ダブル
「それでは、またのご利用をお待ちしております」
奴隷商人に見送られ、ロクサーヌと二人で商館を出た。
ロクサーヌは大きなケースを前に持ち、両手でぶら下げている。
それが彼女の全持ち物のようだ。
チラチラとロクサーヌの方をうかがう。
もっと堂々と見てもいいはずだが、微妙に気恥ずかしい。
明るい日の光の下で見ると、ロクサーヌの美しさはさらに映えた。
白い肌は輝いているかのようだ。
チュニックはだぼだぼだが、思ったとおり胸は大きい。
かなりのふくらみがあった。
うん。楽しみだ。
などと考えているから、堂々とは見れないのか。
「それ、重くない?」
ケースを指差して訊いてみる。
女性が荷物を持つというのは、どうも居心地が悪い。
「は、はい。大丈夫です」
「ちょっと貸してみて」
「は、はい。どうぞ」
右手を伸ばして受け取った。
重さの確認と、もう一つやりたいことがある。
右手でケースの取っ手を持ち、デュランダルを持った左手をケースの裏側に添える。
デュランダルを出したのはいいが、商館では消す機会がなかった。
重さを確認しながら、デュランダルをケースで隠す。
キャラクター再設定と念じて、デュランダルを消した。
「確かに、重くないな」
そう言って、ケースをロクサーヌに差し出す。
最初はケースを俺が持っていくつもりだったが、考えを変えた。
奴隷が荷物を持つのは普通のことだろうから、俺が持つ方が変だというのが一つ。
もう一つ、剣のことがある。
ケースをかかえていてはいざというときに対応ができない。
ロクサーヌは剣を持っていないし、俺が対応する必要がある。
男が荷物を持てなどというのは、街中で刀を振るうことがなくなった近代社会だからこそ出てくる観念ではないだろうか。
おそらく、この世界では街中での暴力は想定の範囲内だろう。
ロクサーヌの荷物を俺が持つことは、彼女を大切にしているように見えて、その実ロクサーヌを危険に晒していることになる。
俺はいつでも剣を抜けるようにしておくべきなのだ。
従者が荷物を持ち、主人は剣を持つ。
それがこの世界の常識だろう。
アイテムボックスを開いてシミターを取り出しながら、ロクサーヌにケースを戻す。
取っ手を渡すときに指が触れてドキドキした。
白くて細く、柔らかい女の子の指だ。
我ながらどうなんだろうという気がするが、どうなんだろう。
こんなことで大丈夫なんだろうか。
「と、とりあえず、ベイル亭に行って宿を取ろう。この先の通りに出て、ロータリーまでまっすぐだから。ついてきて」
「は、はい。かしこまりました」
シミターを腰に差し、歩き出した。
ロクサーヌも俺の後をついてくる。
荷物を持った女性を後ろに従える。
微妙に居心地が悪い。
もっとも、ロクサーヌの方も緊張しているらしい。
さっきからはいばっかりだ。
「そういえば、漢字が読めるのか」
「カンジ、ですか?」
振り返って尋ねると、ロクサーヌが不思議そうに顔を傾けた。
その顔も美しい。
いや、ではなくて。
うん。漢字が読めないことはすぐに分かった。
漢字がブラヒム語に変換されなかったからだ。
漢字という概念がないから、カンジとそのまま外来語扱いされたのだろう。
「えっと。インテリジェンスカードは読めてたよな」
「は、はい」
「インテリジェンスカードは何語で書いてある?」
「ブラヒム語でした。……あっ。えっと。インテリジェンスカードというのは、見ている人の意識に直接働きかけるので、その人が知っている文字で読めるそうです」
なるほど。そういうことか。
漢字で書いてあるわけではなくて、俺に読める文字で見えたわけだ。
文字を読めない人にはどう見えるのだろう。
「ふむ。ロクサーヌはブラヒム語が読めるのか」
「は、はい。少し習った程度ですが」
ついでにブラヒム語を読める人材までゲット。
「俺はブラヒム語の読み書きは駄目だから、よかったら教えてほしい」
「は、はい。分かる範囲でよろしければ」
「ありがと。よろしく頼む」
探索者ギルドの前を通る。
今度からは代読屋がいらなくなるな。
「約束どおり十日で迎えに来ていただいたので、まだあまり習っていませんが」
「ん? 習ったって、あそこの商館でか?」
「はい。話せれば絶対に損はないからと、ブラヒム語を習いました」
奴隷商にそんなサービスがあったとは。
いや、ブラヒム語を使えた方が高く売れるからだろうか。
一方的なサービスというわけではないだろう。
「あそこがベイル亭だ」
「はい」
荷物もあるので、市は素通りして宿屋をまっすぐに目指す。
すれ違った男の何人かが、ロクサーヌのことをまぶしそうに見ていた。
ちょっと優越感。
しかし、俺のロクサーヌを見るんじゃないと言いたい。
俺でさえもまだまともに見れないというのに。
