私をジュリエットと呼ぶ、自称ロミオの留学生。(1)
今回は【ロミオ】がモデルのミオ・須藤・ロッソの話。※軽くではありますが、性描写と動物虐待(蛇に対して)のシーンがあるため、R15指定です。
この作品のタイトルにもなっているミオ君が登場です。前半からすでにだいぶ片鱗が見えていますが、後半さらにヒロインに対しての愛が重い要素が加速する予定です。
3話まで、それぞれの自己紹介的に話しが進みます。4話からは、基本ヒロイン視点となる予定。
この物語はフィクションであり、実在の人物・団体とは一切関係ありません。
・20歳以下の喫煙を匂わせる描写があります。
・弓道、香道、フレグランスの知識はふわふわです。
・作中出てくる商品の名前は架空のものとなっており、
こちらに出てくるロミジュリの映画も、年代を変えております。
ミオ・須藤・ロッソが6歳の頃の話だ。
その日は1人で留守番をしていた。母の部屋のクローゼットに、車のおもちゃを何台か持ち寄って、秘密基地ごっこをしていた。すると、玄関が閉まる音と母の声が聞こえてきた。足音は、1人ではない。2人だ。男の声がする。だけれどそれは父の声ではなかった。2人が楽しそうに部屋に入って来た。出るタイミングを失ったミオはクローゼットの木枠の隙間からそっと2人を見ていた。母と見知らぬ男が抱き合っている。裸でだ。母は、笑いながら、時々カモメのような声を上げていた。その声は鍵の閉められた母の部屋から、時々聞こえてくる声だった。父がいない時、母がこうして知らない男を家に連れてくることは、今までもあった。
部屋でどういう事が行われていたかを、この時ミオは初めて知った。ショック、ではあった。が、ミオ自身具体的に2人が何をやっているのか、分からないでいた。ただ、こうは思った。
気持ちが悪い──。
ミオの脳裏に浮かんでいたのは、夏に母の実家があるコッツウォルズに行った時のことだ。庭先で蛇が2匹、絡まり合っていた。うねうねと絶えず動き、時に反転しとぐろを巻く様子を、ミオはしゃがみ込みながら見ていた。頬杖を突きながら、心底その様が気持ち悪いと思った。なので、彼はガレージに置いてあったネズミ捕り用の粘着シートを取ってくると、蛇たちに向けて投げつけた。そして、蛇が動く度にさらに絡まって身動きが取れなくなる様を、微笑みながら見ていた。それもほどなくして飽きてしまい、その後は虫取りに夢中になった。翌日、庭先で祖母の叫び声が聞こえるまで、彼はすっかり自分のした仕打ちを忘れていた。
ミオは大人びたため息をついてから、クローゼットの扉を開けた。ベッドの上で唖然とする2人には目もやらず、キッチンに向かった。どうでもよかった。というよりか、気持ち悪過ぎて見る気がしなかった。彼は冷凍庫からアイスを取り出して、居間でテレビを見始めた。
その夜、母はいつもよりずっと優しく、ミオの好物をたくさん作ってくれた。そんな母に微笑みながらも、ミオの心はひどく冷めていた。蛇たちを見捨てた時と、同じ気分がしていた。
これがミオにとって、最愛の母を気持ち悪いと思った、初めての記憶だった。
【私をジュリエットと呼ぶ、自称ロミオの留学生。】
ロンドンにあるバー【THE eights】。ミオはここで週3回ほどピアノ伴奏のアルバイトをしていた。赤を基調としイタリア製のアンティーク家具の置かれた店内は、金曜の夜とあって多くの客がいた。会員制ではないものの、ドレスコードのあるこの店には、セレブも多数訪れる。
バーの中央に設置されたグランドピアノ。ミオはそこで鍵盤を奏でていた。今日の彼の服装は、ディープグリーンのタクシード。腕時計を外しながらグランドピアノへと闊歩していた時点で、女性客の視線は彼に釘付けになっていた。彼が今日付けている香水は、モルトンブルーのサイプレスオードトワレ。甘くウッディな香りの中に、マリンノートの清涼感がすっと散る。おしゃべりに夢中になっていたご婦人も、彼が近くを通るとその残り香に振り返り、感嘆の息をこぼしていた。
今彼が奏でいている曲は、ドビュッシーの月の光。サイドで分けられた髪の根本の色は焦茶で、髪先に行くに連れてプラチナブロンドへと色が抜けていった。くっきりとした青緑色の目にかかる長いまつ毛も、同じ色をしている。これはイタリア系の、母譲りのもの。眉は髪の根元と同じ色をしていて、きりっと上がって太い。顔の堀はそこまで過度ではなく、その横顔には若干幼さのような彼特有の甘さがあった。これは日系の父譲りのものだ。
ミオは、イタリア系と日系とのダブルだ。特にイタリア系イギリス人である母は、美しい人だった。カンツォーネ歌手であった母は、それこそこうしたバーで日々歌声を響かせていた。夜、サラリーマンの父が残業で帰れない時などは、ミオは母に連れられてバーに行く事があった。父が迎えに来るまでの間、緑色の輝くドレスに身を包み、伸び伸びと歌い上げる母を、ミオはカウンターでジュースをもらいながら見ていた。客のうっとりとした視線を一身に纏う母は、ミオの自慢だった。
母は、愛情深い人だった。ミオにはいつだって優しく、作ってくれる料理もとても美味しかった。そんな母の好きな香水は、チェーベローズだった。チェーベローズの花言葉は、”危険な戯れ”もしくは”危険な快楽”。それは母の本質を示唆する香りだ。彼女は所謂、色狂いだった。
バーで仕事をしてくる日は、大体朝帰りするのは当たり前であったし、父がいない時を見計らって、家に男を招き入れることもあった。間男が父と鉢合わせた際などは、警察沙汰の騒動などにもなった。しかし、父は母の美貌に惚れ込んでいたので、そういった母の奔放さには基本、目を瞑っていた。
ミオは、というと、物心ついた時から母はそうだったので、すでに慣れ切っていた。ただ、母が男を連れ込む度に、脳裏にあの蛇の光景が浮かんで、眉間の間がツンとするような嫌悪感が差した。そうすると彼は居間に行って、おやつを食べながら、テレビの音量を上げて映画を見るのが常だった。
家には、たくさんの映画のDVDがあった。映画は、母と父の唯一共通の趣味だった。様々なジャンルの映画があったが、多かったのは往年の傑作と言われるミュージカル映画やロマンス映画だった。その中でもミオが好きだったのは、1965年の映画、”ロミオとジュリエット”だった。
悲壮な結末を辿る映画だったが、ミオにとっては何もかもが美しかった。その物語も、登場人物も、その街並みも。
特に美しかったのは、ジュリエットだ。ロミオが彼女を見初めるシーンを、ミオは何度も見た。漆黒の艶やかな髪を結わえ、朱色の清楚なドレスに身を包んだジュリエットの、ロミオを見上げるつぶらな瞳に、当時小学生だったミオは初めて恋をした。初めてこの映画を見た際、大人が見れば大したことのないキスシーンなどが、幼い彼にとってはとても刺激的だった。そして、ロミオとジュリエットがベッドの上に裸で横たわっている場面を見て、彼はショックを受けた。センシティブだったから、ではない。むしろ、まったく気持ち悪いと思わなかったからだ。なんてきれいなんだろう、と思った。そして、彼にとっては不思議で堪らなかった。あれは醜い行為のはずなのに、だ──。