セレス編④
学院内のカフェテラス。セレスティアはお気に入りのパラソルの下、特注のティーセットで高級紅茶を楽しんでいた。このカフェは、学院の中でも特に格式高い生徒たちが集う場所であり、ここで過ごす時間は、セレスティアにとって自分の品位とステータスを改めて確認する大切なひとときだった。
ふと、近づいてくる足音に気づき、視線を上げる。赤い髪が特徴的なアルト・ヴァレンシュタインが軽やかな足取りでこちらへ向かってくるのが見えた。その長身で引き締まった体つきと、どこか飄々とした態度は、多くの女性を惹きつける魅力を持っていた。
セレスティアは彼のそんな姿を見て、自然と口元に微笑みを浮かべた。彼のように見た目も振る舞いも整った男性が自分の隣にいることは、セレスティアにとって大いなる誇りだった。
「セレスティア、貴女もカフェテリアに来ていたのですか」
以前よりも気安い雰囲気を漂わせた声に、セレスティアは品の良い仕草で手を動かしながら、彼に向かって頷いた。
「紅茶を楽しんでいるだけですわ。アルト様もどうぞ」
「ありがとう、ちょっと休憩させてもらおうかな」
アルトが隣の椅子に腰を下ろすと、カフェの周囲にいた人々の視線が彼に集まるのを感じた。彼のような魅力的な男性と、優雅に紅茶を嗜む自分。この光景がどれほど他者に羨ましがられるものか、セレスティアは十分に理解していた。
(ふふふ、そんな目で見てもダメよ?彼は私の愛を欲しているのだから)
アルトがティーカップを手に取り、一口飲む。その何気ない仕草さえも、舞台のワンシーンのようだ。
「この茶葉、特別なものなのですか?」
アルトがカップの中身を覗き込みながら尋ねる。
「ええ、当然ですわ。この茶葉は一級品でして、普通の貴族でも手に入れるのは難しいものですの。持参したものを淹れていただいてますの」
セレスティアはその一言一言に自信を込めながら答えた。アルトが自分の選択を称賛し、その価値を理解することを密かに期待する。しかし、アルトは肩をすくめて無邪気に笑うだけだった。
「そうなんだ。僕はあまり詳しくないけど、きっと特別な味なんだろうね」
その気軽な反応に、セレスティアはわずかに眉を寄せた。彼の無関心さにわずかな不満を覚えつつも、彼女はその感情を飲み込んで優雅に振る舞い続けた。
「アルト様、それではまるで興味がないと言っているように聞こえますわ」
「興味がないわけじゃないよ。ただ、僕自身は素朴な紅茶の方でも落ち着くから、どれも変わらず美味しく感じるよ」
アルトの無邪気な答えに、セレスティアは「分かっていない」と内心で思った。
「素朴な紅茶、ですか? まあ、それも悪くはないのでしょうけど……貴族たるものが粗末なものを嗜むのはどうかと思いますわ」
「粗末って言い方はちょっと厳しいな」
アルトの反応を見ながら、セレスティアは考えた。
(彼は貴族としての嗜みが足りてないのだわ。私の隣が見合う存在になるには中身も伴ってもらわなければね)
セレスティアは彼を自分の理想に近づける使命感を感じた。
セレスティアは微笑みながら、彼をより自分にふさわしい人物へと変えるため、これからの「教育」をどう進めるべきか、心の中で思案を巡らせていた。
ーーー
学院の中庭。手入れの行き届いた学院の中庭には、色とりどりの花々が咲き乱れていた。セレスティアはその中でもひときわ華やかな赤いバラの前に立ち、ゆっくりとその花びらに触れていた。彼女の目には無意識のうちに優越感が浮かぶ。美しいバラは自分自身の品位がさらに一層引き立たせる感じてた。
その時、アルトが軽やかな足取りで近づいてきた。彼は騎士科の帰りで暑いのか、いつもと違って袖口をめくりあげていた。少々粗野な気もするが、男性らしい引き締まった腕の筋肉につい視線がいってしまう。彼が横に立つとふわりとシトラスのような香りがした。胸がドキリとする。その香りに一瞬自分を奪われるような甘美な感覚。