ベイル亭に入る。
「二人部屋に移りたいが、いいか」
鍵を用意しようとする旅亭の男に告げた。
「大丈夫だ。……ダブルでいいか」
「ああ。夕食も二人分つきで」
「ダブルルームは三百八十ナールだ。夕食つきで、ええっと、長期滞在だし、特別サービスで一泊三百五十ナールでいい」
夕食がつくと三割引が効いてかえって安くなる不思議。
疑問には思わないのだろうか。
サービスと言っているから、割り引いている自覚はあるのだろうが。
「分かった。三百五十だな」
なんにせよありがたい話なのでこっちとしては受けるだけだ。
リュックサックの中の巾着袋から銀貨三枚と銅貨五十枚を出してカウンターに置く。
「じゃあ二人とも腕を出してくれ」
そういえば、インテリジェンスカードのチェックがあるのか。
ロクサーヌを奴隷にしたことが分かってしまう。
しょうがないので、左手を伸ばした。
「ロクサーヌも」
「は、はい」
何故か呆けたようにしているロクサーヌにも手を出させる。
「ダブルは五階だ。前の部屋で荷物を取ってから、五階に案内する」
旅亭の男はインテリジェンスカードを見ても別に何も言わなかった。
客のプライバシーにまでは立ち入らないというところか。
鍵を二つ持って、さっさと階段を上がっていく。
「荷物貸して」
俺もロクサーヌからケースを受け取って、後に続いた。
宿屋の中なら、剣を優先する必要はないだろう。
「あ、ありがとうございます」
ロクサーヌも後をついてくる。
階段を上った。
「まずは部屋の荷物を全部取ってくれ」
旅亭の男が三一一号室の鍵を開ける。
ケースをロクサーヌに渡し、中に入った。
外套を左手に抱え、木の桶の中にロープと洗濯物と残りの荷物を詰め込む。クローゼットに置いてあったジャージも入れた。
クローゼットの下の棚に入れておいた皮の靴も出す。
「これで全部だな」
「じゃあ、五階へ行くぞ」
旅亭の男が三一一の鍵を閉めて先導した。
「あ、あの、お持ちいたします」
「いや、大丈夫」
荷物を持とうというロクサーヌを制する。
彼女だってケースを持っているのに。
階段を上った。
三階なら何の問題もないが、五階だとエレベーターがほしい。
そんなものはないだろうが。
「ダブルの部屋は最上階にしてある。五階はダブルのお客さんだけだ」
俺の不満を読み取ったかのように、旅亭の男が言い訳する。
理屈はよく分からない。
「ふうん」
「ここが部屋だ」
男が部屋の鍵を開けた。
「ふむ」
中に入る。
大きなベッドが一つと、奥に机が置かれていた。イスが二つあるのは、二人部屋だからか。
机の上に荷物を置く。
部屋の大きさは今までいた三一一号室とそれほど変わらない。
一回り大きくした程度。もう少し大きいか。
広々と感じるのは、クローゼットが置いてないからだ。
「右がクローゼットになっている。下の棚は鍵がかかるようになっているが、貴重品を置いて外には出ないようにな」
旅亭の男に言われて右壁の引き戸を開けると、奥が備えつけのクローゼットになっていた。
クローゼットの分、三一一よりも広いようだ。
その後、旅亭の男は最初三一一に入ったときにも聞いた説明を繰り返し、鍵を俺に渡して出て行った。
一つしかないベッドに腰かける。
柔らかさは三階の部屋と同程度のものだろう。
見回すと、ロクサーヌは入り口のそばで所在なさげに立っていた。
「入ってイスにでも座ったら」
「は、はい……」
おずおずとロクサーヌが通る。
緊張、というよりは少し怯えている感じがする。
「えっと。この数字が五でいいのか」
俺はロクサーヌに鍵を見せた。
ここの部屋番号は五一七。一は分かっているから、残った数字の左側が五のはずだ。
「は、はい、そうです」
「で、これが七?」
「は、はい……」
うーむ。会話が続かない。
ロクサーヌの怯えが伝わってきてしまう。
道中はもう少し会話できていたような気がするが、宿屋に来て戻ってしまった。
いくら俺でも昼間っからいきなり押し倒したりするつもりはないのだが。
まあ、ホテルの部屋で二人っきりになればしょうがないか。
おまけにベッドは一つしかないし。
「えっと……。耳って、触ってもいいか」
どうせだから、思いっきり要求を出してみた。
結局怯えられるなら、もっと野放図に振舞ってもいいような気がする。
多分。おそらく。メイビー。
「あ……は、はい」
「じゃあこっちきて」
ロクサーヌを呼び寄せる。
いや。ただのスキンシップだよ、スキンシップ。
スキンシップは大切だ。
襲われると怯えられているのなら、その手前まではやって手は出さないのが、怖くないとアピールすることになる。はずだ。
シュア、プロバブル、サートゥンリー。
美人が目の前にやってきて飛びつきたくなるが、そこはグッと我慢する。
