芝生のリス
チャイムと共にクラス委員長の号令で授業が終わる。
前の席にいる茂はグデッと後ろへ席に寄りかかって頭をこっちの机に乗せた。
「ああ、もう〜初日の最初に本確的な授業とか無理~!」
甘えるように言いながらこっちに手を伸ばして来た茂。
その手をハッ叩く。
「痛ってぇ!何すんの!?」
「そんなベタベタ顔触んなって。もう子供じゃないだろう。」
俺は小さく笑いながら頭つついてやった。
ムッと顔をしながらも茂はつつきから避けなかった。
「痛いよぉ〜」
「だったら避けたらどうた?」
そうと何気もない会話をしていたら授業中ずっと見ていた小さな背中が席から立ち上がった。
茂ではなく、あの子だった。
芝目里香。
立って歩いても顔は上げなかった。俯きながら教室を出ようとするせいでクラスメイトにぶつかりそうだった。
1回。2回。そして外へと。トイレなんだろうな。
「芝目さんか?」
つつくのをやめたのを境に俺の視線の先に気づいていたのか、茂は聞いてきた。
俺はもう一回だけつついてやった。
「うわーぁ!」
「また生意気なこと言ったら、我が百突炸裂拳をお見舞いしてやる!」
「あっきーがこわれたぁ!」
キャーキャーと笑いながら座り直した茂が直ぐに俺の方へ向いた。
「まぁ、でも新学期なんだから、また話掛けに行ったら?」
茂はいじるような顔で言ったが、俺は内心で言ってる事が正しいと思った。
茂は既に俺の気持ちを知っている。芝目さんのことが前々から気になっていることを。
話したわけではなく、茂からしては好意がバレバレだったらしい。
芝目さんとは1年の時に初めて会った。
……いや、会ったと言ってもクラスの前で紹介されただけだった。
一年の二学期に、特別クラスから落ちて俺たちのクラスに移った。
あの時の芝目さんもずっと俯いてて、自己紹介をする時の声は小さくて全く何も聞こえなかった。
その恥じらう仕草が木から落ちたリスに似ていた。小さくて可愛くて、そしてどこか近寄り難い雰囲気を醸し出した。
女子たちも声をかけては、ほとんど喋ることがなく、言葉に詰まって黙り込むことが多かった。
そして廊下などで近づいて声をかけようとすると彼女は逃げるようにその場を去る。
そんな芝目さんを見ていたら、いつの間にか俺の中に守りたいという気持ちが芽生えた。
ーー俺が…芝目さんを守る。そう強く感じていた。
「まあ…話しかけてみるか」
そう言い残して俺は席から立ちあがってトイレの方へ向かった。
「おう、がんばって~」
と俺の後に言葉をかけてくれた茂。
廊下を歩いてトイレまでは少しゆっくり足で歩いた。タイミングを見計らうために。
トイレの前には一度携帯を取り出して画面を見た。通知などではなく、ただワンテンポ待つために。
俺の目論見は報われた。
トイレから出る芝目さんが何かを考えているかのように周りに目を配っていなかった。角を曲がって俺にぶつかりそうになった。
「「あっ」」
二人係で同じ声を出した。芝目さんの行動と重なるかのように道を避けようとしても動線が重なった。
これは2、3回。頭の中ではこの後はお互いが気まずくなりながらクスッと笑って謝り合う流れになる。
そして、軽い話に割り出すことができる。
……そう、なるはずだと信じていたが、そんな甘いことは起きなかった。
「ひっ…!」
「っ?!」
それどころか、芝目さんは肩を竦めて怯えるような小さな声を漏らした。
一瞬俺の思考が停止してしまった。
俺…何をやっていたんだ…?なんで芝目さんを囲うようなことをしていたんだ…?
小さく震えだすところを見ると俺はハッと我に返った。
「あ、あの…ごめん…し、芝目さん、だったよね?」
また肩がびくっとした。そして頭を横へ振る芝目さんが短く返事をするのみ。
「い、いいえ…こ、こちらこそ…!」
そうと言い残しては逃げるように素早く通り避けて教室に駆けていった。
しばらく唖然として、俺はトイレの前で立ち尽くしてしまった。
俺…どこで間違っていたんだ…?
そんなことで頭を巡らせていた時に、誰かがトイレから出てきた。
「……あら?」
知っている、久しい声だった。
顔を上げてみると、髪の毛を結んで肩にかけている子がいた。俺の知っている元クラスメイトだった。
「あ、島村さん。」
「久しぶりね、坂田さん。」
島村さんが挨拶しながらかすかな笑みを浮かべた。
その笑みはどこか、俺を引き戻したような気がした。