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中途半端な存在12

 その人物は人気の無い所まで来ると、振り返って後をつけてきたぼくに深々と頭を下げた。


「あのような真似をしてしまい、申し訳ありません」


 先に言われたらこっちが言いづらいじゃないか。カイと同じ色、だけでカイと違ってさらさらの髪をした人物を見つめる。


「やっぱ、ミスじゃなかったんだね」

 本戦勝ち上がるような奴、ましてやマイスター家の使用人が味方に攻撃をしてしまうなんて馬鹿なミスをする訳がない。

 この子は、ヘススは、意図的にペアに試合中に攻撃をした。


「いえミスです。貴方にそんな顔をさせてしまいました。エル様が怪我を負われる前に僕が対処すれば、貴方は傷つかずに済みましたし、ミラーのことも攻撃せずに済みました。申し訳ありません」


 何を謝ってるんだこの子は。いや、違う。そもそもこの問題はぼくに謝るものじゃない。


「試合中にあの程度の傷は放っておいていいんだよ。いくら君が忠誠心の暑い子とはいえ、異常だ」


 ただぼくが肩を強く打撃されただけで、ヘススはペアの子を骨折させた。ぼくらは試合をやっていたんだぞ、多少の怪我は最初から折り込み済みだろう? それなのにぼくに危害を与えたという理由で、この子はペアに攻撃をした。


「異常でいいです。僕は貴方様が傷つかないことが第一ですから」

「だとしても、ペアの子にあんな攻撃っ」

「それに関しては申し訳ないと思っています」


 その言葉にぼくは一瞬ほっととする。


「優しいエル様の前であのような真似をすれば、貴方が傷つくなんて分かっていたのに……申し訳ありません。頭に血がのぼって」

「ち、違う! そうじゃないよ」


 なんでまたこう捻れた思考回路してるんだこの子は。何もかもぼく中心にしてそんなの異常だ。さっきの試合の話はぼくにとってどうであるかじゃないでしょう? 暴走しないと思っていたが、どうやら勘違いだったようだ。


「? ……分かりました。エル様がそう言うなら」

  混乱しているといった調子の彼の声にぼくは頭を抱えた。


「………………どうして君はそうなの?」

「? 何かご不満があるのならおっしゃって下されば直しますよ」

 曇りなき緑の瞳にゾッとする。


 ぼくの理解の範疇を超えた反応で、膝をつきたくなる。


「ぼくみたいな奴にどうしてそんな尽くせるの? それで君は幸せなの?」

「幸せですよ」

「嘘だ」


 嘘だ嘘だ嘘だ。だって、だってみんなぼくの所為で不幸になったんだもの。


「いいえ幸せです。僕が幸せかどうか分かるのは僕しかいません。その僕が言っているのです。幸せだと。エル様は人に従っている人間は不幸なように見えるかもしれません。ですが、幸福の感じ方や機会は人それぞれです。そして僕は貴方に尽くせるのが何より幸福なんです」

「でも、それは普通じゃないもの」


 人に従うことが幸福? 自ら誰かに縛られることが幸福? そんな筈がない。そういう立場にいるからきっと幸せだと思い込もうとしているだけなんだ。


「普通でない=不幸なこと、でしょうか? 僕はそうとは思いません。普通とは大多数の意見に過ぎないです。それに当て嵌まらない人だっています。普通なんて宛に出来ませんよ。普通の人にとって不幸なことも、誰かにとって幸福なことかもしれない。現に僕は普通じゃなくても幸福です」

「………………」


 本当にそうだろうか。


 だって、ぼくは普通でないことが不幸だと思うんだ。

 普通でない、異常なぼくの存在がある所為で多くの人が傷ついてきた。壊れてきた。ぼくが普通だったらもっと違った筈だ。傷つかなかった筈だ。ヘススもきっと異常なぼくに壊された存在だ。ぼくというイレギュラーな存在が普通の人々を異常に引き込んで傷つけてきた。


「エル様、貴方はご自分が周囲の方々をみんな不幸にしてしまっていると思っていらっしゃるようですが、そんなのは分かりません。彼らが貴方の所為で不幸になったとぬかしているならまだしも、違うでしょう?」


 言われなくとも分かるんだよ。ぼくの所為で苦しんでいるって。

 カイだって、今回デアーグから守る為とかいって一緒にペアを組んだけど、結果は争いに慣れてないカイを無理に大会に出場させた上、人々の妬みや嫉妬、悪意という醜い感情に何も悪くない彼を晒すというものだ。


