プロローグ
自殺サイト。
もちろん知っている人は知っているだろう。自殺する方法が載っていたり、一緒に自殺する仲間を募集できたりするサイトのことだ。
そんな自殺サイトの奥に、俺は紛れ込んでいた。
別に死ぬと決めたわけじゃない。
しかし、死への誘惑がないわけでもない。
俺は、この世の中に軽く絶望していた。
学校では軽いいじめを受けている。
はっきりとしたものではない。陰湿に無視されるようなやつだ。
授業中も、昼休みも、登下校のときも一人ぼっち。
小学校のころは直接暴力を振るわれたりもしたので、これでもマシになった方か。
俺は今、剣道と合気道を習っている。いじめられるのが嫌で小学生のときに始めた。
だいぶ力もついてきたので、最近では暴力を振るってくるようなやつはいなくなっている。
情けない連中だ。
弱い者には暴力を振るえても、勝てなくなると無視するくらいしかできなくなる。
まあ、こっちもそう思って見下しているのだから、仲よくなれるはずもないか。
家での親父の態度も似たようなものである。
母親が亡くなったころは家庭内暴力を振るわれたりもしたのだが、このごろでは怯えて話しかけてもこない。
世の中なんて所詮こんなものだ。
建前をどんなにつくろっても、結局この世では力がものをいう。
力でかなわないとなれば、面と向かって直接何かをしてくるやつはいないのだ。
かといって、力があるくらいでは、今の世界でてっぺんを取ることもできない。
本当に腐った世の中だと思う。
そんなことを考えていたからだろう。
ネットで偶然見つけた自殺サイトに、俺は吸い込まれるように入っていった。
考えてみれば、この世に未練はほとんどない。
頼れる家族も、恋人も、友達さえいない。
他にどんな未練があるというのか。
成績がいいわけでもない。
親父から虐待を受けているようでは、大学進学も無理だろう。
うちは貧乏だ。
ちなみに、合気道と剣道は寺の住職が子どもたちに無料で教えている。
でも、俺は知っていた。
住職が気に入った女の子にベタベタと触りたがるのを。
世の中なんてホント、こんなもんだ。腐ってやがる。
未練があるとすれば、あれか。
正直、童貞は卒業しておきたかった。
経験しないままに死ぬのは惜しい。
性欲盛りの男子高校生の考えることなんて、こんなもんだ。
あと、自殺するのはやっぱり怖い。
痛いのも怖いのも嫌だ。
人間死ぬ気になれば何でもできるというしな。
合気道と剣道にはかなり打ち込んだ。他にやることもなかったし。
それなりの力はあるはずだ。
ひょっとしたらなんとかなるような気がしないでもないと言ったら嘘になることはないと思わなくもない。
自殺への決意を固めきれないままサイトを巡っていると、「自殺の決意をする前に」と書かれたリンクが目に飛び込んできた。
そう。これよ、これ。
健全な青少年、まだ高校二年生の俺に自殺なんか勧めちゃいかん。
こういうのがほしかった。
やっぱり死ぬのは怖い。
広告っぽいが、とりあえずクリックする。
……なんだ、これ?
そのページに移動した俺は、思わずつぶやいていた。
内容を簡単にまとめると、この世界で生きづらいなら異世界で生きればいいじゃない、ってとこか。
それどんなマリー。
あなたが生きるのに相応しい世界、とかで、何か選択できるようになっている。
科学技術が発達した世界、海賊が跋扈する世界、古代世界、剣と魔法の世界……。
魔法がある世界なんていうのもあるのか。
それを選んで進めると、人間だけがいる世界、人間とエルフとドワーフのいる世界、人間と亜人と獣人のいる世界、など、これまたずらずらと出てくる。
分かった。
これはネットゲームへの入り口だ。
まあ広告リンクだったしな。
自殺志願者が集まるようなところに広告を出してどうするつもりなのか、と思わなくもないが、進めることにする。
今はネットゲームもいいかもしれない。
少なくとも、自殺を考えるよりかはよっぽど健全だろう。
案外、そんな風に思うやつが多いから、広告として成り立っているのか。
ネットゲームは、高校に入ったばかりのころ、少しやった。
リアルで友達のいない俺はネットゲームでもソロプレイだったが。
だからだろうか。深くはまることはなく、しばらくすると自然にプレイしなくなっていた。
それでも、それなりには楽しんだ。
別に嫌いというわけではない。
ページをさらに進めていくと、文化の数や国の数を選ばされる。
いろいろあった方が面白いか。
飽きたときに他の国に行く手もあるしな。
次のページは、戦争の頻度だ。
国同士が積極的に戦う世界か、友好的な世界か。
ネットゲームだと、ギルドに加入してのギルド戦ということになる。
どうせソロプレイヤーの俺には関係ないな。
真ん中より少し友好的に傾いた四番目の世界を選んでやる。
それから、ダンジョン型かフィールド型か。
これはどちらかを選ぶのは難しい。
両方だな。
運営のおしきせじゃなくて選べるようになっているのが謎だが、最後に、あなたにお勧めのゲーム、とかでも出てくるのだろう。
しかし本当に選ぶ項目が多いな。
使用する言語まで選ばされたぞ。
しかも日本語とかじゃねえし。
何だよ、ブラヒム語って。
