錬金術
ベイルの迷宮七階層に出てくるエスケープゴートは結構面倒だ。
魔法三発もしくはデュランダルだと一撃入れただけで逃げ出してしまう。
複数出てきたときはファイヤーストーム五発で倒せるが、計算上大丈夫だとはいっても、実際にはぎりぎりだ。
逃げ切られる可能性もないとはいえない。
エスケープゴートだけならまだしも、他の魔物との組み合わせになったときがもっと大変である。
対峙している魔物の攻撃をかわしているうちに五発めの魔法のタイミングが遅くなってしまうこともある。
安全に行くならデュランダルで倒した方がいい。
まず全体攻撃魔法を二発放つ。
デュランダルを出し、エスケープゴートを屠る。
デュランダルをしまい、残った他の魔物を魔法で倒す。
なんともちまちまとせせこましい。
多分、効率的にはこうするのがいいのだろうとはいえ。
厳密には、本当に効率がいいか必ずしも検証はできていない。
どのタイミングで経験値が入り、どのタイミングで獲得経験値上昇スキルが有効になるのか。
獲得経験値十倍をつけて魔法で体力を削った後、獲得経験値十倍をはずしてデュランダルでエスケープゴートを倒し、獲得経験値十倍をつけて他の魔物を屠ることが、本当に最善なのだろうか。
まあ、料理人のジョブレベルの上がり方を見ている限り、このやり方で問題はないと思う。
「えっと。その剣を持っているときには魔法が使えないのでしょうか」
エスケープゴートのドロップアイテムであるヤギの糸を渡してきながら、ロクサーヌが訊いてきた。
やっぱり普通そう思うよなあ。
「使えないわけではないが、この方が効率がいいのでな。ロクサーヌには迷惑をかけるが」
「いえ、私は大丈夫です。お気になさらずに」
「前衛として非常に役立つので、ロクサーヌには大いに助かっている」
「ありがとうございます」
デュランダルを出したりしまったりするのに多少時間がかかるので、その間はロクサーヌに魔物の相手をしてもらっている。
ロクサーヌのことだから今のところはひょいひょいかわしていた。
二匹なら完璧、三匹でも攻撃を受けたことはほとんどない。
ただし、今後はどうなるか分からない。
八階層からは魔物が最大で四匹になる。
何か考えなければいけないかもしれない。
クーラタルの迷宮の七階層から出てくるスローラビットは兎の皮を残す。
兎の皮を売るため、帝都には足しげく通うようになった。
帝都にはいろいろなお店がある。
人も多いだけに、さまざまなものを売っていた。
兎の毛皮を売却しがてら、歩いて回る。
例えば、調味料屋。
酢や魚醤などが置いてある。
魚醤というから喜んで味見をしてみたが、しょう油とはちょっと違った。
においもきつめだ。
中には中国の醤に近い感じのものもある。
回鍋肉とかは作れるかもしれない。
帝都の大通りでは、屋台を出して販売している人もいた。
この世界のファーストフード、というよりは夜店に近いのだろうか。
肉を串に刺して焼いている焼き鳥屋さん風の店とか、パン生地の上に具を置いて焼くピザ屋さん風の店とか、クレープ屋さん風の店とか。
今日も一軒、店頭で何かを作って売っている屋台を見かけた。
焼き色のついた茶色の食べ物だ。
子どもが集まっているから、駄菓子だろうか。
「あそこで売っているのは何か知っているか」
「分かりません」
「じゃあ食べてみるか」
ロクサーヌにそう言い残して、屋台の前に立つ。
茶色い駄菓子、といえばせんべいのことが頭をよぎった。
近いものがあるのかもしれない。
「一つ十ナールになります」
「二つくれ」
注文すると、屋台の職人が何かの液体を小さな鍋に流し込んだ。
液体の時点でせんべいの線は消えた。
カステラみたいな感じなんだろうか。
やがて、液体が大きく膨張する。
鍋の上にこんもりとした山を作った。
子どもたちの歓声が上がる。
「はいよ」
職人がすぐにそれを鍋からはずした。
何かの葉っぱに包んで渡してくる。
代金を出して受け取った。
職人はジョブ村人なので、三割引は効かないようだ。
