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アカシア  作者: ちひろ
1/1

始まり

車の窓を開けるとニセアカシアが むせる程の匂いを放っている

ニセアカシアが本当に正しい名前なのか 知らないが幼い頃に母が言っていた。

海の潮臭さも混じっているはずなのにあまり感じないまま 一時間程の時間をかけてガムテープと格闘している

まず 車の外側をドアのまわりやら隙間と感じる部分に隈なく目張りする 彼は、車の排気口からクーラーの外気ホースのようなものを繋ぎ後部座席の窓に差し込んで やはりガムテープで塞ぐのに汗を拭っていた。

私の車だったので私は、運転席に彼は、助手席に乗り込んで最後のガムテープ

「完璧!」何か?は、分からないが 妙な達成感を得ていた。

「乾杯!」あらかじめ用意していたワンカップ、只 安いと云うだけの理由

いつも一緒に呑む時は、欠かさない儀式?飲みながら何も話さないまま 薬をほおばる。

睡眠薬と精神安定剤と頭痛薬?

どれくらい飲んだか分からないが少し気持ちが高陽している

何も話さないが手を握りあった。

椅子を倒して鼠色の車の天井を見た お互いの顔を見ることは、極力避けている気がする。



啜り泣きの音が聞こえて 手探りで彼の頬に触れた。少し音が強くなって

「ごめんな」って聞こえた 「何が?」って言葉を押し殺し

「うん」と答えた。

程なくして

「ぽっぽっぽっ」というガスの音と少し嗅いだ事のない油臭い匂いの中 暗闇の中に深く沈んで行くのを感じました。


私の育った場所は、小さいながらも観光地 周りで稼ぎを得る人達にとっては、

「湖」と称したかったに違いないが

「潟」と呼ばれる小さな水溜まりで それでも春になれば何百本の桜が咲いたし夏には、花火大会も行われた。

そんな片隅でボート乗り場、食堂、売店などで生計を経てていた。

桜が咲けば心が浮き立ったし花火が上がれば特等席での観覧だった。


でも私の親は、じじとばば そして周りの自然と店で働くパートのおばさん達だった。


三歳になると突然 「お前のママ」だよ という人が現れた。

あっと云う間に

「妹」と

「弟」が出来た。



「私のママはね、お星様になったの」夜になると空を見上げて そんな事をつぶやく 憎たらしい子だったと 今でも継母

「育ての母親」に時々言われる。


私は、小学生になっていた ばばは、死んだ

学校から帰ると私の仕事は、家の掃除と脳溢血で半身不随になった じじの世話だった。

門限は、4時だった。

じじを一日置きに風呂に入れ 夕飯のお粥もこしらえた。

 階段の隅に埃があるとまるで脳無しの様に罵られた。

そんな私を不憫に思った じじは、新しい掃除機も買ってくれたし 小遣いもくれた

でも母

「継母」には、秘密だった。


五つ下の妹と七つ下の弟の世話も 私の仕事の一つだった そのせいでよく懐いてくれた


よく父と母は、喧嘩をした 時には、殴り合い 母は、度々家出した その度に妹、弟は、連れていかれ一人残される 心の痛みは、言いようの無いものがあった。


 いつの日からか汚いモノに触りたくなくなった家族が使ったタオルでさえ顔を拭くのも嫌だったし手を拭くのも躊躇った。学校では、ドアを触るのに袖口を被せ 直に触らない様にしていた。きちんと水気を取らない為に目の縁の皮膚にカビが生えた


