第1話:ネクロマンサーの少女
夕闇に沈みゆく空を背景に、大地が赤黒く染まっていく。
まるで、この世界そのものが腐り落ちていくかのよう。土は膿のような液を滲ませ、草木は枯れ、空気には鉄錆の匂いが混じっている。
その大地で、咆哮が上がった。
統率のとれた無数の足音とともに現れた。オークたち──獣のような肉体と人間の知性を併せ持つ者どもが、武器を掲げて突撃してくる。
彼らの皮膚は太陽に焼けた赤褐色で、血と汗の匂いに満ちている。それらは、街に暮らす人間たちからすれば、きっと悪なのだろう。しかしそこには、少なくとも濃密な生命の気配があった。
オークの集団を束ねる、一際大きな影。オークロード。筋骨隆々とした巨躯に獣毛のマントを纏い、黒鉄の大斧を担いでいた。その瞳は、戦場に立つ者の誇りを映している。
命を燃やし、今まさにここにあることを全身で主張していた。
オークたちは咆哮を上げ、地を蹴って、街に向かって突撃する。大地が揺れ、街の外壁が軋み、石が崩れ、塵が舞った。破壊すら、ひとつの生の叫びのようだった。
そうして、崩れるのは、石だけではない。人々の希望、安寧、祈り──それらもまた、静かに瓦解しようとしていた。
そんなオークの群れの正面に、一人、エルフの少女が立ちはだかっていた。その場には到底、似つかわしくない、美しい少女。
黒いローブをまとい、風に靡く白銀の髪。透き通るような肌、深く澄んだ蒼の瞳は、まるで神話の中の聖女を彷彿とさせる。
しかし、彼女の背後に控えるのは、あまりにもおぞましい死霊たちだった。四肢の曲がった獣の屍、甲冑をまとった腐乱兵、空中を漂う頭蓋に蝙蝠の翼・・・。
それら、黒い、不浄の者たちが、オークの群れへと突撃していく。直感では、誰もがオークの味方すべきだと感じる。死霊たちと、生命の争い。そんな戦いが、開始された。
「・・・壊して、喰らって。それから・・・引き裂いて」
少女──リリア・エル=ヴァレンの声は静かで、冷たい水のようだった。
死霊たちは凶暴なうなり声をあげ、オークに取りついていく。腐った爪がオークの肉を裂き、毒気の混じった骨がオークの装備を叩き砕く。オークたちは苦悶の声を上げるが、これ以上、オークたちの増援はない。
やがて、オークは次々と地に倒れ、死霊たちは倒れたオークたちを、一切、見逃すことなく、残酷に貪る。ついに、オークロードでさえ、最後の叫び声を上げた。
オークたちは、骨と化すまで、少女が呼び出したアンデッドの軍勢によって、完全に解体されてしまった。
リリアはその光景を、身体を動かすことなく、ただ無言で見つめていた。しばらくして、彼女は、やっと動き出し、街の門の前まで進んだ。
街の門は閉ざされたままだった。城壁の上から投げかけられるのは、恐怖と嫌悪に満ちた騎士団員や冒険者たちの視線。
「噂の女だ・・・死体使いめ・・・」「化け物同士で争ってくれて助かったが、今度は、あれが俺たちの敵になるのでは?」「ネクロマンサーなんて、関わってはダメだ。あれは、穢れだ」
誰も、少女に感謝などしない。彼女がいなければ、この街は滅んでいたかもしれないのに。
城壁に連なる門の上、騎士団の副隊長らしき男が顔を出す。
「・・・依頼の報酬は、明日の朝、門の外に置いておく。それを受け取ったら、すぐに姿を消してくれ」
リリアは、微笑んだ。だが、その笑みには、温度がなかった。
街の門は閉ざされたまま。
振り返ると、彼女の背後には、戦いを終えた死霊たちが、ぞろぞろと佇んでいた。それらは、もう使役される意味を失い、土に還ろうとしていた。
「もういい。戻って・・・。今回も・・・ありがとう」
リリアの指先が動くと、死霊たちは一体ずつ、内側から崩れるように膝をつき、黒い靄となって崩れ落ち、ぬめるように地中へと吸い込まれていった。
その過程はあまりに不気味で、まるで大地が死者を飲み込んでいるかのようだった。本当に、駆逐されるべきはオークたちだったのだろうか・・・。そんな疑問が、見る者の胸を締め付ける。
リリアは街から離れ、夜の森へと消えていく。
この世界に、彼女の居場所などない。
魔を討っても、感謝されない。
救っても、祝福されない。
ただ、畏れられ、遠ざけられるだけ。
それでも彼女は、戦う。
なぜなら、彼女は愛する者たちを、守れなかったから。愛する者たちを、あるべき場所に返したいから。
その姿は、孤独そのものだった。不気味でありながら、目を逸らすことのできない存在。儚さと気高さが同居し、見る者の無意識を射抜くような、ただそこに在るだけで静かな圧を放っていた。