挿話14 紫の次期当主とその周囲
「ねぇ、ヴァル。どうしてそんな顔してんの?」
薄暗い部屋の中で緑の公爵子息こと、アルフレッド・レトガー・シュトックハウゼンの瞳が瞬く。さながら獣のようなそれを見ると、彼の姉君との血の繋がりを改めて感じる。
無茶苦茶なこの友人と、まるで見本のように正しく振る舞う彼の姉君は性格は正反対だが、見た目は結構似ている。いや、性格も本来は結構似たりよったりだったかもしれない。彼女が声を出せていた頃はこの友人同様随分とお喋りだった。
「いつもキリッとした顔してるけど、今日はその上すっごい眉間に皺寄ってるよ」
「アルは随分と浮き足だっているな」
自分の眉間をつんつんと突いてくるアルにそう指摘すれば、手をパンと向こうは叩く。軽快な音は彼らしい。
部屋にある灯りは蝋燭数本だという事実は変わっていないのに、アルの元気な様子を見ると更に明るくなったかのような錯覚を感じる。
「だってさ、マイスター家の出だよ。そんなの絶対に面白いじゃん」
「アル、今日は闘いに来たわけではない」
そう事実を口にする。今日は各系統のトップの公爵家の次期当主の顔合わせだ。今まで赤の子息が不在だったが、赤のマイスター家の長男フェンリール卿が、赤のトップのウアタイル家に養子入りしたことから開かれたものなので、重要な場である。
しかし、アルは俺の指摘に一瞬不満そうな顔をする。
「分かってるけどさ、それでも赤の連中であんま体動かすの下手そうな奴ばっかだからさ」
「俺達とは違い、赤と黄は戦闘が望まれる職種に就く確率がぐんと低いからだ」
「うん、そうだからさ。そんな中から闘えそうな奴がよく会えるような立場になったのが嬉しいなって」
まったくもって闘い好きのアルらしい意見だが、今日はそれを肯定する訳にはいかない。
「アルとフェンリール卿が闘うようなことがあったら大事件だ」
赤と緑はどちらかといえば敵対関係にある。そんな関係の次期トップが顔合わせで闘いでもすれば、下手すれば赤と緑が全面的に争うことになる。それどころか緑系統と提携を組んでいるうちは勿論、トップ同士が親戚関係のある黄まで巻き込まれて、国が二分する可能性だってある。
ただでさえ、黄の母親の第一王子と、緑の第二王子、加えてその婚約者をどうするかで火種があるのに、これ以上火種を投下されてはたまらない。
「ヴァルは心配性だね。ちょっと手合わせお願い出来たらなーってくらいの話だってば」
「だが」
本人達がおふざけでやったとしても、下に伝わった時には情報がこじれている可能性がある。そうでなくとも、アルが申し込んだお遊びの手合わせに、フェンリール卿が変に勘繰って勘違いする可能性がある。むしろ勘違いするのが当然だ。
普通、緑の次期トップがただ自分の好奇心だけで赤の次期トップに勝負を申し込むとは思わない。
だが、アルフレッド・レトガー・シュトックハウゼンという人物はそういうものだった。
素直で、闘うのが大好きで、退屈を嫌い、好奇心が赴くままに動く。
「大丈夫だってー、ヴァルは頭硬いなー」
「アルみたいに無茶苦茶ではないな」
「ヴァルってばテレルみたいなこと言う」
「テレルさん?」
急に出てきた名前を俺は繰り返す。テレル・ドロッセル・レトガー、アルと血縁関係のあるその人は、緑のレトガー侯爵家の第二子で、凄く努力家で真面目な方だ。
「テレルってば、昔の姉上レベルに会う度に口煩いんだよ。僕は強いから、何かあっても全部ぶっ潰すから問題ないよって言ったら『そうやって色々舐めてかかってるから、危なっかしいんです! 絶対なんてこの世に存在しないんです!』って怒ってんの」
「心配しているんだろう」
頬を膨らませるアルの言葉から、テレルさんの苦労が窺える。だが、アルはその苦労に対して理解不能という顔をする。
「心配ね。僕、心配される程弱くないし、なんならテレルの方が弱いのに。なんで弱い方が強い方を心配するの? むしろ逆じゃないの?」
「それは俺に向かっても言っているのか、アルフレッド卿?」
気に触る点があったものでいささか棘のある言い方になってしまった。テレルさんの心配に対してそれはないだろうというのもあったが、その他に自分を下に見られた気配を感じ取ったのだ。
