第五十話 「地下鉄に潜む影」
静寂に包まれた深夜の外苑前駅。
最後の電車が走り去った後も、駅構内にはわずかな人影が残っていた。被害者となる「撮り鉄」たちは、普段と異なるアングルからの写真を撮るため、特別な許可を取って構内で撮影を行っていた。しかし、その夜、彼らが撮影していたレンズの向こうに映ったのは、人間ではない“何か”だった。
「……あれ、なんだ?」
一人のカメラマンが言葉を漏らす。視界の隅に、暗闇の中で漂うぼんやりとした人影が映り込んでいた。次の瞬間、その影が大きく歪み、まるで地を這う霧のように彼らを取り囲んだ。
叫び声が上がる間もなく、影は撮り鉄たちに絡みつき、一人また一人と意識を失わせていく。その場に充満する妖気は、普段なら見えないはずの異界の風景を覗かせ、闇がますます濃くなる。深夜の外苑前駅は、いつしか人の気配のない異空間へと変貌していった。
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現場に駆けつけたのは、特務機関の三人だった。
灰島凛、相馬葵、本庄麗奈――それぞれの役割を持つ精鋭たちは、すぐに駅構内の異常を察知し、迅速に準備を整えた。
「妖気の濃度が尋常じゃないわ。駅全体がまるで異界に繋がってるみたい……」
葵がタブレットを操作し、画面上に表示された妖気の動きを読み解く。その表情にはいつもの軽快さが消え、緊張の色が浮かんでいた。
「とにかく、被害者を探し出して保護する。全員無事で帰るのが最優先だ」
凛が静かに指示を下し、影喰いを握りしめた。その冷静な声は、葵や麗奈に安心感を与える。彼がいる限り、どんな状況でも打開できるという信頼感がそこにはあった。
地下の空間は、不気味な静寂に支配されていた。
広いホームに降り立った三人は、目の前に広がる光景に息を飲んだ。床には黒い影が張り付き、それがまるで生き物のように蠢いている。壁には歪んだ人影がいくつも浮かび上がり、彼らをじっと見つめているようだった。
「……この感じ、ただの怨霊じゃないわね。相当強い怨念が絡み合ってる」
麗奈が数珠を握りしめながら呟く。その穏やかな声には、緊張を紛らわせるための冷静さが込められていた。
「お前たちは後方を守れ。俺が先陣を切る」
凛は影喰いに妖気を込め、一歩ずつ前進した。その視線は真っ直ぐに、奥へと続く暗闇を見据えている。彼の冷静沈着な態度に、葵は少し微笑みを浮かべながらも、背筋を正して後方支援の準備を進めた。
戦闘が始まるのは、一瞬のことだった。
凛が一歩踏み出した瞬間、床に張り付いていた影が突如として形を変え、無数の手足のようなものを伸ばして襲いかかってきた。その動きは不規則で、まるで彼の意識を乱そうとしているかのようだった。
「凛さん、右!」
葵が叫び、即座にタブレットで影の動きを解析し始める。凛は葵の警告を聞くと同時に、影喰いを振り抜き、一閃で襲いかかる影を断ち切った。その動きは無駄がなく、まるで影が彼の剣に吸い込まれていくようだった。
「まだ来るわよ!」
麗奈が笏を掲げ、浄化の光を放つと、周囲の影が一瞬後退する。その隙に葵がさらに情報を集め、敵の動きを探っていく。
「中央の電車内に、強い妖気の反応があるわ。おそらく、怨霊の本体がいるはず!」
葵の声に凛が頷き、すぐに次の行動に移る。
「麗奈、葵を守れ。俺が本体を叩く」
そう言い残すと、凛は迷いなく電車に向かって駆け出した。
電車内は、さらに異常な空間だった。
薄暗い車内には、倒れた撮り鉄たちが無残に転がっており、その身体を絡め取るように影が渦巻いていた。凛が一歩足を踏み入れると、その影が一斉に反応し、不気味な音を立てて彼に向かって伸びてくる。
「影喰い……頼むぞ」
凛は刀に妖気をさらに注ぎ込み、一気に影の渦を斬り裂いた。影は断たれた瞬間、激しく揺らめき、まるで苦しんでいるかのような動きを見せる。しかし、その動きが止む間もなく、新たな影が彼の周囲に現れ、再び襲いかかってきた。
外では、葵と麗奈が奮闘していた。
「来るなら来い!データは全て取れてるんだから!」
