手違い
陽太と悠斗と太成の三人は、覚悟を決めてその船へと乗り込んだ。
どうしてそんな覚悟を決めなければならなかったかと言うと、全てはバスが遅れたからだった。
遡ると、一か月前のことになる。
三人が三人とも、大学は奨学金を受けて通っていた。
奨学金の申請はネット受付だったのだが、毎年申請し直す必要があり、しっかりその日付を把握しておく必要があった。
三人は、その期限が迫っているのは知っていたが、まだ大丈夫だと思ってちゃんと正確な日付を見ていなかった。
旅行へ行って帰って来てからにしようと思い、三人で雪山で遊び惚けていたのだが、その年の豪雪は半端なかった。
三人が帰るはずの道は通行止めになり、長距離バスは動かなかった。
電車も、史上稀に見る豪雪に不通となり、お金を出しても帰れるアテが全くない。
そこへ来てやっと奨学金の申請が心配になって、調べてみたらなんと、もうその日が期限だった。
こうなったらとスマホでできないかと試してみたが、そもそもがネットワークへ入るためのアカウント名とパスワードが分からない。
旅行に持って来るようなものでもないので、全て一人暮らしのアパートの部屋に置いて来てしまっていたのだ。
大学の他の友達に行ってもらおうにも、鍵は自分が持っている。
どうしたらいいのだと右往左往している間に、無情にもその年の、奨学金の申請期限の日は暮れてしまったのだ。
親にもそんな事は言えず、誰にも相談できなかった。
三人は、ずっと継続してアルバイトはしていたが、そのアルバイトは生活費を稼ぐためだけのもので、学費は奨学金に全て頼っている。
なので、いくら働いていても学費の確保まではとてもじゃないが無理だった。
僅かばかりに貯めていたお金も、その旅行のために使ってしまったし、貯まっていた奨学金は、前期分の授業料を支払うのに使ってしまった。
今から必死に働いて、次の半期分の学費が間に合うかというと、絶対に無理だった。
そんな時に、社会実験の検体になる、というアルバイトを見つけた。
とりあえず、後期の授業料だけでも何とか出来たらと思っていた三人は、その話に飛びついた…一日五万、十日間で五十万だ。
その上、社会実験でのゲームに勝利したら、更に100万円の賞金がもらえるということらしかった。
その代わり、一度参加したら途中で投げ出すことはできない。つまりは、船の中のことなので、脱落者のために寄港できない、ということらしかった。
更に船の上で起こる事には責任は持てないので、各自自分のことは自分で責任を持つという取り決めで、それを承知の上で乗り込むようにと、最初に書類にサインをして送り返す必要があった。
三人は、背に腹はかえられないと、その書類にサインして送り返した。
社会実験とは、一体どんなものなのかも分からなかったが、三人は実家に帰省するとアルバイト先に無理を言って休みをもらい、こうしてやって来たのだ。
「…大丈夫だ、みんな一緒だし。」陽太は言った。「きっと変な実験じゃないって。」
二人は頷いたが、とても不安そうだった。
甲板へと上がると、こちらの不安などお構い無しに、明るい声で外国人の男が言った。
「ようこそいらっしゃいました。私は皆様のご案内をするジョアンと申します。あなた方で最後です。どうぞ、こちらへ。」
愛想のいい、流暢な日本語で言うのに、三人はいくらかホッとした。
もっと重苦しい雰囲気なのかと思ったからだ。
その船のメインデッキを歩いて行くと、船首の方へと歩いて行き、扉を開いた。
そこは、広いレストランのような、ラウンジのような場所だった。
入って右側にはテーブルと椅子が並んでおり、食事をするような感じだが、左側にはソファが並んでいた。
既に到着した人達が、ソファに座って少し、硬い表情で座っている。
案内してくれた外国人が、そこで立ち止って、言った。
「では、ソファに座ってお待ちください。もうしばらく致しましたら、あちらのモニターでご説明があります。」と、銀色の腕時計のような物を手渡した。「これを左腕に巻いて頂けますか。皆さんの心拍などの健康管理をするための物です。」
三人は頷いて、言われるままにその銀色の腕時計のような物を腕に巻いた。
それは、巻いた途端にぎゅっと締まり、綺麗にぴったりと密着して肌にくっついた。
三人が戸惑っていると、案内人の男はそれを見て微笑んだ。
