運動会 上
登場人物
高薙 敦 : 新月 虚の幼馴染180cmを超える恵まれた体格を持つバレー部のエース
新月 虚 : 高薙 敦の幼馴染
才色兼備の優等生
寺崎 糸 : いつも新月 虚と一緒にいる気弱な少女。
自己肯定感が低いが、諦めの悪い努力家で割とハイスペック。
黒白 麗音 : 新月 虚の腐れ縁
音楽家の家庭に生まれた天才
星空 数多 : 勉強が苦手な少女。
でも、性格がいい。
闇空 覆 : 少し不真面目な雰囲気のある少女。
2年生になってから星空の友達になった。
注意
- この物語はフィクションです。
実在の人物、団体、建物とは一切関係ありません。
- この物語には百合的要素があります。苦手な方はご遠慮ください。
また、ユリ小説ではありません。そのため、親友より上の関係に発展することはありません。ご了承ください。
- この作品を生成AIの学習等に使用するのはご遠慮ください。
14 - 25
1セット目の点数である。
女子バレー部の部員たちは2セット目に向けて作戦を考えていた。
これは練習試合である。しかし、相手は県総体の決勝で敗れた相手。ここさえ突破できれば全国大会だった。
そして、11月の新人戦、来年の総体でも、全国への高い壁としてたちふさがるであろう強豪校である。
それだけに、部員は真剣である。
10点差以上の点差を付けられたにも関わらず、勝つ方法を真剣に考えている。
ああでもない、こうでもないと頭を悩ませていた。
そんな中、一人の少女だけは違っていた。
このチームの絶対的なエースであるはずの少女。
高薙 敦。
彼女だけは……あろうことか、もうすでに諦めていたのだ……。
第2セットが終わり、第3セットが終わる。
考えた作戦を色々と試していく。
しかし、付け焼刃の作戦はどれも通じない。
それどころか、相手はこちらの武器をどんどんと見破り、点を取る余地を潰してきた。
その結果、第2セット、第3セットは第1セット以上の点差で敗れた。
全国に行く。
部員全員でその目標を掲げ、努力してきた。そんな彼女たちの前にそびえ立つ壁はあまりにも高かった。
帰りの車で、部員達はこぶしを強く握り俯いていた。相手との差を噛みしめていた。
そんな中、高薙 敦だけは窓の外を見ながら考え事をしていた。
あの踏み込みが少しでも早ければ……。
あそこでスパイクの狙いがもう少し正確なら……。
サーブが……。
戦って気づいた自分に足りないものを数え上げる。
人は試合中に都合よく強くなったりしない。
そんなのはフィクションの中だけの話だ。現実には実力差をひっくり返す逆転劇なんてありえないんだ。
10点差もつけられるようなら、その差は試合中にはどう頑張ったって埋まらない。
だから、練習するんだ。
今日の練習試合はひどい負け方もした。でも、それで課題が明確になった。
だから、今日の練習試合は成功だ。
後は今日見えた課題を練習でなくすだけ……。
明日からの練習を頑張ろう……。
高薙だけはそう考えていた。
練習試合の翌日。
今日は日曜日であり、午前から練習があった。
高薙達は昨日の練習試合での課題点を、午前中を使用して明確にしていった。
顧問や控えの選手が撮った映像を何度も確認する。
そのうえで、ここの挙動が良ければ、ここの連携が上手くいけば、と言ったことを話し合う。
話し合ったうえで、それに合った練習メニューを考えていく。
そんな中で、「あーっ。ここ決めれたはず」「何やってんだ私」と言った感情的な声が上がった。
部員達の中には昨日の悔しさがまだ残っていた。
高薙だけは唯一何も言わずにただ黙々と映像を見て考えていた。
その様子にはどこかエースとして、部長としての風格が滲みだしていた。
副部長であり、相棒である徹碧はそんな高薙ぎのことを不思議そうに見ていた。
午後は各個人が考えた対策を集計して、練習メニューを考え、それを実践していった。
今までは決められなかったスパイクや練習試合で上手くいかなかった連携攻撃を決められるようにするための練習だ。
当然、何時もよりもハードなものになった。
何時もよりハードな練習を終えると、いつもより入念なクールダウンをして、更衣室へ入った。
着替え中の高薙に徹碧が声を掛けた。
「この後お茶して帰らない?」
お茶の誘いであった。
徹碧からお茶に誘われたことは一度もなかった。高薙も徹碧もそう言う柄ではない。
徹碧から誘うとしたら、シューズ等の用具の購入か自主練に付き合って欲しいかのどちらかだった。
「いいけど……。
どうしたの急に?」
高薙は困惑気味にそう返した。
「ちょっと昨日の反省会をしたいなって……」
徹碧は落ち着かない様子で刈り上げた後頭部を触りながら、そう答えた。
「午前中にしたことない?」
高薙は制汗スプレーを首元に噴射しながらそう返した。
「それはチームとしての反省会でしょ。
そうじゃなくて個人としての反省会がしたいの」
徹碧はそう言って通学カバンを背負った。部長として戸締りの確認をしていた高薙と違い、徹碧の着替えはもう終わった。
高薙は「わかったよ」と言って気持ち着替えるスピードを上げた。
学校をでると2人は駅の中のコーヒーショップに入った。
商店街のファーストフード店の方が安く済む。しかし、2人とも間食を避けているため、食べ物は頼まない。ファーストフード店でドリンクだけ頼むのはバツが悪い。
そのため、コーヒーショップになった。
そんな2人は当たり前の様に、砂糖もミルクも入っていないほぼ0kcalのアイスコーヒーを頼んだ。
そして、通りが見えるカウンターの席に横並びで座った。
「じゃあ、反省会を始めよう」
高薙はそう言って、昨日の試合の映像を再生し始めた。
高薙と徹碧は黙って映像を見た。
徹碧は映像を見ながら気づいた点をメモ帳に箇条書きにして言った。時折、高薙の方をチラッと見た。
高薙のアイスコーヒーは、口を付けてすらいないため、一切減っていない。高薙はずっと画面に張り付いて、映像の中の2人の足の動きを真剣に凝視していた。どの位置にいるべきだったのかを真剣に検証している。本当に真剣である。
それが徹碧に違和感を覚えさせた。
1セット目が終わると2人は映像を一時停止した。そして、これからそれぞれが感じたことを話し合う。
その前に徹碧はアイスコーヒーに口を付けた。すっきりとした苦みで落ち着いた。
徹碧がアイスコーヒーを置くと、高薙が切り出した。
「私が感じたこととして、まず試合時間が短いなって……」
「確かにそうね。
練習試合中はあんなに長く感じたのに……」
「うん。でも、言いたいのはそう言うことじゃない。
午前の振り返りの時は気づかなかったけど、相手の攻撃力に対して、私たちの守りが弱すぎるんだよ。
だから、ラリーが続かず、試合がすぐに終わる」
「なるほど。私たちの課題はスパイクが決められないことだと思っていたけど、実はレシーブの方だったんだ」
そんな感じで2人は反省点を話し合う。
1セット目の反省点を離し終え、2セット目の映像を見ようかという時に、高薙は初めてアイスコーヒーに口を付けた。
アイスコーヒーは少し薄くなっていた。
高薙がアイスコーヒーを置くと、2セット目の映像を再生しようとした。
「ねぇ。高薙。
全国行きたいよね?」
徹碧が唐突にそう言った。映像を再生しようとする高薙の指が止まる。
真っ黒な画面に映った徹碧は高薙の方を向いていた。高薙もそれに合わせて徹碧の方をじっと見る。
徹碧は半無意識にコーヒーに口を付けた。グラスを持つ右手には力が入っていた。左手で持つつまんだストローには跡が着いていた。
徹碧は高薙の返事を聞くのが少し怖かった。
そんな徹碧に高薙は「行きたいよ」と答えてくれた。
徹碧は右手の力を抜き、ふぅと息を吐いた。良かった。高薙も真剣だった。
でも、それだと徹碧が昨日感じた違和感に説明がつかなかった。
徹碧は「本当に?」ともう一度聞いた。
高薙の心中を探るようにじっと目を見る。
高薙は徹碧の視線から目を逸らそうともせずに、「もちろん」と言い切った。
良かった。昨日のことは本当に徹碧の勘違いだったのだ。
高薙はそんな徹碧に「どうしたの?」と聞いた。『どうしてそんな当たり前のことを聞くの?』という意味だ。
徹碧はチームメイトを、相棒を疑ってしまったんだ。ちゃんと謝る義務がある。
「高薙。ごめん。
私は高薙のことを疑っていた。
私の勘違いだけど、昨日の試合の中で高薙が勝つことを諦めた様に見えて、
それで、高薙のことが信用できなくなったんだ。
それもきっと私のk」
徹碧はそう言いかけて言葉が止まった。
徹碧の謝罪を聞く高薙はアイスコーヒーに口を付け始めたのだ。やましいことがあると言わんばかりに……。
徹碧は恐る恐る祈るように「昨日の試合、最後まで勝つ気で戦っていたよね?」と聞いた。
高薙はアイスコーヒーを置いて「もちろん」と言った。そして、依存しているかの様にアイスコーヒーにまた口を付けた。
徹碧はもう一度聞いた。高薙は露骨に視線をそらす。徹碧はその視線を追い詰める。
高薙はため息をついた。もう誤魔化しようがないと悟ったのだ。
「ごめん。途中から諦めていたよ」
高薙はそう言葉を吐いた。その言葉は溜めたわりに軽かった。試合を途中で諦めることに対する重大性が欠如していた。
「全国に行きたいんでしょ?」
徹碧は高薙の目を睨むように見た。
高薙は「もちろん」と答える。まっすぐ正直で、その言葉に嘘偽りはない。
徹碧はわからない。全国に行きたい人間が、例え練習試合であっても、試合を途中で諦めたりするはずがない。
高薙の気持ちと行動は矛盾するからだ。
「でも、昨日の試合は諦めたの?」
徹碧はもう一度聞く。
高薙は「それは、ごめん」と謝った。
「でも、全国には行きたいんだよね」
徹碧はもう一度聞き直す。
「もちろん」
高薙はぶれない口調でそう答える。わからない。
「高薙は勝てないと分かったら、諦めるの?」
「……」
徹碧の質問に高薙は答えなかった。yesということだ。
「なら、来年の県総体の決勝で、今回みたいに第1セットに点差をつけられて、実力差を見せつけられたら諦めるの?
