ハーモナイザ
― まず第一に、ハーモナイザは二十世紀初頭に考案された精神病治療方法に端を発するワクチンであり、それは人間が動物として持つ不規則性、非合理性に対してそれを技術と理性によって打ち勝つという人類文明の勝利であることを力強く明記しておく。 ―
朝のさわやかな人工光の中で目覚めると母が僕を呼ぶ声が聞こえてきた。階段を降りてリビングに出るとトーストしたパンに溶けるバターの濃厚な香りがする。
「ケンジ、早くご飯食べちゃって。学校に遅刻するわよ」
「今日はワクチンを打ちに行く日だから学校は休みだよ。息子の誕生日を忘れてるの?」
僕の言葉に母が「あっ」と小さな声を上げてバツの悪そうな顔をする。実際前時代のように腹を痛めて生んでいるわけではないのだから誕生日を覚えていないのも仕方ないといえば仕方ないのかもしれない。
昔は十か月もの間腹の中に異物が潜んでいて、おまんこががばっと裂けてスイカほどもある子供が血まみれになって生まれてきたというのだから恐ろしい。しかも女性だけがその恐怖にさらされていたという不均衡。まるで動物だ。
「早いものね。もうケンジも十三歳かあ。私も歳とるわけだわ」
― フロンティアⅢの船内では満十三歳になり、“イニシエーション”としての側面もあるワクチン接種をしてからが成人の扱いとなる。これは地球時代のどの歴史と比べても大分若い年齢だ。まだ第二次性徴の途中だし、知識量も足りないのは否めない。しかし善悪の判断はハーモナイザワクチンによって成人と変わらないという事だ。ワクチンを打つ、ということは儀式的な転換点というだけではなく、物理的にも変わるという事。今からワクチンを打つのが楽しみだ。 ―
とりとめもない母の言葉を聞き流しながら、僕はトーストされたパンをかじり、口の中に含む。じんわりと自分の唾液がパンの多泡状の生地に染み込んでいく。
「どうしたの?」
「ん!? いや」
慌ててもぐもぐと咀嚼してパンを飲み込む。
「どこまでが自分なのかな、って思って」
パンが自分でないのは当たり前だ。だがそれが体内に取り込まれてエネルギーや脂肪、細胞を形作るとして、それらはもちろん自分の体。じゃあその境はどこにあるんだろうか。口の中にあるパンはまだ違う? しかし唾液にも消化能力があって、糖を分解している。まあ、これこそとりとめもない妄想だが。
「どこに行くの? ワクチンの時間にはまだあるでしょう」
「図書館に行ってくる。少し調べたいことがあるから」
電子デバイスとノートを持って玄関の外に出ると隣の家の凛がちょうど登校するタイミングだった。
「おはよう。なんで制服着てないの? サボり?」
「今日はワクチンで学校休みだよ」
「あっ、そっか」
凜は少し歩き、靴紐が緩んでいるのに気づいてしゃがむ。
奥襟から凛のうなじが覗く。ふと、それに触れてみたいという衝動に駆られる。抱きしめて、匂いを嗅いでみたいという衝動に、なんとか理性が抵抗する。
凛は、そんな僕の心のうちなど当然知らず、立ち上がって歯を見せて笑う。
「ワクチン受けたら『サボりたい』とかも思わなくなんのかな? 今のうちにサボっとこうかな」
「サボりくらいなら、別に平気なんじゃないの?」
― ハーモナイザの仕組みは驚くほどに簡単だ。社会にとって好ましい行動(人に親切にする、ごみ拾いをするなど)をとると、側坐核にてドーパミンの放出をアシストし、多幸感を得られる。逆に好ましくない行動(犯罪、喧嘩など)をとると偏桃体にてコルチゾールを放出させる。ごく単純で、身体への負担も少ない。
フロンティアⅢの船内という閉鎖空間にて人々のストレスからくる犯罪やいざこざの軽減を目的として実施された、この調律システムにより「未然に」犯罪が防止され、争いが抑えられる。
もはや犯罪は偶然によってしか成り立たず、社会の負担は大幅に軽減された。 ―
まさか学校をさぼったくらいでハーモナイザが作動したりはしないだろう。というかサボりなんて別にできなくてもいい。
「じゃあね。行ってきます」
小走りで去っていく凛の後姿を見送る。僕の気になる方はどちらかというとこっちだ。もしワクチンを打ったら、この気持ちも消えてなくなってしまうんだろうか?