アルトはそのままバラに目を向けると、無邪気な笑顔をこちらに向け話しかけてきた。
「セレスティア、バラが好きなのかい?」
「ええ、特にこの赤いバラは気品があって美しいと思いますの」
「赤いバラもいいけど、僕はあっちの黄色いバラの方が好きだな。明るくて元気な感じがするから」
セレスティアは一瞬、驚いたように目を見開く。アルトの答えが予想外だったからだ。彼が選んだのは、確かに明るく元気な印象を与える黄色いバラ。しかし、黄色は赤に比べ、セレスティアが「庶民的」だと見なしている色であった。
「……アルト様、それは冗談ですわよね?」
「冗談じゃないよ。本気で黄色いバラの方が好きなんだ」
「黄色いバラなんて庶民的ではありませんか。赤いバラのような高貴な美しさに勝るものなどありませんのに」
セレスティアの言葉には、「黄色いバラ=劣るもの」という価値観が込められていた。しかし、アルトはその言葉を全く気にせず、楽しそうに笑いながら反論する。
「それはセレスティアの考え方だろう? 僕にとっては、色がどうとかじゃなくて、見ていて心が明るくなるかどうかが大事なんだよ」
「上品さというものを理解なさっていないのですね」
セレスティアは少し眉をひそめ、内心で不快感を抱いた。アルトの価値観が自分のそれと全く異なることに、今まで以上に苛立ちを覚える。だが、彼女はその不満を隠すことなく、口元に微笑みを浮かべながら次の言葉をつなげる。
「アルト様、そのような考えでは貴族としての品位が失われてしまいますわ」
「品位って言ってもなぁ、結局は自分が心地よいものを選ぶことが一番だと思うけど」
セレスティアは内心でため息をついた。アルトは自分の価値観を変える必要があると確信している。だが、彼がその重要性に気づかない限り、彼は本当に「ふさわしい人物」にはなれない。セレスティアはその思いを胸に秘め、言葉を続けた。
「私が言うのもなんですが、貴族というものは常に上品でなければならないのです。庶民の考えに流されることなく、常に自分の立場を意識するべきですわ」
「立場か……まあ、確かにそれも大事だよね」
アルトはさらりと相槌を打ちながらも、その考え方に従うつもりはないようだ。セレスティアはその無自覚な態度に、再び苛立ちを覚える。しかし、彼女はその気持ちを表に出さず、再び優雅に微笑んだ。
「アルト様、そのご意見も一理ありますわ。ただ、もしあなたが私のように上品さを理解し、実践できるようになれば、あなたの価値も一層高まることでしょう」
「それはありがたいけど……」
アルトの言葉に、セレスティアはますます不安と苛立ちを感じた。
彼女は諦めることなく、今後も自分の理想を彼に伝え、育てていこうと決意した。
「わかりましたわ、アルト様。その考え方も悪くはありませんが、ぜひ自分の立場をもっと意識していただきたいと思います」
そして彼の正面からゆっくり近づいた。あと数センチでセレスティアの胸がアルトの胴体に触れそうだ。セレスティアは下から笑みを浮かべ、アルトのヘーゼルの瞳を見つめる。そして、そろりと引き締まった腕を指先でゆっくり撫でた。
アルトは無言でその光景を見ている。いつも輝いて見えるヘーゼルの瞳は下から見上げているせいか影になり、ほの暗く感じる。いつも暖かな雰囲気を感じるアルトの無表情もあいまって、セレスティアはぞくっとした快感を覚えた。
(自分から触れるだなんて淑女として少々はしたないかもしれないけど、彼が変わるご褒美としてこれぐらいわね…。ふふふ、嬉しくて声も出ないのかしら?)