そこで勝てれば全国に行けるのに?」
「……ごめん」
高薙は気まずそうに謝った。
「それなら、『全国に行きたいって』本気じゃないってこと?本心じゃないってこと?
最後の最後まで行って、最後の最後で諦めるんでしょ?高薙以外はなにがあっても喰らい付いて行こうとしているのに。
そして、頑張ったけど無理だったとか後から言い出すんでしょ?
高薙はそんな気持ちでエースを、部長をしていたの?ねぇ?」
徹碧は、声のボリュームと速度を上げて、高薙を詰めるようにそう言った。
高薙は徹碧の目をしっかりと見た。今まで、泳いでいた視線が徹碧の目へと定まる。
「違うよ」
高薙はエースらしい、部長らしい力強い声で否定した。
「何が違うの?」
徹碧にはもう高薙の考えが完全にわからない。
「私が試合中に諦めていたのは事実だが、全国に行きたいのも本心だ」
「でも、」
「徹碧。きれいごとは抜きの話をしよう。
練習試合の第1セットで10点差を付けられた。
どうやって挽回するんだ?」
「それは、作戦とかを変えたり、色々試したり……」
「無理だよ。
みんなで頑張って知恵を出しました。みんなの気持ちが一つになりました。
その程度の事で、埋められる程10点差もの実力差は小さくない」
「なら、諦めるの?」
「ううん。違うよ。
その点差は、試合中に埋めるんじゃない。日々の練習で埋めるんだよ」
高薙はそう言った。
徹碧は黒いアイスコーヒーに口を付けた。氷が解けて薄まっていた。苦みがすっきりとしていた。
「良かった」
徹碧はそう呟いた。
高薙は本気だった。ただ自分たちとは考え方が違っていた。それだけだった。
でも、高薙の考え方は歪んでいた。車輪は左右にないといけない。右側だけでも、左側だけでも上手くいかないんだ。
「高薙。安心したわ。
あなたも本気だったのね。
でも、勝てないからって諦めていいわけじゃない。
練習は大事。でも、本番も大事なの」
徹碧はそう言う。
高薙はだまったままストローに口を付けた。白いストローが黒く染まる。
「……分かってはいる」
高薙は弱々しくそう答えた。
徹碧は高薙に何も言えなくなった。高薙の姿はそれほどまでに情けなかったから。
それから2人はどこか集中できないまま第2セット、第3セットの反省も行った。
終わるころには平日の下校時刻よりも遅くなってしまっていた。
徹碧はそのまま電車に乗り、高薙は路面電車の駅へと歩き路面電車に乗った。
まだ9月ということもあり、まだ日は沈んでいなかった。
高薙は路面電車に揺られながら、赤く染まる街を見ていた。
何処か物悲しい赤色が高薙を感傷的な気分にさせた。
高薙は昔から背が高かった。
小学校入学時に130cm近くあった。
もちろんその恵まれた体格のおかげでスポーツが出来た。他の娘よりも歩幅が大きく、それゆえ走るのも速かった。
勉強もすごく出来た。
なんでもできるクラスの人気者だった。
そんな高薙には、いつも後ろに隠れる様にべったりとくっついている一人の少女がいた。
身体は小さく、運動は苦手。走るのも遅く、いつも高薙の後ろを息を切らしながら追いかけて来る。
勉強も苦手で成績も悪い。料理も苦手。歌も苦手。絵も苦手。
何一つとして特技のない、才能もない少女だった。
そんな少女は、高薙が近づくと「敦ちゃん」と言って笑顔を見せる。
可愛い可愛い妹のような少女。高薙は自分の本当の妹以上にその少女を可愛く思っていた。
その娘の家が隣なのをいいことに毎日の様に遊びに行った。
ずっとこの娘は自分を慕い付いて来てくれるだろう。そう思っていた。
だから、この娘を自分はずっと可愛がってあげないといけない。守ってあげないといけない。助けてあげないといけない。そう思っていた。
でも、中学生になると、そんな2人の関係に変化が訪れた。
高薙はもって生まれた才能のおかげで、あなり勉強をしなくても中学の授業についていけていた。1学期中間テストでは学年10位以内に入っていた。
恵まれた体格のおかげでバレー部では1年生で唯一ベンチに入れてもらえた。
中学生活の始まりとして満足の行くスタートダッシュを遂げていた。
そんな中迎えた中学1年生の夏。1学期末テスト。
そこで予想外のことが起きたのだ。
高薙は何時もの様にあまり勉強をせずにテストに挑んだ。
でも、そのせいで解けなかったわけではない。中間と同様、もしくは、それ以上によく解けた。
期末テストでも10位以内は固いと思った。し、実際にそうなった。
でも、それとは別の予想外のことが起きたのだ。
期末テストから数日たった朝の事。通例通り成績上位者の順位が張り出された。
学校の掲示板に各学年の1位から20位までの名前がずらりと並ぶ。
その中に『9位 高薙 敦』という文字列があった。
でも、その上にあろうことか『8位 新月 虚』という文字列があったのだ。
今まで自分にべったりとくっついて来ていた少女 新月 虚。そんな娘が自分の上に立っていたのだ。
順位を見ると新月 虚は満面の笑みを作って高薙に言った。
「敦ちゃん。今回のテストはすごく頑張ったんだ。褒めてぇ」
高薙は複雑な気持ちを押し殺した笑顔を浮かべた。そして、何時もより一回り大きく感じる新月 虚の頭をぎこちない手つきで撫でた。
新月 虚は何かを感じ取ったのか、この日以来、高薙に「頭を撫でて」と言わなくなった。
それから、高薙は新月 虚にテストで勝てなくなった。
2年生の秋ごろには、新月 虚は不動の学年1位の座につき、嘗ての高薙のようなクラスの中心人物になっていた。
高薙と放課後も一緒にいたいというだけの理由で始めたバレーでも、レギュラーメンバーとしてコートに立っていた。
それどころか、リベロとしてチームの守りの要になっていた。攻撃の要を担うエースの高薙と共にチームの柱になっていたのだ。
そのころには足の速さもそれなりに早くなっていた。
高薙は新月 虚に負けたと思った。可愛い妹だと思っていた少女に負けた。
気が付けば高薙は新月 虚のことを「虚ちゃん」ではなく「虚様」と呼んでいた。
それに呼応するように、新月 虚も高薙を「敦ちゃん」ではなく「敦」と呼んでいた。
新月 虚が高薙についてくるという関係も、高薙が新月 虚に付き従うという関係に変わってしまった。
でも、高薙はそのことに対して不快感を覚えなかった。劣等感さえ感じなかった。
高薙は新月 虚の努力を知っていたから。
小学生の間、結果が出なくてもめげずに毎日勉強をしていた新月 虚を知っているから。
授業でどれだけ頑張っても上手くいかなかった逆上がりを、門限ギリギリまで公園で練習して、逆上がりの授業が終わった頃にできるようになった新月 虚を知っているから。
他にも新月 虚の努力を近くで見て来た。そして、それが十分に報われないのも見て来た。
それでも、新月 虚は努力を止めなかった。
そんな新月 虚だから、負けたことへの不快感よりも、報われたことへの嬉しさの方が勝っていたのだろう。
だから、素直に尊敬の念を抱けた。
でも、そんな高薙にも不思議なことがあった。
中学1年の夏、新月 虚に負けて以来、面子を保とうと高薙はそれなりに努力をしたのだ。学校の成績だって最終的には学年3位になった。
