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俺たちは今何もないサキの部屋でフローリングの上に腰を下ろしているのだが、
「と、ところでミオ、あんたバンド始めたって言ってたけど楽器は何してんの?」
不意に会話が途切れたところでナツミがミオちゃんにそう尋ねた。
ナツミの顔は少し赤いから、たぶん先ほどの両親の大人の会話を思い出して気恥ずかしいのだろう。というかその話題から離れたいから別の話題を振ったっていうところかな?
「うち? うちはギターだし」
ミオちゃんはへへへっと笑って突然立ち上がると、バタバタとサキの部屋から出て行ったかと思えば、すぐに部屋に戻ってきた。
マモルさんに買ってもらったというエレキギターを抱えて。
「おお、いいね……それで、ミオっちはもう何か弾けるようになった?」
「それが全然だし」
自然と手を出してきたサキに、まだ一月だし弾けなくて当然と言葉を続けたミオちゃんがエレキギターを渡す。
「ふーん……まあ、あたしも弾けないけどね」
そう言いつつ受け取ったエレキギターを弦を弾いてベロンベロンと音を鳴らすサキ。
「わたしも……」
「うちもだな……ってうちは触れたことすらないし……へぇ、」
アカリとナツミも実物に触れたことがなかったらしく、サキが持っているエレキギターに手を伸ばし音を鳴らす。
そんな彼女たちを黙って眺めていたのだが、不意にみんなの視線が俺に集まる。
「んーと」
話しの流れ的には俺がギターを弾けるかどうか知りたいのかな?
「なんかごめん。俺も弾けないよ……」
そこまで言ってて気づく俺を見ていたみんな顔が少し残念そうな表情へと変わるのを、だからつい俺は、
「あ、でもリコーダーとピアニカ(鍵盤ハーモニカ)なら弾けるよ……」
冗談っぽく言ったけど、さすがに少し言い訳がましい。言わなければよかったかも、みんなもポカンとしているし。
「あ、あはは、リコーダーとピアニカは授業で使うからみんなも弾けるよね……」
ちなみについ最近、俺の弟たちは、ピアノとバイオリンの習い事を始めた。あと英会話も。母さんたちから俺も習う? と尋ねられたが俺が口を開く前に、やっぱりダメね。レッスンが忙しいだろうし撮影に響いてもいけないからやめといた方がいいわね、となかったことにされてしまった。
俺も鬼のようにレッスンが入っているのも確かだし撮影にも集中したい。
それに弟たちとは年が離れているから弟たちだけ習い事してずるいとは思わないので、すぐに納得した。
でもこんな事なら短期間でも習うべきだったと思わずにはいられない。
――はぁ……俺も楽器買おうかな……
久しぶりに会ったのだから彼女たちにいい格好をしたかったのだ。俺が少し気落ちしていていると、
「聞きたい」
「ん?」
「ヤマトっち聞きたいよ」
「何を?」
「ヤマトっちがリコーダーとピアニカを弾いてるところ……」
サキが目をキラキラ輝かせている。この目は俺に期待している目だ。
でも、どうも俺が吹いたり、弾いているところをただ見たいだけのようにも聞こえるが……まあいい。
「ヤマト、私もみたい」
「うちも……」
アカリやナツミまで、サキと同じような表情をしていれば、ここは彼氏としてやるしかない……と思うが、できるはずない。そう楽器がないのだ。
「えっと……」
楽器がないのを理由に断ろうと思っていると、突然ミオちゃんが立ち上がる。
「う、うち、持ってくる」
そして、俺が返事をする間もなくミオちゃんは脱兎の如く部屋を飛び出し……
「えへへ」
満面の笑みを浮かべてすぐに戻ってきた。
その手には自分の部屋から持ってきたらしいリコーダーとピアニカがある。それを俺に向けて差し出してくるのだ。
「これってミオちゃんの?」
ズイと差し出されるので仕方なく受け取ったが、さすがにナツミの妹のリコーダーとピアニカはまずいんじゃないかと思うけど、彼女たちは何も言わない、いや、それどころか「ヤマトっち(ヤマトは)どんな曲が弾ける」と聞いてくる始末。
――直接じゃないから気にならない?
