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この世界で、君だけが死なない【※頭から書き直します】  作者: しげみち みり


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第10話 研究機構・地下一号

 夜の街を、照明が均一に削っていた。ネオンも信号も、もう定時で消える。余った光が道の端にこぼれ、足跡を残さない。

 凪と別れたあと、僕は一人で研究機構の門の前に立っていた。風が吹くたび、鉄柵が軋んだ。胸ポケットの中で、桐生のIDカードが冷たく当たる。あの日、彼の部屋の机の引き出しから見つけたそれは、期限の切れたままの職員証だった。だが、入り口のスキャナに通すと、赤ではなく、薄い緑の光が一瞬だけ点いた。

 「一度だけ、通す」

 誰かの声が聞こえた気がした。


 自動扉が音もなく開く。中は暗く、蛍光灯の半分が点滅している。廊下の壁に貼られた避難経路図は、途中で線が途切れていた。地下一号——。目的の場所まで、案内板はない。


 靴底が響かないように歩く。地下へ降りる階段は、途中から湿っていた。コンクリートの匂いと、金属の錆びた味が鼻に残る。

 最下層のドアに、〈中枢棟アクセス制限〉と刻まれていた。タッチパネルの上に、IDをかざす。沈黙ののち、電子音が鳴った。

 「被験者コード:N。認証確認」

 機械音声が、僕の名前を呼ぶ。


 中に入ると、そこは巨大なホールだった。天井の蛍光灯が列になって奥へ伸び、数え切れないケーブルが床を這っていた。中央には、透明な円柱の装置。中で白い液体が静かに揺れている。