葵が軽口を叩きながらも、その指先はタブレットの操作を止めることなく、影の動きを読み解いていく。麗奈は彼女の背後で数珠を握り、次々と放たれる浄化の光で影の襲撃を防いでいた。
「葵、気をつけて!敵がこっちにも増えてる!」
麗奈の声に葵は振り返りつつも、タブレットの画面を見つめ続ける。「わかってる!でも凛さんをサポートしないと……!」
その時、車内の奥から一際強い妖気が放たれ、凛がその中心に迫る姿が見えた。
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凛は影喰いを高く振り上げ、全ての力を込めて妖気の核に向かって一閃を放つ。その一撃が怨霊の核を貫いた瞬間、車内全体が強い光に包まれた。影は断たれ、怨霊は悲鳴のような音を残して霧散していく。
凛は刀を収め、無事救出された被害者たちを確認するために仲間の元へ戻る。葵が駆け寄り、「お疲れ様です、凛さん!無事でよかった!」と明るい声を上げる。麗奈もほっとした表情で凛に微笑みかけた。
「……任務完了だ」
凛が静かに呟き、三人は駅を後にした。その背後には、再び静けさを取り戻した外苑前駅が広がっていた。
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外苑前駅の戦いが終わり、凛たちは夜の静かな街へと戻ってきた。街灯の明かりが淡く照らす中、疲れた表情を浮かべた葵が、少しだけ足を引きずりながら歩いていた。凛はそんな彼女の歩調に合わせて黙って横に立ち、何か言葉を探すように一瞬だけ視線を下げた。
「本当、今日はきつかったね。凛さん尊敬しちゃいます!」
葵がいつもの明るい調子で話しかけるが、その声には少しだけ疲労が滲んでいた。
「……葵、よくやった。お前のサポートがなければ、俺も最後まで辿り着けなかっただろう」
短いながらも真摯な言葉に、葵は驚いたような表情を見せた。次の瞬間、彼女はくすっと笑い、「えへへ、素直に褒められるとなんか変な感じ!」と、冗談交じりに返す。凛は特に表情を変えず、「そうか」とだけ言って、再び前を向いた。
少し後ろを歩いていた麗奈は、二人のやりとりを微笑みながら見守っていた。彼女の手には、すでに穏やかに光を放つ数珠が握られており、彼女自身の心も落ち着きを取り戻しているようだった。
「今夜はしっかり休みましょうね。皆さん、本当にお疲れ様でした。」
麗奈の優しい声が、二人の間に和やかな空気を作り出す。葵は振り返りながら「麗奈さんこそ、頑張ってたじゃないですか!あの影の浄化、すごく頼りになりましたよ!」と言葉を掛けた。
「ありがとうございます。でも、皆さんがいなければ私はここまでできなかったわ」
麗奈の返事はいつも通りの穏やかさだったが、その目にはほんのわずかに安堵の涙が浮かんでいた。
特務機関の本部に戻ると、深夜の静けさが彼らを迎えた。
それぞれが手早く後片付けを終え、簡単な報告を済ませた後、全員が思い思いに部屋へと散っていった。凛は最後に報告書を確認しながら、ふと窓の外に目を向けた。
そこには、東京の明かりが一面に広がり、先ほどの暗闇とは対照的な世界が広がっていた。凛は刀を収めたケースを見つめ、影喰いに手を置いた。
「これで、本当に終わったのか……」
かつての家族の影が、ふと頭をよぎる。凛は自分の心の中で、まだ完全に過去を断ち切れていないことを知っていた。しかし、今日の戦いで守れた命があること、それが新たな一歩になると信じたかった。
翌朝。
早朝の光が差し込む中、葵がリビングで寝ぼけた様子でコーヒーを淹れている。そこへ麗奈が静かに現れ、そっとガムシロップを手渡した。
「お疲れ様、葵さん。今日はゆっくりしましょうね」
「ありがとうございます、麗奈さん。でも、きっとまたすぐに呼び出される気がするなあ……凛さんももう出かけてたりして?」
葵の言葉通り、凛の姿は本部にはなかった。彼はすでに朝の街へと歩き出していた。影喰いを持たず、ただ普段着で。彼の足取りには、昨日までの疲れはなく、少しだけ軽やかな気配があった。
その姿は、光と影が交差する東京の街で、今日もまた戦う決意を持ちながら歩み続ける、彼の生き様そのものだった。