いや、ワクチンが人の心に影響を及ぼすことはないというのは繰り返し言われていることだ。あれは人格に影響はない。はず。
今だって、急に抱き着いたりしたら凛が嫌がる、怖がることは分かっている。だから、やらない。その理由付けが「相手が嫌がるからやらない」から「自分が不快な気持ちになるからやらない」に変わるだけだ。
何も問題はない。僕の心のありようが変わるわけじゃない。凜を好きだという気持ちも変わらない。ただ、行動が変わるだけだ。むしろ、自分が不快になるなら、決して凛を傷つけることはなくなる。いい事じゃないか。
図書館へと歩く足を意識的に早く動かす。
声が変わり、身長が伸び始め、いろんなところに毛が生えてくる。それと同時に下腹部に異変を感じるようになってきた。仄暗い闇の底で、邪悪な蛇がとぐろを巻いてもぞもぞと動いているような感覚。
大切なはずのものを、傷つけてしまいたくなるような異様な感覚。
この苦しみから解放されるなら、むしろ望むところだ。
― ハーモナイザの前身となったのは、とある行政取引だ。二十二世紀の中頃、性犯罪に限らず、電極による脳への刺激、DBSと呼ばれる脳深部刺激療法を受け入れることによって刑期を短縮するという受刑者に向けて持ち掛けられた取引がその大本となっている。
やがてそれが宇宙船の中という閉鎖空間において犯罪の未然予防策として注目されたのはやはり画期的だったと言う他ないように思える。
まだワクチンを受けていない子供同士の喧嘩やいたずらはよくある。しかし十三歳以上になれば、それはパタッとなくなる。
地球時代には、女性や子供などの力の弱い存在は常に犯罪の危険に晒されていたという。だけど少なくとも僕は、そんな危険を感じたことは一度もない。これもワクチン、ハーモナイザのおかげだ。今度はそのバトンを、自分が受け取る時が来たと言う事だ。 ―
図書館につくと、僕はまっすぐ技術関連の書棚に向かってハーモナイザの歴史的経緯やその意義について書かれている本を数冊手に取る。
自習スペースでそれらの本と、自分なりに考えをまとめた手帳を広げた。周りにそれなりに人はいるけど、僕のように若い人は珍しい。年を取ると電子デバイスで目が疲れるから紙の本を愛用するようになるとかなんとか……でも僕は無限にウィンドウを広げられるアナログの感覚が好きだ。どうせ人がいないので、三~四人分ほどのスペースを使って本を広げる。
どうやらこれも子供の特権らしい。周りに人がいなくても「周りに迷惑がかかるから……」という気持ちになって大人はこれをやりにくいとか。それもハーモナイザの効果なんだろうか?
僕は自分のメモを見直す。
― さらにさかのぼると、ハーモナイザの元になった技術、いや、考え方として「化学的去勢」というものに行き当たる。
性犯罪者の再犯防止に行われる処置だけれども、これについては正直僕も「どうかしてる」としか言いようがない。
原理的にはテストステロンなどの性ホルモンを抑制する注射を打つ、という極めて原始的な処置だ。
はっきり言って実効性が怪しいし、テストステロンを抑制なんかしたら体も人格も書き換わった全くの別人になってしまう。二十一世紀にはまだまだ「人格は脳に宿る」という考え方が主流だったらしいけど、いくら未開で野蛮な時代だったとしても性ホルモンの役割くらいは知っていたはずだ。いや、知らなかったのか? もう少し調べてみよう。
いずれにしろこの方法は当時は「可逆的で人道的な最高の処置」として手放しで褒め称えられたらしい。頭がくらくらする。 ―
そうだ、ここまで調べたんだった、と思い出す。しかし当時性ホルモンの役割が知られていたか、ってなると調べづらいな。AIにでも聞いた方が早いか。少し癪だけど。まあいい。これは後回しにしよう。
この時代のことを調べてみるといろいろと面白い。政府のやり方が気に食わないからと暴動を起こして街に火をつけたり、法に触れていないのに私刑を敢行したりと、野蛮すぎて思わず笑ってしまう。
ほかにも人を殺したから「死刑」だとか終身刑だとか、懲役うん百年だとか。
おいおい違うだろう。重い刑罰を科したって殺された人が返ってくるわけじゃないんだから。重要なのは再び罪を犯さないことと、更生することだろう。刑罰は復讐じゃないんだぞ、と。
この時代の人間には「理性」というものが無かったんだろうか? いや、もしかして本当に無かったのか? 「理性」って言葉はもしかして、宇宙開拓時代に入って作られたものだったりするのかな? これも後で調べてみよう。
それにしても本当にこんな樹液を求めて木の間を飛び回る昆虫みたいなのと、自分達の文明が地続きだったのか、と信じられない。