 ガラス越しに見える端末のモニターには、大きく〈SCISSOR SYSTEM〉と表示されていた。


 「ようこそ、綴じ側の人」


 声に振り向く。白い研究服の女性が立っていた。髪を後ろで束ね、疲れ切った目をしている。胸の名札には〈白石〉とあった。

 「桐生先生の……知り合い?」

 「はい。あなたに会うように言われてました。もし“SCISSOR”が止まらなければ、と」


 白石は端末に手を伸ばし、画面を操作した。

 モニターの上に、グラフが現れる。横軸が日付、縦軸が“存在密度”。線は右下がりに、鋭く落ちていた。

 「この世界は、編集されているんです。もともと軍の仮想戦域実験。戦闘中の時間圧縮シミュレーションが、現実層に漏れた」

 「漏れた?」

 「はい。現実の時間そのものが、実験環境と接続された。世界が、テストデータとして自動編集されている。効率的に短縮するために、“不要部分”から切り落として」


 彼女の指が、画面の一角を指した。

 〈被験者N:死亡反応抑制成功/虚時間領域内での存在維持を確認〉

 「あなたです」

 「……僕が」

 「“切り落とし側”ではなく、“綴じ側”に固定された実験体。だから、あなたは死なない」


 言葉がすぐには飲み込めなかった。死なないという現実が、ただの悪い夢のように遠い。

 「じゃあ、僕が生きているせいで……」

 「ええ。綴じ側が固定されると、切り落とす力が均等に働かなくなる。だから、“他の部分”がより早く切り落とされる」

 「凪も?」

 白石はためらいなく頷いた。

 「彼女の中心性グラフ、見ますか」

 画面に、凪の名前が現れた。小さな点が急上昇している。

 「あなたが彼女を中心に結び直してきた。そのたびに、彼女の位置は上がる。安全域に近づくほど、他の誰かが削られる」

 「止められないのか」

 「理論上は可能。でも、世界の総和は一定。誰かを守れば、誰かが早まる」


 沈黙。

 白石は机の引き出しを開け、古い黒いカメラを取り出した。

 「電気が先に尽きます。これはアナログ。記録が物理層に残る唯一の手段です」

 手の中のカメラはずっしり重かった。

 「記録を」

 「そう。あなたは“綴じ側”だから、最後まで見届けられる。なら、記録して」


 部屋を出る前、振り返ると、白石がこちらを見ていた。

 「桐生先生、言ってましたよ。“罰を与えるなら、記録させろ”って」

 ドアが閉まる。

 その瞬間、遠くで“シャリ”という音が鳴った。


 夜。

 地上に出ると、空は黒く潰れ、星の位置が少しずれていた。風がやけに軽い。音の届く範囲が狭くなっている。

 切断音は十度。六月十一日、十四時間。

 僕はカメラを構え、シャッターを切った。

 街の光は薄く、通りを歩く人々の影が途中で欠けていく。レンズ越しに見えるそれは、もう現実の形ではなかった。


第11話 凪の順番


 翌朝、白石からメッセージが届いた。〈解析完了。結果を伝える〉

 学校はもう機能していなかった。昇降口は封鎖され、グラウンドには救護用のテントが立っていた。けれど中には誰もいない。テントの影が、風に裂かれて舞っていく。


 研究機構に戻ると、白石は眠っていない顔で僕を迎えた。

 「凪の順番が分かりました」

 モニターに、円グラフが表示される。中心に“世界”、周囲に数千の小さな点。その中で、ひときわ明るい点が二つ並んでいた。

 「彼女は最後から二番目」

 「……どうして」

 「あなたが、結び直してきたから。告白も、写真も、記録も——それらが全部、中心性を上げる行為。最後は、あなたです」

 白石はそう言って目を伏せた。「あなたは、“綴じ側”の支点。すべての罰を引き受ける構造」


 言葉が喉で止まった。

 凪は二番目。僕は最後。

 世界が終わるその瞬間、僕はひとり残る。


 「……よかった」


 振り返ると、そこに凪がいた。彼女の頬には、かすかに光る涙の跡。

 「よかったよ。二番目なら、ほとんど最後まで一緒にいられる」

 笑いながら泣く凪を見て、胸が潰れそうになった。

 「凪、君——」

 「ねえ、もう理屈はいいでしょ。朝、世界がまだあるうちは、笑おう」


 外へ出る。

 太陽はまだ上っていなかった。街は薄いオレンジに染まっている。道路の先が消えているのに、誰も驚かない。

 公園のブランコに腰を下ろした。凪が隣に座り、靴の先を揺らす。

 「私たち、最後の二人なんだね」

「最後の二人、かもしれない」

 「それ、ちょっとロマンチックだよ」

 風が吹くたび、凪の髪が肩に触れた。


 白石の言葉が頭の中を巡る。「誰かを守れば、誰かが早まる」

 それでも、僕は凪を守りたかった。

 夜の切断音を、もう一度数える覚悟で。


 昼。街の影が揺れる。時間が短いせいで、午後の輪郭が曖昧になる。

 人々は“午後の記憶”を口にする。存在しない時間の記憶。

 「昨日の午後さ、映画見た気がする」「お昼寝の夢かな」——笑っている。でもその映画館も、もう地図にはない。

 幻のように、記憶だけが街に残る。


 夜。

 僕は手帳を開いた。負数のカウントは〈−22〉。

 切断音は十一度。六月十二日。十三時間。

 白石からメッセージが届く。「このペースだと、“睡眠”が贅沢になる」

 僕は返す。「じゃあ、僕らは贅沢者だ」


 凪の家の前で立ち止まる。表札はまだ残っている。

 「ねえ、眠れなくてもいい。今夜はここで話そう」

 「いいの?」

 「どうせ夜は短い」


 二人でベランダに座り、街の光を見下ろす。明滅する電灯の列は、遠くで途切れている。

 「世界って、静かになると、少し優しく見えるね」

 「うん」

 「怖いけど、きれい」

 凪が笑った。


 その笑顔を見て、僕は思う。

 ——これが、罰なら受け入れる。

 ——これが、終わりなら、記録する。


 カメラを構えた。

 レンズの中で、凪の瞳が光った。

 シャッターを切る音は、切断音とほとんど同じ響きだった。

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