周りから見れば、新月 虚に負けず劣らずの努力家だったはずだ。
なのに、元々才能があったはずの自分が努力しても、虚の様に何もなかったはずの新月 虚に勝てなかった。
その理由が長年謎だった。
でも、高薙ぎは薄々感づいてはいたのだ。
その理由のある角度から見た一面が、徹碧に指摘されたことだろう。
テストの際や試験の際といった本番に、新月 虚程真剣になれなかった。
そう言うところなのだろう。
あくる日の朝。
高薙は煩わしい目覚ましに騒がれながら目を覚ました。少し疲れが残っているかもしれない。
30分程は体温を慣らすために布団の中で読書をする。それが終わるとジャージに着替えて10分程軽いストレッチをする。
ストレッチをしながら体の様子を確認する。
練習試合と練習の影響か筋肉が少し張っている。その部分をほぐす様にしっかりと伸ばす。
ストレッチが終わると外に出る。朝の光が体に降り注ぐ。
隣の家のピンポンを押す。すると、玄関で待っていたのでないかと思うほどすぐに新月 虚が出てくる。
「それじゃあ、行きましょ」
新月 虚はそう言って走り出す。高薙もそれについて行く。
今日の新月 虚は一段と速い。高薙は流すような走りでついて行く。
高薙と新月 虚の間にはどんどんと差が出来て来る。そして、その差が埋まることは決してない。
それでも、高薙は最低限見失わないようにしながらついて行く。
ゴールの家の前まで来ると新月 虚はへとへとで、高薙にはまだ余裕がある。
2人はクールダウンの為に、住宅街を少し歩く。
「今日は一段と気合が入っていましたね」
高薙は新月 虚にそう言う。
前を歩く新月 虚は「当たり前でしょ。もうすぐ運動会なのよ。選抜リレーで今度こそ、満月 雅に勝つんだから」と力強く答える。
高薙は「そうですね」と何処か他人事のように返す。
「敦。あなたも選手に選ばれるだろうから、もっと真剣に走りなさい」
新月 虚は吐息交じりにそう言った。キツイ言葉で言われるよりも、呼吸交じりに「お前も頑張れ」と言われる方が心に響く。
10月上旬の運動会までは後30日を切っていた。つまり、運動会までにこうして2人で走るのも後30回を切っているのだ。
一回一回の練習をもっと重要にしなければいけない。そんなことは高薙にも分かっていた。
高薙は「はい」といい返事を返した。
2学期は忙しい。
課題テストに中間テスト、運動会に文化祭、球技大会、それが終われば模試に学年末テスト。
学校行事がいくつも始まっている。
10月始まってすぐに中間テストがあり、その次の週には運動会がある。
そのため、9月は中間テストの勉強と運動会の準備を同時並行でこなす必要がある。
すこしでも、その負担を減らすために運動会の準備の始まりは速い。
生徒会や3年生の1部の面々は7月下旬には動き始める。3年生は8月中旬に動き始める。
新月 虚達2年生が動き始めるのは9月に入ってからであった。
それでも、課題テストが終わるとすぐに運動会の種目決めが行われた。
運動会は球技大会と同じ4チーム(1組と8組、2組と7組、3組と6組、4組と5組と9組)に分かれて行う。
その中で、リレーは各チーム男女それぞれ4人を選んで行う。
リレーは運動会の中で終盤の競技で得点が高く花形競技である。そのため、各チーム80~120人の中の精鋭の8人が選ばれる。
もちろん新月 虚と高薙 敦は1組、8組の代表としてリレー代表に選ばれた。
そして、9組の生徒の1人から仕入れた情報によると、新月 虚のライバル満月 雅もリレー選手に選ばれたらしい。
運動会までの間、体育の授業では運動会の練習を行う。
そのために時間割を調整して1組と8組が合同で授業を行うようにしてある。
その中で、前半は体育館で女子全員参加のダンスの練習を行い、後半に運動場で各個人競技ごとの練習を行う。
ダンスの練習が終わると、新月 虚は「敦。行くわよ」と声を掛けて体育館を飛び出した。少しでも練習時間を確保しようと必死である。
組体操の練習のため女子と交代で体育館へと向かう男子の流れの中を、2人は逆走していく。
「お前はいいよな上で、俺は一番下だから膝が痛くて……。
去年なんて膝に運動場の砂模様が写って気持ち悪かったんだからな」
「何言ってるんだ。落ちたらケガするんだぞ、新人戦前に勘弁してほしいよ……」
男子たちは憂鬱な顔でそんなこと呟いていた。そんな憂鬱さとは正反対に、やる気にあふれた目で新月 虚は体育館へと向かう。
人のいない運動場に2人が到着する。他のリレーの選手が来るまでに練習の準備をしておく。
リレーの練習では、主にバトンパスの練習をおこなう。
そのために、バトンと白線を準備する。
バトンは体育倉庫の中にある。
白線はテイク・オーバー・ゾーン(バトンパスを行うエリア)とその手前10m程を再現するようにライン引きで引く。
と言っても、両方とも先に練習していた男子が残してくれていた。
白線については足跡でかすれて大分薄くなっていたので、ところどころライン引きでなぞって引き直した。
そうこうしているうちに他のメンバーもやって来た。
この授業が4人の初の顔合わせである。4人は軽い自己紹介から始めた。
「私は新月 虚よ。よろしくね」
新月 虚から名前を名乗る。そして、それに高薙ぎが続く。
次ぎに一組の生徒の1人が名前を名乗る。
「私、弓道部の風的 ゐたと申します。
足の速さには多少の自負がございます。
この度は新月様の記念すべき初勝利のために尽力させていただきます」
風的は胸に手を当てて堂々と自己紹介をした。
新月 虚は「風的さん。よろしくね」と声を掛けた。
風的は「はい。よろしくお願いします」と返した。
次に1組のもう1人が名前を名乗る。
「私は陸上部の隼飛 風花です。
お2人の足を引っ張らないように頑張ります」
隼飛は風的とは違い弱々しく震えた声で挨拶をした。
新月 虚と高薙の2人の前で緊張しているのだろう。
そんな隼飛に風的がフォローを入れる。
「隼飛さんは終始こんな感じですが、走るが好きで、物凄く速いんです。
陸上部の中でも2番手で部長もされています。
なので、お2人とも安心してください」
隼飛は困った顔で風的を見た。
「ハードル上げないでください。
それに、どんなに私が速くても関係ないです。私の相手は貫ちゃんなのですから」
「そこはみんなでカバーします」
風間はそう言ってサムズアップをした。
隼飛はため息をついた。
新月 虚はそんな隼飛のために出来るだけ柔らかい声を作って「よろしくね。隼飛さん」と言った。
自己紹介が一周したので練習に入る。
新月 虚には今日の練習でやりたいことが3つあった。
1つ目は、各々の走る速さを知ることである。
2つ目は、リレーの走順を決める事である。
3つ目は、バトンパスの練習である。
それらの中で、まずは走る速さを知るところから始めた。
各々、50mを走ってどれくらい走れるのかを確かめた。
新月 虚と高薙は安定した速さで走り抜いた。
隼飛は陸上部の2番手だけあり、4人の中で頭2つ抜けて速かった。
そして、風的は……確かに速いのだがこの4人の中に入ると見劣りしてしまう。
風的もそれを自覚しているのだろう。