『弱いのに』

『身の程知らずだ』

『調子に乗ってる』


 彼に向けられるような言葉じゃない。身の程知らずなのも、調子に乗ってるのも彼じゃない、ぼくだ。カイはただ優しいからぼくのお願いを聞いただけなんだ。


 ぼくは存在そのものが異常だからさ、普通に行動したと思っても、自分なりに良い方を選んだって思っても、結局はそれは異常な選択でどんどんと悪い方向にいってしまうんだ。


「本当に不幸なことは、自分が幸福だと思えることを許されないことです」


 ねえ、ヘスス。君はそうやって幸せだとぼくを慰めてくれるけど、君のそれは異常性が振り切れちゃって感覚がぶっ壊れただけなんだよ。


 君はぼくの可哀想な犠牲者なのだから。



  ***



 カイの分の模擬刀取りに行かなきゃ。自分がヘススと話すために、カイと分離行動する際に口にしたことを思い出し、ぼくは競技場付近の倉庫に向かうことにした。


 ぼくは全然一人で行くつもりだったのだが、ヘススがついていくと言って聞かなかった。

 割とこの子、意思強めだな。いや、別にいいけど。


 ふと、耳に言い争う人の声がし歩く速度が落ちる。ヘススが心配そうに「どうかなさいましたか?」と聞くから、「静かに、あと人前でかしこまりすぎるのはやめて」と小さな声で告げれば彼は静かに頷いた。


 言い争いは今からぼくらが歩いている屋内の通路の先で行われているようだ。多分、分かれ道の角を右に曲がった先。巻き込まれるのは勘弁だから分かれ道の前のところで待って終わったら行くか。


 あ、打撃音。


 ……暴力まで行われたとなると長引きそうだな。

 となると向かうのは曲がった先じゃなくて、真っ直ぐ進んだとこだから、分かれ道のとこだけ喧嘩してる連中に気づかれないように通り抜けよっかな。そんなことを一人で考えている間にますます喧嘩は激化する。


「ゲホッ、何すんだよテメェ!」

「口の利き方を考えろ、愚かものめ」

 

 殴られて咳ををした所為かがなった怒鳴り声に対して、随分と落ち着いたハスキーボイスが返されていた。


「口で言えよ! なんで最初に腹殴ってから言うんだよ! シャムロック!」


 クリアになった聞き覚えのある声と名前に、割とどうでもいいと思っていた喧嘩に意識がいく。後ろについて歩いていたヘススが僅かに歩みを乱す。


 シャムロックって緑の侯爵子息で、そして昨年卒業した実技のトップの名前じゃないか。

 今日は開幕宣言をしていた、緑の公爵令嬢のお付きの奴だ。

 

「未だに直してないくせによく言う。うちは侯爵家、そっちは伯爵家」

「は、馬鹿らしいな」


 そーっと分かれ道まで近づいてちらりと角から覗いて様子を伺えば、緑がかった黒髪の少年が、カイに言いがかりをつけてた金髪のテウタテスっていうやつを足蹴にしていた。


 黒髪の少年の瞳の色は遠くて見えないが、ヘススと同じように顔に蔦のような痣がある。

 おそらく彼が、シャムロック・トルンプフ・ヴァルダー。緑系統の侯爵家のヴァルダー家の長男だ。


「はぁ……ま、ツァールハイトが無礼なのはいつものことか」

「っ」

「あぁ、ツァールハイトは家名で呼ばれるのが嫌だったっけか? 本当、昔から自分の立場を認めたがらないものだ」


 腹を抱えて蹲る金髪の少年を見下ろして黒髪の少年は無表情のままでそう言う。それでも意志のようなものがひしひしと伝わってくる。


 その様はヘススにそっくりだった。そんな場面で似てるだなんて思うのは失礼かもしれないけれど、そう思ってしまったのだ。


「うっせぇよ」

「さて、ツァールハイトと無駄な話をしに来たのではない。本題に入る、ツァールハイト、どういうつもりだ?」


 舌打ちして文句を口にする金髪の胸ぐらを黒髪が掴む。けど、その掴み方に激しさは感じなく、まるで非生物を掴むくらい作業的だった。


 お互い自分のペースを譲らないものだから会話が無茶苦茶なことになってる。


「どういうつもりって……」

「シグリ様を悲しませて何が楽しい?」


 その名にぼくは反射的に顔を引っ込め、壁にもたれかかった。


 シグリ……シグリ・レトガー・シュトックハウゼン。


 緑系統の公爵令嬢で、慈愛に満ちた優しい方……ぼくが数年前、声を奪った相手。ぼくの恩人。そうだ、緑系統の能力が強い子達って彼女と関係も深いんだった……。

 シャムロック卿に至っては今日はお付きだったし、喉の傷もあって王家にはもうおそらく嫁がないであろう彼女の結婚相手の最有力候補だ。



 彼女が悲しんでる? どうして? なんで?


 ――ぼくが声を奪ったから?


