雨
三階層で狩をした後に迷宮の外へ出たら、まだ真っ暗だった。
昨日は日の出時刻を過ぎてしまったので、反動で用心しすぎたようだ。
一度四階層に行ってみる。
あまり長時間狩ることはできない。魔法で戦ってMPを消費してデュランダルを出してMP回復とか、一連の作業が必要なことはしない方がいいだろう。
それならば最初からデュランダルを出して四階層で戦うのがいい。
探索者がLv23に上がったのでミノを魔法三発で倒せる可能性がある。
Lv23になったので、ファーストジョブのままにしておけば、増えたボーナスポイントでフォースジョブを設定できたのだが。
ただし、必要経験値十分の一はつけたまま、ワープとジョブ設定をはずすことで。
探索者をファーストジョブに戻すには、アイテムボックスを空にしなければいけない。
アイテムボックスの中身をこの場でぶちまけることは、やらない方がいいだろう。
ファーストジョブを魔法使いにしたのは失敗だった。
ミノ Lv4
現れたミノにファイヤーボールを撃ち込む。
見つけてすぐ放ったが、やはり避けようともしない。
近づくまでに三発浴びせた。
ミノは三発めも耐え切り、ツノを押し立ててそのまま突っ込んでくる。
デュランダルで受けた。力押しになったがいったん押し戻す。
一歩引き、四発めのファイヤーボールを念じた。
振られたツノにデュランダルをあわせる。
ミノに四発めのファイヤーボールが命中した。
炎の中、ミノが倒れ伏す。
まだ魔法四発だったか。
ミノ Lv4
次のミノには、魔法を使うのをやめ、デュランダルだけで対応した。
突っ込んでくるミノに正面から一太刀。デュランダルを振り下ろしたが、ミノは倒れなかった。
魔法を使わずにデュランダルだけでミノを倒したことはまだなかったか。
一撃とはいかないらしい。
振られたツノを受ける。
横にはじき、牛の頭にもう一撃浴びせた。
ミノが倒れる。
落ち着いてじっくり向き合えば、ミノのツノにも対処できるようだ。
あるいは少し慣れてきたのだろうか。
もっとも、複数で囲まれることを考えると怖い。
まだまだレベルアップが必要だ。
二度狩を行ったので、再び外に出た。
こころなしか、明るくなってきたような気がする。
夜明けは近い。
誰かに見られているとまずいので、一度迷宮に戻り、ワープで移動した。
ワープの黒い壁を抜ける。
建物の影になっているせいか、出たところも真っ暗だった。
成功していれば、娼館街の奥に出られたはずだ。
日が昇るまでしばし待つ。
なかなか明るくならなかった。
周囲を見渡すと、一角が白ずんでいるのを見つける。
向こうが東か。
東の方を見ると、どうやら曇っているらしい。
雲が出ているので、なかなか明るくならないようだ。
西の方を見た。
出ているはずの星が一つも見えない。
気づかなかったが、全天曇り空だ。
東京では晴れていても星なんかあまり見えないので、違和感なかった。
考えてみれば、この世界に来てからはずうっと晴れが続いている。
もちろんこの世界にだって曇りの日もあれば雨の日もあるだろう。
傘をどうしようか。
昨日の市でも傘は見なかった。
迷宮の中までは降らないと思うが。
あれこれ考えていると、娼館から人が出てきた。
まだ薄暗いのでカンテラを持っている。
ジョブ村人の男だ。客だろうか。
男は店を出ると、向こう側へと歩き出した。
やはり明かりは目立つ。
顔までは見えないが、誰かいることは一目瞭然だ。
あまり明かりを持って移動しない方がいいだろう。
しばらくすると、周囲がだいぶ薄明るくなった。
やはり曇り空だ。
いつまでもここにいては変に思われる。
俺はその場所を出て、道を歩いた。
俺がいたのは、娼館が立ち並ぶ通りの一番奥にある物陰だ。
