第四十七話 「廃遊園地の深部:黒羽根の女の痕跡」
大学生たちが去り、再び廃遊園地に静寂が訪れた。しかし、その静けさは自然なものではなく、不穏な圧迫感を伴っていた。凛、葵、斎藤の三人は、ピエロたちが発していた妖気の残り香を辿りながら、遊園地の中心部へと足を進める。
「斎藤さん、何か気づいたことは?」
葵がタブレットを操作しながら問いかける。
斎藤は周囲を見回しながら答えた。
「ピエロの妖気は消えたが、この場所自体が異常だ。まるで何かに飲み込まれているような感じがする」
凛が冷静な声で付け加える。
「原因を断たない限り、この手の異形が再び現れる可能性が高い。奥に何かがいるはずだ」
三人が足を進めると、遊園地の中央にそびえる大きなホールが見えてきた。その入口には「ピエロの館」と書かれた看板が掲げられている。だが、その文字は乱雑に赤く塗り潰されており、まるで警告するかのような雰囲気を醸し出していた。
「妖気の反応、ここが一番強い。完全に巣だね」
葵がタブレットをかざしながら呟く。その声には、普段の明るさはなかった。
斎藤はライフルを構えながら、凛を見た。「どうする?」
凛は短く頷き、影喰いを静かに鞘から抜いた。「中に入る。原因を潰すぞ」
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館の中は外観以上に異様だった。壁には裂けたポスターや腐った飾り物が貼られ、天井からは壊れた電球が垂れ下がっている。床には乾いた血痕が散らばり、奥からは低い笑い声が途切れ途切れに聞こえてきた。
「これ、異空間みたいになってる……妖気が現実を歪めてるのかも」
葵がタブレットを操作しながら分析する。
「奥が本丸だな。気を引き締めろ」
凛の言葉に、斎藤も短く頷いた。
彼らがさらに進むと、広い部屋にたどり着いた。その中央には古びた回転木馬があり、ゆっくりと不規則に動いている。その周囲には無数のピエロの人形が置かれており、その全てが凛たちを見つめているようだった。
「これ、本当にただの人形なの?」
葵が緊張した声で言った。その言葉が終わる前に、人形たちの一体が突然動き出し、不気味な笑い声を上げた。
「お客さん、もっと楽しんでいけよ!」
その声を合図に、人形たちは一斉に動き出し、凛たちを取り囲んだ。同時に回転木馬が加速し、その中心から異形のピエロが姿を現した。これまでのピエロとは異なり、体格は巨大で、全身がひび割れたマスクで覆われている。その背中からは無数の触手のようなものが伸び、空間を裂くように蠢いていた。
「こいつがボスか……!」
斎藤がライフルを構えて一発放つ。妖気弾は異形のピエロの頭部を直撃するが、まるで効いていないかのように弾かれた。
「防御が尋常じゃない!凛、近接戦で仕留めるしかない!」
葵が叫ぶと、凛は冷静に影喰いを握り直し、一気に距離を詰めた。触手が鋭い音を立てて襲いかかるが、凛の動きはそれを軽々とかわしながら、鋭い斬撃を繰り出していく。
斎藤も援護射撃を続け、葵は触手の動きを解析して次の攻撃を予測する。三人の連携は完璧だったが、異形のピエロはそれ以上にしぶとく、攻撃を加えるたびに形を変えて再生していく。
「これじゃキリがない……!」
葵が焦りを見せたその時、凛は影喰いに妖気をさらに込めた。その刃が深い黒い光を放ち、異形のピエロを正確に捉えた。凛は全力の一閃を放ち、その刃がピエロの中心を貫く。
「斎藤、撃て!」
凛の叫びに応じ、斎藤が最後の妖気弾を放つ。弾丸は凛の斬撃によって生まれた隙間を正確に抜け、異形のピエロの核を撃ち抜いた。
爆発的な音と共に、異形は悲鳴を上げながら霧散した。その瞬間、回転木馬も止まり、人形たちも動きを止めた。
静寂が戻った館の中で、凛たちは周囲を確認した。葵が深く息をつきながらタブレットを見つめる。
「妖気の反応は……ほとんど消えたみたい。でも、完全に消えたわけじゃない……」
「原因はこれだけじゃない可能性が高い」
斎藤が冷静に分析する。その言葉に、凛もまた短く頷いた。
「ここはまだ終わっていない。原因を突き止める必要がある」
凛は影喰いを収め、廃遊園地の出口へと向かう。
月明かりの下、静まり返った遊園地には依然として不気味な気配が漂っていた。その奥深くに潜む本当の敵はまだ姿を見せていない――そう確信しながら、彼らは次の一手を考えるべくその場を後にした。
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遊園地の出口付近で、大学生たちは震えるように立ち尽くしていた。朽ちたアトラクションの影が、彼らの恐怖をより一層引き立てる。翔太の肩からは血が滴り、真奈美は香織にしがみついて嗚咽を漏らしている。拓也もまた、冷静さを取り戻すことができず、顔面蒼白で辺りを見回していた。
