セレス編⑥
昨日のこともあり、セレスティアは出来るだけ頻繁に温室に訪れることにした。昨日のアルトとリリーが過ごす光景がどうしても気に入らなかった。以前から放課後二人で過ごしていたのかもと考えると、できるだけ温室に行くべきだと思った。
温室に入ると、すぐにリリーの薄桃色の髪が目に入る。彼女はアルトのそばで明るく笑いながら話していた。彼女の瞳は新緑のように柔らかく、アルトと楽しそうに話すその様子が、セレスティアにはただただ不快だった。
「あら、またあなたたち…」
セレスティアは声をかけると、すぐにリリーが振り向いた。リリーは明るくにっこりと笑って、すぐに挨拶をする。
「グレイ様、こんにちは!」
その笑顔に、セレスティアは心の中で苛立ちを募らせる。
「ヘルミア様、また会うとはね」
セレスティアは冷たく言うと、アルトに視線を向けた。アルトはいつも通り穏やかにリリーと話していることが、よりセレスティアを苛立たせた。
「アルト、またヘルミア様と話しているのね」
セレスティアの声には、わずかな嫌味が込められていた。
アルトは少し驚いたように振り向き、セレスティアに微笑んだ。
「ああ、リリーとはよく放課後ここで会うからね」
その言葉にセレスティアの胸の中で火がついた。
(やはり二人で会っていたの?)
リリーは無邪気に、楽しそうに笑いながらアルトの話に応じている。その度に、セレスティアは自分の胸の中で苛立ちが強くなるのを感じた。
「アルト、そんなに彼女と仲が良いのね。ヘルミア様、もう少し…慎みを持って接したほうがいいのではなくて?」
セレスティアはその一言を吐き捨てるように言った。リリーは少し戸惑いながら「ごめんなさい。ついアルト様とお話しできるのが嬉しくて…」と言った。
その言葉が、セレスティアの中にさらに不安と怒りを呼び起こした。
(アルトと自分の間に割り込もうだなんて、なんて厚かましい子なのかしら)
セレスティアは口の中で呟きながら、リリーが見ている前でアルトに歩み寄った。
アルトの横に立ち、まるで寄り添うように隣に並ぶ。
少しの冷たさを加え、リリーに向けて言葉を続けた。
「ヘルミア様、あなたがアルトと話していると、どうしても気になるの。アルト様と私…ね?わかるでしょう?」
リリーはびっくりした様子で目を丸くしたが、すぐにアルトがセレスティアの隣から離れ、セレスティアとリリーの間に入るようにしてセレスティアの前に立った。
「セレスティア、少し落ち着いて。それにリリーにそのように言わないでほしい」
そのアルトの言葉が、セレスティアにとっては余計に苛立たしく感じられた。
(彼と私は秘めた恋心をお互い持ってる。それは言葉にしなくてもお互い感じているはずだ。それなのにこうして私の前で他の女性をかばうにように行動するなんて)
体裁というものがある。リリーがいる前で、お互いの愛を宣言しては、今後の婚約者探しに影響が出てしまう。
「…わかったわ。少しだけ、大らかにしてあげる。貴方が言うなら、ちょっとは聞いてあげてもいいわ」
そう言って、セレスティアはアルトに近づきそっと彼の胸に手を当て、耳元に顔を寄せた。
「ねぇ、あとで二人きりで話したいことがあるの。バラ園で待ってるわ」
そっと彼の耳元で囁き、そして彼の後ろで隠れるようにして立っていたリリーをちらりと視線をやる。くすっと笑い、視線をそらし、アルトに「またあとでね」と微笑んだ。
ーーー
セレスティアが場所をバラ園に移動し、しばらくするとアルトが現れた。
あの後リリーと別れ、セレスティアを優先したのだろう。そのことにセレステアイは優越感を抱いた。
「アルト様」
セレスティアはふわりと銀髪を揺らし彼に近づいた。にっこりと微笑みかけるが、彼は固い表情のまま変えなかった。
「セレスティア、話とは?」
アルトはそのままこちらに質問してくる。
「ええ、少し寂しく感じて。つい二人きりになりたかったのです」
そう言ってアルトに近づき、彼の胸に手を当てる。彼は固い表情のまま私の手を受け入れていた。
「ねえ、私、アルト様はご自分の気持ちにもう少し正直になってもいいと思いますの」
「…何のことでしょうか」
「ふふふ、そうよね?つい私ったら、言葉にしてはダメよね。お互い後継者同士ですもの」
私の言葉にアルトは眉をしかめる。そして、セレスティアから一歩離れ、彼と私の間には距離ができた。
急に失われた熱に寂しさを感じる。
「セレスティア、婚約破棄後から貴女を気にしていましたが…。貴方が元気になってくださったようで良かった。ただ、私は貴方が抱いてるような感情を持ったことは一度もありません」
アルトの言葉に一瞬ぴしりと固まる。足元から空気が冷えるようだった。
でも、彼は今までも私への恋心を抑えていたように思う。今回も同じなのだろう。私は再度アルトに近寄った。
「わかっています。私達の秘めた感情は秘密ですものね?」
「……。お話はそれだけですか?これで失礼します」
アルトはそう言ってバラ園から立ち去って行った。
ーーー
私はその背中をしばらく見つめた後、帰り支度をし、自宅の馬車まで移動した。
(…あら??)
