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8 馬鹿がいる

「だ、大丈夫だよ。いけると思えば、いける」


 そう答えるエルは顔面蒼白で、左手はお腹に添えられている。階段途中に立っている足も見ててひやひやする。体を支えるように手すりを持っている右手には何故か包帯が巻かれてる。


「大丈夫じゃねぇだろ。いけると思ったらいける? そりゃ、オレだって多少の風邪とかなら見逃すが、お前のはどう見ても重症だ。ってか、右手どうした? 体調不良なのに喧嘩とかしてねぇだろうな?」


 咎めるように見れば、エルはノロノロと首を横に振る。


「ちょっと、イライラして鏡殴っちゃっただけだよ」


 なんつー高価なもの殴りやがったんだこいつ……じゃなくて、どういう展開で体調不良になって、機嫌悪くなって鏡殴るだなんてことになんだよ。しかも、包帯巻くってことは割れでもしたのか? 何やってんだよこいつ。鏡はなぁ、高価なんだぞ!


「何やってんだよ……つーか、お前帰れ。体調万全どころか、ボロボロじゃねぇか。治してから来い」

「帰れだなんて酷いよカイ。ぼくのこと嫌いなの?」


 酷いよとエルが見つめてくる。体調不良でも顔面蒼白でも美人は美人。それに加えて抗議する際の憂いを帯びたこの表情。捨てられた子犬か? これに罪悪感を抱いて黙り込んでしまうものは少なくないだろう。だがな、オレは騙されねぇぞ。


「話、逸らそうとしてんならバレバレだぞ。オレは嫌いな奴を友達にする趣味はねぇ。はい、じゃあエルくんは家に帰っておねんねしましょうねー」

「嫌だっ! ぼくは腹痛なんかに絶対負けないっ!」

「舞台風に言っても騙されねぇからな」

「ちっ」


 舌打ちすんな舌打ち。おめぇの面でやられると周りが驚いちまう。現に今だって、通りすがりの集団の会話が一瞬止まった、


「か・え・れ」

「い・や・だ」


 ほんと顔面蒼白で何言ってんだこいつ。強情なのは知ってたが、ここまでとは。


「ったく、何でそんなに無理をしようとすんだ。別にもう一日くらい休んだって大差ねぇよ」

「今日は、剣の試験があるんだよ」

「……まさかそれを受けるつもりじゃねぇだろうな」

「もちろん、受けるつもりだよ」

「アホじゃねぇの」


 どうしようこいつ。もう怒りを通り越して、呆れしか湧いてこない。なんで、こいつそんな体調で剣の試験受けようとすんの? これで学力が平民の中で一番とか嘘だろ。正真正銘の馬鹿かつアホだ。


「剣の試験って、成績に大きく響くし、そう簡単に休むわけにはいかないんだよ」

「補講で受けさせて貰うとかしろよお前」

「ぼくの為に時間を無駄に取らせる訳にはいかないよ」


 確かに貴族ばかりの空間の中で平民が一人、補講を申し出るのはやりにくいだろうけど、担当の先生だって明らかに体調不良の生徒が無理に試験を受けてるのを見て、いい気持ちにはならないだろ。


「ぐだぐだ言ってねぇで休め、そんな体調でやってもロクな結果でねぇぞ」

 肩を掴んでそう言えば、向こうは唇を尖らせる。


「だって……」

「だっても何もごねるな。そもそも何で腹壊したんだ? 病気とかじゃねぇだろうな、町医者に診てもらったか?」

「……別に医者にかかる程のものじゃないよ。原因は分かってる……その上で大丈夫と判断したんだ」


 どうも気が立っているのかエルはオレの手を振り払って、先を行こうとした。勿論そんなことさせない、その細い手首を掴めば、エルが不満気な顔を見せた。

 うわっ、今まで直接向けられたことねぇけどこりゃ怖ぇや。


「大丈夫って言ってんのに分かんないの?」


 口元は弧を描いているのに、紅茶色の瞳はこれでもかってくらい冷たい。絶対零度の微笑に気圧される。でもそんな中でもエルから揺らぎを感じて、ただの強がりに見えた。尚更引く気はなくなった。