一つをロクサーヌに渡す。
残り一つは、近くにいた中で一番可愛い女の子にあげた。
「食べるか?」
「うん」
野郎に渡す義理はない。
可愛い女の子は得なのだ。
女の子が立ち去るのを見送って、屋台から少し離れる。
「よろしかったのですか」
「味は分かる」
そう。俺はこの料理を知っている。
カルメ焼きだ。
中学校のとき、理科の実験で作った。
もっとも、味は覚えていない。
今食べてもまったく同じものかどうか判断できる自信はない。
というか、それほど旨いとは思わなかったという記憶しか。
「甘くておいしいです」
まあロクサーヌは美味しそうに頬張っているし、お菓子が回りにありふれている現代日本の中学生の感覚だったのだろう。
少し離れた位置で屋台の方を眺めつつ、ロクサーヌが食べ終わるのを待つ。
確か、カルメ焼きは液体の中に重曹を溶かして熱すると、炭酸が出て膨らむとかいう話だったはずだ。
屋台の駄菓子も同じ原理を利用しているのだと思う。
鍋を温めたとき液体が急速にふくらんだ。
眺めていると、屋台の職人が後ろを向いた。
置いてある箱を開け、何かを取り出す。
桶の中に水と取り出した粉を入れ、カルメ焼きの元となる液体を作った。
チャンス。
箱の方を見て鑑定と念じる。
残念ながら粉そのものは鑑定できない。
コボルトソルトでも少し欠ければアイテムではなくなってしまい、鑑定もできなくなるし、アイテムボックスにも入らなくなる。
コボルトスクロース
シェルパウダー
それでも、箱の中にコボルトスクロースとシェルパウダーがあるのを把握した。
屋台の職人に直接尋ねても、商売上の秘密だから原材料を教えてくれはしないだろう。
別にカルメ焼きを作りたいわけではないから、原料名だけ分かれば十分だ。
職人が使っている粉は、おそらくは小麦粉を主体にコボルトスクロースとシェルパウダーを混ぜたものだ。
小麦粉に砂糖と重曹を混ぜればカルメ焼きができる。
スクロースは砂糖だ。
残ったシェルパウダーが重曹ということになる。
シェルパウダー=重曹=炭酸水素ナトリウムだ。
「じゃあ行こうか」
「はい。ごちそうさまでした」
食べ終わったロクサーヌと一緒に冒険者ギルドに向かった。
「シェルパウダーというのが何か知っているか」
「消火剤ですね」
「消火剤?」
「クラムシェルが残すシェルパウダーには火魔法を打ち消すほどの力はありませんが、燃え移った火などに使うと早めに消火することができます。スカラップシェルが残すスカラップエキスを使うと、一度だけ火魔法を打ち消すことができます」
なにやら重曹とは違うっぽい。
少なくとも魔法は関係ないはずだ。
「小麦粉に混ぜて焼いたり、掃除に使ったりすることは?」
「シェルパウダーをですか?」
「そうだ」
「聞いたことはありませんが」
やっぱ違うのか。
「酢を掃除のときに使ったりする?」
「聞いたことありません」
念のために聞いてみるが、酢も使わないらしい。
この世界にも酢はある。
酢は酸性、重曹はアルカリ性で、どちらも汚れを落とすのに有効なはずだ。
掃除に酢を使わないということは、重曹を使うことも知られていない可能性が高いだろう。
冒険者ギルドでシェルパウダーを買い、帰りがけに鍋とコイチの実のふすまも買って家に戻った。
カルメ焼きを作った理科の実験は、カルメ焼きを作ることが主目的だったのではない。
米ぬかを使って石鹸を作った。
植物油に入っている脂肪酸と重曹のナトリウムが反応して脂肪酸ナトリウムになると、それが石鹸になるとかだったはずだ。
実験班を作るときにハブられて一人だけ教師の前で作らされたので、手順はよく覚えている。
いやな思い出だ。
実験する班なんか出席番号順で作ればいいのに。
いずれにしても、重曹があれば石鹸を作れる。
米ぬかこそないものの、何かの植物油で代用できるだろう。
とりあえずは石鹸代わりに使われているコイチの実のふすまを使ってみる。
米ぬかも昔は石鹸代わりだったはずだ。
帰ってすぐキッチンに向かった。
鍋に半分ほど水を入れて、お湯を沸かす。