「……」
セレスティアは無言のアルトへ上目遣いをしたまま、つつつ…と触れる指先を下ろし彼の手平に触れる。
ゆっくり彼の手を取っても何も反応はない。ヘーゼルの瞳はじっとセレスティアを見つめている。
セレスティアはその視線に高まる感情を覚えながら、ゆっくり自身の指と彼の指を絡めようとした。
その瞬間パシッとアルトに腕を取られ、止められてしまった。
「アルト様?どうしたの?」
「……いえ、少々驚いただけです。今日のところはこれで失礼します」
そう言うとアルトはめくりあげていた袖口を治しながら中庭から去って行った。
(後継者同士だもの。叶わぬ恋だから、これ以上はいけないと思って踏みとどまって去って行ったのね……)
セレスティアはそう納得し、触れたアルトの腕を思い満足気にうっとりと微笑んだ。
ーーー
その後、アルトはセレスティアへ一歩引いた距離をとるようになった。それでも廊下で目が合えば軽く挨拶はする。
(彼はこのまま私への好意に蓋をして、去るつもりなのかもしれないわ……)
私は彼の熱い気持ちを思いながら、自分からもっと歩み寄るべきなのかもと考えていた。きっとアルトは後継である自分の立場と、私への思いで葛藤しているはずだ。彼は婚約者もいないし、私もいない。婚約者選びに支障が出るかもしれないから、秘密の関係で。お互い結婚しても貴族夫婦は愛人がいるぐらい問題にならないはずだ。
セレスティアは私たちは愛人という関係で落ち着くしかないのかもしれないと考えていた。
(とりあえず今は…一歩引いてしまった彼の元へ、私から行ってあげるべきなのかもね)
そうして私は放課後アルトを探した。普段は廊下や昼休みに話すことが多かったため、彼が放課後どうやって過ごしているか知らなかった。
中庭の奥のバラ園、ふとさらに奥にあるう温室を見ると赤い髪が見えた気がした。温室の扉を開くと、中に差し込む陽光が、鮮やかな花々を照らし出している。その美しい空間にアルトがいた。彼は花の手入れをしていた。
アルトが温室に通うのはいいが、植物の世話をしていることに、セレスティアは不満を感じた。
彼はただ花を愛でているだけではなく、地道に手入れをしている。手に持った小道具で、丁寧に花の葉を整え、土をほぐしている。
その光景を見て、思わず言葉を失う。貴族が、こんな作業に時間を費やすなんて、彼女の価値観ではあり得ないことだった。目を見開き、アルトに近づく。
「アルト様…これ、いったい何をしているのですか?」
アルトは振り返り、一瞬目を見開くが、笑顔に戻り答える。
「植物の世話さ。少し手がかかるけれど、気に入っているんだ」
その言葉に、セレスティアは驚愕し、思わず一歩後ろに下がった。貴族としての誇りを持つ彼女にとって、こんな行動は到底理解できない。植物の世話は、貴族がするべき仕事ではない。むしろ、身分の低い者に任せるべきことだと考えていた。
「まさか、アルト様が…貴族がこんなことをしているなんて、理解できませんわ」
セレスティアは冷ややかな声でそう言った。彼女の目には、アルトが貴族としての品位を欠いているように映っていた。
アルトは少し笑みを浮かべながら答えた。
「理解できないかもしれないけれど、これが僕のやり方なんだ。別に貴族だからと言って、好きなことを諦める必要はないだろう?」
セレスティアはその答えに苛立ちを覚えた。
「貴族としての義務や立場を守ることこそが、あなたにふさわしいことではありませんか? こんなことをしている暇があれば、もっと貴族にふさわしいことをすべきですわ」
セレスティアは言葉を強めた。彼女の目には、アルトが貴族としての自分を忘れているかのように見えた。彼女はその考えが正しいと信じて疑わなかった。
アルトは少し黙ってから、穏やかな声で言った。
「セレスティア、僕にとってはこの時間が大切なんだ。貴族としてどうあるべきかも大事だけれど、自分が心地よいと思えることをするのも、また大事だと思うよ」
「心地よい?」
「ああ。貴族であることも大事だけれど、それがすべてではないと思うんだ。だから、僕はこうして植物を育てる時間が必要なんだ」
アルトの言葉にセレスティアは思わず言葉を飲み込んだ。彼があまりにも間違った自分の考えに自信を持っていると感じたからだ。
「でも…あなたがこれを続けていることで、周囲がどう思うか考えたことはありますか?」
「セレスティア、周囲の目は気にしているけれど、それだけでは生きていけないよ」
その言葉に、セレスティアは心の中で再び疑問が生まれた。アルトがどうしてこんなにも自分の価値観に自信を持っているのか、それが理解できなかった。
彼女はその場に立ちすくむ。アルトはそんな彼女を気にせず、淡々と作業を続けるのだった。