耳にし、上機嫌に顔をほころばせる。
「あらあら。何の話で盛り上がっているのかと思えば、エミリアに縁談の話?」
シンシアは声を弾ませる。
「そうなの、お母様。あのフレデリック様がエミリアに興味をお持ちなの。私、とても嬉しくて」
「まぁどうしましょう。それは本当なの? シンシア」
「えぇそうよ、お母様」
盛り上がる二人にエミリアの不満は爆発する。地団駄を激しく踏んで、
「お姉ちゃん! 言っておくけどあたし、絶対に貴族の人と結婚なんて──」
「シンシア。その話、もっと詳しく私にも聞かせてちょうだい」
「えぇお母様。そちらへお掛けになって。エミリア、あなたもこちらへいらっしゃい」
「もう! だからあたしは──」
控えていた使用人がティータイムの準備をし始める。
シンシアと母親は椅子に腰掛け、色恋話や噂話に花を咲かせていった。
一人、離れた場所にぽつんと佇むエミリア。寂しく呟く。
「あたし、まだ結婚なんてしたくないのに……」
そんな時フッと。
エミリアの脳裏にあることが過ぎった。思わず胸元で静かに手を叩き合わせ、そっと口元を緩めてクスリと笑う。
「そうだわ。私もお姉ちゃんの時みたいにお見合いを始めればいいのよ。そうすればまたあのおじさんや黒猫ちゃんが会いにきてくれるかもしれない」
「え?」
「何か言いましたか? エミリア」
不思議に問い返す姉と母親に、エミリアは「なんでもない」と笑顔で首を横に振った。
きっとこれを言っても姉は信じないだろう。
あの日忽然と姿を消した姉の見合い相手が、実は今、下町の酒場に住んでいるということを。