進撃
図書館から呼び出された俺は、島村と一緒に四階の物置部屋前まで来た。廊下を見る限り誰かいる気配はない。
二人切りの話には、ちょうどいい場所だった。
そう思って、俺は島村に問いかけた。
「で、話ってなんだ?」
島村は肩越しに俺を一瞥したものの、正面を向かないままだった。鍵が開いている部屋でも探してるかな。
「……待って」
ぽつりと小さな声で言ったと同時に、島村は物置の扉に手をかけた。
鍵を外し、ゆっくりと扉を開けていく。
…え、鍵?借りてきたのか?わざわざ?
無表情気味な子だけど、今の島村はさらに硬い顔つきに見えた。
妙な胸騒ぎがする。俺は少し身構えた。
島村はただただ、どこか切ない声で俺に言った。
「外では…ダメ…」
かすれたような声でそう言われて思わず唾を飲み込んだ。なんだか、変な展開になってきたように感じた。
でもその考えを追い払うように俺は頭を振った。
島村は優等生!そんな子が変なことするわけないよな!…な…?
俺のためらいが島村に効いたのか、彼女は一歩俺の方へ、そして裾を掴んで軽く引っ張る。頬が、微妙に膨れてるように見えた。
また唾を飲み込む。
…な、なんだこれ…
「わ、わかったから…!入ればいいだろう!」
やけになって息を殺して物置に踏み込んだ。島村は後に続き、次第に扉を閉めて、部屋は暗闇に包まれた。引かれたカーテンからかすかに差し込んでくる光だけが明かりになった。
一層俺の心拍数が上がった。
おいおいおい、なんかいけないことをしてる気分になってきたぞ…?!
ふと思って、俺は振り向いたその時ーー
島村さんはネクタイを外し、シャツのボタンを外し始めた。
「ちょー?!」
あまりにも急な行動に俺は思わず大声を出した。島村はきょとんとしたような顔で俺の方を見る。光は薄く見えずらいが、かすかに頬は染まっているようにも見えた。
「……説明…まだだったわね…」
島村はシャツのボタンを外し、胸をあらわにした。薄いピンク色の柄付き下着がのぞき出て、こちらへゆっくりと近づく。
俺はそこに固まった。
「…坂田君、芝目さんにしか振り向いてないもの…彼女は…何もしないのに…」
一歩一歩の足音がやけに響く。
「……だから、私にも振り向いてもらえるように…どうすればいいか…ずっと考えてきたの…」
島村は髪留めを外し、肩の下までひらりと髪を揺らせた。
もう一歩の距離まで。
心臓の音が聞こえるほどの距離に。
シャンプーの匂いかわからないけど、柔らかくて綺麗な香りが鼻をくすぐった。
「……え、あ…」
「……調べたらね、こういうことすると…男の子は意識するって……」
島村は俺の手を取り、そっと自分の胸に当てた。
……柔らかい。
その瞬間、現実に引き戻された。
俺は島村の肩を掴み、間合いを取るように引き離した。冷や汗が額から鼻先まで伝って落ちる。
「…島村さん、まず…冷静に…」
島村の表情は固まった。俺を見つめて、何かが爆発しそうな目だった。
やがてその視線を落とした。俯くのではなく…
股間を見ていた。
するとーー
「……そ、そんな…これでも…私に…何も思わないの…?」
嗚咽が混じることばが彼女の口からこぼれる。流れる涙とともに。
「あ、え…?!し、島村さん…?!」
声は届きそうになかった。島村は顔を両手で覆って泣き始めた。
肩の震えが、俺の掴んでいる手に伝わってくる。
「こんな……恥ずかしいこと……までして…全然反応が……」
……反応…?
ふと俺も自分の股間に目を落とした。
……まさか…
島村の泣く声は途絶えなかった。
「ひっく…頑張ったのに…私…ッ…やっぱりかわいくなかった…?」
その言葉を聞いて嚙み締めた。悪いことをした気がしてならなかった。
これ…嘘と思われてしまうかもしれないし、言うのが怖い……でもなにもしなければ誤解される…!