前に実際ここまで来たわけではない。道の向こう側から覗いただけだ。
見ただけでもワープには支障がないらしい。
ワープは目にしたところであれば行けるようだ。
娼館からぼちぼち人が出てきて、道を歩いている。
彼らの中にまぎれて、娼館街を突っ切った。
盗賊が出てきた角の向こう側も確認する。
短い路地があり、その奥に家が建っていた。
娼館ではないようだ。
この家が盗賊の本拠地だろうか。暴力団の組事務所みたいなもんか。
あまりじろじろと見ているわけにもいかないので、すぐに通り過ぎる。
二階建ての、立派でもぼろくもない普通の建物だった。
あそこに立てこもられているうちは手出しすることが難しいだろう。
娼館街も朝は普通の街だ。
スラムという雰囲気もない。
そんな雰囲気を醸し出していたら、一般客は寄りつかなくなるだろうが。
宿まで帰る。
帰りしな、奴隷商人の館も通った。
ロクサーヌはまだ寝ているだろうか。
「曇ってきたな」
宿に入り、鍵を受け取りながら旅亭の男と話す。
「この辺りは、雨は少ないが、降ると続く。数日は雨だろう」
「そうなのか?」
「多分な」
あまり降ってほしくない。
傘もないのに。
「朝食はもういいか」
「ああ。大丈夫だ」
しかし、願いもむなしく、朝食を取っている間に雨が落ちてきた。
本格的なドシャ降りではないが、しとしとと降っている。
宿の外を見るが、道行く人は誰も傘を差していない。
この世界には傘がないのだろうか。
ほとんどの人は外套を羽織るだけだ。
中には、普段と変わらない格好で走っていく人もいる。
外套は、昨日買ったのと同じようなやつだ。
あれがこの世界の雨具代わりなのだろう。
道理ですぐに見つかったわけだ。
雨具とは知らずに買ったのだが、運がよかった。
これで宿の外に出ることはできる。
一休みした後、外套をまとって冒険者ギルドまで走った。
本格的な降りではないが、ポツポツというよりは雨粒が多い。
こんな感じで降り続くのだろうか。
盗賊探しの方は、雨が降っている間は中断だろう。
外套には何か撥水加工がしてあるみたいだが、所詮布だ。雨の中を歩き回ったらびしょ濡れになってしまう。
盗賊だって雨の中をそうそう出歩いたりはすまい。
冒険者ギルドの壁から迷宮にワープする。
幸い、迷宮の中に雨は降っていなかった。
まあ幸いというか、当然のことではあるが。
結局、雨は丸二日間降り続いた。
「雨が弱くなってきた。そろそろ上がるだろうな」
旅亭の男が告げたのは、雨が降り始めた翌々日の朝のことだ。
「そうか。これで出歩けるな」
「ああ」
雨の中冒険者ギルドから走って帰ってきた俺に、旅亭の男が鍵を渡してくる。
宿屋の内壁にワープすれば、雨に降られることもないのだが。
インテリジェンスカードのチェックをするときに、冒険者でないことはばれる。
何かいい方法はないものか。
「何日か前に殺人事件があったとかで、それもあって出歩くのは控えていたんだがな」
ついでなので情報収集もしてみた。
「あの事件か。この宿なら危険はないだろう。スラムや娼館にでも行かなきゃ大丈夫だ」
「どうして分かる」
何か情報を持っているようだ。
「あれはこの町のスラムに巣食う盗賊どもの勢力争いだ」
「勢力争いねえ」
「ここだけの話、盗賊たちの一部が騎士団と結びついたらしい」
旅亭の男が声を落とした。
「ほう」
「どうやったのかは知らない。あるいは片方の盗賊が情報を流しただけかもしれない。それで、しばらく前に騎士団が残りの盗賊を一掃しようと動いた。町を追い出された盗賊はどこかの村を襲って返り討ちにあったとのことだ」
「なるほど」
それが俺の倒した盗賊か。
