SIDE 島村:花を知らない女
「……ダメそうね…」
廊下の角から資料室の前にいる芝目と坂田の様子を覗いた島村は無意識に溜息をついた。彼女自身、それは呆れたためか、安堵したためか、振り返っても理解しないだろう。
確かめるように胸に手を当てた。そして答えがないことを悔やむように唇を噛んだ。
坂田達に見つかる前にその場を去りながら、島村は俯き自分の気持ちを振り返る。
子供のころから、親は教育に厳しい方で家庭教師を雇ってまで成績が常によくなるようにしていた。
おかげで確かに優秀な生徒になったが…
島村は、坂田といるときに伝えたくても伝え方がわからない気持ちを、何度も飲み込んで我慢してたことを思い出す。
胸が引き締まるようだった。みっともないと感じたのだった。
頭を振り考えを整えようとした島村。
肝心な親と言えば、共働きで家にはほとんどいなかった。
私立病院を経営しているため業務時間も長かったから、仕方ないと島村は自分にずっと言い聞かせてきた。
「……そんなもんよね…」
誰かいうわけでもない。ただ、声が漏れた。
いい子と褒められるように勉強に没頭して、成績を着実に上げてきた。中学校の頃で感心した父親は彼女を褒めてくれたことをまだ鮮明に覚えている。病院を引き継げるかもっていう言葉も。
島村の将来はその時を以て、進路が決まった。
大学に進学し、また勉強に励んで、病院の医師になって、そのうち病院の経営者に。
簡単な一本道。
そうと、小さな島村も覚悟を決めてた。
ーーけれど、人生はそう簡単ではないと悟らされるのだった。
高校に入った島村は相変わらず優秀な成績を取り続けて、先生の信頼も得た。一年のクラス委員長にまで任命された。
……暑苦しい責任と感じ取るのはその年の文化祭だった。
クラスの展示を決めるべく、クラスメイトをまとめる役を演じる必要があった。
だが、教卓に立った時に目の前に入る顔は、ほとんど知らなかった。
咳き込むクラスメイトの音に続いて部屋に響く静けさ。
提案はあるかと島村が促した。
対して、沈黙の返事。誰もがその気まずさに気づいていた。
混乱に陥りかけたことを島村はまだはっきりと覚えている。
何か…間違えたのか?
椅子が床に擦れる音も鋭く空気を切り裂くように感じた。
冷や汗が背中を滲むのを感じるその時にーー
「……え、ないの、みんな?」
彼、坂田阿木が立って教卓に来た。当時の副委員長だったから違和感はなかったものの、島村は驚いた。
「石村君、さっきお化け屋敷とかの話してたじゃん~」
坂田が投げることばに対して前の席にいる石村は笑って返した。
「いや、大変っしょ?!つか、言い出しっぺの法則!提案したら俺がリーダーになるみたいなもんじゃん」
魔法のように教室内に活気が戻った。クラスメイトの皆は互いに茶化し合いながら、提案を出して、展示を決めて、役割まで決めた。
坂田のおかげで、動き出した。
傍らでみんなが話し合っている最中に、彼がかけてくれた言葉が深く彼女の心に刻まれた。
「…委員長って…やっぱ大変なんだよな。」
明るい…まばゆい程の笑顔を坂田が島村に見せた。
その時に感じたときめきは決して忘れやしないだろう。
その思い出に浸った島村の口角は上がった。
やはり…坂田君は渡したくない…
そうと島村は胸にしみこませながら、春休みでやってきた準備を思い出す。
女性誌、恋愛指導書、「彼を振り向かせる魅了の技」という胡散臭い本。
それにネット上でフォーラムや論文に書いてあった男性の体と一般的な性格。
本を漁り、ネットで調べたり、女性の体という武器を駆使してでも、坂田に振り向かせることを、島村は春休みの間も考えてきた。
芝目は何もせずに坂田を振り向かせた理由はわからなかった。けれど、それは諦める理由にはならない。
そう信じる島村は、自分にできる勝負の仕掛け方を自分なりに考えた。
明日…やってみよう…
島村は手を握りしめて決意し、やや速足で帰宅した。