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東京幻怪録  作者: めくりの
三章

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第五十二話 「縛られた少女の微笑み」

 夜の東京某所、静まり返った廃アパートに、一人の女性が静かに歩みを進めていた。

本庄麗奈は笏を片手に、微かに響く声の方向を追っていた。冷たい空気が肌を刺す中、その場所だけが妙に温かく、柔らかな気配に包まれている。ここ最近、この場所で妖気が感知されるとの報告が入り、特務機関の中でも癒しと浄化の力を持つ麗奈が調査に当たることになった。


アパートは老朽化が進んでおり、ところどころひび割れた壁や崩れた天井が見える。夜の闇に沈む建物の中、麗奈の持つ数珠が淡い光を放ち、彼女の足元を照らしていた。


「ここね……間違いないわ」


彼女は周囲を慎重に見渡しながら呟いた。壁のひびの間から差し込む月明かりが廊下を照らし、不意に背後から小さな気配を感じた。振り返ると、薄暗い影の中に微かに見えるのは、小さな女の子だった。


「誰……?」


麗奈が優しく問いかけると、その女の子は怯えるように後ずさりし、柱の陰に隠れた。肩まで伸びた髪と古びたセーラー服が見え隠れし、その姿はどこか切ない印象を与える。


「怖がらなくて大丈夫よ。私はあなたを傷つけたりしないから」


麗奈は膝を折り、小さな子供に話しかけるように目線を低くして声をかけた。その声は穏やかで、まるで母親が子供を安心させる時のようだった。しばらくの沈黙の後、女の子は恐る恐る柱から顔を出し、麗奈の方を見つめた。


「……おばさん、誰なの?」


少女の声はかすれていて、小鳥のさえずりのように小さかった。


「私は本庄麗奈。この場所のことを調べに来たの。あなた、ここにずっといるの?」


少女は小さく頷き、その目には寂しさと不安が混じっていた。


地縛霊となった少女、名前は「里奈」だった。

彼女は生前、ここで家族と共に暮らしていたが、事故によって命を落とし、この場所に縛られるようになってしまったのだという。記憶はあやふやで、自分がなぜここにいるのか、なぜ外に出られないのかがわからない。ただ、家族を待っているという思いだけが彼女をこの場所に留めているようだった。


「……パパとママ、まだ迎えに来てくれないの」


里奈の言葉に、麗奈の胸が締め付けられるような感覚が走った。長い間家族を待ち続ける少女の孤独。その思いは妖気に影響を与え、この場所全体を浄化しきれない原因となっていた。


麗奈はそっと少女の前に膝をつき、目線を合わせた。


「里奈ちゃん、ずっとここで待つのは辛かったでしょう。でも、あなたのお父さんもお母さんも、きっとあなたを大切に思っているわ」


「……でも、来ない。私だけ、ここにいる」


少女の目から涙がこぼれ落ちる。それは透明で、しかし空気中に溶けることなく、彼女の頬を伝ってゆっくりと床に落ちた。麗奈はそっと彼女の頭に手を置き、母親が子供を撫でるように髪を整えた。


「あなたが寂しくならないように、私がここにいる間だけでも、一緒に過ごしましょう」


二人の間に流れる静かな時間は、穏やかなものだった。

麗奈は里奈の話を聞き、彼女が家族と過ごした幸せな思い出をひとつひとつ拾い上げた。里奈の笑顔は、かつて家族と共に過ごした日々の輝きを取り戻すように見えた。


その間も、麗奈は心の中で方法を探していた。少女の魂を癒し、この場所から解放するには、彼女が抱える未練を取り除く必要があった。しかし、それは単に浄化の力を行使するだけでは不可能だった。彼女の心を癒すには、真心をもって寄り添うことが必要だった。


