エピローグ
フェリーが沖へと離れて行くのに手を振っていた藍は、隣りに並んだ識に言った。
「…あの薬、投与したの?」
識は、頷いた。
「ああ。恐らく港について笑って別れた後には、ここでの記憶は薄れて行くだろう。とはいえ、直後から連絡を取り合っていれば、それが新しい記憶として関係が築かれるので、問題ない。ただ、ゲームをした事実はなんとなく頭に残るが、詳しい事や人の顔が段々に薄れて消えて行くだけだ。」と、藍を見た。「君はこれで良かったのか?章夫。一緒に帰れば君の事も、船を降りた後の記憶として残るから、彼らと交流を続けることができたのだぞ?」
藍は、いや章夫は首を振った。
「いいんだ。分かってて参加したんだし。偽名を使ってたしね。でも、詳しいことは話してくれてなかったから焦ったよ。死んでないのは知ってたけど、前とは違ったからね。気が変わってなんか大層なことをしてるのかって勘繰った。」と、識を見た。「それより、僕は新とゆっくり話したかったから。いっつも電話かメールばっかだったでしょ?君のお父さん、めっちゃ若くなってたね。律子さんがお母さんでしょ?ほんとの年齢聞いたら、みんなびっくりしただろうね。」
新と呼ばれた識は、頷いた。
「私の研究の成果だ。」と、足を屋敷の方へ向けた。「だが、まだまだだ。母はあの通り薬の効きがいいので父より若く見えるほどになったが、気を抜くと疲れて動けなくなってしまう。やはり根本的に何か、間違っているのだろう。早くしないと…母の実年齢が八十に近くなっているし、私も焦っているのだ。」
新は今、31歳だ。
あの律子…紫貴が45歳の時に産んだ子ということなので、確かにもう、かなりの歳だろう。
新は、ただ両親を長らえさせたいがために、この研究に勤しんでいるようだった。
「協力するよ。」章夫は、言った。「僕にできることなら。何でも言って。またゲームをするなら人を集めるよ?僕、そういうの得意だし。」
新は、首を振った。
「そんなことで君に負担は掛けられない。場が混乱したらといくらか勝手の分かっている者を、毎回二人は混ぜるので、その一人になってもらいたかっただけなのだ。追放されて来たもの達からサンプルも取れたし、治験もした。データは取れたので、次はまた改良が進んでからになる。」と、章夫を見た。「それより、君が勧めてくれたシナリオは面白いな。読んでみたので似たシナリオを書いてみたくなったよ。まあ、そんな時間はないから、また誰かに頼んで書いてもらうことになるだろうが、新しいシナリオができたら送るよ。君が友達とやってみて、感想を聞かせて欲しい。」
TRPGのことを言っているのだ。
章夫は、嬉しくなってはしゃいで言った。
「ほんと?あれはお勧め。ほんとなら君にやってみて欲しかったんだけど…そうか、読んじゃったんだね。だったら君には回せないなあ。」
新は、眉を上げた。
「なんだ、面白いとか言うから、てっきり読んでみろと言うことかと思って、ネットで調べて読んでしまった。そうか、読んではいけないのか。」
章夫は、笑った。
「いいよ、またお勧め探すから。今度、僕がキーパーやるからネットでやろうよ。夜なら時間があるだろ?」
新は、顔をしかめた。
「そうだな、まあ考えておく。研究所に泊まり込んでいるから、夜も実験に没頭していて忘れているときがあって。学会にも顔を出さねばならないし…また連絡する。」
新は忙しい。
だが、そんな新が自分を友達だと見て、こうして時間を作ってくれようとするのが、章夫にはとても嬉しかった。
「待ってるよ。」
章夫は答えて、一緒に洋館へと入って行った。
紫貴と彰が、出迎えてくれてお茶に誘ってくれる。
章夫は、新と共にその二人の背を追いながら、ずっと新のことを助けて行こう、と決心していた。
陽太は、忙しい毎日をまた再開した。
毎日バイトと大学に忙殺されていると、あのクルーズがまるで夢のような気持ちになって来る。
もう、あの時何があったのか、詳しいことは思い出せない。
それでも、しょっちゅう連絡が来る丞や永人、睦、それに芙美子と郷とは仲良くしていた。
あの時一緒にゲームをした面々とは、時に飲み会など開くので、近況は知っていた。
だが、20人居たはずの何人かは、もう顔も名前も全く思い出せなくなっていた。
確か、とても仲良くしていた男子がいた気がするのだが、その割にはもう、何も思い出せなかった。
なので、思い過ごしなのかも、と思っていた。
芙美子は、無事に寛の力を借りて、大きな借金を背負うことなく、まして返してもらったお金もあって、逆に潤ったほどだったらしい。
郷と結婚して、郷の持ち家に住んで居るらしいが、まだローンが残っているの、と、芙美子もパートに出ているらしい。
郷はなんとか以前の経験を生かして小さな会社に再就職し、無事にやっているようだ。
寛と健は本当に一緒に弁護士事務所で働いていて、健の医師免許は役に立つのだと何度か聞いていた。
健の知識は役に立っているらしく、更に最近ではしっかり法律も学んで来ていてとても頼もしいのだそうだ。
香織と悠斗は特に何も無く、陽太も太成も、なので全く香織を会う事がないので、もう顔もはっきり覚えていない。
悠斗はその後、大学の後輩と付き合いだしたので、それでなくても最近は陽太たちとは少し、会う機会が減っていて、どうしているのかいまいち分かっていなかった。
そんなこんなで、陽太は順調にやっていた。
また割のいいバイトがあったら、太成と一緒に行きたいなあと、最近話しているぐらいだ。
もう詳しい事は何も覚えていなかったが、確かにスリルもあって、楽しかったという記憶は微かに残っていた。
しかしそろそろ就活も始まるので、毎日はまた忙しく、過ぎて行った。
そうしているうちに、毎日がそれなりに楽しく、新しい何かに夢中になって行って、全てが頭から、消えて行ったのだった。
ここまで読んで頂いてありがとうございました。次世代シリーズは、前のシリーズよりは救いの無いような様子は抑えて、心に重くならない終わり方を心掛けています。相変わらずサイコロを転がしつつ書いておりますが、また次のお話はどうするのか未定です。いつも読んでいただきまして、ありがとうございます。22/2/16