「楽しんでなんかねぇよ。オレ様はただ」

「おまけに赤のマイスター家の次男と組んで、何がしたい。弱い奴は余計なことをせず黙ってろ」


 ヴァルダー家のご子息はテウタテスがデアーグとペアを組んだことを咎める。


「オレ様は弱くねぇ」

「弱い。いつまでも子供のように我儘を喚き散らしてないで、大人しくしたらどうだ?」


 テウタテスを弱いと言い切るシャムロックという存在にぼくは、改めて、緑で一般人とかけ離れた能力を持つ連中同士でも大きな力の差があるのだと感じた。


 それはそうか、赤の連中の中でも力の差はあるもの。

 大抵は位が高いほど、血が濃い程、力が強い。だから、侯爵家より公爵家の者の方が強い。そして伯爵家からの発現者は赤の系統にいない。黄と紫も伯爵家にはいない。

 けれどテウタテスという人物には、侯爵家レベルの力がある。一部に敵わないとしても人並み外れた身体能力を得られたのは奇跡的だ。


 また逆にテレル様のようにたまに侯爵家レベルでも発現しなかったり、発現してもそこまでではなかったする者も存在する。

 レトガー家のあの双子は緑系統の力の発現の差が大きくあるにも関わらず、不思議なくらい良好だ。特にテレル様の方は兄弟との差に普通は劣等感から捻れた成長しそうなものなのに……やっぱ、彼女がいたからだろうか。


 シグリ・レトガー・シュトックハウゼンは、ぼくのように間違ったりせず、ちゃんと正しい道を歩んでいける人だから、その配下も正常でいられるのだろうか。


 そしてそんな彼女の声をぼくが奪ったから、二人は争っているのだろうか?


「てめぇらが頭固いのがいけねぇんだろ。オリスはザコを守るとか言うし、てめぇはいつだって表面上取り繕うことばっか考えてる。それじゃあ、駄目だったってのに! てめぇらはいつまでも変わんねぇ!」


 狭い通路の中にそんな言葉が響く。


「頭固くて結構。うちは、シグリ様やアルフレッド様、シュトックハウゼン家の前で醜態を晒さないでくれれば良いと言ってるんだ。波風立てようとする意味が分からない」

「何にもしねぇで取り繕っているよりはマシだろうが! 次に誰かが潰されたらどうすんだよ!」


 必死な声だった。今朝、カイに絡んでたような感じではない。年相応で、必死に主張する少年の声だった。


「うちは現在より悪化することはないから構わない。そんなにジッとしてられないなら、それこそシグリ様の声を奪った輩を引っ捕まえて落とし前つけさせろ」


 心臓に釘を打ち付けられたかと思った。耳を塞ぎたくなったけど、塞いではいけないから必死に堪える。断罪は世に不可欠なのだから。


 シグリ・レトガー・シュトックハウゼンの声を奪った輩――ぼくのことだ。


 ……ああ、やっぱりぼくの所為なのか。


「な、何言ってんだよ。あれは事故で……」

「下手な誤魔化しは飽きた。その内こっちでも特定するつもりだが、シグリ様もオリスもお前も何故隠す? まあ、それならそれでうちが殺すだけだ」

「殺すって……」

「不満か? だが、一度シグリ様に危害を与えたものが次に何かしないとは限らない」


 全くもって彼の言う通りだと思う。シグリ嬢、本人は許してくれたといっても、ぼくが彼女の声を奪ったことを知れば周りが許す訳がない。そんなの分かりきったことだ。


 罪人は罰されるべきだ。ぼくは罰されるべきだ。


 そしてぼくが罰されないから、全て上手くいかないのだ。

 ぼくが生きているから、みんな苦しむんだ。傷つけあうんだ。いがみあうんだ。

 ぼくはやっぱり生まれてくるべきじゃなかったんだ。


 だから、殺されないと。


 無意識のうちに彼らのいる間取り角の先へと足を踏み出そうとした時だった――、


「駄目です」


 ヘススがぼくの腕を掴んで引っ張る。腕を掴む手は骨が軋むくらい、強い力だった。引っ張る勢いが強くて、重心がブレて倒れそうになった。

 なんとか踏み留まって振り向いて彼のことを見れば、フェイスやロキと同じ緑の瞳が揺らいでいた。カイと同じ髪が揺れてた。


「いっては……駄目です」

 縋るような様子に、綺麗な瞳の緑に、その髪の色に、ぼくは引き止められる。


 ……そうだね、今はまだやるべきことがある。守らなくてはならない大切な人達がいる。


「そうだったね……大丈夫、いかないよ」


 まだいってはいけなかったね。やるべきことをちゃんとやってからじゃないと、死ぬなんて、全てから逃げるなんて選択をしてはいけない。


「止めてくれてありがとうね」


 そう背の低い彼の頭を撫でれば、彼は「いいえ、当然のことです」とぎゅうっと更に腕を掴んでうつむく。小さな子供が母親にしがみつく姿と被って「ああ、この子は本当に赤なんだなぁ」と改めて感じる。


 この子も何がきっかけで執着しているのか知らないけど、その執着から解放してあげないと。

 デアーグやフェンリールのこともなんとかしなきゃ。


 逃げたい。だけど、その前に自分のせいで壊れたものをどうにかしないと。


 そうしないと、生きる権利もないけど、死ぬ権利も無いんだから。


「じゃあ静かに通り過ぎようか」

「はい」


 


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