誰にも言えない【6】
クルドの表情を見て、エミリアもやんわりと笑う。
「ねぇおじさん」
「ん?」
「黒猫ちゃんは?」
クルドは「さぁな」とお手上げして答える。
「どっか行っちまった」
小首を傾げてエミリア。
「家出しちゃったの?」
「家出というより家に帰っただな。あの猫はしばらく俺のところで預かっていただけなんだ」
「それって黒猫ちゃんが魔女を退治する妖精だったから? 事件が解決したから家に帰っちゃったってこと?」
「……」
間を置いて。
「は?」
クルドは顔を崩して問い返した。
エミリアは顎に手を当てて考える。
「あたしね、あれからいろいろと考えてみたの。おじさんが魔女を退治する人じゃないなら、もしかしたら黒猫ちゃんが魔女を退治する妖精なのかもしれないって」
頬を引きつらせてクルド。
「な、何をいきなりわけのわからんことを」
「そうじゃなきゃおかしいわよ。クレイシス殿下が見ず知らずの、しかも下流貴族のあたしのことなんて助けてくれるはずないもの。きっと黒猫ちゃんが絵本の中の出来事であるかのように王子様に変身して、それであたしのことを助けてくれたのよ、きっと」
「……」
説明に面倒くさく感じたクルドは「まぁいいや」と適当に彼女の話に相槌を打つ。
「大まかに言えばそんなところだ」
「やっぱりそうだったのね!」
嬉しそうに手を叩き合わせてエミリア。
クルドは内心で遠くどこかにいるであろう彼に話を丸投げることにした。
(悪いな、クレイシス。後はそっちでどうにかしてくれ)
でも。と、明るかったエミリアの顔が急に暗く寂しそうになる。
「おじさんはそれで平気なの?」
「何がだ?」
「黒猫ちゃんが急に居なくなって、おじさんは寂しくないの?」
クルドは肩を竦めて微笑する。
「元々俺は一人者だからな。去るものが去ってそれぞれ在るべき生活に戻った。ただそれだけだ」
期待した答えが返らなかったのか、エミリアはそのまま顔を俯けてしまった。ベッドから両足を交互に振りながら、
「魔女がいなくなったらみんな居なくなっちゃった。お姉ちゃんも結婚して家を出て行ったし、ティムも──下町のみんなも最近誰も会ってくれないの」
振っていた足を止め。エミリアは泣きそうな顔でクルドを見つめて問いかける。
「ねぇおじさん。また魔女にお願いしたら、みんな戻ってきてくれるかな?」
ため息を吐いてクルド。慰めるようにエミリアの頭を軽くぽんぽんとする。
「そんなことしても、もう誰もここには戻ってこない」
再び顔を俯けていくエミリア。ぽつりと呟く。
「こんな未来になるんだったらあたし、やっぱりあの時魔女に命をあげればよかった……」
クルドはそっとエミリアの頭から手を退けると、穏やかに彼女の名を呼んだ。
呼ばれ。
エミリアがクルドへと顔を向ける。
クルドは彼女の目を見つめ、優しく諭した。
「もしお前の中で黒猫のことを深く考える余地があるならば、あの時黒猫が何を思ってお前を助けたのか。そのことをもう少し真剣に考えてほしい」
視線を落としてエミリア。
「でもあたし、お姉ちゃんみたいな貴女になんかなれない。今まではずっとお姉ちゃんが一緒にいてくれたからここまでやってこられたけど、これ以上の暮らしなんて望めない。身分がどうとかお家柄がどうとかそんなことどうだっていいの。あたし、伯爵様と結婚なんてしたくない。ティムや下町のみんなとずっと一緒に仲良く遊んで暮らしていたいの」
そうひとしきり。溜め込んでいた思いを吐き出すように言って、エミリアは静かに言葉を続ける。
「黒猫ちゃんにね、『庶民で生きるのはやめておけ』って言われたの。でもあたし、庶民の暮らしがしたいの」
「庶民ってのは興味本位でなるもんじゃない。こんな良い暮らしをした後だと特にな」
「そんなことないもん。自分を押し殺さなきゃいけない貴族暮らしの方がよっぽど苦痛だわ」
クルドは肩を落として疲労のため息を吐いた。
「そんなに庶民になりたいのか?」
「うん」
頷き、エミリアはベッドから降りる。後ろ手を組んで歩きながら、
「誰とでも気軽に話してもいいし、言葉遣いや階級とか格式とか、そんな窮屈なこと全然気にしなくていいの。大声で笑ってもいいし、男の子みたいに歩いたり走ったりお転婆なことをしても何も気にしなくていい。食事のマナーも勉強も社交界の作法も、何もかもぜーんぶ庶民には必要ないんだよ?」
クルドはお手上げするように片手を挙げて、
「言っておくが、庶民はお前が思っているほど自由じゃない。縛りはないがルールがある」
小首を傾げてエミリア。
「ルール?」
「そうだ」
「例えば?」
クルドは微笑すると、
「大人になればわかる」
エミリアがぷぅっと頬を膨らませる。
「あたし、もう十五だよ? 大人なんだけど」
「あぁそうだな。確かに世間から見ればもう大人だ。だが俺から見ればまだまだ子供だ」
「……」
当たり前のことを当たり前に言われて、エミリアは少し戸惑いの表情を浮かべる。
「それって、あたしがおじさんくらいの大人になればわかるってこと?」
クルドは笑う。
「そうだな。お前が素敵なミ・レディになれば、きっと俺が言っていた意味もわかるだろう」
ミ・レディという貴族女性にとって最高の誉め言葉を言われ、エミリアの表情が途端に高調する。
「そう。わかったわ」
ぴっとかわいらしく人差し指を立てて、
「じゃぁあたしがおじさんと同じ歳になったら、その時にまた教えてね」
クルドはずるりと肩を滑らせた。