その時、暗闇の中から足音が響いた。鋭い音が静寂を裂くたびに、彼らは一瞬息を止める。やがて、暗闇から現れたのは、影喰いを携えた灰島凛、タブレットを持つ相馬葵、そしてライフルを肩に下げた斎藤義明の姿だった。
「……助けてくれた、あの人たちだ……!」
真奈美が震えながら呟く。香織も目を見開き、疲れ切った声で言葉を漏らした。
「あなたたち……一体何者なんですか?」
凛たちの登場に安堵したかに見えた大学生たちだったが、その姿をしっかりと目にした瞬間、同時に別の感情が湧き上がった。それは、彼らが「普通ではない」ことを本能的に悟ったからだった。
特に凛の姿は異様だった。暗闇の中でもはっきりと黒い刃が輝いており、その無表情な顔には人間らしい温かみがほとんど感じられない。葵のタブレットは不可解なデータを映し出し、斎藤のライフルはどこか異質な光を放っていた。
「……あの化け物と、同じじゃないのか?」
拓也が呟く。恐怖で追い詰められている彼の言葉は、仲間たちに更なる不安を植え付けた。
その言葉に反応したのは葵だった。彼女は軽く肩をすくめながら、少し茶化すように言った。
「ねえねえ、そんな顔しないでよ。私たちは君たちを助けたの、分かるよね?それとも……次は私たちが怖いって?」
冗談めかした言葉だったが、彼女の大きな瞳には微かな優しさが込められていた。その言葉に、真奈美がようやく声を絞り出した。
「そんな……でも、本当に助けてくれたんですよね?」
「そうだ」
凛が短く答えた。その声は冷静で、どこか突き放すようだったが、その背後には確かな決意が感じられた。
「ここにいた化け物は俺たちが片付けた」
斎藤が無骨に言葉を紡ぐ。彼は大学生たちを一瞥すると、冷静な口調で続けた。
「だが、完全に安全になったわけじゃない。お前たちはこれ以上ここに留まるな」
「だけど……あれは一体何だったんですか?ピエロの姿をしたあの化け物たちは……」
拓也が震える声で問いかける。
葵がタブレットを閉じ、軽くため息をついて答えた。
「あなたたちが知る必要はない。もし私たちが来ていなかったら、今ごろどうなっていたか考えれば十分でしょ?」
真奈美は視線を下げ、震える手で涙を拭った。
「……ごめんなさい。私たち、ただ噂を試したくて……」
その言葉に凛が初めて目を向けた。その視線は冷たさを感じさせたが、静かに言葉を選ぶように口を開いた。
「興味本位で命を落とすのは馬鹿げている。だが、今のうちに学べるなら、無駄ではないだろう。高い勉強代だったと割り切れ」
「翔太、血が……」
香織が心配そうに翔太の肩を指差す。それを見て、葵が手早く応急処置のキットを取り出した。
「治療してあげるよ。まあ、これぐらいなら私でも何とかなると思うけど」
彼女は軽快な声で手際よく包帯を巻きながら、続けて言った。
「さ、全員立てる?ここから先は安全な道を案内してあげるから」
斎藤が背後を振り返りながら、警戒を緩めることなく言う。
「俺たちが出口まで送る。だが、二度とこんな場所に近づくな。それが今回のお前たちの代償だ」
全員が頷き、震えた足で立ち上がる。凛が最後に遊園地の方を一瞥した。その目にはかすかに未練のようなものが宿っていたが、すぐに踵を返し、大学生たちの後を追った。
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遊園地の出口に到達した時、夜空には薄い雲がかかり、月明かりが弱々しく照らしていた。拓也たちは、改めて凛たちに感謝を伝えようとしたが、彼らはそれを拒むかのように冷淡に振る舞った。
「これで終わりだ」
凛が短く告げる。その声には確かな威圧感があったが、どこか遠くを見つめるような空虚さも感じられた。
「でも……私たち、本当に助けられたのに……」
真奈美が言葉の整理がつかないまま言葉を探す。香織もまた何かを言おうとしたが、斎藤がその言葉を遮った。
「お前たちはただ幸運だった。それ以上のことを知る必要はない」
葵は最後に軽く笑みを浮かべ、明るい声で言った。
「じゃあね、二度とここには来ないでね。次は助けられないかもしれないから」
彼らが去る背中を見送った大学生たちは、彼らの正体を理解することはなかった。ただ一つ、彼らの存在が「人間ではない何か」だということだけは心に刻まれた。
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遊園地の中へ戻る途中、斎藤が静かに呟いた。
「どうやら、まだ何かが残っているな」
「そうだな」
凛が刀の柄に手を置きながら答えた。「あの異形だけでは、ここを覆う妖気の正体は説明できない。何かが深部に潜んでいる」
葵が小さくため息をつきながらタブレットを開いた。
「まあ、次は本丸に行く番だね。こっちは準備万端だけど」
三人の影が闇の中へと溶け込んでいく。遊園地の奥深く――そこで待ち構える真の敵を討つために。
