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セレス編⑦

学院の廊下を歩くセレスティア・グレイは、いつもより気が急いていた。彼女の姿勢は相変わらず完璧で、目線も堂々としているものの、どこか落ち着きのなさがその歩調に現れていた。

理由は明白だった。自邸に隣国から親族が訪れており、彼らへの挨拶やもてなしの手配が必要だったのだ。特に今回訪れているのは、父グレイ侯爵に「重要な案件だ」と言われると、セレスティアにも無視できない。


彼女は、学院での講義が終わるとすぐ、執事から送られてきた急ぎの手紙が手渡された。内容には「本日夕刻までに帰宅せよ」と短く記されており、それが彼女の計画をすべて狂わせた。

廊下の角を曲がった瞬間、赤い髪の青年――アルト・ヴァレンシュタインが目に入った。

「アルト様……」

セレスティアは心の中で名前を呼びながら、ほんの少し立ち止まる。しかし、自分の足を止める余裕がないことを思い出して、苦い気持ちでその場をやり過ごした。

改めて彼と話をするつもりだったのだが、彼女は急がなければならなかった。



帰り道、彼女の脳裏には執事の言葉が蘇る。

「本日は遠方よりおいでいただいたご親族に、グレイ侯爵家の現状と将来について旦那様が話し合うそうです。特に今回お越しの青年と侯爵様の会談は、家の存続に関わる重要なものでございます。セレスティア様は滞在期間中はお早めに帰宅し晩餐に参加するようにとのことです。」

「存続に関わる」という言葉が、セレスティアの胸に引っかかったが、それよりもアルトのことで頭はいっぱいだった。

数日は放課後は早めに帰宅し、晩餐へ向けて身だしなみを整えなければならない。

馬車に乗り込む直前、彼女は学院の門を振り返った。もし時間があれば、もう一度アルトに話しかける機会があったかもしれない。それが叶わなかったことに、セレスティアは密かに歯がゆさを感じた。馬車の扉が閉まり、彼女をグレイ侯爵家へと走り出した。


ーーー


数日後、やっと親族の滞在期間が終わり、セレスティアは放課後、温室へ急いだ。そこには変わらずアルトの姿があった。今日の彼は作業はせず、温室の植物を目で楽しんでいたようだ。

「アルトさま」

不意に声をかけると、アルトはこちらを向き、セレスティアを見つめた。その目は以前よりも親しみは感じない。声をかけた途端、固い表情のになった彼にセレスティアはどうしようもないやるせない気持ちになる。

「セレスティア嬢。どうされましたか?」

アルトは礼儀正しく立ち上がり、無表情で尋ねてきた。彼の態度は変わらず丁寧だが、セレスティアにはそれが以前より無関心に思えて仕方がなかった。

セレスティアは少し微笑みを深め、そのままアルトの隣に立った。動きは優雅そのもので、どこか意図的に彼の注意を引こうとしている自分に気づきながらも、その演技を崩すことはなかった。

「少しだけ、お話がしたくて」

「…ええ、何でしょう」

セレスティアの胸の奥で、アルトに対してどうしても伝えたかったことが募る。それは彼に向けられた不満と期待だった。


「……最近、アルトさまがどなたかと親しくしているのをよく目にしますの」

その言葉に、アルトはわずかに眉を上げた。反応が薄いと感じると、セレスティアは少しだけ自分の言葉を変えた。

「ええ…。またリリーのことですか?」

その答えに、セレスティアの微笑みが一瞬固まった。しかし、すぐにまた優雅な表情を取り戻し、言葉を続ける。

「そうですわね……。ヘルミア嬢は、確かに天真爛漫で愛らしい方ですわね。でも――」

セレスティアは言葉を切り、アルトに視線を向ける。彼女は冷静さを保ち、続けた。

「ご自分がどう見られているか、アルトさまは少し考えた方がよろしいかもしれません」

その言葉には、明確に彼に対する警告が込められていた。しかし、アルトはさらりと答える。

「どういう意味でしょう?」

セレスティアは小さく息を吐き、冷静を装いながら、扇子を開き、ゆっくりと仰ぎながら続けた。

「あなたは誰とどう親しくするかを慎重に選ぶべきだと思いますの」

彼女の言葉には、アルトに対して警告するだけではなく、自分達の関係についての深くなりたい意図が込められていた。リリーという女性との関係が、彼の立場にどんな影響を与えるかを考えて欲しいと心の中で強く願いながら、自分との関係を深めるべきだと思いを込める。セレスティアは再度口を開く。

「僕がリリーと話すことで、何か問題があるのでしょうか?」

セレスティアの内心には、すでに軽い苛立ちが湧き上がっていた。だが、笑顔を崩さずに、できるだけ穏やかな口調で答える。

「いいえ、決して問題というわけではありません。ただ、周囲からの目というものがありますでしょう? 例えば……大切な人の誤解を招くような態度を控えるのも大切ですわ」

セレスティアの心中では、アルトの無自覚な態度に対する苛立ちが次第に募っていった。彼は全くその意図を理解していない。しかし、セレスティアは冷静に続けた。

「大切な人、ですか?」

「そうですわ。」セレスティアは穏やかに続ける。

「貴方とリリーの関係…私が傷つくと思わなくて?」



「セレスティア嬢。」

固い口調で呼ばれた名前、それにセレスティアには、余計に苛立ちを引き起こす。彼がいつまでたっても自分に対して情熱的な態度を取らないことにますます自分の心が乱されるのを感じる。


「大切な人…と言えば、それは僕にとってのリリーのことです。あなたとは友人だったつもりなのですが」


その一言を聞いた瞬間、セレスティアの微笑みが一瞬にして固まり、目の前が暗くなる。

心の中では、アルトが自分のものになることが当然だと思っていたはずなのに、今彼がリリーに対して抱く感情をはっきりと示したことで、抑えていた怒りが込み上げてきた。

「……そう、ですの」

彼の心が他の女に奪われることへの怒りが心を支配していた。

「はい。リリーとは先日、きちんとお互いの気持ちを伝え合いました。彼女は僕にとって、これからもずっと――」

アルトが言葉を続けようとした瞬間、セレスティアは静かに手を挙げて制した。その動作は、まるで貴族としての誇りを保つかのように見えたが、内心ではアルトの一言一言が自分を侮辱しているように感じていた。

「それ以上おっしゃらなくても結構ですわ。……お気持ちはよくわかりましたわ」

その言葉には、何か冷たい鋭さが混じっていた。セレスティアは心の中で、アルトが自分に対して思い描いていた未来を裏切ることを許せないと感じている。彼が自分にふさわしいと信じていたはずなのに、リリーの存在に心が揺れ動くことに、どうしても納得できなかった。

「アルトさま。私はあなたに、もっとふさわしい相手を選ばれると思っておりましたわ」

その言葉を投げかけてもアルト無表情だった。

「ふさわしい相手?」

セレスティアはその問いには答えず、扇子を閉じると静かに立ち上がった。

彼女の心には、自分の中で築いてきた「理想の未来」が壊れていくような痛みが漂う。それでも、表情は崩さず、冷静を装う。

「ご自身の選択が最善であるよう、願っていますわ。……では、失礼いたします」

セレスティアは、少しだけ足元を気にするようにして振り返ることなく、その場を後にした。

彼女の内心では、アルトの選択をどうしても受け入れられず、自分の誇りを守りながらも、彼が他の女に心を奪われていくことへの強い怒りを感じていた。

彼が自分を選ばなかったことをいつか後悔するだろうと信じ、彼との関係を終えた。


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