よく分からないのでデフォルトのままにしておく。
項目の多さにいいかげんうんざりしていると、ボーナスポイントの設定というページになった。
おお。
ゲームっぽいな。
やり直すを何度かクリックして、数値を変えてみる。
俺は、こういうのは凝るタイプだ。
いい数字が出るまでは進めない。
合気道が好きなのも、型に凝ったという面もあるかもしれない。
同じ型を何回も繰り返す。あれはあれで楽しいものだ。
ボーナスポイントは、基本的にかなり低い数字しか出ないみたいだ。
十台二十台が多い。一桁も結構ある。
どのくらいが最高の数値なんだろうか。
おおっと。62。
多いのか、もっといけるのか、微妙な数字だ。
さらに繰り返す。
四十台はときに、五十台もたまには出るという感じか。
さっきのより上は狙えそうだ。
71。
数値が緑色になっている。
これならまずまずということだろうか。
でも下一桁が1だからなあ。
最高が75なら十分だが、79までいけるならもう少し上を目指してみたい。
思いきってやり直しを選ぶ。
しかし、それ以降七十台が出ることはなく、六十台がごくまれに出るだけだった。
失敗したか。
そう思いながら、クリックしていく。
六十台で妥協すべきだろうか。
そんなことを考えながら惰性でクリックしていると、一瞬、8という数字が目の前を通りすぎた。
今八十台だった?
八十台だったよね?
ページ上の数値は、次の数字である19で止まっていたが。
ぐあぁ。しまったあ。
勢いに任せてやり直しを押してしまった。
はぁ。仕方ない。
やり直しをクリックする作業に戻る。
六十台が何度か出たが、一度八十台を見てしまうと、もう六十台で止める気にはならなかった。
どれくらい時間が経っただろうか。
あの後は、七十台さえ出ることはなかった。
仕方なく俺はクリックし続ける。
なかなか高い数字が出ないのに痺れを切らしながら、クリックし続ける。
さっきみたいにやり過ごしてしまうのを防ぐため、一つクリックした後は必ず数値を確認する。確認してから、やり直しを選ぶ。
やり直し。確認。やり直し。確認。やり直し。
そもそも、俺はなんでこんなことをしているのか。
もう逆にボーナスポイント一桁でよくね?
そんなことを考えながらも、クリックし続ける。
こうなれば意地だ。
クリックし、数値を確認し、またクリックする。
延々と、俺はクリックし続けた。
クリック。クリック。クリック。
クリック。クリック。クリック。
99。
その数字はご丁寧にも金色に輝いていた。
ついに、ついに出た。
これを出すのに、どれくらい時間がかかっただろうか。
やっとのことで出した数字。
おそらく三桁はないので、これが最高値だろう。
99。
その数値を見ながら、しばらく満足感にひたる。
長時間にわたる苦闘の末、ついににたどり着いた。
必死の想いで、搾り出すようにして出した。
苦難と忍耐と絶望の日々も、今となっては懐かしい。
あれだけの格闘を繰り返したのだ。
もうゲームなんかどうでもいいや。
ともいかないので、満足感を味わいながらも、俺は設定するをクリックする。
ボーナスポイントの設定の次は、キャラクター設定だった。
課金の説明も何もないのに。
これはブラウザー上で行うゲームなんだろうか。
せっかく高いボーナスポイントを出したのだ。いまさらやめるのも気が引ける。
とりあえず続けるしかない。
キャラクターの設定では、腕力上昇、体力上昇などの各種パラメーターの設定や、ボーナス装備の設定、ボーナス呪文の設定、ボーナススキルの設定が、ボーナスポイントを使用して行えるようになっていた。
試しに腕力を99上昇させると、ボーナスポイントが0になる。
それ以外の変化はない。
経験的には、この手のゲームの場合、パラメーター上昇の恩恵があるのは序盤だけで、レベルが上がれば最終的な強さは変わらないことが多い。
ポイントは他のものに振った方がよいか。
ボーナス装備もどうか。
ゲーム内で入手できる最強装備以上のものが手に入るのだろうか。
単に、序盤が少し楽になる程度のものであるような気がする。
ボーナス呪文は使えそうだ。
ワープとか、ガンマ線バーストとか。
しかし何を選ぶべきか。
どこかに攻略サイトでもないかと思ったが、考えてみればこのゲームの名前すら知らないんだよな。
それなのに、ゲームをやろうとしている俺。
ボーナスポイント99が出たから、後日やり直すというのも嫌だ。
99を出したのがゲーム提供者の策略だったとすれば、見事にはまってしまったことになる。
さてどうするか。
と思ったが、ボーナススキルの一番下、最後の最後に、キャラクター再設定、という項目があるのを見つけた。
このボーナススキルがあれば、やり直しが利くのではないだろうか。
このページがキャラクター設定だから、キャラクター再設定とは、普通に考えればこの同じページをやり直せるということだろう。
それならば、深く悩まずに適当な設定で始めていい。
キャラクター再設定をクリックして、チェックを入れる。
ボーナスポイント98。
ボーナススキルであと使えそうなのは、と。
必要経験値減少。
もちろん必要だ。
が、その隣には獲得経験値上昇のスキルもある。
どう違うんだ?