「ん? なんで? あと今その呼び方するのやめてよムズムズする、怒ってんの?」
「先程、俺のことを心配性と称した後での発言だった。それ故に煽りに聞こえた」
「そうだっけ? ごめん。でも煽りじゃないよ、本気で不思議なんだ。僕は強いから心配される必要なんてないのにさ」
本当に煽るつもりも無かったし、本気で不思議だったのだろう、大きな吊り目は無垢な子供のようだった。空がどうして青いのか聞く幼児の感覚と同じなのかと気づき、俺は溜息を吐く。
これは無自覚だからどうしようもないな。
「……緑系統は力こそ正義という思想だから、不思議に感じるのだろう」
「じゃあヴァルは規律やルールを信じているから、僕を心配するの?」
「いや、むしろ力が全てだとは思ってないからだ」
「へぇ、でも僕は気に入らないもの力尽くで黙らせれば全部どうにかなる気がするけどね」
難しい議論の結果さえも上手くまとまらなければ殴り合いで決着をつけるような緑系統の人間だからそんな言葉が出てくるのだろう。緑系統の驚くべきところはそれで大体が上手くいっているのだ。殴り合った結果でも、緑同士なら強い方が正しいのだから互いに納得する。治世も何故か上手くいく。
けれど、おそらく遥か昔にカラビト様がその在り方のままで放置したのだから最終的に正しい結果になるようにはなっているのだろう。
だが、同時にカラビト様はこの国や紫の系統には別のことを望んでいた。つまり今、緑のアルフレッドの前にいる俺は口を出すことが正解なのだろう。
「どうにもならないこともきっとある筈だ。故にカラビト様は人々が国という規律で人を縛れる枠組みを作るのを手伝われたのだろう」
「やっぱ規律だ。ヴァルは相変わらず規律やルールが大好きだね!」
「そうか? それにアル、気に入らないという理由だけでは駄目ではないだろうか。良い存在まで潰しかねない」
「それは気をつけてるよ、悪者にはなりたくないし、父上や姉上やテレルに怒られるしね」
こういう所が、アルがただの暴力主義にならない鍵なのだろう。闘うのは好きだし、力では解決しようとするが、悪者にはならないように自制はするし、周囲の言葉を聞いた上で無茶苦茶はやるが、無視している訳でもない。
「僕はさ、戦だって本当はあれば沢山闘えそうだから楽しそうで起こってほしいけど、ヴァルや周りのみんなが死んだり、傷ついたりしたら悲しくなるし、やりすぎちゃって悪者になるかもしれないから、なくてもいいやって思うよ」
「アル自身が死ぬとか、傷つくとかは思わないんだな」
「僕は絶対に負けないからね! 僕より強い存在なんて居てもカラビト様とかでしょ」
満面の笑みでそう言う友人の言葉を肯定はしたくは無かったが、事実俺はアルより強いものを見たことが無い。人間は勿論、大型の獣もあっさり倒してしまう姿を幼少期から何度も見て来た。地上最強の生物と言っても過言ではないだろう。
だがやはり全肯定はいけないと思い、緑系統の上級貴族にある弱点を取り上げる。
「乗り物に乗ってる状態なら勝てる。例えば船の上とか」
「それはそうだけど気持ち悪くなるから絶対に乗らないもん」
うえっと顔を顰めてからアルはそう唇を尖らせる。
緑の上級貴族は乗り物酔いが酷く、俺が昔アルを試しに船上見学に連れて行った時は気持ち悪いといって寝転んでそのまま動けなくなっていた。俺とアルの系統は提携を結んでいるが、アルのとこの上級貴族で海軍に所属している人物がいない訳をその時初めて知った。
「アルはディファルシェや馬にも乗れないからな。オリスさんはなんとか乗れてたが」
「自分の制御以外で体が移動する感覚が駄目なんだもの。僕以外は生き物ならなんとか平気だけど、でも僕らは自分で移動した方が早いし、全然楽だよ」
「陸路と空路では全然距離が違うぞ」
「別に距離が違ったって空路の奴らより早く移動すれば問題ないよ」
当たり前のことのように言ってみせるが、それが出来る人間は極めて少ないだろう。アル達、緑の上級貴族のことをよく知らない人間からしたら信じ難い事実だ。
「それが可能なのはほんの一部だ。しかもよくやっているのはその更に一部だろう。オリス卿は結構テレルさんとディファルシェに乗っているのを見かけるぞ」