走り終えると「本番までにもう少し何とかします」と言った。
そんな風的を今度は隼飛がフォローした。
「風的さん。大丈夫だよ。
風的さんのフォームは結構変だから」
「それって大丈夫なんですか?」
「風的さんの体力や筋力が足りていないのではなくて、正しい走り方が出来ていないってことだから……。
フォームを直すのは大変だけど、筋力をつけるよりかは簡単だから……。
それにすぐに直せる部分も結構あるから、体育祭までに全然速くなるよ」
新月 虚は『隼飛は意外と頼りになりそうね』と思いながら、2人のやり取りを見ていた。
次に走順を決めた。
走順はすぐに決まった。
スタートダッシュが必要な第1走者は、陸上部の隼飛が務める。
アンカーは新月 虚で確定である。それは新月 虚の足の速さではなく、執念深いメンタルから決まった。
後は、風的と高薙、どちらが第2走者で、、どちらが第3走者かだった……。
風的が「新月様の相方は高薙様です。でしたら、第3走者は高薙様が相応しいかと……」と提案した。それに隼飛が同意したことで走順が決まった。
走順が決まると早速バトンパスの練習を始めた。
「虚ちゃん。どうでしたか?」
授業終わりの更衣室の中で寺崎がそう聞いてきた。
「いい感じよ。個人個人の実力は高いし。
でも、バトンパスが少し上手くいっていないわね。
まぁ、一回目の練習だから、これから何とでもできると思うけど……。
新月 虚はボディシートで汗を拭きながらそう答えた。
寺崎は「それなら良かったです」と返した。
「そう言う糸の方はどうなの?
二人三脚、こけなかった?」
今度は新月 虚が寺崎に聞いた。
寺崎は得意げに「ばっちりです」と答えて、相方である黒白の方を見た。
寺崎の体操服も黒白の体操服も白いままだった。
黒白はそんな寺崎を少し心配そうな顔で見返した。
「寺崎さん。私はハラハラしましたわ」
黒白はそう返す。
「麗音ちゃん。大丈夫ですよ。
私たち息ピッタリですから」
寺崎はそう返す。寺崎にしては珍しく自信がある。
「寺崎も黒白も本番で油断してこけないようにしなさいよ」
新月 虚は2人に軽く警告した。
「はい」「わかっていますわ」
2人は口々にそう答えた。
そして、黒白は「新月さんも本番でバトンパス失敗しないように気をつけてください」と言い返した。
「分かっているわよ。
私達のコンビネーションを舐めないで欲しいわ。
16年以上一緒にいるのだから」
新月 虚は高薙の方を見た。
高薙は3人の方へと向いて、「ええ。もちろんです」と答えた。
9月中旬の土曜日。
闇空 覆は星空 数多に呼び出されてG城前駅に来た。
本来であれば、今日は10月初めのテストに向けて勉強をしていた。
でも、星空がどうしてもというので呼び出された。
それなりにお金を持ってきてほしいと言われた。買い物に行くらしい。
闇空は集合時刻の15分程前についた。
星空が来るまで待ち合わせの銅像の前で、英単語帳を開けて勉強を始めた。
それから、10分ほどすると星空が来た。
星空の服装は、白のTシャツにデニムのズボン、それに白のスニーカーである。
Tシャツには左の胸のあたりに小さな星のマークが2つ連なっている。
星空は闇空の前に来るなり「どう?」と聞いた。少し自信ありげである。
服装の事を聞いているのは分かった。しかし、闇空はファッションに触れてこなかったので、良し悪しがよくわからない。
闇空は「いいんじゃない」と適当に返した。
星空は「どこが?」と聞いた。
闇空は何も言えず券売機の方へと向かった。
星空は「どこがいいの?」と聞きながら闇空を追いかけた。
闇空は少し鬱陶しそうに「髪切った?」と聞いた。
星空は「切ってないわよ」と強めの言葉で言う。
「冗談だって。
それより、今日はどこに行くんだ?」
闇空はそう言いながら券売機前の路線図を見上げた。
星空はそんな闇空の態度にいろいろと諦めた。雅なら何かしらは答えてくれるのに……。
星空は頭を軽く振って気持ちを切り替えた。
「そう言えば、言ってなかったね。
今日は闇空の私服を買いに行きます」
星空は両手を広げながらそう言った。
「そうか。私は服は間に合っているから、解散だな」
闇空はそう言って帰ろうとした。
星空は「待って」と言って闇空を引き留めた。
「闇空。私服を一着ぐらい持っておいた方がいいよ。
私がちゃんと似合うのを選ぶから……」
星空はそう言って説得しようとした。もちろん今日の闇空の服装は制服である。
「いや、いいよ。
だから、今日はもう美術館にでも行って帰ろうな」
闇空はそう言って駅の柱の1つを指さした。柱には開催中の企画展のポスターが貼ってあった。
「何でそんなに制服にこだわるの?」
星空はそう聞いた。
「いや。そうじゃないけど……。
私服で外に出ると浮かれているみたいで恥ずかしいだろ」
闇空は少し顔を赤くした。
その様子に、星空は分からないながらに、『普段ズボンしか穿かない娘が、スカートを穿くような感覚かな』と理解した。
「いっつも制服でいる方が恥ずかしいわよ。
それに、闇空なら私服も似合うわよ。
私が選んであげるから……」
それから、そう言ったやり取りを何往復かした。
そののち、星空のあまりのしつこさと「私服も似合うわよ」という言葉に闇空は諦めた。
「分かった」
闇空がそう言うと星空は嬉しそうな顔をした。闇空はなんだか嫌な予感がした。
だから、言葉を付け加えた。
「でも、条件がある。
柄物、襟なし、袖なし、肌の露出が多い、後原色のこの5つは絶対着ないからな」
「分かった。
それ以外なら何でもありね」
星空はすっごく嬉しそうにそう言った。『何でもありね』という部分が気にかかる。
闇空はため息をついた。
というわけで、2人は闇空の私服を買うために、S中駅へと向かった。
S中駅から少し歩くと郊外型のショッピングモールがある。
2人はその中に入る。
2人が最初に向かったのは、ガーリー系の服が豊富な店舗であった。
闇空は少し意外そうに星空のことを見た。今の星空の恰好からは想像もつかないからだ……。
「星空ってこういう服も持っているんだな」
闇空はそう聞いた。
星空は「持ってないよ。私には似合わないから」と即答した。
闇空は思わず「えっ」と声を上げた。
星空はにやけながら「闇空にはこういうのも似合うかなって……」と言った。嫌な予感が的中である。
闇空は「似合わないぞ。まじめにやれ」と言った。
「まじめにやっているわよ。これがギャップというものよ」
そう言って星空は店の中へと入っていく。闇空も渋々とついて行く。
「闇空の好みから言って上はブラウスになるね。
下は……ミニスカートにしよっか」
「却下。スカート丈は膝までは必要だ」
「何で」
「恥ずかしいから」
「でも、かわいいよ」
「却下」
ミニスカートを拒否された星空は渋々膝ギリギリの丈のサスペンタースカートを選ぶ。
上はフリル、レースのついたブラウスだ。もちろん白色である。
嫌がる闇空は試着室に押し込める。
闇空はいやいや着替えて、カーテンを開ける。
「幼くないか?」
闇空はカーテンを開けるとともにそう言った。
星空は首を捻った。確かに少し幼いかもしれない……。
