1、ネジの奴と隣の君1
雨が降っていた。地面には水分で重くなり、重力に逆らえなかった桜の花びらが沢山落ちている。訃報を知らされた直後のような雰囲気だ。
今日は高校の入学式。だが、どうやら空はそのことを祝う気は無いらしい。
私はこの空に怒りを向けていた。折角勉強を頑張り、こんな良い高校に入ることが出来たのに、親は二人共出張中のため自分を祝ってくれる人もいない。知り合いのいない高校を目指したため話す相手もいない。まあ、居ても話せないけど。自分の晴れ舞台とは思えないくらい最悪な状況だ。
それでも少しは楽しみにしていたこともあり、他の人と比べて早く教室の席に着いていた。
辺りを見渡す。まだ揃ってはいなさそうだが、もうぽつぽつ生徒がいた。中にはもう明るく会話をしている人達もいる。私、乗り遅れたかな? いやまあ今後仲良くなれるだろうと思うが、そんなことを考えているだけで自分が惨めに思えてくる。
『ねえねえ!』
私が声かけられてる! もしかしたら友達になってくれるかもしれない。目を輝かせながら辺りを見渡して主を探し、見つけた瞬間目が輝きを失った。声をかけてきたのは席の右側に面している壁に付いていたネジだった。
私は、“話しかけてくんじゃねぇ!”と心の中で叫んだ。すると、
『どうせ話す相手も居ないんでしょ? 良いじゃん。付き合ってよ』
ネジが話しかけてくる。他の人が聞いたら突拍子もない話に聞こえるだろう。だが残念なことに事実なのだ。自分にしか聞こえないせいで証明ができないが。初めて声が聞こえてきたときはあまりの衝撃に一人で騒いでしまい、中学では異端者として扱われてしまった。
“何で私に話しかけるの?”
『だって、ひとりぼっちでかわいそうだったから』
“余計なお世話だ。”
ネジには私の考えていることが全て筒抜けになっている。声を発せず話しかけられるという利点はあるが、何を考えているのかバレていることに、中々気持ち悪さがあった。
『ねえねえ! どんな気持ち? 折角の進学がこんな空気になってるのって!』
“うるさい! 話しかけるな!”
あまりの苛立ちを抑えきれず、私は机を強く叩いた。そして一斉にみんなの視線を集める。やってしまった。すぐに自分の失態に気付いた。いつもこうだ、ネジのせいで人との関係が乱れていく。
「どうしたの。大丈夫」
「わぁっ!」
「ん」
隣の席の男子に声をかけられ、驚いてしまった。いや、声をかけられたことというより、隣に人が居ることに気付いていなくて驚いてしまった。あまりにも存在感が無さ過ぎる。息の音すら全く耳に入っていなかった。ネジに集中していたせいかもしれないけど。
「ごめん。何でもないよ」
「そうか。なら良かった」
隣の男の子は抑揚無く言葉を返した。何か異様な空気がある。まさに空気のように、この場にいるのに存在感があまりにも薄かった。
「名前なんて言うの?」
男の子に唐突に聞いた。てか本当に唐突だな! 誰にも話しかけて貰えなかったからとはいえ、急すぎるだろ。
「え」
しまった、そういや自己紹介すら飛ばしてた! 完全にあたおか野郎じゃん私!
「ごめん名乗ってなかったね。私、小宮優樹って言います。よろしく!」
「よろしく」
「君はなんて言うの?」
「僕は橘冬斗」
本当に抑揚が無い。橘冬斗という男の子はこの世に存在しているのだろうか? 私はまた、誰もいないところに話しかけてしまっているのではないだろうか?
「じゃあ冬斗くんで良い?」
「良いよ。小宮さん」
良かった。高校デビューは失敗してしまったと思っていたがそうでもないみたい。冬斗君、そう名乗ったほっそりしている男の子と仲良くなれたら、良い青春が送られるかもしれない。本当に存在しているなら……。まあ、入学式前の段階で何言ってるのだかっていう感じだけど。
『入学式』の看板と共に記念写真を撮っている人々の合間を潜り抜け、帰路についた。親がいない中あそこの列に並ぶのは辛い。もう、思い出とか関係なく落ち着きたい。入学式からガイダンスばかりで疲れた。結局あの後誰とも話せなかったし。まあ本番はこれからだけど(本当に?)。
あ〜なんか、休めるところ行きたい! あそうだ、確か登下校道にアイス屋さんがあったはず! 行こう。
私の家は学校から遠い。自転車で四十五分ほど、やっぱりキツいよな〜。これからは電車使おうかな?
「あった」
例のアイス屋さんだ。キッチンカーで販売を行なっており、さっき値段を見てみたら中々リーズナブルな値段だった。一休みには最適だろう。近くに公園あるし。
「よっこい! はぁ」
公園のベンチに腰を下ろし一息ついた。ん〜雨が止んで太陽が出て来てくれたおかげで心地良い。あれ? アイス買ってない! 忘れてた!
