第10話 情報収集
「……あの、この服なんか胸元に黒い染みがあるんですが」
「ただの染みだよ気にしない」
「いや、あきらかに心臓の位置なんですけど」
「わあ、最近流行の斑染めの服ってやつ? オシャレだよね」
約束通り私が着ても違和感ない服を手渡され、店の奥を借りて着替えてみたらこの有様である。
ジト目で店主を睨んだが、彼はどこ吹く風といった様子で朗らかな笑みを浮かべていた。
訳あり服だろこれ、絶対。
仕方がないのでしぶしぶと、服と一緒に手渡されたショールを上から被る。
鏡で確認してみると、とりあえず外からは染みが見えなくなった。
……よし、なんとか着れそうだ。これで職質で兵士に捕まる可能性はグンと減っただろう。
あとは夜中に白い服で髪の長い女の人さえ出てこなければ完璧である、と考えながら私は気づいた。
あ、そういえばこの国は男すら長髪だった。
「似合う似合う。あ、これはオマケね」
そう言って店主は黒いもっさりとした毛の塊を差し出した。
これまたとても呪怨がこもってそうな物体だ。
「……なんですかこの塊?」
指の端でつかみあげると、店主はからからと声を上げ笑った。
「そんな嫌そうな顔をしなさんな。それはつけ毛だよ」
「つけ毛?」
「ああ、あんたみたいな髪の長さで、そんな服を着ているのは王都にはいないからね」
つまりヅラか。お母さん、私はこの年でカツラデビューします。
しかも触って分かったことだが、この感触、なんか人毛っぽい。服と同じで訳あり臭が漂っている。
それにしても人毛のカツラ、なんだか高そうだ。
「いいんですか? そんな高そうなもの」
「高そう? 」
私の台詞を繰り返すと、店主はプッと吹きだした。
かと思うと、おかしくてたまらないといったようにメタボ気味な腹を揺すって笑い出す。よっぽどツボに入ったのか、いつまでたっても笑いの止まる気配はない。
「あの、店主さん……?」
「ハハハっ……すまないね」
爆笑の余韻でか、小刻みに震える手でつけ毛を手に取ると私に後ろを向くように促した。
どこか釈然としない気持ちのままだったが、私は大人しく従った。
――パチリと、ピンが止められる。
肩までしかなかった髪が、へそより少し下の長さになった。
まだ少しボサボサな髪の絡まりを、どこからか取り出した櫛で梳かしながら、店主のおじさんは私に問い掛けた。
「その黒髪は地毛かな?」
「……え、はい」
「そうか。生え際や、睫毛に眉も黒いから、もしかしてと思ったんだ」
店主は再びにこりと笑った。
けれどもその笑顔にいままでの親しみを感じるような愛嬌はなく、私を通して違う誰かを見ているような、どこか遠く大人びたものだった。
***
店から出ると表道を歩く。
特に歩いても目立つことなく、最初に頭に頭巾をかぶっていた時に感じた視線は、全く感じなくなっていた。
やっぱりあれの所為で悪目立ちしていたらしい。
服を着替え一息ついたところで、私は宿屋を探すことにした。街で一番大きくて目立つ宿屋の前まで行ってみたが、けれどもそこはすでに兵士が立っていた。
城下街なのだから、他にも宿屋は有るはずだと探してみたが、出入り口が閉ざされていたり、明らかに店じまいをしている店ばっかだ。
「これじゃあ、泊まれないじゃん」
どうしようか、と思案しながら街をぶらついているとお腹がぐぅと空腹を訴えた。