私は、中学生になっていた。


非行に走る 懐かしい言葉だが まさに少しずつ思考が崩壊していった。

初めて吸ったタバコは、父親の吸っていたハイライトだった。

なんとも言えない大人感を感じつつ罪悪感の狭間で 私の潔癖症と云う病気は、影を潜めていった


その時は、知らなかった自分が病気だった事


初体験は、14歳の時だった 誕生日の一週間前で ある夜 夜ばいを決行した。


相手の男は、食堂としての家に毎日 夕食に定食を食べに来る、おにいちゃん 親の前では、そう呼んでいた。

その頃 客に混じって夕食を食べていた 私を隣に誘うと決まってカウンターの下で私の手を握った 普通なら恐い位の行為なのに 初めて触れる異性の感覚に酔いしれていた


10歳年上のその男と親しくなるのにそんなに時間は、掛からなかった

食事を終えると陰になる処で私を待っていて自分の車に促す

車も魅力的だった

「スモーク」外からは、見えない窓(今は禁止)で中の上クラスの車だったが 少なくとも周りそんな車に乗っている大人は、いなかった 車に乗り込むと私の胸を優しく触る

その内 自分自身を私の口に含ませた。

嫌では無かった 男の人がそういう事で喜ぶのは、知っていたし 何より誰より早く大人になりたかったし 早く家から逃げ出したかった 何も変わらない事も十分わかっていた 



その男の家まで自転車で1時間程の道のり もちろん、中学生の交通手段は、自転車のみで近づくにつれ 気持ちがザワザワと音を立てた


帰り道 妙な達成感に包まれていた 想えばこの時から私の有り得ない男遍歴が始まった気がする



その頃 私の中で愛と云う感覚が構成されていったのだと想う

肌を触れ合い 抱きしめられるという事

小さい頃 酒で暴れる じじから私を護るよう

覆い被さり抱きしめてくれた ばばの温もりに業と大袈裟に騒いだりした


じじが死んだ時 誰よりも私にしがみついて泣いていた 父の温もり

この時は、母の嫉妬が含まれた眼差しに不謹慎にも優越感を感じた気持ちは、今でも思い出す。


人からの愛情を探るように でも心の内を明かすのは、苦手なように思う


私に

「初めて」を経験させた男からは、何度か誘われた それが愛では、無い事は、知っていたし只好奇心と温もりだけを求めて誘いに応じた。


一度 手紙を書いた

まだ携帯やらメールの無い頃なので手紙だった。

内容は、

「貴方の子供が欲しい 結婚しなくてもいいから 貴方に愛された証が欲しい」

それからぷっつりと連絡は、途絶えた。


多分 本気では、無かった どんな答えが返って来るのか知りたかったし 少し人目につかない関係に嫌気もさしていた ほんのしばらくして 同じ歳の女の人と結婚したと食堂をしていた父に報告に来たと母から聞いた。

笑えた




一度 「初めて」を済ませてしまえば、次は、あまり躊躇わずにすむ

求められて 自分の嫌いな男でなければ大概応じた 誰でもという訳ではなく それなりに相手は、選んだ


偉そうに聞こえるだろうが 弱い奴は、嫌いだった喧嘩とかそういう事では、なくて

心の問題で弱くても強がりな自信家がタイプだった。


多分 今 想えば父親がそういう男だったからだ 私を産んだ母も私を育てた母も父親より年上だった。


勉強は、程々にしたが高校は、行かないと譲らなかった なぜだか分からないが中学の延長の気がしたからだ。

別に中学生活がつまらなかった訳ではなく それなりに大事な仲間もいて楽しい毎日だった タバコが見つかったといえば全員で反省文 家出も何度かしたし その度に仲間の家を泊まり歩いて見付かれば連れ戻され 酒を呑んでぶっ倒れ 顔が変わる位 殴られたりもした 


持て余してか 


どうしてもどこかへ 切に願う親に譲って 進路先が書かれていた簡単な冊子の最後のページに調理師専門学校という項目があった 試験は、無く 一年通えば調理師免許が頂ける 只 金を払えばいい学校だった。幸い向かいに出来た中華レストランの社長が講師をしていたと云う理由もあって 親は、快諾した。



楽しかった 歳の違う人間が混ぜこぜにクラスにいた。

すぐに何人かのグループに入った。大概 三つ年上の高卒グループだった皆 バイトに明け暮れて自分で学費を稼いでいた 空いた日は、一緒に遊んだ 皆 普通にタバコを吸っていて浮く事もなかった。

それでも門限は、6時に延びただけで帰ってからの私の仕事は、じじが死んだのでそれ以外の全てだった。



卒業間近にクラス担任の先生が 朝、学校に着くと蒼い顔で言った。

「お父さんが倒れたから すぐ家に帰りなさい!」 頭が真っ白になった駅までどうやって着いたのか覚えていない

駅で家までのバスを待つ間 色々考えた 何を考えたか覚えていないが 考えた


家に着くと叔母がいた 父も腹違いの兄弟なので歳のいった叔母だった すぐにタクシーに乗せてくれ近くの総合病院だった くも膜下出血だった 酒好きの父、子の行く末を案じてか 思うようにならない商売を案じてか毎日呑み歩いていた。病室に着いた時 私一人だった意識のない父の手を握ってみた

少し握り返した気がした テレビで見た光景

「ピーーー」

ICUにいた父に医者と看護婦が駆け寄る!