「お前の主張が『大丈夫』なのは分かったけど、オレから見ればどう考えても大丈夫じゃねぇから、止める」


 オレの言葉に何故かエルは傷ついた顔をした。

 どうしてなんだ。お前が体調不良で大丈夫じゃないのは誰が見ても思うだろうし、エル本人だって流石に分かってるだろ。なのになんでそんな顔すんだよ。


 なんとも言えない沈黙を破ったのはオレでもエルでもない第三者だった。


「ねー、おじょーさんたち、そこで止まられると迷惑だよー」


 間延びしたふざけた声が耳に障る。誰がお嬢さんだ! とオレがキレる前にエルが体調不良に加えて、ここは階段途中にも関わらずそいつの腹に拳を決めた。


 腹が立つのは分かるが、まさかの無言で実力行使。


 相手がどんな奴かも確認せずに思い切りいくとは、こいつらしくねぇな。貴族相手だったらどうすんだ。……いや、マジでどうすんだ。


 念の為に横目で確認すれば、左耳に黄緑色のピアス。形もいつか見たあの人のものと同じだ。え、あの人殴っちゃったの? エル。いくら気に入られてても殴るのは流石に怒られ――って、あれ? こいつレトガー様じゃねぇ。


「駄目だよー貴族に暴力は。怒られちゃうかもしんないからねー」


 エルに殴られたことなんて大したことないようにその少年は話を続ける。前髪が長くて目が見えないけど、呑気に笑ってるのが唯一見える口元だけでも分かる。


 エルの方は突き出した拳をそのままにして、どこを見ているか分からない目をしている。あっ、と手を伸ばした時には遅く、少年の方に倒れ込んでいた。


 ぎゃあああああ、貴族相手になんつー真似を。


「うわっ、だいじょーぶ?」


 たぶん150にも満たないその身長で、170以上あるエルを少年は簡単に受け止める。エルの方はと言えば足に力が入らないのかそのままになっている。


 今のところ結構良心的な反応つーか、殴られたっていうのに怒ってねぇ。聖人かよ。でもこのまま貴族らしき少年の迷惑になる訳にもいかないので、急いでエルを回収する。


「申し訳ありません。こいつ滅茶苦茶体調悪いみたいなんです。それこそ確認もなく人殴ってしまうくらいなんです。本当にごめんなさい。どうかお許し下さい!」

「別にいいよー、それより早く保健室にでも連れてった方が良くない?」


 最初のあの発言はどうかと思ったが、結構良い人みたいだ。


 こう言っちゃなんだけど、貴族らしさが一切無い。制服はこれでもかって位、着崩して。亜麻色の髪の毛も手入れしてないのかボサボサの上、男の割に長い。何より態度が緩い。同じ貴族でもレトガー様は前に立つだけで緊張するのに、この少年の前だと妙に気が抜ける。


 だけど、あれだよなぁ。エルに殴られて全くノーダメージって見た目の割に強者だな。いくらエルが力無いって言っても、唐突に殴られて微動だにしなかったのは流石に驚く。


「そうですね。ありがとうございます。ご迷惑おかけしました」

「いいよ別にー、なんなら一人じゃ大変そうだし手伝うよー」


 確かに一人で人を運ぶのは大変かもしれないが、それで貴族様に手伝わせるというかのも恐れ多い。ぶんぶんと首を横に振る。


「でも、だいじょーぶ? 一部の奴が目ギラギラして『今なら二人セットで狙える』とか言ってるんだけど?」

「お願いします。手伝って下さると大変助かります!」


 撤回だ。流石にふらっふらのエルを守りながら自分の身も守るなんてこと出来ない。てか、誰だよそんなこと言う鬼畜野郎は。病人に手を出すって発想が出るのはマジでおかしい。

 ほんと罰当たりかもしれないが、本人も親切に申し出てくれてることだし、手伝って頂こう。背に腹は変えられねぇ。


「いいよー、んじゃ」

 そう言うや彼はオレの腕からエルを受け取るとエルを肩に担ぐ。資材かよ。エルは文句でも言うかなと思ってたけど、よっぽど腹が痛いのか何も言わない。


「えっと、その持ち方は……」

「おれの背だと、おぶえないんだよねー。あ、でも流石にこの持ち方は怒られちゃうか、じゃあこっち」


 階段途中だと言うのに、肩担ぎからお姫様抱っこに簡単に持ち帰る。ってか、なんでこの人、一人で持つ前提なんだよ。普通に二人で運ぶかと思ってたのに、これだとオレ役立たずじゃん。初対面の奴、しかも貴族にこんな世話をかけてしまうだなんて。