非常に大きな音が出てしまい、すれ違いざまの女の人が小さくクスクスと笑う。羞恥心で居たたまれない。
そういえばもう、朝飯どころか昼飯の時間もすぎている。
ちょうど近くに飯屋があったので、私は逃げ込むようにそこへ入った。
「いらっしゃい、お客さん注文は何にする?」
店に入るとおばちゃんが声をかけて席まで誘導してくれた。
飯時のピークをすぎた所為か、客はあまりいない。
メニューを渡されたが、料理の名前から出来上がり像が思い浮かばなかったので、私はおばさんに聞くことにした。
「手ごろな値段で、おすすめの料理ってありませんか?」
「羊肉の串焼きだね。焼飯もついてるよ」
「へえ、じゃあそれを。飲み物はありますか?」
「はいよ。飲み物は果実酒とポリムジュース、あとはダールがあるよ」
「ダール?」
「酸味のある果物水に少量の蜂蜜を垂らしたものさ、さっぱりしていて肉によく合うよ」
「それもお願いします、いくらかわかりますか?」
「ぜんぶで400リラだね」
大衆食堂のような店だったからか、お値段は思ったよりも安めだった。
注文を頼み、一息つくと回りをみる余裕が出てきた。
時間帯が遅かったのもあり、お店の客層は旅人のような格好の人が多かった。
「お腹すいたなあ」
しばらくすると、お腹のすく美味しそうな食べ物香りが漂ってきた。
店の奥から、おばさんがお皿を運んでくる。
「またせたね」
テーブルに、ご飯の上に串焼きの乗ったお皿が出された。
香辛料の香りが漂う、こんがり焼き目のついた串肉にかぶりつく。パリッと香ばしく焼けた表面を噛みきると、中からじわりと肉汁があふれてくる。スパイスのピリリとした辛味がよくきいていて、少し癖のある肉によくあった。
焼き飯の方は、鮮やかな色合いの野菜がたっぷり入っていた。こちらも僅かにスパイスの匂いがしたがあっさりとした塩味のピラフのような味だった。
とても相性の良い組み合わせだ。
スパイスの効いた料理といい、この国はどこかや中央アジアや回教徒の香りを感じさせる。
二本目の串焼きへ手を伸ばしたところで、おばさんがやってきた。
「うまいかい?」
「とってもおいしいです!」
「気にいってくれたようで何よりだね。…はい、これが飲み物だ」
金属のグラスを差し出される。
一口、口に含むと爽やかな冷たい水が喉を潤した。
柑橘系のさっぱりした酸味と、ほのかな甘味がおいしい。のどごしがいいので、肉の味付けが濃いめなのと合わさり、何杯でも飲んでしまいそうだ。
半分ほど食べ進めたところで、おばさんが私の席の近くにある暖炉に火を入れ何か液体を入れた鍋を持ってきた。
「夕方用の仕込みなんだ、ちょっと暑いけど勘弁してくれよ」
「はあ」
言われたとおり、わずかに出始めた湯気と熱気が私の方まで漂ってきた。
少し暑いが、時間はずれにやって来たのは私の方である。
文句をつける度胸もないので、代わりに彼女へ質問した。
「それって何をやってるんですか?」
「うん? 果実酒を煮てるんだよ」
おばさんは人懐っこい笑顔を見せた。
「すっぱくて不味くなっちまった果実酒を、鉛鍋で煮てやるんだ。そうすると甘くなるのさ」
「鉛、ですか……?」
確かに漂ってくるアルコール臭のなかに、甘い香りが混じってきた。
けれども鉛の鍋、それって大丈夫なのだろうか?