その様子を見て、闇空はカーテンを閉めて、制服に着替えた。
次に2人が向かったのは、某スポーツ、アウトドア用品店だった。
「星空。服買いに来たんだろ?」
闇空は星空の方を見る。
「うん。闇空は普段ポニーテールだから、スポーティーな服装が似合うとおもうの」
今度の星空の言い分には一理ある。
闇空は星空についてスポーツ、アウトドア用品店に入った。
星空の当初のイメージとしては上はジャージやパーカー、下はジーパンといったカジュアルなものをイメージしていた。
しかし、襟がないという理由で闇空がジャージを拒否したので、スポーティーな服装も諦めることにした。
しかたない。闇空にとって襟は服という概念そのものなのだから……。
それから、2人はショッピングモール内を歩き回ったが決まらなかった。
いい時間帯になったので、2人はご飯を食べるがてら、チェーンの喫茶店に入った。
星空は鉄板焼きナポリタンを、闇空はエビとアボカドのサラダサンドを頼んだ。
闇空はソファーに深くもたれかかり、ランチセットのコーヒーに口を付ける。
「そう言えば、満月は今日用事か何かか?」
闇空はそう聞いた。星空がまず声を掛けるのは雅のはずである。
星空はナポリタンと卵をフォークに巻きながら「今日は誘ってないよ」と答えた。
そして、ナポリタンを口に入れる。
シンプルなケチャップの味がする。
星空の回答に闇空は口を小さく開けて古典的な驚いた表情を浮かべる。星空はそんな闇空のために説明を付け加えた。
「だって、雅にはテストを頑張って欲しいから……。
テスト勉強の邪魔をしたくないし」
星空は具材の大きく切った魚肉ソーセージをフォークに刺した。
闇空はコーヒーを置くと、ため息交じりに「私だってテスト勉強したいよ」と返した。
星空は「意外」と言った。
「私、これでも学年3位だぞ。
それに、みんな満月と虚ばっかりに目が行ってるけど、私だって学年1位狙ってるからな」
闇空は少し声をおおきくしていった。言われてみればそうである。
「そう言えばそうだったね。ごめん」
星空はわざとらしく両手を合わせて頭を下げた。
闇空は演技的にため息をついてサンド一致に口を付けた。
マヨネーズベースのソースとアボガドの濃厚さが良くマッチしている。美味しい。
星空は闇空の様子に許されたとみて、頭を上げた。
闇空は、そんな星空に「午後からは星空の私服でも見るか?」と言った。
結局闇空は何も買っていない。にも拘らず、星空の隣の席には洋服屋の紙袋がいくつか置いてあった。
全て星空の買い物である。
星空は眉間にしわを寄せて、テストの時でさえしないような、難しめの顔をした。
「待って、私の認識が間違っていたんだと思うよ」
急に発された真面目な声に闇空は「おおぅ」と声を漏らす。
「闇空が制服で遊びに来るのは違和感があった。
けど、闇空の制服姿は一種の完成された形だったのかもしれない」
星空らしくない小難しいことを言っている。
闇空はあまり服装に興味がないため、今の星空が賢そうに見えてしまった。
「なら、諦めるか?」
闇空はそう言ってコーヒーに口をつける。
内心では星空が私服を着せるのを諦めてくれたみたいで安心していた。
しかし、星空は闇空に私服を着せるのを諦めていなかった。
「いや、ゼロから闇空に合うコーディネートを考えるのではなく、制服に足すという発想で考えていこうと……」
「制服に足す?」
「例えば、ボウタイの赤色を少し鮮やかにする。ブラウスをフリルが少しついたものにする。
と言った制服姿をベースにしたファッションを考えようと思うの」
星空は名案を思い付いたようにそう言って、喉が渇いたのかセットのミルクセーキに口を付けた。
ミルクセーキでは喉が潤わなかったのか、そのまま水に口を付けた。
昼食を食べ終わると、2人の私服探しは継続された。
「なぁ、星空」
闇空は隣に立つ星空に怪訝な声を出した。
星空は短く「何?」と何でもないように聞いた。
「制服に足すってそう言う意味じゃないんだよ」
闇空は星空に真顔で言う。
星空が闇空を連れていたのは、古の香り漂う変形学生服の専門店だった。
星空は「こういうの好きでしょ」と言いながらお店の中へと入っていた。
闇空は「いや。でも、こういう店もあるのか」と小言を言いながら、渋々星空について行く。
狭い店内には、柄物の裏ボタンや改造胸章、外付け襟カラー等の小物から、
短ランや白ラン、ミニスカート、ロングスカートといったものまで古き時代の聖遺物達が並べられていた。
一通り見て回った後で、星空は一般的な制服風のミニスカートと袖や襟の裏にガラのあるブラウスを選んだ。
星空は「試着してみない。採寸してみない」と言いながら、闇空に迫り寄った。
闇空は星空に迫られて後ずさりをする。それでも、星空の圧が強く、いやいや試着した。
人生で初めてはいたミニスカートは、太ももの辺りが冷たく、心もとない。ブラウスにいたっては裏地のガラがキツく、違和感を覚える。
総じて、服に人格が乗っ取られそうな不快感を覚える。
闇空の本来の性格が、現在の恰好に拒絶反応を起こしていた。
闇空は早くいつもの制服に着替えるために、いやいやながら試着室のカーテンを開けた。
試着室の前で待機していた星空は感想を述べるでもなく「ごめん」と一言謝った。星空も同じことを考えていたのだろう。何故か似合っていない。
闇空はカーテンを閉めるとすぐに何時もの制服に着替えた。
自分の部屋にいるような安心感が身体を包む。
闇空は自分にはこの服装しかないのだと実感した。
制服に戻って試着室をでると、星空が「闇空はそれがいいよ」と言った。
星空は闇空の私服を選ぶのを諦めていた。
運動会が近づくにしたがって、リレーの練習にもどんどんと熱が入ってくる。
新月 虚は毎朝のランニングを今まで以上に真剣に取り組んだ。
走り終わると同時に倒れそうになるほどのペース配分で朝の住宅街を駆け抜けていく。
少ない時間でもより効率的に、負荷をより高く、そう意識して練習に打ち込んだ。
そんな新月 虚とは違い高薙ぎは相変わらず流すような走り方をしていた。
その一方で、新月 虚に隠れて夜も少し(3km程)走り、走る時間をより多く確保するようにした。
運動会の準備を頑張っていく。その一方で10月上旬の中間テストへの準備もしないと行けなかった。
新月 虚は「今度の中間考査こそは満月 雅に勝ち学年1位になる」という気持ちで勉学に打ち込んだ。
そのために、少ない時間でもより効率的な学習ができる様に考えた。
授業の中で躓いた点や、過去に間違った問題、今の自分には少し難しめの問題を中心に取り組んでいった。
解けない問題でも今の自分で解けると信じて執念深く挑んでいく。
その中で、ただだらだら考えるのではなく時間を決めて、その中で絶対に解ききるという勢いで取り組んでいく。
そんな新月 虚に負けないように、いや新月 虚ろの幼馴染として恥ずかしくないように高薙も努力した。
高薙は少しでも多く勉強時間を確保するようにした。
行きや帰りの電車の中で英単語長を見たり、朝の読書の代わりに数学の勉強をするようにした。
また、娯楽の時間を削ることで平日に4時間は勉強できるようにした。