「先日殺されたのは町に残った方の盗賊だな。追い出された方も全滅したわけではなく一部がまだ残っているという噂だ」
「どこかに潜んでいるのかも」
「どうだろうな。まあ、スラムの方は多少ごたつくかもしれんが、騎士団の目もあるし、白昼堂々町中でいざこざを起こすことはないだろう。この辺りは安全だ」
旅亭の男が仕入れるのは宿や客の安全にかかわる情報がメインだろう。
盗賊の居場所まで知っていることはないか。
「分かった。朝食はもういいか」
「ああ、行ってきな」
旅亭の話で大体の概要はつかめた。
スラムにいる盗賊と、追い出された盗賊がいるらしい。
狙うとすれば、もちろん町を追い出された方の盗賊だろう。
俺のことを逆恨みしてくる可能性があるのは追い出された方の盗賊だから、こちらを相手にするのが正しい。
拠点に立てこもっているところを攻撃するのは難しいだろう。
娼館街の奥にあったあの建物が町に残った方の盗賊の本拠地だとして、こちらから乗り込むのは大変だ。
追い出された方の盗賊は、どこかに潜んでいるなら、警戒はしているとしても守備は手薄だろう。
騎士団による壊滅作戦を受けた後であるし。
町に残った方の盗賊も、この間の深夜に見た女性に対する暴力を見るとろくなものではなさそうだが、だからといって追い出された方が正義の味方というわけもあるまい。
村を襲った連中の仲間だし。
同じ穴のムジナだろう。
朝食の後、部屋に戻り、木窓を開けてぼんやりと外を眺めながら雨がやむのを待つ。
雨はなかなか降りやまなかった。
さすがは二日以上降り続いた雨か。
小降りにはなっても、そこから上がるまでにもうひと粘りあった。
雨がやんだのは昼近くになってからだ。
こんなことなら迷宮に入っておけばよかった。
魔法使いがLv24になったときにミノを魔法三発で倒せるようになったので、それからは四階層の探索を進めている。
かなり歩き回ったので、そろそろボス部屋が見つかるのではないだろうか。
ミノを倒せるようになるまでにもだいぶ時間はかかった。
最初からまじめに探索していれば三階層もクリアできたかもしれない。
四階層に入るために探索者に支払った銀貨四枚がもったいなかった。
雨が上がったので、宿を出る。
まずはアイテムを売りに冒険者ギルドに向かった。
冒険者ギルドそのものは壁を利用する冒険者がいるためか二十四時間開いているようだが、カウンターは昼間しかやっていない。
「滋養丸と強壮丸を二つずつくれ」
代金を持って戻ってきたアラサーの女性に、一応三十パーセント値引をつけてから頼む。
念のためにデュランダル以外の回復手段も持っておいた方がいいだろう。
迷宮で戦う分には今のところ必要ないが、盗賊を相手にするのなら何が起こるか分からない。
値引スキルをつけたのも念のためだ。
柔化丸と抗麻痺丸を買ったときには、値引は効かなかった。
多分今回も有効にはならないだろう。
しかし、何かのきっかけで効くかもしれない。
お湯とカンテラを一緒に頼んだときのように。
考えてみれば、複数のものを売買して値引が有効でなかったのは彼女から薬を買ったときだけだ。
あれは何故駄目だったのだろう。
複数にすれば有効ではないのだろうか。
アラサーの女性は一度席を立つと、丸薬を持って戻ってきた。
青い丸薬と赤い丸薬だ。
鑑定してみると、青い方が滋養丸、赤い方が強壮丸である。
ちゃんと色で区別できるようになっていた。
「ありがとうございます。一つ六十ナールになります」
「うむ」
やはり三割引は効かないらしい。
「……申し訳ありませんが、銅貨でお支払いいただけますか」
銀貨二枚と銅貨四十枚を出したまま待っていると、彼女が告げた。
何故だ。
滋養丸と強壮丸は銅貨で支払う慣習になっているのだろうか。