巧くできるようなら、この鍋は石鹸専用にしよう。
沸騰したお湯にミルで削ったシェルパウダーを入れてみた。
ぶくぶくと泡が出てくる。
やはりシェルパウダーが重曹で間違いない。
泡が少なくなってから、コイチの実のふすまを入れた。
量が分からないので適当だ。
米ぬかは結構大量に入れたような記憶がある。
まあ失敗したとしても最初はしょうがないだろう。
かき混ぜながら入れていくと、褐色のドロドロの液体ができた。
思ったより巧くいったようだ。
かき混ぜるのに疲れるくらいドロドロになる。
「これは何なのでしょう」
掃除をしていたロクサーヌが興味深げにやってきた。
「石鹸だ」
「石鹸ですか? それはすごいです」
「まだ巧くいくかどうかは分からんがな」
「石鹸を作ってみようと思うだけで、すごいです」
作り方を知らなければ、俺も作ってみようとは思わなかっただろう。
この世界では石鹸は貴重品らしい。
巧くできれば役に立つ。
「掃除のときにはこのシェルパウダーを使ってみるといい。汚れがよく落ちるだろう」
「そうなのですか?」
「間違いない」
「知りませんでした。今からでもやってみます」
「汚れにはシェルパウダーが効くものと効かないものがある。シェルパウダーで落ちない汚れには、お酢を使うといいだろう」
重曹はアルカリ性だから、酸性の汚れにはよく効くが、アルカリ性の汚れには効かない。
アルカリ性の汚れには酸性の酢を使う。
シェルパウダーにはいろいろと使い道がありそうだ。
中学のスキー合宿で行った長野の温泉が重曹泉だと書いてあったように記憶しているので、お風呂に入れてみるのもありだろう。
「えっと。これはどう使うのでしょう? こすればいいのでしょうか」
喜び勇んで飛び出していったロクサーヌだが、すぐに戻ってきた。
水に溶かすという発想はないらしい。
「いや。溶かして水拭きするのがいいと思うぞ」
俺も知識として知っているだけで実際に使ったわけではない。
でもまあ、普通に考えれば水に溶かすのだろう。
「ご主人様、これはすごいです」
やがて、ロクサーヌが目を輝かせながら飛んできた。
巧くいったようだ。
鍋を火から下ろす。
こちらも巧くいったらしい。
後は乾燥させれば完成だ。
その日の夜、見てみるとジョブが増えていた。
錬金術師 Lv1
効果 知力小上昇 器用微上昇
スキル メッキ
錬金術師か。
石鹸を作るのもれっきとした化学反応だから、それで増えたのだろう。
翌朝、迷宮に入る。
早速ものは試しと錬金術師をつけてみた。
加賀道夫 男 17歳
探索者Lv32 英雄Lv30 魔法使いLv32 僧侶Lv30 料理人Lv25 錬金術師Lv1
装備 ワンド 皮の帽子 皮の鎧 皮のグローブ 皮の靴
ロクサーヌ ♀ 16歳
獣戦士Lv18
装備 シミター 木の盾 皮の帽子 皮のジャケット 皮のグローブ サンダルブーツ
今回は無理してシックススジョブもつけている。
万が一のために僧侶はあった方がいいし、スローラビットが残すレア食材のために料理人も必要だからだ。
ボーナスポイントの振り分けは、
必要経験値十分の一で31、
獲得経験値十倍で31、
結晶化促進三十二倍で31、
シックススジョブ31、
詠唱省略3、
ジョブ設定、鑑定、キャラクター再設定で3の計130だ。
いつもはシックススジョブまで振らずにMP回復速度五倍をつけている。
探索者Lv31になったときにシックススジョブをつけて試してみたところ、MP回復のためにデュランダルを出す回数が明らかに増えた。
MP回復速度上昇はMPの自然回復速度を上げてくれるスキルなのだろう。
五倍までいくと多少は差があるようだ。
それでも極端に違いがあるわけではない。
別に、クーラタルの迷宮でなくベイルの迷宮に行ってもよいのだし、朝食の後でベイルの迷宮に入るときに錬金術師を試してみてもいい。
早く試すためにMP回復速度五倍をはずしてシックススジョブをつけても問題になるような差ではない。
その程度の違いだ。