『ほんとバカだね』
「うるさい。話しかけないで」
どうやらベンチについているネジが話しかけてきたみたいだ。本当に最悪、なんでこんなの聞こえるようになっちゃったんだろう。
『ねねね! どんな気持ち? 入学式ひとりぼっち』
「だから黙って」
『本当のこと言っているだけじゃん。さみし〜って言いなよ〜』
「うるさいって言ってるでしょ。良いから私の前から消えて」
「……」
「あ……」
目の前には、立ったまま私を覗き込む男の子がいた。堂々と見られてしまった。ネジと話しているところ。冬斗君に。
終わった、高校生活終わった……。よくよく見てみたら凄いまじまじと見てた! というか冬斗君本当にあまりにも存在感無さ過ぎでしょ! 気付けなかったじゃん!!
「誰と話していたの」
冬斗君は私に視線を浴びせてきた。やめて! これ以上私を苦しめないで!
「……え〜と、聞いても引かない?」
何言っているんだ? 私は話そうとしているのか? ネジと話していること。
「引かないと思う」
とても単調に返事をしてきた。本当に引かないのかな? ちょっと気になる。何となくだけれど、冬斗くんには言っても大丈夫そう。試しに言ってみよう。そして引かれたら、……何か弱みを握って脅すか。
「……ベンチのネジと話してた」
「ネジ」
「そう、ネジ」
「そうなんだ。凄いね」
なんか、……いやもうちょっと反応してよ! 何その反応! なんかもっとキョトンとするとか、驚くとか、笑うとかしてよ! まだそっちの方が無表情よりはマシだよ!
ん? 無表情……。そうだ、冬斗君にずっと感じていた違和感はこれか。冬斗君、一回も笑ってない。驚いていない。ただずっと真顔だ。
「私も聞いて良い?」
「何」
「何聞いても怒らない?」
「怒らないよ」
「何でそんなずっと無表情なの?」
「……表情忘れちゃった」
「え?」
なんと、私が言ったことに冬斗君は驚かなかったのに、自分は驚いてしまった。いやでも、「表情忘れる」という現象が初めてだったししょうがないか。
「表情というか、なんて言えば良いんだろう。自分の感情を表に出すやり方が分からないんだ」
だからセリフがずっと棒読みみたいになっているのか。
「表に出せないってことは面白いって思ったりはしているの?」
「多分」
「えじゃあ、さっきの話聞いて笑ってた?」
「いや、変わった子だなとしか」
あなたも十分変わっていると思うけど。
『いや、こいつ笑っていたぞ』
ネジがわざわざ嫌な解説を入れて来た。
「いきなり話しかけてこないで」
「またネジと話しているの」
「あ、うん」
ヤダななんか。もうバレてるとはいえ、会話しているのを見られるのはなかなか恥ずかしい。
「なんて言ってたの」
「冬斗君がさっきの私の話聞いて笑っていたって」
「凄い、お見通しなんだね」
「え? 笑ってたの?」
「言ったら怒られると思って」
くそ、此奴め! でも、冬斗君が表に出せない表情を知ることが出来た。なんかそれ凄いな。
「冬斗君は、表情作れるようになりたい?」
「……なりたい、出来るなら」
「じゃあさ、私が作らせてあげる!」
私何言ってるんだろ? 頭がいよいよおかしくなったか? いや、ネジと会話している時点でもう末期か。なんか、自分が考えていることもよく分からんけど、うん。脊椎に任せよ。脳はもう働けない。
「え」
「私なら冬斗君の感情が分かるし、取り敢えず他の人に伝えられる! だから、ひとまずみんなには私が代弁していきながら冬斗君に出し方を教えてあげる!」
「確かに、小宮さんは表情豊かだし良さそうだけど、何でそんなことしてくれるの」
ねえなんで? 私? ねえなんで? まぁ、面白そうだからかな。
「面白そうだから。あ、」
しくった! 少しは濁して言えよバカ! 冬斗君で遊ぼうとしているみたいじゃないか!
「はっきり言うね」
「ご、ごめん!」
「いや、別に良いよ。面白いかは分からないけれど、もし良かったらよろしくお願いします」
「……りょーかい!」
冬斗君は了承してくれた。正直本当に何でこんなこと言い出したのか分からないけれど、まあ、言っちゃったんだからしっかりやらなきゃね。
「あごめん! ずっと立ちっぱだったね!」
「別に大丈夫だけど」
「もし良かったら一緒にアイス食べない?」
「良いけど、それよりそのベンチ、ビシャビシャじゃない。おしり大丈夫」
「え? あ、ぎゃあああああああっ!」
「はい。ハンカチ」
「ありがとー!」
男の子がハンカチを渡してくれるシチュエーションって本当にあるんだー。あれだよねー。女の子がキュンキュンするやつだよねー。わーすっごいドッキドッキするー。外で濡れたお尻を男の子から借りたタオルで拭いてるー。風情のへったくれもねー。
「何やってんだろ私」
「僕と話しながらお尻拭いてる」
「やめて! その言い方だとトイレしながら話してるみたい!」
「言われてみれば確かに」
冬斗君って感情が出せないってことの前に普通に変人だよね。変人というか、頭のネジが外れてる。
「アイス買わないの」
「買う!」