「悪い」
しょうがないので、巾着袋から銅貨を出す。
「ありがとうございます。確かに代金をいただきました」
アラサー女性は、銅貨六十枚と引き換えに、丸薬をこちらに渡してきた。
一つずつ、確かめるように振り分けている。
ひょっとすると、彼女は六十×四=二百四十が計算できないのかもしれない。
あるいはこちらができないと考えたのかもしれないが、二百四十ナールだと分かっていれば、銀貨二枚のときに二百四十ナール取ればいいだけか。
この世界の教育水準は分からない。代読屋がいるくらいの識字率だから、そんなに高くはないだろう。
商人には計算を行うカルクというスキルもある。
商人でない一般の村人には計算ができないくらいのことは、十分に考えられる。
計算もできないのなら、三割引ができるはずもない。
しかし、ギルドでのアイテムの買取には三割アップが効いている。
買取のときには何故有効なのだろう。
「買取金額の計算は誰がやってるんだ」
アラサー女性に訊いてみた。
「ギルドの神殿で行っております。ジョブ変更のときに見たと思いますが」
「……」
見たと言われても困ってしまう。
どうやら俺は冒険者だと思われているらしい。
まあ、フィールドウォークもどきのワープで冒険者ギルドの壁に何度も来ているしな。
「壊れたアイテムなどはそのときはじかれます。コボルトソルトなどは、アイテムボックスに入れておきませんと雨などで溶かしてしまう人がおります。買取できなくなりますので気をつけください」
「分かった」
幸い、返事をしなかったことをアラサー女性は変に思わなかったらしい。
違うことまで説明してきた。
コボルトソルトを二つに割って二個にするとか、できないわけだ。
丸薬を受け取って、冒険者ギルドを出る。
買取金額の計算はアラサー女性がやっているのではないようだ。
もしかして、彼女がやったら三割アップは効かないのではないだろうか。
これなら理屈は通る。
彼女には買取価格上昇や値引のスキルが通用しないのだ。
計算ができないのに、三割を上げたり下げたりできるはずがない。
では逆に、他の人では何故有効になるのだろうか。
カルク。
そのスキルの存在が浮かび上がる。
商人だけでなく、武器商人や防具商人、奴隷商人にもカルクのスキルがあるのだろう。
旅亭については分からないが。
こうした商売人は、計算ができなければ仕事にならない。
価格上昇や値引のスキルは、このカルクに対して働きかけるのではないだろうか。
カルクは計算するときに無意識で使われて答えが脳裏に浮かんでくるスキルだ。
計算するときには必ず使う。
商人が売値や買値を計算するとき、俺がつけている価格上昇や値引のスキルに合わせて、カルクによって自動的にサービス価格の算出が行われるのではないだろうか。
これならば複数のものを売買したときにのみ有効になるのも筋が通る。
単品で売り買いするときには計算をする必要がないからだ。
まあ一つの仮説に過ぎない。
過ぎないが、そう大きくはずしていないようにも思う。
仮説ができあがったところで、俺は意識を切り替えて、探索に集中した。
盗賊を求めて、町の中をさ迷い歩く。
二日以上雨で無駄にすごしたから、遅れを取り戻さなければならない。
期限まで時間もない。
道行くすべての人を鑑定した。
人がいそうなだけのところも、あまさず鑑定する。見えても見えなくても。
木窓の向こう側に、はっきり姿は見えなくても鑑定できることがあった。
壁越しの場合、建物の中まではさすがに鑑定できないようだ。
スラムの奥はやばい、などと悠長なことも言ってはいられない。
意を決して入っていく。
いた。
スラムに入っていくと、路上生活者の中に盗賊を見つけた。