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セレス編⑧

セレスティアは学園を卒業した後、父親の命令に従い、隣国へ身を移すことになった。婚約破棄の騒動は、王都の社交界で大きな話題となり、彼女自身も「婚約破棄した令嬢」という好奇の目で見られるようになっていた。父親は、王都での風評が落ち着くまで彼女を隣国に滞在させるということだろう。セレスティア自身もその判断に異を唱えることはなかった。

彼女自身、社交界で交わされる噂話や隠しきれない周囲の視線を受け流すことには、次第に些細な苛立ちを覚えるようになっていた。それを解消するためにも、父親の指示に従い隣国へ向かうことを選んだのである。



隣国に到着したセレスティアは、父親の手配により親族の元に身を寄せることになった。家族としての温かな歓迎を受けながらも、彼女はそれを特別な感情を持たずに受け入れた。この滞在はあくまで一時的なものであり、王都での騒動が静まれば再び戻ることになると考えていたからだ。

新たな生活に対する期待や不安はなく、ただ淡々と流れに身を任せていた。それは、彼女自身の冷静さと、幼い頃から身につけた貴族としての毅然とした態度によるものだった。しかし、婚約破棄による周囲の目が遠ざかる安心感が、心の奥底で微かに彼女を解放していることに気づくことはなかった。


ーーー


「お久しぶりです、グレイ嬢。私を覚えていますか?」


親族と共に出席した夜会。煌びやかな装飾と音楽が満ちる中、その静かで落ち着いた声がセレスティアに呼びかけた。声の主は、ヴィクター・ルシアーノ公爵令息だった。彼の整った顔立ち、金色のゆるやかなウェーブの髪は華やかな会場でもひときわ目を引き、見る者に洗練された印象を与える。

学院で、彼は隣国から留学生として通っており、何度か挨拶をする程度の関係だった。彼と顔を合わせるのは、卒業以来だった。彼女は声の主を見て一瞬驚いたものの、すぐに優雅な笑みを浮かべた。


「もちろん覚えていますわ、ルシアーノ様。お久しぶりです」


ヴィクター・ルシアーノ公爵令息は柔らかく微笑みながら、軽く会釈をした。

「こちらでの生活には慣れましたか?隣国にいらして間もないと聞いていましたが」

「この国の文化や風習はとても魅力的で、すぐ吸収しに慣れると思いますわ」

彼女がそう返すと、彼は微笑を深めながら頷いた。

「もしよければ、この夜を共に過ごしませんか?貴女とダンスを楽しみたい」

彼はセレスティアの目をじっと見つめながら言った。

「……もちろん、喜んで」

ルシアーノ公爵令息の目はエメラルドのように深く、セレスティアを捕らえ、引き寄せるような力を持っていた。彼の申し出に、セレスティアは一瞬心の中で躊躇したが、すぐにその魅力的な微笑みに安心感を覚えた。

「それでは、お手をどうぞ」

セレスティアは少しだけ頷きながら、ルシアーノ公爵令息に手を差し出す。


彼はその手を優雅に取ると、手の甲に軽くキスをし微笑んだ。

セレスティアはその視線を受け止めながら、少しだけ口元を引き締める。

ルシアーノ公爵令息は彼女をエスコートしながら、耳元に顔を寄せ、低い声で囁いた。

「良ければ、私のことはヴィクターとお呼びください」

囁かれた低く甘い声。セレスティアはほんの微かな囁きにめまいのようなものを感じた。震えるような感覚が全身に伝わっていく。

セレスティアはその甘い感覚に一息そっと吐き、冷静さを取り戻す。

「ヴィクター?…まあ、貴方がそれを望むのであれば」

言葉は冷ややかだが、セレスティアの目には興味の輝きが宿っている。しかし、それでも彼女の態度は高慢で、あくまでも自分のペースで状況を操ろうとする冷徹さを見せていた。


ヴィクターはその反応に満足げに微笑んだ。

「貴女はこの会場の誰よりも魅力的です」

セレスティアはその言葉にまったく動じることなく答える。

「ふふふ、さすがヴィクター様、私の魅力をきちんと見抜いていらっしゃるのですね」

セレスティアは心の中でほくそ笑んでいた。

相手は隣国の公爵令息。次男ではあるが、ルシアーノは見目もよく、こうしていると自分の優位性を再確認するような気分になる。ヴィクターの目に見える興味、そして彼の手のひらに触れるその瞬間に、セレスティアは少しだけ冷たく微笑んだ。


セレスティアは彼に引き寄せられるようにダンスの輪へと歩みを進めた。

ヴィクターの手がしっかりと彼女の腰に触れる。その優雅な仕草の中、微かに彼が腰を撫でる仕草に、セレスティアは無視すしながらも意識してしまう。彼の欲望が秘められているようで心地よい。彼女は気づかないふりをした。

セレスティアは踊りのステップを軽やかに踏みながら、ヴィクターの耳元にゆっくりと顔を寄せた。彼女の吐息が触れるほどの距離で囁く。

「今夜、貴方の隣で踊ることが、私にとって最良の選択だと信じていますわ」

セレスティアは少しだけ皮肉を込めて囁いた。甘美な毒のように静かで、それでいてどこか挑発的だった。その吐息が耳を撫でると、ヴィクターは深い笑みを浮かべた。そして彼の目に浮かぶ欲望の色が、さらに深く濃くなったのを感じながら、彼女は唇に微笑を浮かべた。


ーーー



翌日、セレスティアのもとにヴィクターからの手紙が届いた。金色の封蝋で封じられたその手紙を開くと、手触りの良い紙に、彼の筆跡で丁寧に記された文字が並んでいた。

手紙を読み終えたセレスティアは、静かに考え込んだ。昨夜の欲望を孕んだ眼差しとは違い、手紙からはヴィクターの紳士的な言葉遣いと、穏やかな誘いだった。セレスティアは昨夜の彼の視線や微笑みが思い出し、じわりと胸が高鳴る。

セレスティアは手紙を軽く撫でながら、微笑んだ。


ーーー


その後、セレスティアは何度もヴィクターに誘われ、隣国でのデートを重ねた。祖国と違う隣国の建築や芸術、ヴィクターの完璧なエスコートや振る舞い。素敵なデートだった。どんな時でも決して隙を見せず、常に冷静で落ち着いた態度を崩さないヴィクター。そんな彼が時折、彼女に対して熱を持った視線を寄越すことがたまらない優越感に浸らせた。ぬるま湯に漬かるような彼とのあいまいな関係。セレスティアは次第に彼に引き寄せられていく自分に気づき始めていた。

穏やかなように見せて、彼は少々強引だ。呼び名もいつの間にかグレイ嬢からセレスティアになっていた。デートの際もそっと彼の腕に手を置くと、そのまま逆の手でその手を絡め取られ、手を置こうとした腕はいつの間にか背中に回され、私の腰を支えている。そして私の腰をやんわりと撫でるのだ。まるで舞台の上で踊るように流れる動作の中、彼の手が腰を撫でるたびに、心にかすかな波紋が広がるような感覚が私を包み込む。その仕草には強引さがなく、それでいて決して拒む隙を与えない、絶妙な力加減があった。彼のそのような動作はやや女慣れしている様子を感じずにはいられないが、女性として見られている優越感は気持ちのいいものだった。



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