「…っ…!いや、まて、島村さん!」
けど、まずは話さないと!
「島村さんは十分かわいい女の子だと思う!」
そう強く断言した。俺のせいで自信を無くしたら島村がどこか行ってしまいそうな気がした。
それを止めるために、強く、俺はでなければならなかった。
嗚咽しながらも島村は顔を上げてくれた。目は少し赤くなっているようで、涙はカーテンから漏れる光を反射してきらめいていた。
「……で、でも…私の体に…反応しなかった…つまり私のことが嫌いなの…?」
力強く首を振る。
「いやいや、嫌いとかじゃないんだけど…!」
「でも…生理現象として……交尾行為…に近い場面…精神的にダメな…相手以外は…」
俺は顔がひきつっていくのを感じた。なんでそこでインテリな思考に走るんだよ…?
食いしばるように言葉を飲み込もうとしたが、返事がないことのようにとらえた島村は今度俯き、言葉を落とした。
「……そう…か…精神的に…私がダメ……なのね…」
「……ッ!!」
言わないと。
「そ、そうじゃない!」
顔が熱くなるのを感じながら、勇気を振り絞って俺は話すことに決心した。
島村に傷つけないように、まっすぐに向き合うんだ!
「俺…!た、立たないん…だ…」
島村は今の言葉を聞いてすぐに目開き俺をまっすぐに見つめた。嗚咽も完全に止まった。
静まり返る部屋の空気が妙に耳に障る。
「「……」」
気まずい沈黙…でも、これで島村は自分を責めずに済むのなら…軽い代償…
……やっぱり死にたい…
「……まじ…?」
柄にもない言葉が島村から漏れた。
「…まじ…」
彼女の視線はまた下に落ちてしばらくとどまる。
「……試したの…?」
「……2次元も3次元も、いろいろ…でも何も…」
血が顔を走るように熱くなっていく。なんなんだよ、この会話!?もう許してくれ!
「…相手とは…?」
ハッと息をのんで唾が喉につまりそうだった。
「……ッ?!さ、さすがにないよ…」
島村は手を顎に当てて考え込んだ。まるで先ほどの泣きじゃくる顔がなかったかのように。
そして島村は股間から顔をあげて俺を見つめた。頬を赤らめてーー
「……試しに…刺激してみても…?」
心臓にわるいよ、この子!!
「さすがにないよ……」
真顔。
「でしょうね…」
島村は冷静そのものの顔と声で頷いてまた考え込んだ。
次の案を考えるかのように俯いたとき、胸をのぞかせたことに気づいたか慌ててシャツのボタンを留め始めた。
顔は染まったまま。
俺まで恥ずかしくなって先まで肩に置いていた手を離した。
いや…暴露したことが十分恥ずかしい思いをしたけど…
ボタンを留め終えた島村は小さく咳払いしてゆっくりと視線を重ねてくる。涙あとを軽く拭き取って気にせずにいた。
「……体が反応しなかったのは…そのためね…うん…」
自分に言い聞かせているかのようにも聞こえる言葉をぶつぶつと言った。
そしてため息をついて目を伏せた。
「……私のことはともかく…これでは芝目さんも困るでしょうね…」
このタイミングと場面に芝目の名前を出されて、また一層に顔が熱くなった。先ほど以上に。
平然な顔ですごいことを言う子だったっけ、この人…?
「……い、いや、まあ……ん?」
なんで芝目さんのことを?
「……まずは、芝目さんとの距離を縮めながら、あなたのその問題を何とか改善するようにしましょうか。」
見開いて彼女の顔を見た。頭が追いつかなかった。
島村の顔は緩んでいて、仕方なそうにこちらを見ていた。
瞳には…どこか悔しさが滲んでいたが、確かなやさしさがあった。
……本当に…悪いことをした気がしてならなかった…
でも……感謝の気持ちと、受け入れられた喜びの方が勝った。
「……ありがとう…島村…」
少しだけ、俺の声がかすれてた気がした。
「……ふふっ…いいのよ、坂田」