俺は理性の人だ。
英語で言ったら person of reason である。知らないけど。
煩悩退散。迷妄打破。
「……はい」
「ここに」
何故か床に座ろうとしたロクサーヌをベッドの横に招いた。
床に座ることはないだろう。
隣にきたので思わず抱きつきたくなったが、こらえる。
だから横には来なかったのか。
煩悩退散、欲情鎮火。
ロクサーヌの頭に手を置いた。
横から見るロクサーヌも美人だ。
髪の毛がなめらかに俺の手を滑らせる。
柔らかくてふさふさの髪だ。
まさに、見てよし、触ってよし。
い、いかんいかん。つい押し倒したくなった。
もちろん、忍の一字で耐える。
煩悩退散、邪念除去。
髪の触り心地を十分に堪能した後、イヌミミに触れてみた。
耳は、大きくて柔らかく、力なく垂れている。
厚みにして、一、二センチはあるだろうか。
垂れ耳のせいか硬い部分がなく、なんかのパフみたいな感じ。
ふわふわ、ふかふかだ。
やばい。癖になる。
ええい。遠慮などいるものか。両手で触らしてもらう。
「ロクサーヌって美人だけど、耳は可愛いよね」
ロクサーヌは美人だ。それなのに冷たい印象がないのは、垂れ耳の影響が大きいと思う。
大きな耳が親しみやすさを醸し出しているのだ。
「えっ……あ、ありがとうございます」
こっちを見てくるロクサーヌと目が合った。
ロクサーヌは恥ずかしげにうつむく。
いやもういくしかないでしょう。
などという不埒な考えを押さえつけた。
煩悩退散、獣心寂静。
耳をなでる。
無心に耳をなでる。
煩悩退散、妄執粉砕。
耳をなでて、少しはロクサーヌも落ち着いてくれただろうか。
俺の煩悩は落ち着いてくれないが。
横からロクサーヌの様子をうかがった。
特に嫌がっている様子はない。
嫌だとしても、そこは甘受してほしい。
スキンシップは大切だ。
しかし横から見るとやはりロクサーヌの胸は大きい。
いや違う。そうじゃない。
確認したくなるが、我慢だ。
煩悩退散、色欲撃砕。
「えっと。改めて、よろしく」
「はい。よろしくお願いします」
俺が耳に触れているのもかまわず、ロクサーヌが頭を下げた。
上がってきた後頭部をキャッチする。
「いいよね、この耳」
「あの……」
「何?」
「ご主人様とお呼びしてよろしいでしょうか」
うん。
ここでロクサーヌに飛びかからなかった俺を誰か褒めてほしい。
煩悩退散、獣性鎮圧。
スキンシップの成果か、少しは会話も続くようになった。
今飛びかかって怯えられたら元の木阿弥だ。
「そうだな。そう呼んでもらえるか」
「はい、ご主人様」
おおっと。
今のは危なかった。
思わず抱きつきそうになった。
平常心、平常心。
煩悩退散、色情封殺。
「そういえば、ここはベッド一つなんだな」
耳に触れながら話す。
いや待て。
そんな話題で大丈夫か。
「え?」
「え?」
案の定、ロクサーヌが聞き返してきた。
ちょっと違うか。なんだろう。
「えっと。頼んだのはご主人様です」
「え? そうだっけ?」
「はい。ダブルの部屋を頼みました」
「あー」
なるほど。
ダブルがベッド一つでベッド二つはツインか。
確かにダブルでいいかと言われてうなずいたのだった。
旅亭の男のやつ、分かっていやがったな。
グッジョブ。
「知らなかったのですか」
宿屋に来てロクサーヌが怯えたのはそのせいか。
まあ知っていてもベッドは一つにしたけどね。
「まず最初に言っておきたいことがある」
「はい」
「俺は、ロクサーヌが聞いても信じられないくらい遠くから来た」
背筋を伸ばし、改まってロクサーヌに告げた。
ただし耳に触れたまま。スキンシップは大切だ。
本当のことを言うことはないし、嘘をついて後でばれても困る。
だから、半分本当のことを伝える。
「遠いというと、カッシームよりも遠くからですか?」
「カッシームというのがどこか知らないが、多分、ロクサーヌが考えるよりもさらに遠くだ」
「そうなのですか」
ロクサーヌがなにやら考え込んだ。
ロクサーヌが信じられる場所よりも遠い。
いい表現だろう。
「それに田舎でもあった。俺はこちらの常識がよく分からない。常識については、ロクサーヌにいろいろと教えてもらいたい」
「はい」
「このくらいのことは知っているだろうとか、こんなことも知らないのかとは思わずに、何でも説明してもらえるとありがたい」
「かしこまりました」
ダブルとツインは地球でも常識だったかもしれないが。
なんとかごまかせただろうか。
「あと、聞いているかもしれないが、ロクサーヌにも一緒に迷宮に入ってもらうつもりだから、そのつもりで」
「はい。戦闘ではお役に立てると思います。お任せください」
迷宮のことを話すと、ロクサーヌがまっすぐに俺を見る。
その目が妖しく光ったような気がした。