鉛はたしか人体に有害な物質だった筈、鉛中毒でも有名である。
口の中に入るものに使ったり、アルコールなんてもっての他だ。
果実酒を頼まなくてよかった、とひそかに安心していると、彼女が今度は私に声をかけた。
「お嬢さんも、若いけど旅人かい?」
「ええ。……あの、表の宿屋が閉まっていたんですが、理由わかります?」
「あら、タイミングが悪かったね、今はどこの宿屋も店じまいしてるよ」
なんてだって、と私は絶句した。
あまりにタイミングが悪すぎる。
「……そりゃまた、どうしてです?」
疑問のままに口に出すと、おばさんも気の毒そうに私を見た。
「なんでも全部国営の宿屋に回せって、お達しが来てるのさ」
「国営の宿屋?」
「大通りの真ん中へんに、大きな宿屋があったろう?あそこだよ」
「それじゃあ、宿屋を営業している人はどうなるんですか?」
「国から給付金が出るんだ。雀の涙ぽっちだけどね。だからみんな昼間は他の仕事をしているよ、まあ少しの間だけの我慢さ」
答える彼女の顔にも苦笑が交じる。
「じゃあ国営の宿屋しか泊まれないんですか?! ……知り合いの家に泊まるのもダメってことです?」
「親戚までなら泊めるのは許可されているんだけど、夜に兵士さんが見回りに来るからねぇ」
「じゃあ野宿は?」
「そんなにお金がないのかい?!」
彼女が驚きに目を瞠って私を見た。眉間には濃い皺が寄って、いかにも信じられないといった表情だ。
どうやら、よほどまずい質問をしたらしい。
「……い、いやだなぁ! 冗談ですって! おばちゃんったらもう本気にしないで下さいよお」
どうにか笑みを作り、『え? マジに本気にしちゃった?』という顔を作る。
むかつく顔だろうが勘弁してほしい。
「あら冗談だったのかい? やだわ、本気にしちゃったじゃない!」
「そうですよ、当たり前じゃないですか!」
「まあそうよねぇ、野宿なんて兵士に捕まえてくださいって言うようなものだものね。とくに最近は人攫いだって出るし」
え、そうなの?
思わず聞き返しそうになったが冗談だと言った手前それもできない。
宿屋を探すならとりあえず中央道に行ってみな、というおばさんにあいまいに頷きを返した。
ニコニコと彼女は朗らかな笑みを見せる。
「それにしても旅ねぇ、私も若い頃は旦那と旅をしたもんさ。お嬢ちゃんもいい人とかい?」
そして、あれ?と不思議そうな顔でわたしを見た。
「そういえば、荷物はどこに置いているんだい? 宿屋にはまだ行ってないんだろ?」
「……あ」
やばい、考えてなかった。
「し、知り合いの家に!」
「ああ、旅道具は重いものね」
苦し紛れに言ったが、彼女はとくに不審に思わず納得してくれたらしい。
ついでに、いい機会だから旅の道具を聞くことにした。
「……けど何個か使えなくなっちゃったんで、新しいものを買い替えないといけないんです。オススメの店ってないですかね?」
「そうだねぇ、マントと手袋ならマルタの皮道具屋、靴もそこがおすすめだね。ナイフや刃物は大通りを過ぎたとこに偏屈なじいさんが鍛冶屋を構えているから、そこで買うといいよ」
「さすが詳しいんですね! ありがとうございます」
「ここで十年以上も暮らしているからね」
微笑みながらおばさんが片手で鍋をかき混ぜる。
その姿に、そういえばおばさんは仕事中だったことを思い出した。
……思いっきり邪魔をしてしまったかもしれない。
客商売だから私に話しかけられたら断れなかっただろう。
「あの、お仕事中だったのにすっかり邪魔をしてしまって、……すいませんでした!」
「いいんだよ、こっちも良い時間つぶしになったさ。ほら、そろそろ果実酒もいい具合だろう?」
「あの、ほんとにありがとうございます……」
「いえいえ、気にしなさんな。それじゃあ私はこれを厨房に運びこんでくるよ」
そういうとおばさんは力強い動きで鍋を持ち上げ、店の奥に鍋を運び込んでいく。
その後姿を見送り気づいたが、もう店に残っているのは私ぐらいになっていた。
手早く残りの料理を片付けると、銅貨を使い会計を終え店から出る。
そしてハァと小さく溜息をついた。残金一万円弱。
すでに城から出てしまったことを後悔し始めている。
城門にいたおじさんや、定食屋のおばさん、街の人の話を聞くにつれ、はやまってしまった感がどんどん大きくなってきた。
「酒場で情報収集してみるかあ……」
私は食堂の前から見えるグラスの描かれた看板をみて、呟いた。
サブタイトルを考えるのがそろそろ面倒になってきました今日この頃。
鉛鍋で果実酒が甘くなる云々の記述は、酸敗ワインの再生法を参考に書かしていただきました。