「お、オレも持ちます」

「軽いから大丈夫、だいじょーぶ」


 いえ、そいつあんたより背高いんですけど。いくら、エルが同年代に比べて細いと言えど、流石に20cm差はキツイだろ。

 キツイ筈なのだが……何故か強がってるわけでもなく、ほんとに軽々持ってる。その馬鹿力どこから出てくんだろ。でも、オレが支えてた時もそこまでこいつ重くなかったからな。

 

 ***


 運の悪いことに今日に限って保険医が出張中だった。


「そういえば、今日は医療講演会でいないって昨日言ってたねー、忘れてた」

「なんつー、タイミング」


 とりあえずエルはベッドの上に寝かすが、どう対処すればいいか分からない。


 お腹が痛いと言っていたのを思い出し、布団をかけてやるが、エルの体調は改善しそうにない。相変わらず顔色真っ青だし、よっぽど痛いのか目をぎゅっと瞑って痛みに耐えてる。

 いや、これほんと大丈夫か? 本人は原因知ってるみたいだけど、普通の腹痛いレベルじゃねぇだろこれ……食あたりとかか?


 こんなんで剣の試験を受けようとしていたのだから、呆れたものだ。ふと、壁にかかった木製の時計を見れば、あと数分で授業開始だ。教室に戻るべきなのだろうが、エルを一人にするにも心配だ。貴族様をこれ以上巻き込むのもなともと思った。


「手伝って下さり、本当に助かりました。ありがとうございます。もうすぐで授業が始まってしまうので、オレはここで面倒見ますけど、貴方様はそろそろ教室に行かれた方がよろしいかと」

「どーいたしまして。あ、教室に戻る途中に君らのこと先生に伝えておくよ。君、名前は?」


 あ、ヤベェ。後光が差して見えるわ、この人。たぶんオレが出会った貴族に中で二番目に良い。


 一番は赤の領地の辺境男爵。商隊が道の封鎖で立ち往生してた時に野菜スープ振舞ってくれたんだよな。「世界一の芋を作るのが夢」とまで言ってた人だから相当な変わり者だったんだろうけど、あそこらへんの土地は赤系統の領地にしては良かったな。領民より農作業に励む領主ってどうよとも思わなくもないけど。弟さんの方が他は上手くやってたみたいだしいいか。


 まあ、何もともあれ貴族だからって悪いやつばっかでもねぇんだよな。平民だってクソ野郎はいるし、貴族にだって善人はいる。


 人間、カテゴリーで括って判断するけど、それが良い時と悪い時があるからな。悪い時は偏見になっちまって、もしかして上手くいったかもしんねぇ関係を悪くしちまうから、気をつけねぇと。


「重ね重ねありがとうございます。Cクラスのカイ・キルマーです。そんでこっちは」

「エルラフリート・ジングフォーゲル。所属クラスはAでしょ」


 知ってたのか、まあ凄ぇ平民って事で有名だからな。あと残念だが、美人なのであっち系の方面でもオレと共に有名だ。


「弟兼ご主人様がよく話してるから知ってるんだー」


 弟兼ご主人様ってどういうこと? のんびりとした口調で話される組合せに頭が追いつかず混乱する。


「おれはねー、Bクラス所属のオリス・ドロッセル・レトガー。Aクラス所属のテレル・ドロッセル・レトガーの双子の兄でーす」


 え、あえ……レトガーって、エルのクラスメイトの? あの人の双子の兄⁉︎ 嘘だろって叫びそうになるのを必死に抑え込む。全然似てねぇ……いや、髪の色とか身長は似てんだけどよ、なんつーか雰囲気が真逆。


「だからねー、よろしくっ!」

 そう言ってオレに飴玉二つを投げ渡すと、彼は教室に行った。


 静かになった保健室でオレは状況についていけず、頭の中で彼の言葉を繰り返していたが、その内あることに気づいてしまった。『Bクラス所属』『弟兼ご主人様』『Bクラスの下僕』……。



