第11話:見えざる護り手
山賊に襲われた馬車は放棄され、動かぬまま山道に残された。御者も、同乗していた人々も、すでに姿を消していた。
誰もが、リリアがネクロマンサーであることに気づいた瞬間、逃げるように離れていったのだ。彼女が術を使って助けたにもかかわらず、その恩に報いる者は、ひとりもいなかった。
静まり返った山道に、少女が二人だけ、取り残された。リリアとアリシアは、背を丸めるようにして歩き続けた。足元の道は夕暮れの影に沈み、風は冷たさを増していた。
「もう・・・すぐ暗くなるね」
アリシアの声はかすかに震えていた。アリシアは、ずっと貧しく暮らしてきた。屋外で寝たことも何度もある。しかし屋外とはいえ、それは街の中の話だ。こうして街の外で、夜を迎えたことはない。
「ここから次の街までは、まだ一日はかかる。今日は、どこかで野営するしかない」
リリアの声は淡々としていたが、その表情には疲れと焦燥がにじんでいた。
やがて、ふたりは小さな丘の中腹にある岩陰を見つけた。風を避けられる場所は限られており、贅沢は言えない。持っている布を敷き、薬草をかじりながら、ふたりは身を寄せて座った。
焚き火を起こす余裕もなく、辺りは静寂と闇に支配されていく。アリシアが、そっとリリアの手を取った。
「大丈夫・・・だよ。私、平気」
その手は、ほんのりとあたたかかった。だが、リリアの方こそ、微かに震えていた。
(もし、ここで何かが起こったら──)
闇に紛れて魔物が現れたら。あるいは、まだ山賊の残党が潜んでいたら。
自分は、アリシアを守れるのか。
死者たちを呼べば、たしかに戦える。これまでリリアは、ずっとひとりだった。誰にも頼らず、誰にも寄り添われず──だが、死者が守ってくれた。
夜の野営も、恐れを知らずに眠れていた。むしろ、死者たちは夜、活発になるので、野営は夜の方が安全くらいだ。
けれど今、リリアの隣には生きた人間がいる。
守るべき誰かがいるという現実が、リリアの心を深く揺さぶっていた。もし術を使えば、死者の刃がアリシアに向かうかもしれない。
それは、ネクロマンサーになって初めて感じた、本当の意味での『恐怖』だった。
胸が締め付けられる。ネクロマンサーとしての力が、彼女にとっては守りではなく、むしろ脅威になりかねない。
沈黙の中、突然、優しい声が闇を貫いた。
「大変だったね。疲れだだろう。大丈夫。私が、見張っている。君たちは、安心して眠りなさい」
はっとして、ふたりは顔を上げた。しかし、周囲には誰の姿もない。ただ、風の中にその声だけが、確かに残っていた。
リリアの目が見開かれる。
あの声──忘れるはずがない。
あの夜、アリシアを救い、静かに闇に消えていった男。
黒い騎士。
彼が、どこかで見ている。
気配はない。
おそらくは人間ではない──だが、だからこそ、安心できるのかもしれなかった。
闇にまぎれていても、確かに、彼の優しさを感じるのだ。
リリアは、小さく息を吐いた。
「・・・ありがとう」
誰に向けた言葉かもわからぬまま、その感謝が闇に向かう。
リリアとアリシア、か弱きふたりは、姉妹のように身を寄せ、そっと目を閉じた。
その夜、月明かりの下で、闇は、静かにその二人を護っていた。