そう考えると、なんだか俺だけが気にしていることが逆に恥ずかしく思えてきた。
「そう、それうちの。あ、ヤマト兄もしかして洗ってないとか思ってる? それだとちょっとショックだし、うちちゃんと洗ってるし」
そんなつもりないのに、ミオちゃんにも地味にダメージを与えてしまった。これはもうぐだぐだになって雰囲気が悪くなる前に弾いた方がいいかも。
「いや、そんなこと思わないって。そ、それよりどんな曲がいい。俺が聴いたことある曲ならたぶんなんでもいけるよ」
リコーダーやピアニカなんて授業以外で活用する機会はなかったが、俺は音楽も本を一度読んだら暗記できるように一度聴けば割といける。ただ耳コピしても弾いたことのないギターなんかは指が動かないから無理だ。
ということでリクエストされたのは粟津素師の擦れたレモン。これは傷ついた人々の心を優しく癒すような曲だ。
俺も好きなので曲を思い出しながら心を込めて吹く。もちろんハンカチをリコーダーの下に当てておくことは忘れない。当てておかないと水滴が垂れちゃうからね。
「ふぅ……」
「すごいすごい。すごいよヤマトっち」
「ヤマト兄すごい」
「ヤマトすごく良かった」
「感動したし」
みんなが目を潤ませている。この曲はいい曲だもんね。俺でも心が疲れている時に聴くとほろりと涙が出ることがある。
「じゃあ、つぎはうちね。えっとアニメ、妖滅の刀の炎舞をピアニカで弾いて欲しい」
ミオちゃんがそうリクエストしてくる。この曲も、俺もアニメを見ていたから知っている。
逆に彼女たちは首を捻っているが、曲を聴けばたぶんサキたちも分かるはず。だからいいよとミオちゃんに返事をして炎舞を弾き始める。
「ああ」
「へぇ」
「これか」
曲を弾き始めると案の定サキたちは「聴いたことある」とお互いに頷きあいなが耳を傾けてくれた。
――あ、そういえば……
ピアニカを弾いているのに俺は自撮り写真の事を思い出していた。これは何度も聴いている曲だったので深く思い出そうとしなくても弾けるから楽だった。
俺はリアライズ芸能事務所に自撮り写真を提出しているが、これが割と大変。自撮りだけに自分で撮っているのでどうしても似たような写真が多くなってしまう。芸能事務所側からしたらこれではダメだろうと俺でも思う。
桂木さんをはじめ会社の人はみんな優しいから言われた事ないけど。
そんな思いもあり、だからちょっと今回は趣旨を変えてリコーダーを吹いた動画やピアニカを弾いた動画を提出してみようと思い至った。
ダメだったらどんな写真や動画ならいいのかアドバイスをもらおう。うん、それがいい。
それからみんなにその事を伝えて俺のスマホを渡し撮影に協力してもらった。
途中会話を挟みながらみんなが希望する曲を一曲ずつ弾けばいい時間になったので、お暇しようと思って腰を上げると、俺の分まで夕飯ができていてご馳走になった。もちろん作ったのはマモルさん。マモルさんは料理がうまい。ニコニコ笑顔の奥さんたちを見てると俺も少しは料理した方がいいのかなも思ってしまう。
「ヤマトっち後でLIFEするね」
「気をつけて帰るし」
「ヤマト気をつけてね。マモルさん、よろしくお願いします」
「うん。今日はありがとう楽しかったよ」
でも帰りの玄関口で当然とばかりに、みんなが帰りのハグをしてくるから吃驚した。
彼女たちはもちろんだが、なぜかお母さんやミオちゃんも。鈴木家ではこれが普通?
ちょっと疑問に思ったがマモルさんの笑顔が引き攣っていたので普通ではないようだと察して「遅くまですみません。お邪魔しました」とお礼を伝えてマモルさんが運転する車の助手席にさっさと乗り込む。
「ヤマトくんまたおいでね」
「そうよ遠慮なんてしたらダメよ」
「ヤマトくん、今度はお泊りで来なさい」
「ヤマト兄、うちバンド頑張るから絶対見に来て」
なんか助手席の窓を下げるよう促されたから窓を下げてみたら、みんなに色々言われた。
でもお泊まりで来てなんて娘の母が言うこと? たぶんこれは社交辞令のはず。そう思い俺も社交辞令のつもりで「はい」と返事して手を振った。
帰りはマモルさんが最寄りの駅まで送ってくれた。
「ヤマトくん、自分の家だと思っていつでも遊びに来なよ」
車の中でも話したが、なぜかマモルさんは俺にすごく感謝していた。妻たちとほんとうの意味で家族になれた、とね。
俺じゃなくても時間が解決していたと思うが、今は人に感謝された事を素直に受け取っておこうと思う。どうやら俺は人に喜ばれることに喜びを感じるようになっているらしい。
なんだか明日からの鬼レッスンや撮影も頑張れそう。そんなことを胸に駅から自転車に乗り換え自宅に帰るのだった。
「あ、そうだった。忘れないうちに今日撮った写真と動画を桂木さんに送っておこう……」
ちなみにヤマトの使ったリコーダーとピアニカはミオの宝物になったことは言うまでない。
最後まで読んでいただきありがとうございます。