「あれはテレルと一緒に行動することが多いからだよ。付き合いで空路使ってんの。酔いが酷い時は一時離脱して地上走って治してるくらいだし」
「そうなのか、レトガー家のお二人はとても仲が良いな」
俺も兄弟が複数いるが、あまり行動は共にしない。兄上は自室で研究か司祭様の所にいらっしゃることが多いし、弟は片方は惰眠を貪り、もう片方は色々と型破りなことをしていて、家族として大切な存在だが、同時に頭痛の種でもある。
「よくテレルはオリスに怒ってるけどね。でもオリスはぼくんちに来る時も寂しがってテレル連れて来たくらいだし、昔から筋金入りのブラコンだよ」
「テレルさんは素晴らしい人だから」
「ヴァルもテレルのこと気に入ってるよね」
「アルもそうではないのか?」
「好きだけど色々ごちゃごちゃ言ってくるのは面倒!」
それを聞いて俺や父上が弟を叱った時のことを思い出し、反抗するアルに呆れるし、テレルさんの苦労に同情を抱く。
「だからそれは心配しているのだろう」
「僕は強いから大丈夫だってのに。なんかテレルって紫っぽいよね」
「確かに緑の上級貴族にしては規律や規則にしっかりしている方だからな。俺も尊敬しているし、参考にさせて貰っている」
特に俺がアルの身体能力について理解し始めた頃、どういう身の振る舞いが正解か迷っていた頃、テレルさんのことをよく参考にさせて貰った。
「ヴァルがこうだからテレルのやつ、ヴァルの配下の子達に羨ましいって僻まれちゃうんだけど。僕の配下だからね、口煩いけどあげないからね。とったら僕もだけど、オリスは勿論、テウタテスや姉上だって怒るんだからね」
「何を当たり前のことを言っているんだ?」
あの人が緑系統から離れるなんてこと規則的にも、当人の性格的にもあり得ない。テレルさんは緑系統の将来のことをよく考えて行動される方だから。
「だって会うとめっちゃ話すじゃん。パーティーで見かけたらすぐ話し出すじゃん。めっちゃ二人とも真剣な顔して長時間話すじゃん」
「だいたいはアルの様子を聞かれたり、アルのことをよろしく頼むと言われているだけだが?」
シグリ様も割と同じようなことをされるが、テレルさんは会う度にすごく丁寧かつ俺にも色々と気を遣った上でアルのことを頼んでくる。たまにテレルさんが保護者だと錯覚しそうになる。
アルに対して過保護な人物は何人かいるが、テレルさんのは過保護とは方向性が違う。飴と鞭で言うなら鞭の方だろう。
放っておくと全部良いように受け止めて調子に乗るから、容赦なく嫌なことは嫌と駄目なことは駄目と言っていいとアル関係で怪我したり、行方不明になった俺に対して深々と謝罪してから説明をしていたこともある。
アルのことを堂々とあんなにボロクソ言うのは多分あの人くらいだけど、アルのことを思ってでのことだとは俺でも分かる。だからアルも文句は言いつつも必要な配下として認識しているのだろう。
たまにそれが羨ましくなる。
……こういう俺の感情を無意識に読み取ってアルは先程あげないと言ったのかもしれない。
俺はあんまり正面切って叱られたり、貶されたりした事がない。皆、俺を褒めてくれる。
配下の者たちはいつも俺のことを見て、賞賛したり、称えたりする。何か俺に問題があるかと聞けば「上に立つお方がそういった姿勢であることは本当に素晴らしい。そんな完璧な貴方の下につけて良かった」と感涙される。父上も「お前は優秀で素直な良い子だな」とおっしゃっている。
叱られるようなことはしないし、規則は守るし、周囲の期待に応えるように行動しているとはいえど、たまには何か問題を指摘して欲しい。流石に何も問題が無いとは思えない。完璧な訳がない。
ちゃんと欠点を指摘して貰わないと改善すべき点が分からない。
剣術とかだと指南に細かいとこを指摘してもらえるけれど、アルのように普段の自分の有り様ではない。
俺は正しくありたいから、ちゃんと間違いの指摘が欲しい。
アルと何か騒動を起こして帰って来ても、すぐに巻き込まれただけだと判断される。実際そうなのだが、微塵も疑わないのはどうだろうか。俺が悪いことをする可能性もする気はないがゼロではないのに。
弟がたまに文句を口にするが、身内だし、大体俺が弟に注意するときの言い返しの時だから、俺を言いくるめる為の手法でしかない。立場のこともあってよく関わりもしない人々の陰口が耳に入ることはあるけれど、それらは俺のことをよく知らない、よく見ていない人のことだから傷つきはすれど参考にはならない。