「……つ、使えないBクラスの下僕ってもしかしてあの人のこと?」


 だとしたら、おかしいだろ! 自分の兄ちゃんを普通下僕呼ばわりするかぁっ⁈ いやでもあっちもご主人様とか言ってたし、問題ないのかもしれない。いやいやでもやっぱおかしい! 貴族ってほんと何考えてんのか分かんねぇ……。


「ぅぅ」

 はっと我に帰れば、エルがベッドの上で呻いてる。とりあえず少しでも改善するためにお湯を食堂のキッチンからお湯もらって湯たんぽでも作るか……。


 てか、こいつほんと馬鹿だろ。勉強できるくせに馬鹿だろ。これで試験受けるつもりだったっていうのがマジ信じらんねぇ。


 ***


 湯たんぽでお腹を温めたのが結構効いたらしい。いくらか改善したエルと話しているとあることが判明した。


「おまっ、腹痛とはいえ、なんも食ってねぇって馬鹿じゃねぇの⁉︎」

「いや、なんか食べる気にならなかったんだよね……」

「アホだろ! え、つーかいつからだ。昨日はともかく、休日だからって一昨日はねぇだろうな?」

「あははは」

「殴り飛ばすぞこんにゃろう」


 腹痛だけにしては症状が重いと思ったら、こいつしばらく食ってなかったのか。そりゃ、足元ふらつくし倒れるわ!


「お前、それで本気で試験受ける気だったのかよ……」

「人間、やろうと思えば案外いけるもんだよ」

「なんだよそのチャレンジ精神。つーか結局ダメだったじゃねぇかよ」

「いや、カイの相手してたら思いの外……」

「オレのせいにするんじゃねぇよっ! むしろ止めたオレに感謝しろ! 崇めろ、讃えろ」

「わー、ぼくの友達のカイ君はとっても良い人だな。尊敬するよ!」

「やっぱやめろ、滅茶苦茶腹立つ。とりあえず、これでも舐めてろ」


 さっきレトガー様(兄)からもらった飴玉をエルに渡せば、大人しく口に含む。こんなんじゃ全然足りないのは分かってるけど、ないよりマシだ。


 腹痛が良くなったことでエルに余裕が出来たのか、随分機嫌が良さそうだ。頰をほころばせながら飴を舐めてる姿は、一部の変態どもが見たら襲うこと間違いなしだ。


「美味しいね。これどこで買ったの?」

「知らん。貰いもんだからな」

「誰から貰ったの?」


 こいつ、覚えてねぇのか? ああ、でもあの時、エル腹痛激しくてまともに思考してなさそうだし、しょうがねぇか。


「エルのクラスのレトガー様のお兄様。運ぶの手伝って下さったんだぞ」

「へぇー、あの方にお兄様がいらっしゃったの?」

「おう、全く似てねぇ。ってか性格が正反対だ」


 見た目だけだったら、似せることは出来なくもなさそうなんだがな。髪の色も身長も似たようなもんだったし、でも中身が違ぇ。弟の方は真面目でしっかりしていて威厳がある感じだけど、兄の方はゆっくりマイペースで親しみやすいって感じだ。つーか、噂で聞いたことがあったわ。


 一体全体、どうすればあんな真逆になんだ? それに下僕とかご主人様とか言ってたし……もういい、深く考えるのはやめておこう。


「あとで謝りに行かないと」

「回復してからにしろよ」

「……カイもごめんね迷惑かけて」

「いい、別に。当たり前のことしただけだしな」

「よっ、カイ君ったらイケメン」

「しばくぞ。病人は大人しくしてろ」


 だと言うのに、こいつは昼飯食った後、オレが授業行って目を離したのをいいことに午後の授業に出席した。幸い何も起きなかったが、レトガー様(弟)は兄の方に朝のことを教えて貰った後、エルに怒鳴ってた。いいぞ、もっとやって下さい。


 ザマァ見ろというべきか、ふざけんなとこちらも怒るべきか迷ったが、エルの野郎は結局「ごめん」と言って次も似たようなことをやらかすだろうから、何も言わなかった。


 剣の試験の結果はA、優良だったそうだ。

 なんかスゲェ納得いかねぇっ‼︎


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