毎週楽しみに見ていたドラマさえ時間の確保のために切った。
休日に至っては、部活と食事以外の時間はずっと勉強するようにした。
集中力が切れかけても未練がましく机に張り付くようにした。
2人はそれぞれのやり方で運動会と中間テストへ向けての準備をしていった。
そんな中で事件が起きた。テスト期間が目前に迫った金曜日のことだった。
4時間目の体育の授業。
熱こもった体育館の中でダンスの練習をしていた。
ダンスの最後は、全員でハイジャンプをしてポーズを決める。全員の動きが揃えば綺麗に見える。
しかし、その部分のタイミングが微妙に合わなかった。そのため、その日はその部分を重点的に練習をしていた。
そんな中で、17回程繰り返した後の事だった。17回やっても微妙に揃っていないので、18回目の練習をする。
曲に合わせて飛び上がる。そして、着地する。
その際に新月 虚が上手く着地をできずに前に倒れてしまった。
新月 虚は身長の関係で最前列にいたため、誰にも支えられずにそのまま地面へと顔をぶつけた。
ボーリングの球を落とした時のような鈍い音が響いた。
でも、不思議と新月 虚は痛みを感じなかった。
19回目の練習のために立ち上がろうとした。が、体が熱く上手く立ち上がることが出来なかった。
身体がふわふわとして意識が遠のいていく……。
そんな新月 虚の元に最後列から高薙が駆け寄った。
「虚様」
高薙はそう言いながら新月 虚の体に触れた。
新月 虚の体はお風呂上がりの様に熱く、赤くなっていた。
熱のこもった体育館で何回も飛び跳ねていたんだ。熱中症という言葉が頭をよぎる。
高薙は、体育委員の地畑と寺崎を呼び、新月 虚を保健室へと連れて行った。
体育の授業が終わると高薙と寺崎、黒白は急いで着替えて保健室へと向かった。
本当は体育の授業の間も新月 虚の側にいたかった。が、養護教諭に「だいじょうぶだから」と言われて、保健室を追い出されてしまった。
気が気でない授業を終えて、3人が保健室へと向かうと、新月 虚はいなくなっていた。
心配そうな顔をする高薙に養護教諭が事情を説明してくれた。
「新月さん、熱が結構あったから、保護者に迎えに来てもらったわ。
安心して、熱中症ではなかったわ。」
熱中症ではなかった。その言葉に3人はとりあえず安堵の息を漏らした。
「多分ただの風邪だろうから、すぐ直るわよ。
みんな忙しくて疲れているのか、最近風邪が流行っているみたいなのよ。
今もベッドで寝ている子がいるから、教室に帰って頂戴」
養護教諭はそう言って3人を保健室から締め出した。
3人はそのまま教室に帰って、新月 虚のいない3人でお昼を食べた。
寺崎と黒白が時折会話をする。寺崎が時折高薙に話題を振る。高薙はそれに返事をする。
なんとなくいつもより箸が進むのがはやい。
昼食を食べ終わると、高薙は中間テストの勉強を始めた。あまり集中できない。
午後からの授業もあまり集中できなかった。
高薙は部活に行こうとしたが、新月 虚の事が気になり集中できそうになかった。
そのため、今日は練習を休んで、家へと帰った。
家に着くと荷物を置き、そのまま隣の新月 虚の家のインターホンを押す。
「はいはい」という声と共に中から新月 虚の母親が出てきた。
虚母は高薙の事を見ると「敦ちゃん。お見舞いに来てくれたのね」と言って笑いかけた。
高薙は「はい」と落ち着いた返事を返す。内心は早く新月 虚に会いたくて焦っていた。
そんな高薙に虚母は少し残念そうな顔をした。
「ごめんなさい。虚ちゃんに敦ちゃんが着ても部屋に入れるなって言われているのよ」
高薙はその言葉に「そうですか」とあっさりと返した。
新月 虚ならそう言いそうだった。高薙には新月 虚の意図が分かっていた。私にかまわず自分の事に集中しろということだ。
虚母は意外そうに「敦ちゃん。今日部活休んでまで早く帰ってきてくれたんでしょ。上がっていかないで大丈夫?別に虚ちゃんのいうことなんて気にしなくてもいいのよ」と聞いた
高薙は「大丈夫です」と答えた。そして、「虚ちゃんの体調はどうなのでしょうか?」と聞いた。久しぶりに「虚ちゃん」と言った。もう違和感を感じる。
虚母は
「大丈夫よ。ただの風邪だったから。敦ちゃんが心配していた熱中症ではなかったわ。
それに、病院に行って薬もらったし、お医者様がいうには過労が原因だから、ゆっくり休めばすぐ治るって……。
火曜日ぐらいには学校に戻れると思うわ」
と返した。
高薙の口から「結構長いんですね」という言葉がこぼれた。
ただの風邪だから、明日には元気になれるものだと思っていた。
虚母はそんな高薙に少し困った顔をして愚痴を言った。
「虚ちゃん。無理して頑張りすぎちゃうところがあるでしょう。
だから、こういう時にしっかりと休ませないといけないのよ」
虚母はため息をついた。
「そうですね」
と高薙は苦笑を漏らす。虚母もそんな高薙ぎにつられて苦笑いをした。
2人は恐らく中学2年時の体育祭の事を思い描いていただろう。
「大丈夫よ。今回はしっかり休ませるから……。
あの時の二の舞にはさせないから」
虚母は任せておいてというような笑顔を浮かべた。
高薙は「はい。お願いします」と返す。
「あの時はごめんなさいね。
折角リレーのためにバトンパスの練習たくさんしたのにね……」
虚母はそう言いだした。
高薙はこのままだと話が脱線して、長くなること察した。
「いえ。大丈夫です」
高薙はそう返す。
そして、「私はそろそろ帰ります」と言った。
「そう。今日は虚ちゃんのお見舞いに来てくれてありがとう」
「いえ。お邪魔しました」
高薙はそう言って隣の家へと帰ろうとした。
虚母はそんな高薙を一瞬呼び止めた。
「敦ちゃん。敦ちゃんも体調には気をつけてね」
高薙は「はい」と言ってから自分の家に入った。
虚母は家に入ると、新月 虚の様子を見に2階へと向かった。
『虚ちゃんはそろそろ起きている頃かな?
今日は普通のご飯を食べれそうかしら。無理そうならうどんにしましょうか。
あれ?冷凍うどん切らしていたような。まぁ、なかったらおかゆにしましょう』
そんなことを考えながら階段を上がり、新月 虚の部屋へと入る。
ベッドの方を見ると、そこに新月 虚はいなかった。
新月 虚は鼻水をすする音を立てながら机に張り付いていた。
虚母は思わず溜息をついた。
『うちの娘はどうしてこうも無理するのかしら?』
叱りつけたい気持ちを抑えて笑顔を浮かべた。
「虚ちゃん。お勉強?」
虚母がそう聞くと、
新月 虚は振り返って「ええ。調子が良くなると、暇で暇で仕方なくって」と返した。
娘の声は枯れていて、顔は少し赤かった。
母は「そう」と言いながら娘のおでこに手を当てた。
汗で湿ったおでこはそれでも熱い。
「熱があるわね。寝ていなさい」
母や優しくそう言う。
娘は「大丈夫」と返した。机から離れてくれそうにない。
母は「そんなのじゃ、また風邪をこじらせて2週間ぐらい休むことになるわよ。それでもいいの?」と優しく聞いた。
娘は「はぁ」と溜息をついて、ノートと教科書を閉じた。そして、ベッドへと戻る。
テストを受けられなくなっては元も子もない。
母はそんな娘にしっかりと布団を掛けると
「ご飯どうする?