馬車に乗り込み、ふと視線を窓の外に向けると、そこにはアルトとリリーの姿があった。二人はこちらに気づかず笑顔で歩いている。
セレスティアは自邸が学院の近くのため馬車で毎日通学しているが、二人は地方出身だ。どうやら二人は学生寮に住んでいるようだ。
だとしたら、毎日あのように放課後会って、それぞれの寮まで歩いて帰宅しているのだろうか。
セレスティアはアルトを信じたいと思いながらも、先ほど見た光景に心が一気に冷えていき、彼女を包み込むようだった。
ーーー
広々とした自邸のサロンの窓際で、セレスティアはお茶を楽しみながら、じっと外の庭園を見つめていた。その視線の先には、今はいないはずの二人の様子が見えるような感覚がした。馬車の中から見た、リリーがアルトの袖を掴み、楽しげに笑っている姿を思い出しセレスティアは思わず眉間にわずかな皺を寄せた。
「……あの方、どうしてあんなに馴れ馴れしいのかしら」
セレスティアはカップを静かに置き、つま先で床を軽く叩く。アルトがリリーに対して見せる柔らかな態度――それがどうしてもセレスティアには納得できなかった。
アルトは自分に好意を抱いているのに。どうしても浮気に思えてしまう。
「アルト様は、きっと彼女に優しさを見せているだけ。本当に心を寄せているのは、私のはずよ」
セレスティアは自分に言い聞かせるように呟いた。アルトが自分に話しかけるときの落ち着いた声色や、礼儀正しい言葉遣いを思い出していた。自分と会話をするとき、彼はいつも目をしっかりと見て、話題を合わせてくれる。どこかで、彼が自分を特別扱いしているように感じていた。
「きっとアルト様は、領地が隣同士だし、家同士の関係もあって彼女を避けきれないだけよね」
セレスティアは優雅な笑みを浮かべながら、自分の中で勝手に結論を出した。アルトのような教養のある男性が、リリーのような「庶民的な振る舞い」をする女性に本気で惹かれるはずがない。
だが、それでも心のどこかで不安が芽生えていた。
「でも、アルト様との会話が少し減っている気がする……」
セレスティアは扇子を開きうつむきながら、自分の感情を整理しようとした。きっとアルトは、リリーのような女性に心を寄せないのだろう。
そして、今日彼に言われたこと――私と同じ気持ちを抱いていないというのは立場的に好意を隠すしかないからだ、そう信じることで心のバランスを保つことにした。
しかし、アルトとリリーが親密に話している姿を思い出す度、胸の奥に嫉妬と苛立ちが沸き上がる。
「いずれきちんと、この状況を正さないといけませんわね」
セレスティアの中では、依然としてアルトが自分に恋をしているという前提は変わらなった。だが、リリーの存在が「浮気」に近いものだと感じている彼女にとって、この状況は決して放置できないものになりつつあった。
扇子を閉じ、セレスティアは静かに立ち上がった。彼女の目には、微かな決意の色が宿っている。
「やはり、アルトさまともう一度正面から話をするべきね」
セレスティアは心の中でそう呟きながら、優雅な足取りでその場を後にした。