「装着できましたね。これは、皆さんの心電図などをきっちり管理するためのものなので、ずれなくくっついていないといけないんです。これから、私有地の島へと向けて航行しますが、その間に何かあってはいけませんので。」と、皆に頭を下げた。「では、私はこれで。案内が始まるのをお待ちください。」
そう言って、その案内人は出て行った。
陽太、悠斗、太成の三人は、黙りこくっている皆の間を縫って、空いているソファへと座り、回りを見回した。
天井には大き過ぎない程度のシャンデリアが下がり、とても明るい雰囲気の場所だ。
広くて、寛げるようにと考えて作られてあるのか、壁の色もクリーム色で落ち着かせる感じがする。
普通の旅客フェリーに乗ったと言われたらそうだろうと思われるほど、きちんと掃除されて整えられた場所で、ここで今から社会実験が行われるという雰囲気でもなかった。
とはいえ、その社会実験というのが、どんなものなのかまだ知らされていない。
案外に、楽しいものなのかもしれなかった。
キョロキョロと見回したが、ここに居る人の他に、誰も居る様子がない。
皆がそのまま、隣りの人とコソコソと小さな声で話すのが聴こえるぐらいで過ごしていると、小さく唸っていた船のエンジンが、急に大きな音を立て始めた。
「…あれ。」
誰かが、声を上げる。
船の方向が、変わっているような気がする…。
急いで窓の外を見ると、ギャングウェイはもう外されてあり、先ほど案内して来た外国人の男が、笑顔で手を振って見送っていた。
「え…!」
あの案内人は、世話係じゃなかったのか。
陽太は、離れて行く岸に、思わず縋るように窓の縁に手を掛けた。
何しろ、ここに居る人の他にはあの案内人しか頼れる人が居ないような気がしていたのだ。
それを、あっさりと船を降りて手を振っている。
ここから、どうなるのか分からないまま、自分達は大海原へと漕ぎ出してしまったのだ。
何の説明もないまま、船はどんどんと航行して、ついには何も見えなくなってしまった。
…ちゃんと帰れるんだろうか。
不安になって来た頃、他の参加者たちも同じように思うのか、段々に暗い顔になって来る。
すると、一人が顔を上げて、意を決したように言った。
「あの、僕は森川藍。」皆がその、若い男を見る。男は続けた。「男なんだけど、藍って名前なんだ。皆さんも、社会実験っていうのに参加しようと来たんでしょ?」
すると、かなり年上っぽい男が言った。
「…オレは、立山郷。そう、金に困ってたからね。君達もだろ?」
男女、年もまちまちな人達は顔を見合わせた。
太成が言った。
「オレ達三人は大学の友達なんだ。川原太成っていいます。学費が稼げたらって思って参加しました。」
郷は、頷いた。
「そうか。そっちのお嬢さんもさっき、そんなことを言ってたな。奨学金の申請をし損ねたとか言って。」
オレ達と同じ。
陽太が思ってみると、言われた女性は頷いた。
「そうなんです。ほんと、期限を間違ってて。ネットでの入力受付と、書類の送付受付の日付が違ってて…間違ってて入力できなくて。このままじゃヤバいなって、このアルバイトを見つけて来ました。あ、私は高田香織といいます。」
藍が、言った。
「ねえねえ、面倒くさいし全員下の名前で呼ぼうか。みんな、僕のことは藍って呼んでくれていいよ。」
陽太が、言った。
「オレは早川陽太。よろしく。」
悠斗も、急いで言った。
「オレは宇田悠斗。」
いかにも綺麗なお姉さん、と言った感じの女性が言った。
「私は芙美子。多田芙美子よ。一人で参加したから、とても不安だったの。参加理由は…まあ聞かないで。お金が要るのよ。ここに居るみんながそうでしょ?わざわざいわなくてもいいわよね。」
確かに突っ込んで聞くのは無粋かもしれない。
なのでみんな何も言わなかった。
そうして皆が自己紹介を終えると、20人がここに集められているのが分かった。
どうなるのかは分からなかったが、とりあえず話が通じなさそうな人が居なかったのに陽太はホッとした。
これから10日間も一緒に居るのに、変な人が混じっていたら面倒なことになるからだ。
何か話した方がいいだろうか、と陽太が悩んでいると、パッとモニターが青い画面を点灯させた。
そして、機械的な女声が言った。
『皆様、人狼ゲームクルーズにようこそ。』
人狼ゲーム?
皆が顔を見合わせると、そのモニターにこの船の見取り図が映し出された。
『では、皆様のお仕事を説明致します。』
陽太は、ゴクリと唾を飲み込む。
声は、淡々と説明を続けた。