「実験をするので、できれば魔物が一匹のところに案内してもらえるか」
「かしこまりました」
「頼む」
何の実験をするかというと、錬金術師のスキル、メッキの検証だ。
メッキと念じたところ相手の指定を求められたので、パッシブスキルではない。
ジャックナイフや皮のミントにメッキしてみたが、巧くいかなかった。
多分、ものではなく人相手に使うのではないかと思う。
名称的には防御スキルのように感じるが、攻撃スキルの可能性もなくはない。最初は魔物相手に試した方がいい。
メッキしてから叩くと壊れやすくなるとか。
「今度はどんな実験か、うかがってもよろしいでしょうか」
移動しながら、ロクサーヌと話す。
ロクサーヌを迎えてからは実験が多い。
昨日も石鹸を作る実験をしたしな。
実験好きなご主人様だとあきれているかもしれない。
「錬金術師というジョブを知っているか」
「ええっと。金を作り出そうとしている人たちのことですね」
この世界でもそういう存在なのか。
まあ、化学反応を起こすことによって錬金術師のジョブが得られるのなら、当然か。
化学反応によって金を作ることを目指すのが錬金術である。
「その錬金術師に関するテストだ」
「金を作り出せるのですか?」
ロクサーヌが目を見開いた。
「い、いや。残念ながら」
魔法がある世界だから、金を作り出すようなスキルもひょっとしたらあるかもしれない。
そんなことができれば金の価値は暴落するだろうから、ないかもしれない。
あるいは、存在していても秘中の秘になっているとか。
いずれにしても、今できるのはメッキだけだ。
メッキということはあれだ。
真鍮などでメッキして、金になったと主張するのだろう。
インチキじゃねえか。
「いました」
独りでツッコミを入れていると、ロクサーヌが警告した。
現れたスローラビットに向かってメッキと念じる。
見たところ、兎に変わった感じはない。
やはり攻撃スキルではないのか。
結局、スローラビットLv7を倒すのに魔法五発かかった。
攻撃スキルではないと考えていいだろう。
魔法では駄目なのかと思ってメッキをした後デュランダルで攻撃してみたが変化はない。
攻撃スキルだとしたら、よほど使えないスキルなのか、あるいはスローラビットが特殊な耐性持ちなのか。
朝食の後、ベイルの迷宮の二階層に行ってみる。
ボーナスポイントを知力上昇に振って、魔法一発で屠れる数値を確認した。
前に試したときは99ポイント振っても無理だったが、レベルが上がったので強くなったようだ。
その数値のまま、ニードルウッドLv2にメッキをしてみる。
魔法一発では倒せなくなった。
やはりメッキは防御スキルだ。
名称的に考えて、おそらく防御膜を張るスキルだと考えていいだろう。
スローラビットLv7を倒すのにメッキを使っても使わなくても魔法五発だったから、ダメージの減少率は二十パーセントを超えないはずだ。
と思ったが、そうでもないのか。
メッキは一回しか使っていない。
メッキして防御膜を張るのだとすれば、一回攻撃されたら破れておしまいかもしれない。
検証は簡単だ。
ニードルウッドにメッキした後、一度ロクサーヌにシミターで攻撃してもらってから、魔法で攻撃する。
一発で倒せた。
メッキ一回につき攻撃一回のダメージを減少させるようだ。
シミターによる攻撃分上乗せで倒せたのではない。
ロクサーヌに攻撃してもらってから、再度メッキをしてファイヤーボールを撃ち込んでも倒せなかった。
知力に99ポイント振ってもメッキしたニードルウッドLv2を魔法一発では倒せなかったので、ダメージの減少幅は不明だ。
その後も階層を移動しながらメッキの実験を続ける。
メッキのスキルについて、おおよそのことを把握した。
メッキが防御するのはメッキした直後の攻撃一回のみ。
魔法攻撃、物理攻撃は問わない。
重ねがけは無効。
ダメージの減少幅は多分十パーセントから二十パーセントくらいか。
たいした量ではないが、それでも貴重な防御スキルだ。
今後、常用していくことにしよう。