笑いをこらえながら、あるいは恐怖を覚えながら本を読んでメモをまとめていると、あっという間にワクチンを打ちに行く時間になってしまった。しまった、昼ご飯を食べるのを忘れていた。
僕は空腹をこらえながらワクチン接種会場へと急いだ。ワクチンで生理反応をコントロールできるなら、この空腹もどうにかできないのかな。
「どうだ? ワクチンを打った感想は。なんか変わったか?」
夕食の時に父に尋ねられたが、答えに窮する。
「どうだろ? 特に変わったって感覚はないんだけど。お父さんの時はどうだった?」
「おいおい、もう三十年も前の話だぞ。覚えてないからお前に聞いたんだろうが」
それはそうだ、とみなが笑う。
そう。何も変わったという感覚はない。ハーモナイザを打って一週間がたったけど、表面上何も変わってないように感じる。声変わりする前と後で、何も変わっていないように感じるのと同じだ。
ひょっとしたら、以前の自分とは変わってしまうのではないか。自由意思が制限されるんじゃないのか。そんな恐怖も少しあった。だから僕は自分で、図書館でハーモナイザについて調べてみたんだ。
データベースから調べなかったのも、本を借り出さずにその場で返したのも、まさかとは思うけど、これについて調べたのが後から公になって警察にマークされたりしないかな、と少し思ったからなんだけど、今から考えればとんだ陰謀論だった。
相変わらず、凛へのいとおしい気持ちも変わらない。ただ、身を焦がすような劣情を感じても、それを実行したいという気持ちにならないだけだ。何も変わっていない。
もし気になるなら、ハーモナイザはいつでも停止できる。それは注射の際にもお医者さんに説明された。それによるペナルティなどもない。完全に可逆的な、極めて人道的なシステムだ。
ただ、一つだけ気になることがある。
― ハーモナイザ―の歴史を調べていくと、最初に書いた通り、その源流は二十世紀初頭のとある処置に行き当たることが分かった。 ―
― ロボトミーだ ―
メモのその部分に触れると、一瞬背筋がぞくりとする。
― もちろんこれらは、技術的には全く違う体系に属する。しかし、思想的には間違いなく流れを汲んでいる。
ロボトミーは、脳の前頭葉の神経線維を切断する精神外科手術であり、情緒の安定を目的として考案され、ノーベル賞まで受賞した偉大な研究だった。しかしこの処置は、後に深刻な人格変化、無気力化、果ては人間性の喪失まで引き起こし、闇に葬られることとなった。 ―
― 当然ながら、この災害のような目も覆いたくなる副作用については、ハーモナイザについてはすべてクリアになっている。同じような問題が引き起こされることはないし、実際もう百年以上も使われてきた枯れた技術だ。危険性はない。 ―
大きくスペースがとられてから、その先が書かれている。
― 僕が気にしたいのは、もっと、根源的なところだ。いずれかの方法により、人の自由な思考が制限されたとき、それは「人」と呼べるだろうか。「自分」は「自分」であると、胸を張って言えるであろうか。 ―
まるで誰かが書いた、自分ではない人間の文章のように感じる。
― ワクチンを受けた後 僕はまだ僕だろうか? ―
もちろんこの文章を自分が書いた記憶はある。これは間違いなく僕が書いた文章だ。だが……
自分がこれを書くに至った心の動きが思い出せない。いや、想像できないといってもいい。なぜ僕はこんな文章を書いたのだろうか。僕は何を恐れていたのだろうか。
なにか、これ以上このことについて考えるのは、よくない事のような気がする。
パタンとメモ帳を閉じると、少し気分が晴れやかになったような気がした。
やっぱり、このメモはもう二度と見ない方がいい。これは良くないものだ。
……だが、もし。
もし、一旦ハーモナイザをキャンセルしてみたら、何かが変わるだろうか。いや、何かが分かるだろうか。
今の自分が何者であるか。僕が本当に僕なのか。もしかしたら、ハーモナイザは、僕を阻害しているかもしれない。いや。
妙な焦燥感を覚える。少し吐き気もする。
これは、よくない考えだ。そもそも、人格とは何か。これまでの人生、教育や親の指導によって得られた行動指針の一つに過ぎないだろう。それとハーモナイザの何が違うというのだ。
何か行動をするときに、経験豊富な親のような上位存在に常にアクセス出来て、助言を得られる程度のことだ。これを危険視するなんて馬鹿げてる。
そう考えると気持ちが少し晴れやかになった。
ハーモナイザをキャンセルするだなんて、あきれた反社会的行為に過ぎない。それだけは間違いないだろう。