ちょうど従兄弟と友人が入って来た

嘘みたいに心臓が止まった。



病室から出て崩れ墜ちた。

荷物を取りに行っていた母が戻って呆然としていた。

最後を見届けた私は、また少し 母が下に見えた。



葬儀の間 ずっと父の遺影を睨んでいた。

「ずるい」

その思いだけだった一人で逃げ出した。

「ココカラ・・・」




向かいの中華レストランの本店に勤めた。

母が頼んだらしく卒業して三日だった

朝 7時から18時 初任給は、七万円 タバコ代と原付きのガソリン代と家に三万取られて消えた



最初の男は、その店の三番手だった。

その他にも遊び相手は、何人かいたけど休みが同じだったので一緒に過ごした。

映画が好きでビデオ見て そのうち抱き合うか 抱き合ってから呑みに出掛けた

母は、その頃からアルコール中毒になった

あまり家に帰ら無かったので末期になるまで気づかなかった

仕事しながら家の事 兄弟の面倒と毎日毎日 時間だけが過ぎていた。



17歳になっていた



見兼ねた 親戚が母を病院にいれた

患者に会うのに何度も鍵を使い 鉄格子のある病院 いわゆる精神病院

肝硬変の一歩手前だったと医者が 得意げに言った。


そんな弱い母は、嫌いだったし 私を罵った母が本当にそんなに繊細だとは、信じられなかった。


あまり 病院には、会いに行かなかった

未だに言われる



その頃 私の彼は、勤め先の二番手になっていた。三番手の見ていないすきに飲み会でつぶれた私は、二番手に拉致られた。すぐヤラレタ



この男が最初の夫になる




母は中々 治らなかった医者は、三年掛かると また得意げに言った。


確かに家に帰っても隠れて料理酒まで呑む始末

裸足で向かいの酒屋へいっては、酒を買い

隠して呑み

内科と精神科を行ったり来たりしていた。

そんな中で、私の長男は、私の中に宿った。



18歳だった




二番手は、責任を取ると言った。

あまり嬉しくなかった。

きっと変わらない状況を案じていたからだろう


母が内科にいる頃 長男は、生まれた。私の付き添いは、中学生の妹だった。しっかりした妹だった そうならざるを得なかったのだろうが



悔しいことに三年後 孫会いたさに退院した 医者は、もう大丈夫とまたまた得意げに言った




式は、母に無理に退院させて 簡単に終わらせた。


結婚生活が始まった。



夫は、気を利かせ実家の近くにアパートを借りた 何も変わらない今までどうりの生活だった。

今までどうり兄弟のご飯の支度 母の分が加わった。


母は、嘘の様に変わった。孫の面倒は、とにかく良くみた 夜も預かってくれたので夜は、遊べたのでストレスは、発散出来た。夫は、毎日帰りは、深夜2時だった。

それなのに二人目が出来た。



子育てに明け暮れた。



私は、25歳になっていた。




その頃 二番目の夫に出会った。



親友の兄貴だった。



嫁に逃げられ ひとり子供を抱える やもめだった。ほとんど子供の面倒は、見ず 母親任せだった。


私は、タコ上げに誘った。いつもは、出無精な人が 私の誘いに応じた。



また 妙な、挑戦的感覚に燃えたのだ 



家から引っ張りだす 夫には、もちろん内緒で出掛ける時は、子供が一緒だったが確かに愛は、育まれていた。



それを ある日子供が一部始終 夫に話したので普段 関心のない夫も流石にキレた。


夜中に寝ている私に殴り掛かってきた 寝込みを襲われた私もキレた。


すぐ実家に帰った。


呼び戻しには、来なかった。

最後の抵抗だったのだ 


一年後 二番目の夫が出来た。



その生活も 二年で幕を閉じた。

堪え性がないと言われそうだが 槍りたがりすぎて子供は、三回 生まれずまま送り返し 仕事もろくにしないので 私は、昼夜働いた。

さすがにに呆れた。



夜 仕事を終えた私の携帯チェック 子供達が起きてても襲ってくる始末



もう ダメだ。




私は、しばらく母子家庭を満喫することになった。



夜の仕事は、続けた。

割が良かったからだ

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