「何それ、僕子供じゃないし」
アルはそうやって言うが、俺は子供でいいから、テレルさんのようきちんと見てはっきり俺の欠点を指摘してくれる人が側にいて欲しい。
***
「……こいつら二人揃って箱入り息子だな」
緑の瞳を持つ少女が飽きれ交じりに零した独り言が、俺の鼓膜と心臓を揺らす。
多分彼女は俺に聞かせるつもりどころか、誰にも聞かせる気は無かったのだろう。抑えきれずに出た、本来なら誰にも聞こえないような言葉の筈だったが、俺の耳が捉えてしまったものだった。
現にアルは全く気付かずお腹が空いたと口にしながら教室を出て行った。
「……こいつら」
「……っ」
自分自身に確認するように口にすれば、少女の肩がびくうっと跳ねる。
俺は単に「こいつら」だなんてアルとセットで悪態を吐かれることはなかった為、新鮮だった為繰り返しただけだった。だが、口にした後はなんだかその表現が酷く気になってしまった。
「今、こいつらって言ったな。二人揃って箱入り息子って」
がっとその場を離れようとするエヴァンズの肩を掴んでそう聞けば目を逸らされる。気のせいかエヴァンズの顔が普段より青い気がするし、俺から逃れようと後ずさる。
「失礼しました。忘れて下さい」
「俺も箱入りってことだろう。問題があるってことだろう?」
俺は逆に後ずさる彼女ににじり寄る。
「失礼しました。本当忘れて下さい」
忘れるように頼んでくるが訂正はされない。嘘ですとは口にしない。
そこから彼女の言葉への責任のようなものを感じ取り、あれは本心からの意見で、かつ俺にこうやってやられる中もその意見は間違っていないと判断しているから否定や訂正はしないのだと感じた。
もしかして目の前の彼女なら俺の問題点を見つけて指摘してくれるかもしれない。
「具体的にどう言う所が箱入り息子だ? 教えてくれ、エヴァンズ」
そう頼めば、彼女はきっと顔を上げる。真夏の森林のような色の瞳と目がバチリと会うのが分かった。
「そういう所が箱入り息子なんですよ……なんでちょっと嬉しそうな顔してるんですか。自分に対してよくない表現をした人間に嬉々としてその理由を聞かないで下さい。調子が狂うでしょうが!」
***
「うっかり聞こえちゃったとはいえど、あんなに何度も繰り返す必要は無いと思うんですよ。針のむしろ状態に意図的にするつもりかって思ったけれど、顔上げたらあの坊ちゃんめっちゃ目輝かせてやがる。何があいつの琴線に触れた? 箱入り息子で周囲が甘やかしているにしろ警戒心ゼロか? 殴られた方がまだ腹立つけど納得できる。意味が分からん。カイさんわかります?」
フェイスちゃんの話を聞きながら、とんでもねぇし、予想外で面白い方向に話が進んだななという感想を抱きながら、オレはとりあえず水を一口飲む。なんか内容が衝撃的過ぎて喉が干上がった気分になった。
「分かんねぇけど……あ、でも恋愛小説で自称普通な主人公に面白いって絡んでくキャラが居たから、そんな感じじゃねぇの?」
フェイスちゃんは貴族と仲良くなんてと思ってるんだろうけど、大貴族の子息達は逆にそのフェイスちゃんの敵対心から来る反応に何か新鮮なものを感じているのかもしれない。
うん、でも感じてくれるのが新鮮さで良かったよ。不快感抱かれて向こうから敵対心抱かれたら、平民の少女なんて貴族はどうでも出来るだろうから。もう話聞いてるだけでひやひやすっから、現場を見ればきっと心臓無くなっちまう。
なんつーか本当フェイスちゃんは恐れ知らずだし、危なっかしいな。
聞かすつもりは無かっただろうけど、貴族について悪く言うにももうちょい安全地帯を探してからにすべきだとか色々思うけれど、多分今までの話聞いてると、貴族への敵対心が強すぎて自制が追いつかないんだと思う。それは当人も分かっていることだろうからあえて口にはしない。
「カイさん以外と少女趣味なんですね。あの紫の坊ちゃんは被虐趣味とかだったりするのかな……」
「オレは読まされただけで少女趣味じゃねぇし、多分紫の坊ちゃんも被虐趣味じゃねぇぞ」
真剣な顔で何を言い出すんだフェイスちゃん。