普通ので大丈夫?それともうどんかおかゆにする?」
と聞いた。
娘はもちろん「普通ので!後ご飯は大盛りで」と言った。
大分無理をしている。よほど早く治したいのだろう。
母は「食べれば食べた分だけよくなるってものじゃないのよ。今日はうどんにしなさい」と言って立ち上がった
娘は少し不服そうに母を見る。母はそのまま娘の部屋を後にした。
月曜日。
高薙が1人で教室に入ると、寺崎と黒白が高薙の元へと来た。
2人は口々に「虚ちゃん。休みですか?」「新月さんはまだよくならないのですか?」と聞いて来た。
2人とも新月 虚がただの風邪だったということは聞いていた。それでも、新月 虚の事が心配なのだろう。
高薙は「大分良くなっているので、明日には来れると思います」と寺崎に言った。
そして、2人の間を抜けて自分の席に向かおうとした。
「虚ちゃん。明日から学校に来れるんですね。良かったです」
高薙ぎの後ろで、寺崎が黒白にそう言った。声は穏やかだ。
「そうですね。でも、残念です」
黒白はそう言ってため息をついた。
「残念?」
寺崎が疑問符を浮かべる。
「違いますよ。明日から新月さんが学校にくることがではありませんよ」
黒白は言われてもいないことを慌てて弁明する。
「新月さん。中間テストでも、体育祭でも、満月さんに勝つって言ってあんなに頑張っていたでしょ。
それなのに、テスト期間前の貴重な土日を風邪で潰してしまうなんて……」
黒白はそう付け加えてため息をついた。
寺崎は黙ってしまった。
高薙も今回ばかりは黒白と同意だった。
テスト期間とその前の1週間は最後の追い上げ時である。
ただでさえ重要な時期なのだ。その上、休日というさらに貴重な2日間をベッドの上で過ごすしかなかった。
あんなに頑張っていたのに、こんなハンデを背負わせられるなんて……。
2学期の初めに、新月 虚は課題テストの結果を見て、次こそは勝てると言った。
順調に実力差は縮まっている。後は抜くだけだと言った。
そのために、今回のテストはいつも以上に気合を入れていた。
高薙はそのことも、そのために新月 虚がどんだけ頑張って来たかも知っていた。
高薙は力いっぱいこぶしを握り締めていた。
『次新月 虚にあった時になんて声を掛ければいいのだろう。
期末テストは頑張りましょうでいいのか?』
高薙はそんなことを考えながら席に着いた。
そして、数学の問題集を開いた。当り前だが、問題は全く進まなかった。
テスト期間中は部活がない。
高薙は授業が終わると、荷物をまとめて教室を出た。
そのまま家へとまっすぐ帰る。
そんな帰路の途中、廊下で徹碧と出会った。そのまま自然な流れでG城前駅まで一緒に帰る流れになった。
「新月さん、今日は休みだったんでしょ。心配?」
徹碧は高薙ぎの横を歩きながらそう聞いた。
流石は新月 虚、全校生徒の憧れの的だけあり彼女に関する情報はすぐに回る。クラスの違う徹碧でさえ、彼女の出席状況がわかるのだ。
「別にもう大分良くなっているから……。
明日には学校に来れそうだし」
高薙はそう返す。
「そうか。良かったね」
徹碧は言う。高薙は知らず知らず不満な表情を浮かべる。
「明日から新月さんが学校に来れるんでしょ。
どうしてそんな浮かない顔をしてるの?」
徹碧はそんな高薙の表情に気づいてそう聞いた。
「確かに学校には来れるけど……」
「……けど?」
「テストが……」
「テスト?」
「はい。
虚様は今度こそ学年1位になるんだと言って頑張っていたんです。
それなのに、風邪をひいてしまって……」
高薙はそう言う言葉を吐き出した。どんどんと声のトーンと目線が下がっていった。
徹碧はそんな高薙にため息をつきたくなった。でも、悲観してても何も変わらない。
代わりに嫌味を吐いた。
「まるで新月さんが満月さんに負けることが決まったみたいな言い方だね」
高薙は下を向いたまま、
「もう負けることはほぼ決まっているよ。
毎回全力で戦っている。それでも一度も勝てたことがないんだ。
それなのに、今回は大事なテスト期間前の土日が風邪で潰れてしまった。
もう勝つのは無理でしょ」と吐いた。
高薙らしい。そして、イライラする。
徹碧はそんな高薙の背中を苛立ち6割、優しさ4割で叩いた。
当たり所が良かったのか思いのほかいい音がした。高薙は背を逸らして顔を歪めた。
「何っするのっ」
高薙が痛みを我慢した振り絞る声でそう言った。
「高薙。新月さんはきっとまだ勝つ気でいるよ」
徹碧はそう言って高薙の目を見つめた。
高薙はため息をついた。
そして、「つらいだろうに、可哀そうに」とつぶやいた。
徹碧はその言葉に何も言えなくなった。
その日の夕方、高薙はリレーの練習と部活がない期間の体力の低下予防のために走りに出た。
毎朝新月 虚と走るコースを流し気味に走る予定だ。
ジャージに着替えて、運動靴を履き、玄関の扉を開ける。
ちょうどその時、隣の家の扉が開いた。
中からはジャージ姿の新月 虚が出てきた。
高薙と新月 虚は目が合った。2人は何も言わず、毎朝の様に走り始めた。
新月 虚は全力疾走はしなかった。いつもの高薙のように流す様に走っている。流石に、病み上がりなので抑えていた。
高薙はそんな新月 虚に並走するように走る。大分抑えているせいか、少し物足りない。
「虚様。お身体はもう大丈夫なのでしょうか?」
高薙は心配そうに聞いた。
新月 虚は「もちろんよ」と返す。
高薙は横目で新月 虚の顔を見た。月の光に照らされて青白く光っていた。でも、そこに冷たさを感じさせるような病的な青白さはない。
それに、新月 虚は息も乱れていなかった。
本当に快復したのだと高薙には分かった。
高薙は「良かったです」と答えた。
「良くないわよ。大分体がなまっちゃったわ」
新月 虚はそう言って走るペースを一段階上げた。なまった分を少しでも取り返せるようにと……。
高薙も少しペースを上げてそれについて行く。
「おまけに頭も少しにぶった気がするわ。
英語の長文を読んでみたら、脳が錆びついているみたいで、何時もよりも時間がかかったのよ。
テストまで1週間を切っているのに……」
新月 虚は口から息ではなく小言を吐いた。体は鈍っているみたいだ。だが、元の身体能力が高いためか、この程度で呼吸が乱れる様子はない。
顔も涼しい顔をしている。
「それは大変ですね」
高薙は同情するように相槌を打つ。
「そうよ。でも、少ないけど、まだテストまでも運動会までも時間があるわ。
これから何とかしていくわ。まずは中間テストからね」
新月 虚は力強くそう言った。高薙の視界の隅に写る新月 虚の横顔は闘志に溢れていた。
予想は出来ていたことだし、そうあるべきことである。
だって、新月 虚なのだから。
新月 虚はまだ中間テストで学年1位になることを諦めていなかった。
現在新月 虚はかなり不利な状況にいるにも拘わらず。高薙にはそんな新月 虚が痛々しく見えた。
「虚様。もう少し、ゆっくりしてもいいのではないでしょうか?
焦る気持ちも分かります。ですが、まだまだ病み上がりです。」
高薙は新月 虚にそう言った。
新月 虚は「大丈夫よ。もう全快だから」と言ってペースをもう一段階上げた。高薙もそれに合わせる。
高薙が流しで走る時と同じぐらいのペースになった。
「虚様はテスト期間前の大事な土日を風邪で寝ていたのですよ」
高薙は口で息をしながらそう言った。このペースだとさすがにしゃべりながら走るのは少し辛い。
「そんなこと分かっているわ。それがどうしたの?」
新月 虚も口で息をしながら返す。
「現在、十分に準備できていない状態です。
今から、中間テストで満月さんに勝つのは大変ですよ」
高薙の言葉に新月 虚は「分かっているわ。いつも以上に頑張らないといけないわね」と返す。
高薙は「現実的ではないです」と言ってしまう。
新月 虚は「そんなことないわよ」と強めの声で言った。そして、高薙を引き離す様にペースをもう一段階上げる。
何時もの高薙以上の速度である。
何時もの高薙なら、ここで並走を諦めていた。新月 虚もそれを知っている。
だから、高薙突き放す様にペースを上げた。
高薙はそんな新月 虚に並走した。
「無理です」
高薙は息切れ切れに否定的な言葉を吐く。
「高薙わかるでしょう」
新月 虚は一息でそう言った。そして、息を整えるために2、3回息を吸う。
高薙も新月 虚も何も言わない。走る速度が走る速度だけに声を出す余裕がない。
高薙は新月の目横顔を見る。新月 虚も高薙の横顔を見る。
でも、新月 虚の言いたいことは高薙 敦には伝わらない。
「私は新月 虚なのよ」
新月 虚はそう言って、さらに速度を上げる。
何時もの新月 虚に近い90%近い速度になった。
高薙はそれについて行く。
高薙は何も言わない。ついて行くのがやっとである。
「私は 何時 だって 壁を 乗り越えてきた。
今度 だって 同じ。 それに こんなのは まだ 不可能 じゃない」
息切れ切れに新月 虚はそう言った。
高薙には胸が締め付けられる程に痛々しく見えた。
「虚様は 頑張り屋さん です。
私には できないことを いろいろと やって来た。
そのために ずっと 努力を して来た。
そんな 虚様を 私は 尊敬しています。
でも 虚様は その一方で 諦めも悪く。
どんな 状況でも 頑張ろうと する。
たとえ 勝てないような 状況でも 勝てると 信じて ただ頑張る。
それが 私には 痛々しいん です。
虚様 辛くないんですか?」
高薙はひび割れそうな肺から息を絞り出して声にした。口の中にはほんのりと鉄の味が広がる。
そんな高薙に新月 虚はニヤッといい笑顔を作った。
「辛いわよ。 頑張るのは 辛い。
でも 私は どんな 状況でも 勝つ 可能性は あると 信じている。
勝つ 可能性が ある限りは 足掻きたい。
だから 辛くないの。
今回の 中間テスト だって まだテスト まで 5日も あるのよ。
テスト中も 合わせれば 9日もあるわ。
それなら」
「そのために 9日間も 無理を するんですか?