麗奈は数珠を握りしめ、静かに祈りを捧げるように言葉を紡いだ。


「里奈ちゃん、もしあなたがここを出たら、どんな場所に行きたい?」


その問いに、少女は少し考え込んだあと、小さな声で答えた。


「……家に帰りたい。でも、帰る家がもうないの」


その言葉に、麗奈は優しく微笑んだ。


「大丈夫。家はきっとあなたの心の中にあるわ。それに、あなたが笑顔でいれば、どんな場所でも幸せな家になるのよ」


少女の瞳が揺れ動き、やがて涙の代わりに小さな微笑みが浮かんだ。


翌朝、麗奈は里奈の魂をそっと解放する準備を始めた。

笏を持ち、数珠を輝かせながら、彼女は少女に静かに語りかけた。


「里奈ちゃん、これから光の中で安らかに眠るのよ。そこでは、きっとお父さんもお母さんも待っているわ」


「本当に……会えるの?」


「ええ、きっと」


少女は少しだけ躊躇しながらも、やがて安心したように頷いた。麗奈の祈りの声が静かに響き渡る中、里奈の体は徐々に光に包まれ、その姿が淡く消えていった。


最後に里奈が見せた微笑みは、温かな光の中で溶けていき、廃墟のビルには静寂が戻った。


帰路につく麗奈は、静かに数珠を握りしめた。

彼女の心には、少女の微笑みと家族への愛がしっかりと刻まれていた。この出来事を通して、麗奈は改めて人々の心を癒す力の尊さを感じ、次なる任務に向かう覚悟を新たにしていた。


朝焼けが静かに東京の街を染める頃、麗奈は廃墟ビルを後にしていた。夜の冷たい空気は、朝の光に溶けていくように和らぎ、街全体が新しい一日の始まりを迎えている。その柔らかな光の中で、麗奈はふと立ち止まり、振り返った。


古びたビルは、どこか清浄な雰囲気を纏っているように見えた。かつて重く漂っていた妖気は完全に浄化され、そこに囚われていた少女の魂も、今は安らかに眠りについている。その証拠に、空気が澄み渡り、微かに漂う草木の匂いが清々しかった。


「里奈ちゃん……安らかにね」


麗奈はそっと数珠を握り、目を閉じて心の中で祈りを捧げた。ほんの一瞬だけ、温かな風が彼女の頬を撫でた。それはまるで、少女が感謝の気持ちを伝えにきたかのようだった。


_______________________________________________


特務機関の本部に戻ると、仲間たちが麗奈を迎えた。

「無事に終わったんだな」

いつも冷静な凛が短く言葉をかける。


麗奈は柔らかく微笑みながら頷いた。「ええ、問題はすべて解決したわ」


葵が椅子に腰掛けながら小さくため息をつく。「麗奈さんがいると、なんか安心するよね。戦いだけじゃなくて、こういう問題も全部解決してくれるんだから」


隼人が大きな体を揺らしながら笑う。「葵の言う通りだ。俺たちがいくら力を振るっても、癒しの力には遠く及ばないからな」


麗奈は仲間たちを見渡し、少し照れくさそうに微笑んだ。「それぞれの役割があるだけよ。皆のおかげで、私は私の力を発揮できるんだから」


凛は静かにうなずき、机に置かれた報告書に目を落とした。「次の任務も控えている。だが、今日くらいは少しゆっくりしてもいいだろう」


その言葉に、麗奈を含む全員が安堵の笑みを浮かべた。


_______________________________________________


その夜、麗奈は自分の部屋で数珠を静かに手に取り、目を閉じた。里奈の笑顔とともに、彼女の小さな声が心に響く。


「ありがとう、おばさん……」


その声を聞くたびに、麗奈は自分がこの道を歩む意味を再確認する。人を癒し、浄化する力は、ただ妖気を払うだけでなく、人々の心に平穏をもたらすためにあるのだと。


窓の外には、夜空に一筋の星が輝いていた。それはまるで、少女の魂が新たな場所で幸せに旅立ったことを告げているようだった。麗奈はその星を見上げ、静かに微笑んだ。


「おやすみなさい、里奈ちゃん。そして、ありがとう。」


静かな夜の中、麗奈の心には、確かな温もりが広がっていた。

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