とりあえず両方選んでおくか。
必要経験値減少にチェックを入れると、ボーナスポイントが97になり、必要経験値減少が必要経験値二分の一に変わった。
必要経験値減少の強化バージョン、というか進化バージョンのようだ。
そのまま必要経験値二分の一をクリックすると、ボーナスポイントが95になり、必要経験値二分の一が必要経験値三分の一に変わる。
必要経験値三分の一をクリックすると、ボーナスポイントが91になり、必要経験値五分の一に変わる。
必要経験値五分の一をクリックすると、ボーナスポイントが83になり、必要経験値十分の一に変わる。
ボーナスポイントが一気に減ったな。
どうやら、1、2、4、8と必要なボーナスポイントが倍倍になっていくらしい。
試しに必要経験値十分の一をクリックすると、ボーナスポイントが67になり、必要経験値二十分の一に変わった。
83-67=16。
やはり倍か。
必要経験値二十分の一のチェックをはずしてクリックすると、ボーナスポイント83、必要経験値十分の一に戻る。
もう一度クリックして、ボーナスポイント91、必要経験値五分の一の表示まで戻した。
これで必要経験値三分の一までのスキルを得ているはずだ。
今度は獲得経験値上昇を選ぶ。
獲得経験値上昇にチェックを入れると、ボーナスポイントが90になり、獲得経験値上昇が獲得経験値二倍に変化した。
こっちも同じパターンか。
獲得経験値二倍をクリックすると、ボーナスポイントが88になり、獲得経験値二倍が獲得経験値三倍に変化する。
獲得経験値三倍をクリックすると、ボーナスポイントが84になり、獲得経験値三倍が獲得経験値五倍に変化する。
ここまでにしておくか。
その他は、と。
セカンドジョブ。
これは使える。疑いなく。
普通、ジョブ制になっているゲームでは、ジョブごとに固有のスキルや魔法が使える。セカンドジョブがあれば、二つのジョブのスキルや魔法が使えることになる。
ボーナススキルになっているのが不思議なくらいだ。
ボーナススキルで設定しなかったプレイヤーはどうするんだろう。
セカンドジョブにチェックを入れると、ボーナスポイントが83になり、セカンドジョブがサードジョブに変わった。
これも一緒のパターンか。
序盤から就けるジョブが多くあることはないだろう。
サードジョブ以上は必要になったら再設定でいい。
隣にはジョブ設定のスキルもあるな。
どう違うのか。
ジョブ設定ができないと、ジョブは勝手なものが設定されるとかだろうか。
とりあえずこれも再設定時に回そう。
MP回復速度上昇や詠唱短縮も、使えるスキルではあるのだろうが、最初から魔法が使えるかどうか分からないので、再設定用で。
値引交渉。買取交渉。
これも何か買う必要が出てきたときに再設定するか。
鑑定。
攻略サイトも見ずにゲームをするには役立つだろう。
どうするかな。
後はいいや。
ボーナス呪文はとりあえず全スルーだ。
Lv99デスとか、MP全解放とか、大丈夫なのか、といいたくなる呪文もあるし。
しかしHP全解放は使わないぞと。
使わないといったら使わない。
ボーナス装備に戻る。
序盤に限れば、絶対的に有効なのはボーナス装備だろう。
武器にチェックを入れる。
ボーナスポイントが82になり、武器が武器二に変わった。
ボーナス装備までこのパターンなのか。
武器六までクリックし続けると、ボーナスポイントが20になり、表示は、武器六のまま、かすれ文字になった。
ここまでらしい。
後は、アクセサリー二までクリックし、ボーナスポイントを17にする。
そして、必要経験値五分の一にチェックを入れてクリックし(ボーナスポイント9)、続いて獲得経験値五倍をクリックした。
残りボーナスポイントは1。
鑑定か、ボーナス呪文か、あるいは何かのボーナス装備にするか。
しかしボーナス装備は六まであるのだから、一ではたいした装備じゃないだろう。
鑑定。
俺はこれを最後にクリックした。
これでボーナスポイントがゼロ。
決定を選択し、キャラクター設定を終了させる。
画面が切り替わった。
警告!
あなたはこの世界を捨て異世界で生きることを選択しました。
二度とこの世界に帰ってくることはできません。
続けますか?
はい いいえ
なんだろう。課金の警告でもない。
課金じゃなきゃどうでもいいや。
俺は適当にはいをクリックする。
最終警告!
本当に二度と帰ってくることはできません。
それでも続けますか?
はい いいえ
しつこいな。はいをクリック。
あれ?
実はやばいメッセージだった、ような気が、する、かも……。
冷静に考える暇もなく、俺の意識は何かに吸い込まれるように遠くなった。