それが どれだけ 辛いかわかって いるん ですか?」
「分かって いるわよ。
今まで そうして きたん だから……」
「そうですか。 私には 虚様が どれだけ 辛いか わかりません。
私は 虚様 みたいには 頑張る ことが 出来ないから……。
でも 虚様の 辛さが 私の 想像以上な ことだけは 分かります。
中間テストで 勝てる 可能性 なんて ほぼ ないですよ。
なのに そんな戦いの ために なんで そこまで 頑張るん ですか?」
「高薙 私も あなたも ずいぶん口が動くわね。
まだ それだけ さぼっているのね。
いけないわね」
新月 虚はそう言うとさらに加速した。かなり無理をしているのが分かった。
高薙はそんな新月 虚に突き放されそうになる。
横を走るのは無理だった。でも、何故かその時の高薙は最後まで喰らい付こうとしていた。
高薙は住宅街の公園で仰向けに倒れていた。いつものランニングコースの折り返し地点である。
空には星々の中から抜きんでようとする大きな大きな青い月が輝いていた。
息を整える。
一呼吸ごとに肺にひびが入るように痛い。
「情けないわね。
バレー部のエースでしょ。
もっと頑張りなさいよ」
新月 虚が咳が混じったような声でそう言う。
新月 虚は倒れずに立っていた。でも、余裕はなくよろめくのがやっとであった。
「ずっと寝ていると心臓に悪いわ。
少し歩くわよ」
新月 虚はそう言いながら、高薙に手を伸ばした。
高薙はその手を取ろうと手を伸ばす。
新月 虚に軽く引っ張られて立ち上がる。
一歩を踏み出そうと足を上げると、そのまま倒れそうになる。
高薙はもう限界だった。
新月 虚はそんな高薙ぎに肩をかす。二人三脚のような形になる。
高薙は新月 虚の肩を借りながら、足を動かし、肺に息を送り、心臓を動かし、息を整えて言った。
しばらくすると「虚様。苦しいです……」とかすれた声を上げた。
新月 虚は「呼吸するペースを意識しなささい」と言って一定のゆっくりとしたペースで背中をさする。
肺に穴が空いているのではないかと思うほど吸っても吸っても空気がたまらない。
それでも、少しずつペースは定まってくる。
そんな高薙の頃合いを見て、新月 虚が口を開いた。
「高薙。こんな苦しい思い毎日したい?」
高薙は新月 虚の問いに「いいえ」とかすれた言葉を吐き出した。
「なら、私はなんで毎朝こんな苦しい思いが出来ると思う?」
高薙は何も答えなかった。何も思い浮かばなかった。
「私はね。虚のように何もなかったのよ。
でも、高薙、昔のあなたに憧れてしまった。
運動も得意で、勉強も得意で、みんなの人気者で……。
そんなあなたに憧れてしまった。
だから、あなたみたいになりたいと頑張り始めたの」
新月 虚はそう言いながら、高薙に肩を貸していない方の手を自分の胸にあてた。
「……」
「そうやって、努力をして勉強だけは貴方に勝てた。
運動もそれなりに出来るようになって、私もみんなの人気者になれた。
努力は私の虚を埋めてくれた。
だから、私は信じれるの。
この苦しい思いが、勝利へと繋がっていると……」
新月 虚はゆっくりと天を仰いだ。
新月 虚の視線は今は大きくなった月を見ていた。
「……そうですか」
高薙も虚ろな月を見た。
「納得してくれた?」
新月 虚はそう言って高薙に目線を写した。
「……」
高薙は何も答えない。
言葉としてはわかる。でも、実感として理解できなかった。
「そうよね。敦。あなたには努力が報われた経験がないものね。
こんな話されても分からないわよね」
「……」
高薙は何も言わなかった。代わりに新月 虚の肩あたりの布をギュッと掴んだ。
「敦。あなたは私なんかよりもはるかに多くの才能に恵まれて生まれてきた。
だから、あなたは頑張らなくても、その才能だけで勝てて来た。
その反面、あなたは自分の努力で勝ったことがない。
自分より才能に溢れた人間に勝ったことがない。
不利な状況から勝ったことがない。
だから、あなたには努力することの価値がわかっていないのよ」
「……」
高薙は黙ったまま顔を伏せた。
薄々自分の中では分かっていた。でも、どうすることもできなかった。
「でもね。敦。
あなたは価値がわかっていないなりに頑張って来たでしょ。
私に追い抜かれたくない、置いて行かれたくないって。
あなたなりに足掻いて来た。
まだ報われていないだけで、いつかその努力が報われる時が来ると思うのよ。
その時になればわかるわ」
新月 虚は高薙の頭を撫でているかのような優しい声でそう言った。
「……」
高薙は何も言わず涙を流し始めた。暗い夜の中でも、青白い月光に照らされて、涙の輪郭だけが写った。
「……帰りましょうか?」
「……」
2人はそのまま家へと向かった。
読んでくださりありがとうございます。
面白ければ次回も読んでいただければと思います。
次回は10月26日に投稿する予定です。
[次回予告]
次回は運動会の後半になります。
中間テストと選抜リレーという、知と体両方のフィールドで新月 虚と満月 雅が戦います。
今回は高薙に焦点を当てたために、雅と欠のやり取りを一切書けませんでした。
次回は今回書けなかった分も2人のやり取りも書いていきます。
[11月以降の投稿について]
11月以降の投稿について2点ほどお知らせがあります。
[現実世界と作中の時間のリンクについて]
この作品は現実世界と作中の時間が同じになるように投稿してきました。
ですが、2学期は学校行事が多く、書きたいイベントが多いため、
ついつい月ごとの文章量が増えてしまいます。
その分だけ時間がかかってしまうため、
現実世界と作中の時間を一致させることが難しくなりました。
11月以降の投稿からは時間の一致を諦めます。
[11月、12月の投稿について]
誠に申し訳ございません。
11月、12月の投稿につきましては、以下の理由からお休みいたします。
11月
秋の文芸展2025に投稿したいプロットがあります。
11月はそちらに集中するため、投稿を見送らせていただきます。
雅な月と欠けた太陽とも関連する話なので、
読んでいただけると助かります。
11月23日に投稿予定です。
12月
12月は仕事の繁忙期であるため、
小説を書く時間が十分に取れないことが予想されます。
12月に投稿予定の文化祭関係の話は十分な時間を取り、
慎重に吟味したい内容のため、
時間のない中で急いで書くようなことをしたくありません。
そのため、12月中の投稿を見送らせていただきます。