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遊園地の奥へと進む凛たちは、次第に空気が変わっていくのを感じていた。闇の中に漂う妖気が一層濃密になり、空間全体が押し潰されるような圧迫感を帯びている。廃れた遊具や建物が無機質にそびえ立つ中、凛の心にはある種の既視感が蘇っていた。
「……嫌な感じだ」
斎藤がライフルを肩に担ぎながら、低い声で呟く。
「ここにいるのはただの異形じゃない。何かもっと深いものが潜んでいる」
葵がタブレットの画面を睨みつつ、動きを止めた。
「妖気の密度、ここがピークだよ。凛、どうする?」
凛は一瞬答えを出さず、静かに目を閉じた。その瞼の裏に浮かぶのは、かつて家族を奪った妖怪と、それを超える圧倒的な存在――黒羽根の女の影だった。
「進むぞ」
凛は短くそう告げ、影喰いを抜き放った。刀が暗闇の中で微かに黒い光を放つ。
彼らがたどり着いたのは、遊園地の中心部にある巨大なドーム状の建物だった。その扉には無数の黒い羽根が張り付いており、羽根からは微かに光が漏れている。触れると、生きているかのように羽ばたき、低い唸り声のような音を立てた。
「黒羽根の女……」
葵が思わず声を漏らす。彼女のタブレットが警告音を発し、画面には「未知の霊力反応」という文字が浮かび上がっていた。
「これは……ただの妖気じゃない」
斎藤がライフルを構えつつ、扉を睨みつける。「霊力を感じる。だが、この強さは尋常じゃない」
凛は刀を握る手に力を込め、黒い羽根に近づいた。羽根が微かに震え、彼の足元から何かが流れ込むような感覚が走った。その瞬間、彼の頭の中に不鮮明な声が響く。
「……影を喰らう者……お前は、裁きの刃となる……」
凛は眉をひそめながら、振り返らずに告げた。
「お前たちは下がれ。この扉の先にいるのは、俺が行くべき相手だ」
「ふざけるないで、一人で行かせるわけないでしょ!」
葵が反射的に声を上げるが、斎藤が静かに手を伸ばして彼女を制した。
「……行かせてやれ。凛にはお前や俺以上に、この場所で何かを感じている。」
葵は渋々頷き、凛の背中を見送った。
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凛が扉を押し開けると、内部は闇そのものだった。黒い羽根が乱舞し、空間を埋め尽くしている。その中心には、黒羽根の女の力を思わせる巨大な漆黒の柱が立っていた。その柱は蠢く影のような霊力を放ち、凛に向かって低く語りかけた。
「お前も影に飲み込まれるのか。それとも、影を断ち切るのか……」
影喰いがその霊力に反応するように黒く輝き始めた。その光はこれまでの妖気の輝きとは違い、深い霊力を宿しているかのようだった。凛はその刀を静かに構え、覚悟を決めた。
「俺は……影を断つ者だ」
その言葉と共に、影喰いが彼の手の中で変化を始めた。刀身がさらに黒く輝きを増し、漆黒の炎のような霊力を纏い始める。凛の身体もまたその影響を受け、瞳が淡い金色に輝き、彼の全身に霊力の紋様が浮かび上がった。
柱から放たれる影が一斉に襲いかかる。影は触れるだけで精神を蝕むような力を持っていたが、覚醒した凛はそれを正確な動きで斬り捨てていく。その斬撃はまるで光そのもののようで、闇を引き裂くたびに霊力が爆発的に広がった。
「影喰いの力が、これほどまでに……」
凛は自身の内側に溢れる霊力の高まりを感じながらも、冷静さを保ったまま攻撃を続ける。
影の柱が最後の抵抗を見せるように、無数の触手状の影を放つ。それらは凛を飲み込む勢いで迫るが、彼は一歩も引かずに影喰いを振り抜いた。その一撃は影そのものを裂き、柱を貫いた。
柱が崩壊すると共に、空間全体が揺れ始めた。凛はその中心で刀を静かに収め、崩れゆく柱の中に一瞬だけ黒羽根の女の幻影を見た。その姿は彼の記憶に焼き付いていた存在そのものであり、彼女の力がさらに増大していることを確信させるものだった。
「……まだ、終わりじゃない」
凛は小さく呟き、出口へ向かった。
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外に出た凛の姿を見て、葵と斎藤は驚愕した。彼の瞳は淡い金色に輝き、身体には霊力の余韻が漂っていた。
「凛……それ、何が起こったの?」
葵が恐る恐る尋ねると、凛は静かに答えた。
「黒羽根の女の力の一端だ。だが、これを利用して、奴を倒す手がかりが見つかるかもしれない。」
斎藤がその変化を見定めるように言う。
「その力、制御できるのか?」
凛は目を閉じ、力が内側で静まるのを感じながら頷いた。
「まだ完全じゃないが、奴にたどり着くための手段にはなる。」
三人は廃遊園地を後にし、黒羽根の女との次なる戦いへの決意を新たにした。背後には、影喰いの覚醒により断ち切られた影だけが静かに消えていった。




